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第十五章

15-24.人質

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「お願いします」

 夜が深くなってきた頃、耳元で囁かれた声に応じて仁が魔法を発動させる。ファレスによって延々と耳に息を吹きかけられ、耳たぶを咥えられ、果ては耳穴を舐められながら、乱れがちになる気持ちを無理やり静めて練り上げた魔力を解き放った。

「……雷撃ライトニング!」

 遠隔魔法で発生した電撃が見張りの兵士に直撃し、兵士が倒れ込む。仁とファレスを赤い顔で見張っていた年若い兵士だけでなく、少し離れた奴隷騎士隊の檻を見張っていた兵士や、地下室の出入り口を守っていた兵士たちも同時に地に伏していた。

 間髪入れず、仁が以前と同様に黒炎で魔封じの檻を外から焼き切り、拘束を解いた仁とファレスは檻から脱出する。

「本当にこれでいいんだね?」
「はい。ここからは時間との勝負です」

 仁が自身の耳を気にしながら尋ねると、ファレスはそっぽを向きながら答えた。仁はファレスに言いたいことがあったが、ファレスの耳が赤く染まっているのを見て言葉を飲み込む。何もファレスが好き好んであのような手段を取ったわけではないのだ。仁は気を引き締め、囚われの奴隷騎士隊へ近付く。そのすべてが仁と一緒に捕まった女性隊員だった。

 遠目で見て確認してそうではないかと思っていたが、やはりその中にセシルの姿はなかった。

 仁は唇を噛みながら黒炎ダークブレイズを放ち、檻に出口を作った。ファレスが仁の隣に並ぶ。仁ほど警戒されていなかったからか、檻の中の騎士たちは手足を拘束されていなかった。

「私たちはこれからご主人様を救出して帝都を脱出します。ご主人様のために命を捨てる覚悟のあるものは檻から出なさい」

 10余名の奴隷騎士隊の面々はファレスの言葉に一瞬息を呑み、周囲を探るように同僚たちと顔を見合わせた。

 通常、奴隷は主人を裏切れないように制約が付けられるが、ファレスによると、この場合はここに残る選択をしても裏切ったことにはならないようだ。そして、仮にコーデリアが帝都から脱走した場合、コーデリア側が奴隷を捨てたことになり、コーデリアとの主従関係は解消されるとのことだった。

 その後、奴隷たちの所有権は一時的にこの場の持ち主である皇帝かガウェインに移り、仮の所有権保有者が奴隷商ギルドに所属する奴隷商人に申し出ることで、捨てられた奴隷たちは正式な奴隷となるか、奴隷商人に引き取られるかが決まる。

 その場合、コーデリアは今後、正規のギルド所属の商人から奴隷を購入できなくなるなどのペナルティーが発生するそうだが、今はそれを気にしている場合ではない。

「悩んでいる時間はありません。今すぐ決断しなさい」

 ファレスが急かすと、奴隷騎士隊の大多数は慌てて檻から出たが、数人がその場に残ることを選択した。

「後悔はありませんね?」

 ファレスは残った隊員が頷くのを確認し、横目で仁に視線を送る。仁は残った奴隷騎士たちが殺されるようなことにならないよう祈りながら、威力を調整した雷魔法で騎士たちの意識を刈り取った。

 続いて、仁は自らが作った檻の出入り口を石壁で埋めると、アイテムリングの中からミスリルソードや鉄製の剣を取り出し、ファレスと奴隷騎士たちに渡す。

 倒れた兵士たちは一か所に集められ、その周囲を仁が石の壁で囲い、急造の檻とした。その間、ファレスは先ほどまで仁の耳元で囁き続けていた、この部屋を出てからのことを早口で奴隷騎士たちに説明していた。

 仁はなんとなく耳元をむず痒く感じながら仕事を終えると、今度は地下室のドアの外側を守っている兵士に遠隔魔法の黒雷撃ダークライトニングを撃ち込み、黒炎ダークブレイズでドアをぶち抜いた。

 もうこれ以降は手加減なしだ。それはファレスに何度も何度も念を押されたことだった。

 ファレスを先頭に地下室を飛び出た一行は、最短経路でコーデリアの私室に向かう。これも事前にファレスから何度も聞かされていたことで、仁に異論はない。

 すぐ近くで警備をしていたガウェインの部下と思われる騎士をファレスが出合い頭に切り裂き、その部下の兵士たちを仁が魔法で一網打尽にした。

 仁と奴隷騎士たちは一陣の風のように一塊になって突き進む。幸いなことに、夜が深いためか、はたまたメルニール侵攻のために人手が出払っているのか、それほど多くの敵兵に出会うことはなく、その遭遇したすべての敵を騒がれる前に倒しながら、コーデリアの管理区画まで辿り着くことができた。

