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第十四章

14-30.罪悪感

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「だから、俺に攻撃を当てなかったんだね」

 余所者よそものを追い払いたい、魅了したくないという思いと、本能的に乗り手を求める気持ちがせめぎ合った結果、攻撃はするが当てることはしないという矛盾した行動になったのだろうと仁は推測した。

 もちろん、威嚇という意味では無意味ではないが、仁が応戦していたら戦闘になってしまったであろうことを考えると、あまり良い手ではなかったように思える。戦うつもりなら当てるべきだし、戦うつもりがないのなら攻撃するべきではなかったかもしれない。実際、少なくとも仁たちに敵対する意思はなかったのだから、せめて話を聞いてから判断すべきだった。

 しかし、八脚軍馬スレイプニルの苦悩を想えば、それも仕方がなかったとしか言いようがなかった。仁たちを排除したいという思いはあっても、追い払ってしまっては自身に乗ってもらうことができないのだから。

 しみじみと言った仁に、八脚軍馬スレイプニルが丸い目を向けていた。

『え。反撃されたら怖いじゃないですか』
「……え?」
『え。あ、いえ! 本当に当てるつもりだったんですよ!? 乗ってほしいって少しでも思ってしまったのがやっぱりショックで、それを否定するためにも追い払わなきゃって思ったんです!』

 予想が外れたことに仁が戸惑っていると、八脚軍馬スレイプニルは仁が呆れているとでも勘違いしたのか、あわあわと言い訳を始めた。

『で、でも、戦い方は学びましたけど、実際に戦ったことはほとんどないから、怖かったんです!』
「だから、威嚇して出て行ってもらおうとしたと」
『ほ、本当の本当に攻撃するつもりだったんですよ? ですけど、はい……』

 八脚軍馬スレイプニルが力なく首を垂らす。

『あなたたちがあのまま立ち去ってくれれば、何の問題もなかったんですけど……』

 八脚軍馬スレイプニルは仁を窺い見て、怯えた目で不満そうに口にした。

「俺たちがあのまま立ち去ってしまっていたら、君は誰も乗せることができないわけだけど」
『そ、それでいいんです! ボクは一角馬ユニコーンになりたいんです! 誰かに乗ってほしいって思うことも、誰かを魅了してしまうのも、嫌なんです!』

 一角馬ユニコーンより強い力を持ち、その力で皆を守りたいと思っても、それでも八脚軍馬スレイプニルは群れの皆と同じがいいのだと訴える。

「でも、俺たちを目にしたとき、誰かに乗ってほしいって思ったんだよね?」
『それは……! そ、そうですけど……』

 相反する2つの感情が八脚軍馬スレイプニルの胸の内でせめぎ合っていた。

 仁は、もし自分たちがこの地を訪れなければ、八脚軍馬スレイプニルは今ほど苦しまなかったのかもしれないと思うと、このまま放っておく気にはなれなかったが、どうすればいいのかわからない。

 もし八脚軍馬スレイプニルが何の迷いもなく心から誰かに乗ってほしいと望んでいるのであれば、躊躇せずに乗ってあげればいい。仁としても願ったり叶ったりだ。しかし、そうではないのだ。複雑に絡み合った八脚軍馬スレイプニルの想いをほどき、迷いを晴らすためにはどうするべきなのか、仁は頭を悩ます。

「ねえ。やっぱり、一度俺を乗せてくれないかな?」

 仁が真剣な表情で尋ねると、八脚軍馬スレイプニルは赤い瞳を仁に向けた。

「君が八脚軍馬スレイプニルとしての特質を好まないのはわかったし、尊重したい。だけど、君が誰かに乗ってほしいと思っているのは、本当に君が八脚軍馬スレイプニルだからなのかな?」
『何を言っているんですか……?』
「いや。君の話を聞く限り、君のご両親が直接君以外の八脚軍馬スレイプニルと面識があるわけじゃないよね」

