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第十四章

14-10.不機嫌

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「ジンお兄ちゃん。ミルもお馬さんの魔物に乗れるかな?」

 しばしの休憩中、ミルがそんなことを言い出した。仁を見上げるミルの瞳は期待に溢れ、キラキラと輝いている。

「うーん。どうだろう?」

 仁は上からミルを見つめ、腕を組んだ。

 この世界にも元の世界と同じようなくらあぶみが存在する。くらが腰を下ろす部分で、あぶみは馬に乗った際に足場となる部分だ。あぶみがあることでバランスが取りやすくなると言われていて、馬上で武器を振るいやすくするのにも一役買っている。

 逆に言うと、あぶみがなければ騎乗戦闘は元より、乗るだけでも難易度が跳ね上がる。仁は乗馬には詳しくないが、騎乗時、大腿で挟み込むなどして自身の体を支えなければならないためだと記憶している。

 ミルの身体能力はこの世界の一般的な人よりも総じて上回っているが、如何せん、成長期前だ。人族より早いと言われている成長期が来たならともかく、今のミルの肢体では、馬をしっかりと挟み込むことができるとは思えない。

 馬の魔物がくらあぶみを付けることを嫌がらなければ、ミルに合ったものを用意することで騎乗は不可能ではないかもしれないが、仁が脳内で想像した光景では、とてもバランスがいいとは言えなかった。

 ちなみに、アシュレイから一個だけサイズを自動で調整する魔道具のくらあぶみを預かってきているが、ミルが成長しなければ結果は同じだ。

「うーん。ミルには――」

 自然と眉間に皺を寄せた仁に、ミルの表情が曇る。仁は口にしかけた「難しいかもしれない」という言葉を呑み込む。

「あー。そうだなー。小さめの魔物か、子供だけどミルを乗せてもいいよって言ってくれる子がいるといいね」

 仁がそう言うと、ミルは一転して、パーッと顔を綻ばせた。仁はホッと息を吐き、ニコニコ顔のミルを微笑ましい思いで眺める。いつものようにミルの頭に手を伸ばした仁は、自身の腕の下でミルに抱かれたイムがどこか不安げな顔をしていたことに気付くことはなかった。



「今日はこの辺で夜営にしよう」

 玲奈たちと魔物との戦いが終わったのを見計らい、仁が皆に告げた。仁は辺りを見回し、テントを設置できそうな場所を見つけると、アイテムリングから組み立て済みのテントを2張り取り出して地面に固定する。

「カティア。テントで休んでいて」
「でも――」
「いいからいいから」

 魔物の解体に勤しんでいるミルに目を向けて仁の提案に難色を示すカティアを、仁が背を押してテントに押し込む。今朝、戦乙女の翼ヴァルキリーウイングの一員として、仲間と認められたカティアには、仁と玲奈の勇者の称号の効果が適用されて大量の経験値が流れ込んだはずだ。その結果、カティアの体は魔素酔いにも似た症状を見せていた。

 夜営を決める直前の戦いで、カティアの意思に体の動きが付いてこられていないことに仁は気付いたのだった。

 過去の経験からミルもロゼッタもカティアの身に起こっていることを理解しているため、一人先に休んでも文句が出ることはない。もっとも、仮にカティアがただ疲れていただけだとしても、ミルやロゼッタが不満を持つことはないだろうと仁は思っていた。

「仁くん。カティアは大丈夫そうだった?」
「うーん。たぶん少し休めば治まるんじゃないかな」

 カティアがこれまで全く鍛錬を行っていないのであれば話は別だが、幼い時分より魔物と戦い、奴隷騎士となってからも、エルフの里に来てからも鍛錬を欠かさなかったカティアの肉体がそれほど柔だとは思えなかった。

 鎌でもなく剣でもなく短剣で鍛錬に臨む辺り、気を付けないと誰にも言わず無理をしてしまいそうな危うさを感じてはいたが、仁はもちろんのこと、玲奈もミルも、そしてロゼッタも、カティアを気にかけながら戦っていたので、きっと大丈夫だろうとも思っていた。

「グルゥッ」
「痛っ」

 突然頭を小突かれ、仁は不満げな視線をイムにぶつける。まだ里を出る前の夜のことを根に持っているのかと仁が呆れていると、鼻を鳴らしたイムが目線でミルを指し示した。仁が視線を追うと、ミルの解体作業が終わりに差し掛かっているのが見て取れた。

「グルゥ」
「ああ。呼びに来てくれたのか。ありがとう」

 仁はイムに感謝の言葉を告げるが、イムは再び鼻を鳴らすと、そのままパタパタとミルの元に戻っていった。

「仁くん。イムちゃんに何かしたの?」
「いや、心当たりはない――こともないけど……」

 仁はそう言いながらも、今日でもう里を出て2日目。出発の朝はまだ機嫌が直っていないようだったが、あの件はそこまで引っ張るようなことだろうかと首をひねる。

 機嫌を損ねている者とその原因を作った者では受け取り方が違うのは当然のことだが、今までのイムから推測すると、何だかんだと小さなことはすぐに許してくれていたのだ。

「仁くん。ミルちゃんが呼んでるよ」
「あ、そうだった!」

 考え込んでしまった仁が慌ててミルの様子を窺うと、既に解体を終えたようで、仁を手招きしていた。

「玲奈ちゃん。ちょっと行ってくるよ」
「うん。いってらっしゃい」

 駆け足でミルの元に向かう仁を一瞥いちべつしたイムは、その後、不機嫌そうにそっぽを向いたのだった。



「仁くん」

 その夜、仁はテントの入口から自身を呼ぶ声で目を覚ます。寝袋の中から上半身だけ抜け出し、上体を起こした。

「玲奈ちゃん、ごめん。もしかして寝過ごしちゃったかな?」

 夜番の交代で玲奈に起こされるのは初めてではないが、普段より玲奈の声が硬いような気がしたのだ。

「ううん。まだ交代時間じゃないんだけど、ミルちゃんが何か嫌な気配がするって」
「わかった。すぐ行く」

 仁は急いで寝袋から出て手早く防具を装着する。枕元に置いた不死殺しの魔剣イモータルブレイカーを腰に帯びようかと手にしたところで、仁は黒炎刀か黒雷刀でいいかと考え、アイテムリングに収納した。魔剣使いの称号によるステータスの上昇補正はなくなるが、いつでも消したり出したりできる上に、仁の魔力と親和性の高い黒炎刀や黒雷刀の方が使い勝手が良いと仁は感じていた。

 武器にも向き不向きはあるが、必要になればアイテムリングからすぐに取り出せるため、いつも腰に帯びている必要はないのだ。メルニールや帝都など人の目があるところでは帯剣するようにしているが、今はそれも必要ない。

「お待たせ」

 仁がテントを出て焚火の周りで夜番をしていたミルに声をかけた。

 ミルは月明かりの届かない夜の闇に満ちた周囲に目を向けていた。2張りのテントとその中間に位置する焚火の周りは、当然のことながら深い森に囲まれていた。

 今夜の夜営地は広場と呼べるほどの広さはなく、たくましく育った魔の森の木々の枝が、テントの上に張り出している。

「ジンお兄ちゃん……」

 ミルが不安そうな目を仁に向ける。

「ミル。嫌な気配がするって?」

 仁が確認するように問うと、ミルはこくりと頷いた。仁は意識を集中して周囲の魔力を探る。ざわざわと、森が揺れていた。

「玲奈ちゃん! ロゼとカティアを起こして! 魔物が来る!」

 仁が叫び、玲奈が弾かれたように動き出す。正にその瞬間。仁たちの頭上から、光が消えた。
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