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第十四章

14-6.馬

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「ジンお兄ちゃん、レナお姉ちゃん。お馬さんは魔物じゃないよ?」

 玲奈と反対側の仁の隣に座ったミルが小さい頭を傾け、犬耳が垂れる。ミルは決して常識がないわけではないが、馬が魔物ではないという衝撃の事実が、幼いミルにとっても当たり前のことだということに仁は驚愕した。

 困惑する仁は、隣の玲奈が同じような表情でいることに少しだけ安堵しつつ、疑問を氷解させるべく、問いかける。

「えっと、馬が魔石を持たないから魔物じゃないっていうのはわかったけど、そもそもこの世界に魔石を持たない生き物も普通にいるっていうこと?」
「普通にはいないな。ただ、人にも魔石を持たない我々と別に、魔石を体内に有する魔族がいた……いや、いる、だろう。それと同じことだ」

 そう言われてみれば、人族やエルフ族、獣人族は魔石を持っていないわけで、魔石を持つ魔人族の存在がある以上、所謂“人”だけが特殊な事例だと思う方がおかしいのかもしれないと仁は思い至る。

 仁と玲奈が納得した様子を表情に浮かべるのを待って、アシュレイが続ける。

「ただ、人と違い、より攻撃的な習性を持つ魔物に縄張りを追われ、滅多なことでは目にすることはない。もしかしたら多くは絶滅してしまったのかもしれない」
「なるほどね。魔人族が絶滅したと言われている“人”の場合と真逆なのが興味深いけど、それで魔物以外の生き物を人の生活圏内で見かけることがほとんどなくなったということか」

 うんうんと納得したように何度も頷いていた仁だったが、ではなぜ馬だけが例外なのかという疑問が浮かんできて、それをアシュレイにぶつける。

「簡単な話だ。馬は遥か昔から人々の生活圏で共生してきたからだ」

 アシュレイの話をまとめると、馬はいつともいえない昔から、移動、物流、農耕、軍事など、様々な場面で人にとって有益な存在だったため、人に飼育されることで魔物から守られてきたということだ。

 かつての魔人族との全面戦争の折に数を減らしてしまったため、今の時代では貴重な存在になっているが、かつては元の世界で言う畜産的なことも行われていたようだ。

「なるほど。馬が特別で、貴重な存在だということはよくわかったよ。ただ、それにしては多くの帝国騎士が馬を所有していたように思うけど」
「それは帝国の国力がそれだけ強いということだ。グレンシール帝国は王国時代から馬の飼育に力を入れている。それだけ軍事的な面での馬の有用性を理解し、重要視しているということなのだろう」

 仁の記憶では、元の世界でも日本の戦国時代の武田家の騎馬隊などは鉄砲が広まるまで無類の強さを誇ったはずだ。魔法のあるこの世界では事情が違うかもしれないが、仁はかつてクリスティーナに召喚された際に戦った王国、今の帝国軍にも馬に乗った騎士が多くいたことを思い出す。

「それにしても、馬にそんな事情があったとはなあ。魔石を持たない生き物か……」

 しみじみと呟きながら、もしかしたらこの世界にも元の世界と同じような動物がいるかもしれないと仁が思いをせていると、アシュレイが何かを思い出したように、仁に不思議そうな目を向けた。

「そういえば、お前たちは馬より身近なところで魔石を持たない生き物に触れていることに気付いていないのか?」
「え?」

 仁と玲奈が顔を見合わせる。お互いに心当たりはなく、両者とも示し合わせたように首を横に振った。アシュレイが呆れたように溜め息を吐く。

「その様子だと本当に気付いていなかったようだな。いや、人以外は魔物だと思っていたわけだから、仕方がないのか……」

 仁はアシュレイに向き直り、肩をすくめた。仁がもったいぶらないで教えてくれと視線で訴えると、アシュレイがイムを膝に乗せたミルを見遣った。

「もしかしてイムのこと? ドラゴンが魔物とは区別されているのは知っているけど、ドラゴンには魔石があるよね?」

 実際、仁が討伐した火竜ファイヤードラゴンにも魔石は存在した。極大の魔石は直接的な武具の素材としては使われないため、今もアイテムリングの中で眠っている。

「もちろん竜族のことではない。私が言っているのは、その二人の好物のことだ」
「好物?」

 仁は眉根を寄せてオウム返しにする。ミルとイムの好物と言えば、メルニールの屋台で気の良さそうな青年が売っている串焼き、俗に言う焼き鳥しか思い付かない。

「……え? もしかして?」

 仁が見開いた目に信じられないという思いを込めてアシュレイを窺い見ると、アシュレイは躊躇ちゅうちょなく頷いた。

「これで合点がいった。食用の肉で魔物以外の肉となると、かなり希少な高級品だ。それをお前たちが大量に保存食にしていると知ったときには、どれだけ稼いでいるのかと驚いたものだ。それが後になって屋台で手ごろな価格で売られていると聞いて、どれだけ仰天したことか……」

 アシュレイが遠い目で天井を仰ぎ見る。アシュレイは「あまりにもジンたちが気にしていない様子だから、自分の感覚がおかしいのかと心配した」と苦笑していたが、その言葉は口をぽかんと開けて固まった仁の耳を左右に通過していく。

 ミルの大好物であり、イムが懐くきっかけとなった串焼き。仁も確かに美味しいと思っていたが、まさか破格の安価で提供されていただけで、実はとんでもない高級品だったなどとは思いもよらなかった。しかも、それが魔物ではない鳥の肉だと言うのだから、仁は馬の話がかすんでしまうくらいの衝撃を受けていた。

「ねえ、仁くん。私もあの焼き鳥大好きだけど、もしかして、私たちの世界の肉に近いから一層美味しく感じていたのかな?」
「そう……かも?」

 玲奈の推測に、仁はそうかもしれないと思いつつ、顔馴染の屋台の青年を思い浮かべる。もしアシュレイの言う通りなら、なぜ普通の青年に見える彼が高級品を大量に用意でき、更にそれを価値に見合わないほどの安価で提供できるのか、いくつもの謎が残る。

 メルニールに戻ったら聞いてみようかと考えながら、皆は知っていたのかと仁が周囲を見回すと、ロゼッタが白い肌を目に見えて白くして硬直していることに気付いた。

「ロゼ?」
「ジ、ジン殿、レナ様! 申し訳ありません! 美味だとは思っていましたが、自分はよもやそれほどの高級品だったとはいざ知らず、ありがたがることもせずにパクパクと……!」

 ロゼッタがガバッと勢いよく頭を下げた。ロゼッタの白いひたいが板張りの床にくっ付いていた。

「主人と同じ食事を頂けるだけで破格だというのに、その価値も知らずにいたとは、このロゼッタ、一生の不覚! 如何様いかような処罰も受け入れる所存にございます!」
「いやいやいやいや! 俺も玲奈ちゃんも知らなかったわけだし、もし知っていたとしても、そんなことで処罰なんてしないよ!」
「しかし!」
「いや、そもそも俺も玲奈ちゃんの奴隷だから、ロゼと同じ立場だからね?」
「ジン殿と自分では立場が違います!」

 顔を一切上げないまま、額を床にこすりつけるロゼッタを、仁は玲奈と一緒に困惑顔で必死になだめる。そんな主従を余所よそに、ミルは大好物が美味しい理由がわかったことが嬉しいのか、ニコニコと腕の中のイムに話しかけている。

 アシュレイは微笑んでいるエルフィーナと顔を合わせて溜息を吐き、カティアは状況があまりよく理解できないまでもロゼッタが土下座をしているという事実からか、仁に非難がましい視線を送っていたのだった。
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