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第十五章

15-25.即断

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「ファレスさん!」
「大丈夫です! 突然風が吹いて数人がかすり傷を負っただけです。こちらには構う必要はありません!」

 仁が駆け出すより早く、ファレスの声が届いた。仁はエルヴィナに向き直り、跳びかからんと膝を沈める。

 仁の予想通り、今の攻撃が遠隔魔法によるものだとしたら、エルヴィナに次弾を撃たせるわけにはいかない。仁が攻撃を仕掛ければ、エルヴィナは人質に手を出すよりも自身の身を守ることを優先するはずだ。

 仁自身がエルヴィナに対して特段何か思うところがあるわけではないが、メルニールの冒険者でありながら帝国に味方して玲奈たちと敵対し、魔王妃と接点を持って自身の前に立ち塞がるのであれば、容赦する言われはない。仁はエルヴィナのナイフを持つ腕を斬り落とさんと黒炎刀を振り上げた。

「待って! 降参よ!」

 慌てた声を上げたエルヴィナが人質から手を放し、ナイフを床に投げ捨てる。仁が思わず全身でブレーキをかけると、エルヴィナは人質の背を押して仁の方へ追いやり、自身は数歩後退した。

「エルヴィナさん。どういうつもりですか?」

 仁がよろめく人質を抱えるように支えながら問うと、エルヴィナは肩を竦めて見せた。

「お手上げよ。私はもう退散するわ」

 エルヴィナが手をひらひらと揺らす。

「どうやら英雄くんを見誤っていたようね。お友達をちょっと傷付ければ大人しくなるかと思ったのだけど、まさか人質もいるのに本気で斬りかかろうとするとは思わなかったわ」

 仁自身、ファレスに言われなければそもそも人質を取られた時点で身動きが取れなくなっていたであろうことが容易に想像できたため、返す言葉がない。

 仁はエルヴィナの一挙手一投足に目を配り、周囲の魔力に細心の注意を払うが、エルヴィナが何か企んでいる気配は見られなかった。

「第一皇子殿下の部下というわけでもないし、さすがのわたくしも本気のあなたと戦うほど、愚かでもなければ自殺願望もないわ。というわけで、見逃してくれると嬉しいわ」

 エルヴィナが敵意のかけらもない、艶やかな笑顔で告げた。仁は眉をひそめる。ガウェインの部下ではないというのなら、なぜ人質を連れて仁たちの邪魔をしに来たのか。

 仁はエルヴィナを斬らないまでも、捕らえるべきではないかと思い悩む。エルヴィナにはその他にもいろいろと聞きたいことがあるのだ。しかし、今は迷っている時間も、悠長に話している時間もない。

「見逃す代わりに、コーディーとセシル、他の奴隷騎士隊の居場所を教えてください」

 エルヴィナは一瞬だけ迷う素振そぶりを見せたが、本当に仁と戦うつもりはないのか、あっけなく口を割った。

 コーデリアはファレスの予想通り自室の魔封じの檻に囚われ、奴隷騎士隊はコーデリアの管理区画の地下室、即ち魔法陣の研究室だった部屋に監禁中。そして、セシルの居場所は正確にはわからないが、おそらく他の奴隷騎士隊と一緒だろうとのことだった。

 セシルだけ居場所が不明瞭だったことに仁が奥歯を噛みしめていると、エルヴィナの周囲に魔力が満ちた。仁がハッとして表情に警戒の色を浮かべるが、仁の一瞬の隙をついたエルヴィナはまるで風を纏ったかのように軽やかな足取りで遠ざかっていく。

「ジンさん」

 仁が実際に風魔法を応用して使っているのだろうと考察していると、背後から自身を呼ぶ声が聞こえた。

「ファレスさん。皆さんも、無事でよかった」

 仁の考えでは、エルヴィナは遠隔魔法を使用した可能性が極めて高い。それなのに奴隷騎士隊が軽傷も軽傷で済んだのは、不発だったのか、それとも手加減したからなのか。風のように消えたエルヴィナの背中を探しても、答えは見つからなかった。

