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第十四章

14-21.台詞

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 狭いテントの中で、仁と玲奈は無言で就寝の準備を整える。直前まで使用していた3人が整理整頓をしっかりしていたため、それも大した手間なく終わり、二人はぎこちなさを感じさせる挨拶を交わしてから、もそもそと寝袋に潜り込んだ。弱々しい光を放つ照明の魔道具に照らされた二人の間には、人ひとり分の隙間が空いていた。

 仁は玲奈に背を向けて、目の前に迫った天幕のサイド部分の裏面を見つめ続ける。すぐ近くで玲奈が寝ていると思うと緊張で心臓が強く脈打ち、仁を眠気から遠ざけていた。玲奈が寝返りを打っているのか、背後から布の擦れる音が聞こえる。

 玲奈と同じ空間で寝るのはいつ以来だろうかと仁は考える。メルニールの屋敷を手に入れるまでは同じ宿屋の部屋で寝食を共にしていたが、今となっては遠い過去のことのように思えた。

 元の世界にいた頃の仁が聞けば何の冗談かと思うだろうが、仁は玲奈と一つのベッドで寄り添って寝たこともある。そのときは玲奈の抱き枕になるという、どんなに希少な鉱石よりも貴重で価値のある体験をしたのだった。

 仁は当時のことを思い出し、今回はそれぞれが寝袋にくるまっているため同様の事態にはならないだろうと、ホッとしたような残念なような、複雑なようで単純な感情を抱く。

「仁くん、もう寝ちゃった……?」
「まだ起きてるよ」

 仁は内心でビクッとしながらも動揺を隠して答え、寝袋の中で寝返りを打つ。仰向けになった仁が首だけを回して玲奈に顔を向けると、玲奈は体ごと仁の方を向いていた。玲奈は寝袋の口を両手で掴み、顔の上半分だけを覗かせている。仁は目を見開いて息を呑んだ。

 玲奈が僅かに首を傾けると、仁はあちこちに視線を移した末に、首を正面に戻して固定した。

「そ、それで、何か用だった?」
「ううん。用事というわけではないんだけど、こうして仁くんと二人っきりなのが、ちょっとだけ懐かしく思って……」
「そう、だね……」

 テントを出ればすぐ近くに夜番を務めている仲間たちがいるが、仁はわざわざそのことを指摘するような無粋な真似はしない。耳を澄ませば3人の話し声が聞こえてくる。それでも、少なくともこのテントの中には仁と玲奈しかいないのだ。

 仁と玲奈が二人きりだった時期はそう長くはないが、それでも様々な思い出があった。

 仁はルーナリアの部屋の隠し通路を出た最初の晩、玲奈に寝顔を見ては駄目だと言われて悶々としたことや、ガゼムの街の宿屋でどちらがベッドを使うかで揉めて、結局二人してくっつくように床で寝たことなどを思い出し、小さな笑い声をこぼす。

「仁くん、どうしたの……?」
「あ、いや。ちょっと昔のことを思い出して」
「昔のことって?」

 仁がガゼムの街の宿屋での一件を挙げる。二人して意地を張り合った結果、リリーに呆れられたのを良く覚えている。

「あ、あはは。どうせくっついて寝ちゃうなら、一緒にベッドで寝れば良かったのにね」

 玲奈は苦笑いと共にそう口にしてから、慌てたように「一緒に寝たかったっていう意味じゃないよ!?」と付け加えた。

 仁は視線を真上に向けたまま、寝袋の中でもごもごと言い訳をしている玲奈の姿を想像して頬をゆるめる。仁の心臓は未だドキドキと高鳴っているが、強張っていた全身の筋肉がほどけていくような気がした。

 その後、寝転んだまま向かい合った二人の間でとりとめのない話が続き、仁は心地よい緊張と幸せを感じていた。玲奈の言葉から思い詰めた様子がすっかりと消えていることに仁は心から安堵し、きっかけを作ってくれたロゼッタに感謝の念を抱く。

 イムの通訳であるミルの話では、馬の魔物の棲む湖までもうすぐということだった。馬の魔物との交渉がどうなるかわからないが、魔物である以上、戦いになる可能性も大いにある。どんな危険が待ち受けているとも知れない中、うれいを抱えたままでは不安の残るところだった。

