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第十四章

14-36.留守番

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 時は仁たちが一角馬ユニコーンの生息する湖を目指して魔の森を進んでいた頃にさかのぼる。その日、リリーはメルニールのマークソン商会の本館にある会議室で、近々帝都に運搬する物資の内訳を確認していた。

「これでよしっと」

 リリーは目録の書かれた木簡の束をまとめて脇に退け、机の上に上半身を投げ出した。

「ジンさんたち、今頃どうしてるかなぁ……」

 硬い机に頬を付け、今ここにはいない想い人とその仲間たちに思いを馳せる。自身の命の恩人であり、両親や祖父、そして商会で働く従業員たち、そして言うなればメルニールに暮らす全ての人々の恩人である仁や玲奈たちを半ば追い出す形になってしまったことを、リリーは心の底から申し訳なく思い、また、悔しく思っていた。

 くだらない噂に踊らされて仁たちを中傷した人らは元より、その噂が広まるのを止められなかった自分が許せなかった。リリーは仁たちへの中傷の中に自分に関することも含まれていたため、自身が否定して回っては逆効果だと考えて積極的に動けなかったのだが、そのことが更なる罪悪感となってリリーの心に重く圧し掛かっていた。

 仁たちがメルニールを去ったことで噂はある程度沈静化したが、それはリリーにとって最悪の解決法だった。仁たちが戻って来たら再燃しかねないような状況では意味がない。中には今更ながら仁たちへ申し訳ないことをしてしまったとリリーに謝ってくるものもいたが、リリーは謝る相手が違うと憤り、その度に真に謝るべき相手はもうここにはいないのだと切なさを募らせていた。

「わたしはわたしにできることをしようっ!」

 リリーは顔を上げ、両の手のひらで頬を挟み込むように軽く叩く。リリーには仁に頼まれた仕事があるのだ。

 メルニールの街の復興や商会の都合もあってリリーの思っていた時期よりかなり遅くなってしまったが、リリーは帝都のコーデリアにユミラのことを伝えるよう仁に頼まれているのだった。

「ユミラさん、かぁ……」

 リリーは会ったことも見たこともない女性の名を呟く。殺人を犯してメルニールから逃亡したとみられる人物で、噂を流した元凶かもしれない女性の名前だ。

 聞いた話では婚約者を殺されたことで仁を恨んでいるとのことで、仁は恨まれても仕方がないと思っているようだったが、リリーに言わせれば筋違いも甚だしい。

 戦争で婚約者を亡くしたことには同情するが、難癖を付けてメルニールに攻めてきたのは帝国なのだ。仁たちのお陰でメルニールの受けた被害は帝国軍より遥かに少なかったが、だからと言ってメルニール側に死者が出なかったわけではない。

 それに、もし仁がその婚約者に負けて殺されてしまっていたとしたら、想い人を失ったリリーが復讐としてその婚約者の命を奪うことを、ユミラは仕方がないと受け入れるというのか。

 リリーはそんなことは絶対にないと確信していた。「戦争なんだから仕方がない。人死にが出たのはお互い様だ」などと、そもそも戦争を仕掛けた側だということを忘れて綺麗ごとを言うに決まっている。

 しかも、何があったのか詳しいことはわからないが、ユミラは復讐とは関係なしにその手を血で染めたというのだから、弁解の余地はなかった。

 そんな身勝手な人間のせいで仁や玲奈たちが苦しむことなど、あって良いはずがない。

 リリーは何度となく繰り返した思考を再びなぞり、怒りとやるせなさを覚えた。

「まったく。わたしが復讐したい気分だよっ」

 リリーはそう呟いてから大きく息を吐いた。マイナスの感情を一緒に吐き出すことで、リリーは平常心を取り戻す。ユミラに文句の一つでも言ってやりたい思いが消えるわけではないが、今どこにいるかもわからない人間への怒りを募らせるよりも、いくらでもやることはあるのだ。

 リリーは早足で会議室を出ると、従業員に外出すると告げてそのまま商館を後にする。その足で向かった先は、家主不在の大きな屋敷だった。



「ココちゃん、遊びに来たよっ!」
「リ、リリー様」

 屋敷の玄関のドアから顔を出した小さな少女に、リリーは満面の笑みを向ける。リリーには原理はわからないが、この屋敷には様々なアーティファクトや魔道具による仕掛けが作られていて、家主の許可した人間以外、正規の手順を踏まなければ門より先に立ち入れないようになっている。

 しかし、逆に仁や玲奈からその許可を得ているリリーは玄関の前まではフリーパスなのだ。

「リリー様。本日は当屋敷にどのような――」
「ココちゃん。そんな堅苦しい挨拶はいいから、わたしと一緒に遊ぼう!」
「で、ですが――」
「何を騒いでいるのですか」
「あ、サラさん。お邪魔しますっ!」

 リリーがバッと手を上げ、赤いツインテールがピョコっと揺れる。他にも大きく揺れた部分があったが、それを気にするものは残念ながらこの場にはいない。

「ココさん。リリー様のお相手をお願いします」
「わ、わかりました」

 サラの許可が出たことで戸惑いながらもココは仕事モードを終えて、一人の幼い子供に戻る。

「それじゃあ、改めまして、お邪魔しますっ!」

 実はこのやり取りはこれが初めてではない。リリーは仁がメルニールを発って以降、度々屋敷を尋ねてはココと一緒に過ごしていた。仁たちと離れ離れになって寂しい思いをしているのはリリーだけではないのだ。

 リリーは、はにかんだような笑みを浮かべるココの手を取ると、家主不在の屋敷へ上がり込む。仁から屋敷預かっているルーナリアの姿が見えなかったが、きっといつものように地下室に籠って魔法陣の研究をしているのだろうとリリーは気にしないことにする。

 本音では仁に帰って欲しくないと思っているリリーにとっては複雑な心境だったが、仁がそれを望んでいる以上、邪魔をしていいものではないし、以前訪れた際にルーナリアからは自由にして良いと許可をもらっているので、そのままココにあてがわれた部屋に向かう。途中でシルフィとすれ違って一緒に遊ぼうと誘うが、シルフィは仕事があるからと固辞する。

 以前、ルーナリアからシルフィとも遊んでやってほしいと頼まれていたリリーは少し強引に誘ってみるが、ちょうどそのとき、来客を告げるベルの音が聞こえた。

 シルフィはこれ幸いとリリーの誘いを断って小走りでその場を立ち去る。リリーは小さなメイドの後ろ姿を見送って大きく溜息を吐いた。その直後、リリーは繋がった小さな手が硬くなるのを感じた。

「今のココちゃんの仕事はわたしと遊ぶことだからねっ!」
「う、うん」

 リリーはどこか申し訳なさそうにシルフィの後ろ姿を見つめているココの手を握る力を、ほんの少しだけ強くする。

「じゃあ、行こっか!」

 リリーはココの部屋に向けて一歩を踏み出したとき、ふと誰が尋ねてきたのだろうかと考えるが、直後、仁に屋敷を任されているのはルーナリアで、自分ではないということに思い至り、自分が気にすることではないと苦笑いを浮かべた。

「リリーお姉ちゃん?」
「ううん。何でもないよ。ごめんねっ!」

 ココの手を引きながら、リリーは自分がこの屋敷で仁の帰りを待つ立場だったのならと夢想したのだった。
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