 仁は周囲の気配と魔力を探り、曲がり角の先に2人の何者かを見つける。コーデリアが囚われている今、コーデリアの部下が歩いているとは考えにくいが、念のためにファレスが斬り込むことにして、何者かが近付くのを待った。

 まだかとファレスが視線で問い、仁が小さく首を横に振る。

 もう少し。そう仁が唇の動きで伝えようとしたとき、二人の気配が動きを止めた。

「そこにいるのはわかっているわ。出てきてお姉さんに顔を見せてくれないかしら?」

 曲がり角の向こうから聞こえた声に、仁がハッと息を呑む。どこかで聞いた声と台詞だった。

 仁はファレスと奴隷騎士たちに目配せした後、一人で曲がり角の先へ姿を見せた。仁の視線の先、淡い照明の魔道具に照らされた通路の先に、見覚えのあるフードの女性がいた。女性の手にはナイフが握られ、そのナイフの刃が、もう一人の見覚えのある女性の首筋に当てられていた。

「エルヴィナさん……」

 仁は眉間に皺を寄せ、ナイフを手にした女性の名を口にする。エルヴィナと魔王妃、そして魔王妃とガウェインの繋がりを予想していたが、エルヴィナがこの場にいることが、そのどちらも正しいということの証明となっていた。

「エルヴィナさん、そこを通してもらえませんか?」

 なぜエルヴィナが人質を連れて待ち伏せできたのかわからないが、仁は敢えて人質に関しては言及せず、自身の要求だけを告げた。

「英雄くん。人質を無視してどこへ行こうというのかしら?」

 妖艶な笑みを浮かべたエルヴィナがナイフを持つ手を動かし、人質の首にトントンと刃を当てた。首筋に対して垂直に動いた刃では肌やその内の血管に傷を付けることはないが、刃の感触を肌で味わうことになった人質の顔が引き攣った。

「ジ、ジン様! 見捨てないでください!」

 人質が悲痛な声を上げるが、仁は心を鬼にし、人質を無視して黒炎刀を片手に足を動かした。

「この、あなたに憧れているみたいだけど、見殺しにするつもりかしら?」

 本来であれば、魔法名の詠唱中に人質が殺される恐れがあっても、エルヴィナが人質の奴隷騎士隊の少女の首筋をナイフで掻き切る前に問答無用で遠隔魔法を叩き込むべきだ。しかし、仁はそうせず、いつでも遠隔魔法を発動できるよう魔力を広げつつ、エルヴィナの手の細やかな動きを見逃さないよう意識を集中させながら、もう一歩、前進する。

「ジン様! お願いです。私を見捨てないで……!」

 人質の少女が泣きそうな顔で懇願するが、仁の歩みは止まらない。一足で斬りかかれる位置まで近付けば。そんな思いが仁の心の底から湧き上がる不安を何とか押し止めていた。

 仁の頭の中で、鼓膜に染み付いたファレスの言葉の一部が反響する。

『ドラゴンをも倒したあなたの力を恐れないものはいない』

『あなたを封じるには人質を取るしかない』

『だけど、実際に人質を手にかけてしまえば、それはあなたに対する切り札を失ったも同然』

『自分の命を惜しむものは、絶対に人質に手は出せない』

『もし人質を殺せば、自分があなたに殺されるのだから』

『それに、帝国に対する忠義の厚いものも、決して人質には手を出さない』

『人質を失えば、あなたが帝国に害を成すのを防げないから』

『だから、人質が傷付けられることはあっても、殺されることはない』

 仁はガウェインが見せしめや報復などの暴挙に出る心配をしていたが、仁の不安を見抜いたファレスは、だからこそ仁が大人しく従ったと思っている今のうちに、コーデリアを、そしてセシルと可能な限り多くの奴隷騎士を助けて帝都を出るのだと主張したのだった。

「英雄くん? その辺りで足を止めないと、この娘、首から血の涙を流すことになるわよ? 英雄くんは奴隷騎士隊の隊長さんやこの娘みたいな大人しい娘が好みなんでしょう?」

 仁の片眉がピクリと動く。最近同じようなことを言われた気がした。しかし、その会話をエルヴィナが知っているわけがない。

「俺の好みは玲奈ちゃんですよ」

 仁が内心の驚きを隠して告げると、エルヴィナが肩をすくめた。

「あくまでこの娘では人質にならないと言うつもりね。やはり隊長さんを連れてくるべきだったかしら。でも、それならこういうのはどうかしら」

 エルヴィナの視線が仁を通り越し、曲がり角に向かった。

「英雄くん。大人しく檻に戻らないと、せっかく助けたそこのお友達が痛い目に遭うわよ?」

 仁が眉をひそめる。その瞬間、仁の張り巡らせた魔力の網に、揺らぎが生じた。

「まさか!」

 振り返った直後、曲がり角の向こうから悲鳴が聞こえた。
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