 玲奈の悩みが完全に晴れたわけではないだろうが、それでも仁は今夜のやり取りでいくらか好転したことに疑いを持っていなかった。

「ねえ、仁くん」
「なに?」
「もう少しだけ、近くに行っていい……?」
「……え?」

 仁の答えを待たず、玲奈は寝袋に入ったまま、もそもそと床を這い出した。二人の間にあった隙間が埋まり、仁は思わず体ごと顔を真上に向ける。すぐ近くに玲奈の息遣いを感じた。

「仁くん。今日はありがとう。それで、その。お礼がしたいから、そのまま目をつむってくれる?」

 若干の緊張を含んだ玲奈の言葉に、仁の心音が跳ね上がる。深夜、薄明りの中で目を瞑って欲しいと言われ、仁の脳裏には一つの単語が浮かぶ。今、仁の頬のすぐ横には玲奈の顔がある。その事実が仁のその妄想に拍車をかけた。仁は瞼をきつく縫い合わせた。

「目、つむった?」
「う、うん……!」

 仁の研ぎ澄まされた感覚が玲奈の呼吸音を捉える。幾度かの深呼吸を経て、玲奈の吐息が仁に近付く。仁は意識の全てを顔の半分に集中させた。

「じゃ、じゃあ、その、行くね」

 玲奈の言葉が微風そよかぜとなって仁の耳朶じだを揺らす。

『私の望みはあなたと共にあること。私があなたの翼となり、あなたが私の翼になる。そんな関係でいたいと、私は心から願っている。今はまだ、この感情に名前を付けることはできない。私にその勇気が、覚悟ができるまで、どうか共に羽ばたいてはくれないだろうか』

 仁はゾクッと背筋を震わせる。得も言われぬ快感が仁の全身を貫いた。愛らしくも凛々しい声だった。

「れ、玲奈ちゃん……!?」

 目を見開いた仁が首を90度回すと、玲奈が仁の視線から逃れるように背中を向けるところだった。垣間見た玲奈の頬は熟れたリンゴのように真っ赤になっていた。

 仁は寝袋に頭の8割を埋めた玲奈の後頭部を見つめたまま、パチパチと何度もまばたきを繰り返す。

 今の玲奈の言葉は、玲奈の最新シングルがオープニング主題歌となっているアニメの台詞だ。幼い頃から戦いの中で生き、戦うことしか知らなかったヒロインが自身の内に初めて芽生えた感情を主人公に吐露する印象的なシーンで用いられた。そのヒロインの声優はもちろん玲奈。

 支えることを翼になると表現したところに仁の好きな玲奈の曲である“翼になりたい”とも通じるものがあり、仁の好きな台詞だった。

「あの、玲奈ちゃ――」
「じゃ、じゃあ、仁くん。おやすみ!」

 問いかけを玲奈に遮られ、仁は空いた口をそのまま閉じた。なぜ急に玲奈がアニメのキャラを演じて劇中の台詞を口にしたのか、仁は興奮冷めやらぬ沸騰した頭で考える。

 仁は玲奈が直前にお礼だと言っていたことを思い出し、仁の好きそうな台詞を再現しただけなのかもしれないと思う一方、その台詞が仁と玲奈の関係とリンクしているような気がして更に胸を高鳴らせた。

 仁は玲奈から一緒にいたいと告げられ、玲奈が自身と共に並び立つ――支え合いたいと願っていることも知っている。であるならば、台詞の後半部分も玲奈の心情と一致しているのではないか。だからこそ、この台詞を選んだのではないか。仁の脳裏に、そんな考えがよぎる。

「都合よく考え過ぎかな……」

 仁は小さく呟き、苦笑をこぼす。

 仁と玲奈はそのアニメの放映期間中にこちらの世界に召喚されてしまったため、仁はヒロインがその感情にどんな名前を付けたか、想像はできても正解を知らない。しかし、アフレコが進んでいれば、玲奈はその正解を知っている可能性がある。

 もしかして――

 仁は首を小さく横に振って淡い期待を心から締め出す。それは今の仁が望んでいいものではないのだから。

「玲奈ちゃん、ありがとう……」

 仁はそっと瞼を閉じた。
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