 仁は、今はそれどころではないと首を小さく振り、気を取り直す。

 仁がエルヴィナから聞き出した情報を早口で伝えると、ファレスはすぐに決断を下した。

「ジンさんはこのままご主人様の部屋に。私たちは地下室に向かいます」

 仁は眉間に皺を刻みながらも頷く。仁としてはセシルも心配だったが、自分たちの脱走が知られた場合、一番危険なのはコーデリアなのだ。

 エルヴィナの先ほどの言葉を信じるのであれば、わざわざガウェインに知らせる可能性は低いかもしれないが、そうしないという確証もない上に、どうやって仁たちの脱走をいち早く察知したかも謎だが、知っていた以上、既に知らせていないとも限らない。

「隊長たちを助けたら私たちもすぐに向かいます。ただ、もしものときは私たちを待たずに、ご主人様を連れて脱出してください」
「それは――」
「ご主人様を頼みます」

 真摯なファレスの言葉に、仁は首を縦に振らざるを得なかった。仁が頷くのを確認すると、ファレスは一瞬だけ笑窪えくぼを作った。

「エリーネ。あなたも無事でよかった。あなたも一緒に来なさい」

 ファレスは仁の腕の中で小さくなっていた人質の少女の細腕を掴んで引き寄せる。

「では、行きます」

 エリーネは何か言いたそうに仁を見て小さな口をぎこちなく動かしていたが、仁にもファレスにも、それを待つ時間はない。仁は心の中でエリーネに謝ると、一気に駆け出した。

 体内に魔力を巡らせ、身体強化を施す。仁の体表と衣服の表面を黒雷の膜が覆い、急所を守る漆黒の軽鎧と化した。その背には堕天使を思わせる黒い翼が生えている。

 速く速く、もっと速く。

 仁は遭遇した数人の騎士と兵士を黒き翼から撃ち出した黒雷の矢で撃ち抜きながら、足を緩めることなく突き進む。

 コーデリアの私室の扉の左右に控えていた騎士も、仁に気付いた次の瞬間には地に伏していた。

「コーディー……!」

 仁が扉に手をかけるが、当然ながら開かない。仁は鍵を探すという発想すら出てきていないのではないかというほどの即断で、扉を黒炎でこじ開ける。

「何だ!?」

 焼け残ったドアの下部を跨いで仁が部屋に乗り込むと、ソファーにふんぞり返った赤色甲冑の騎士が驚愕の表情を浮かべていた。仁は一瞬、ガウェインかと思って身構えるが、バイザーを持ち上げたままの兜の下にあったのは憎々しい顔ではなかった。

「き、貴様は何奴だ!?」

 仁は質問に答えることなく、無言で黒雷の矢を撃ち出す。黒い雷撃が騎士の額を撃ち抜き、上級騎士はソファーの上で動きを止めた。僅かながらコーデリアの部下である可能性が頭をよぎったが、コーデリアの部下が主の部屋のソファーでふんぞり返っているわけがなかった。

 仁は辺りを見回し、他に敵がいないことを確認すると、寝室へ続くドアに駆け寄った。外から気配を探ったところ、部屋の中には一人しかいないようだった。ドアノブを回し、隙間から中の様子をそっと窺う。

 部屋の中には金色の刺繍の入った豪華な赤い絨毯が敷かれ、その上に天蓋付きの大きなベッドが置かれている。他にもいくつかの高価そうな調度品がセンス良く配置された部屋の端に、皇女の寝室に似つかわしくない武骨な檻があった。違和感でしかないはずの場違いの檻が、仁にはそこにあって当然のもののように感じられた。

 その見覚えのある金属製の冷たい檻の中央に、一人の少女がいた。

「コーディー……!」

 仁がドアを大きく開け放つと、金髪の少女の碧い瞳が部屋の入口に向いた。少女は僅かに目を見開くが、すぐに釣り目を眉ごと吊り上げ、勝気そうな笑みを浮かべたのだった。
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