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第十四章

14-13.オレンジ

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「あそこに何かいるの!」

 地獄毒蛇ヘルポイズンスネークの襲撃を受けた翌日、仁たちがイムの案内で魔の森を進んでいると、ミルが進行方向左手の木の上を指差した。魔物に警戒しながら目的地を目指していた一行に緊張が走る。

 皆がミルの指した場所に視線を送ると、細かく規則的に並んだ紫の鱗を持つ細長い体が木々の枝の上を這っていた。細長いと言っても、それは体の長さから相対的にそう見えるだけで、人ひとりを丸呑みにできそうなほどの太さをしている。

「こんなに近づかれるまで気付かないなんて……!」

 玲奈が狼狽した声を上げるが、この魔物との遭遇に関しては一応想定の範囲内だったため、慌てることなく臨戦態勢に移行する。

「仁くん。昨日逃げたのかな?」
「どうだろう。別に地獄毒蛇ヘルポイズンスネークがあれだけしかいないわけじゃないだろうしね」
「そっか。そうだよね」

 油断なく木の上を見据えた玲奈が火竜鱗の小盾タージェを構えた。小盾の表面を構成する火竜ファイヤードラゴンの鱗の一部が融解してしまっているが、特に機能に問題はなく、玲奈の魔力を受けて淡い光を放っている。木々の枝葉の間から、オレンジ色の爬虫類の片目が見えた。

「じゃあ、仁くん。ロゼの事前の提案通り、あの蛇の魔物も私たちだけで相手するね」
「うん。気を付けて」

 仁は頷いて玲奈たちから距離をとる。玲奈の左右、一歩下がった場所にミルとロゼッタが並んだ。その後方でカティアが僅かに怯えたような表情を見せていたが、無言で自身に言い聞かせるように頷き、ロゼッタの傍らに進み出た。

「グルッ!」
「イムちゃんはジンお兄ちゃんと一緒に見学なの」
「グ、グルゥ!?」
「可愛く鳴いてもダメなの」
「グルゥ……」

 自分もいるぞと言わんばかりにミルの顔の横に勇ましく飛び出したイムだったが、ミルに素気無く拒否され、すごすごと引き下がった。

 ミルから聞いた話によると、昨夜のイムの行動はミルの助けになれる、炎を使わなくても自分もミルと一緒に戦えると証明するためだったということだが、仁の助けを受けずに魔物と戦って力を付けたいと思っているミルたちにとって、目の前の魔物の同種を単独で討伐してきたイムが共に戦っては本末転倒というものだ。

「イム。ドンマイ」

 仁が慰めると、イムは仁を睨みつけ、無言のまま仁の頭頂に着地した。

「痛っ! イム、爪が喰い込んでる!」
「グルゥ」

 痛くしているのだから当然だと言わんばかりに、イムは痛がる仁を歯牙にもかけず、ミルの小さな背中を見つめて溜息を吐いたのだった。



「じゃあ、行くね」
「了解なの!」
「レナ様、お願いします」
「わかった」

 仲間たちからの三者三様の答えを受け、玲奈は小盾を前に構えたまま、右手の剣を大蛇の腹に向けた。玲奈の魔力が剣を伝い、剣の先で現象へと変換される。

氷砲アイスシェル!」

 剣先から氷の砲弾が撃ち出された。鋭く回転する砲弾が空気を切り裂く。

「あっ!」

 玲奈の魔法は魔物の横っ腹に激突するかに思われたが、その寸前で大蛇の長い胴体の一部が大きくうねり、砲弾をかわした。氷砲アイスシェルが木々の枝葉を穿うがちながら空に消えていく。

「もう一回! 氷砲アイスシェル! 氷砲アイスシェル!」

 玲奈が再び魔法を放つ。続けざまに放たれた氷の砲弾が大蛇に迫るが、蛇の魔物は再度胴体を持ち上げて回避すると、そのまま体の先で大樹の幹に絡みつく。幹を中心としてトグロを巻いた大蛇は太い枝を物ともせず、へし折りながら登っていく。

「逃げられちゃう!」

 予想以上の素早い動きに、玲奈は戸惑う。玲奈はここまでの道中でロゼッタとカティアから地獄毒蛇ヘルポイズンスネークについての知識を得ていたが、合成獣キメラの尾として固定されていたときとは異なり、目の前の魔物は森の中を、木々の上を自由に動くことができるのだ。

 そもそも、仁が合成獣キメラと戦った際には闇魔法で視界を遮って頭部を踏み台にしたという話だったが、この大蛇は玲奈の視界に捉えてはいないにも関わらず、正確に玲奈の氷砲アイスシェルを避けて見せた。

 玲奈が戸惑っている内に、大蛇の体の大半が玲奈の視界から消えていく。

 玲奈は地獄毒蛇ヘルポイズンスネークも人と同じように同種の魔物でも個体差があるのだと理解すると共に、積極的に向かってこない敵との戦い辛さを思い知る。これまで遭遇した敵の大半は玲奈が放っておいても向こうから襲ってきたため、玲奈はそれを迎撃すれば良かった。

 今回は気配を消して近くに潜んでいた魔物にこちらから攻撃を仕掛けた結果、逃げられようとしている。相手が襲ってこないのならそれでいいという気持ちもあるが、一度逃げた魔物が再びこちらの隙を狙って襲ってこないとは限らず、一度攻撃した以上、可能ならこの場で倒してしまうべきだと玲奈は考える。

 しかし、まだ辛うじて木の幹に巻き付く紫の胴体が見えているが、森の中に紛れてしまえば玲奈には追う手段も、攻撃する手段もない。

 遠くに逃げられる前に広範囲を巻き込めば攻撃は可能だが、森を悪戯いたずらに傷つけ、また、他の魔物を呼び寄せることになってしまうかもしれない。

 玲奈は唇を噛む。

 玲奈としては氷砲アイスシェルで相手の敵視を自分に向けて、地面に引きずり出そうとしていたのだが、例えば魔物が攻撃してこない内に刈り取り蜥蜴リープリザードを倒した光弓など高威力の技で一撃必殺を狙った方が良かったのだろうか。玲奈の頭の中をいくつもの考えがぐるぐると回る。

 仁ならどうしただろうか。玲奈の頭にそんな考えが浮かんだときには、既に大蛇の体のほとんどが木々の濃緑の葉々の中に消え、後は尾の先を残すばかりとなっていた。

 どうやらこのまま去っていきそうな雰囲気に、玲奈の後ろの面々からも肩透かしを食らったような落胆した気配が漂う。

「みんな、ごめんね。せっかく意気込んでいたのに、逃がしちゃ――」
「まだだっ!」

 玲奈の謝罪を、仁の鋭い声が遮った。

 反射的に振り向きそうになった玲奈だったが、寸でのところで動きを止める。

「――え?」

 玲奈の小振りの口から戸惑いの言葉が漏れ出た。玲奈の視線の先に、大蛇の尾は存在しなかった。しかし、紫の鱗を持つ魔物は、自身の体の最後の一部分を確かに玲奈の視界に残していた。

 爬虫類染みたオレンジの二つの瞳が、玲奈を見ていた。
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