 この群れに以前生まれたとされる八脚軍馬スレイプニルについての伝承は語り継がれていても、実際にそれが正しい形で伝わっているとは限らない。

「君はご両親から八脚軍馬スレイプニルとはこういうものなんだと聞かされて、初めて知ったんだよね?」

 八脚軍馬スレイプニルが戸惑った様子を見せながら頷く。

「だとしたら、その昔の八脚軍馬スレイプニルはどうやって自分の種族のことを知ったのかな? その八脚軍馬スレイプニルだって、自分のことがわからなかったんじゃないのかな」

 もしかすると種族名や種族の特徴を看破できる技能を持ったものに教えてもらった可能性はあるが、少なくとも仁の持つ鑑定の魔眼では八脚軍馬スレイプニルの性質まで知ることはできなかった。

 また、昔の群れに、そもそも何らかの理由で八脚軍馬スレイプニルについて知っているものがいたという線も考えられるが、今は敢えて言及しない。

「もしかしてさ。本当は八脚軍馬スレイプニルの種族としての特徴なんかじゃなくて、昔の八脚軍馬スレイプニルも、君も、ただ単に個人の好みとして、誰かに乗ってほしいと思っているだけなんじゃないかな」
『そ、そんなこと……!』
「あくまでも、これは俺の仮説だから、本当のところは俺にもわからない。だけど、俺たち人にだって好き嫌いはあるし、それは一角馬ユニコーンだって同じだよね」

 好き嫌いと簡単に断じられるわけではないが、玲奈に協力する、即ち、玲奈を乗せてもいいと思った一角馬ユニコーンと、そうではない一角馬ユニコーンがいるのだ。

「だとしたら、八脚軍馬スレイプニルの君にだって、個人の好みはあってもおかしくはないよ」
『でも……』

 八脚軍馬スレイプニルうつむき、考え込む。仁は自身の説が強引だということはわかっていたが、八脚軍馬スレイプニルの心の内にある罪悪感を消したかった。誰かに乗って欲しいと思うことが悪いことではないと知ってほしかった。

「例えば、そうだな……。君は、君の乗り手を俺たちの中から選ぶとしたら、誰を選ぶ?」
『え?』
「仮定の話だよ。実際に乗せるかどうかは置いておいて、乗せるなら誰がいい?」

 八脚軍馬スレイプニルはしばらく仁を眺めてから、遠くにいる玲奈たちの方へ首を回し、再び仁を正面から見つめた。

『あなた、かな……』
「それはどうして?」
『あなたたちの中で、一番強そうだから……。ボクは強い人に乗ってほしい……』

 八脚軍馬スレイプニルの返答を聞き、仁は笑顔を浮かべる。自分を選んでくれたことも嬉しいが、それよりも、八脚軍馬スレイプニルが乗り手に求める条件や資質に言及したのが嬉しかった。

「それだよ! そう思ったのは八脚軍馬スレイプニルだからじゃない。君だからだよ! 君が君の意志で、俺を選んだんだ。八脚軍馬スレイプニルの持つ魅了の力で求められるまま背中を差し出すんじゃない。八脚軍馬スレイプニルだから乗り手を求めるんじゃない。君が君だから、乗り手を求めて、その乗り手に強い人を求めているんだ」

 仁は「だから、君が君の望みに罪悪感を覚える必要なんてないんだ」という想いを瞳に込めて、戸惑いに揺れる赤い瞳を見つめ続ける。仁に念話は使えないが、気持ちは届くはずだと信じていた。

 辺りに沈黙のとばりが落ちた。黒い軽鎧を身にまとった黒髪の人と、闇に溶け入るような黒い毛並の馬型の魔物。一人と一頭が見つめ合い、無言のまま心を通わせる。

 どのくらいの時が流れただろうか。

『ボクに乗ってくれますか?』

 仁の心に、想いが届いた。
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