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第十三章

13-15.困惑

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 仁はすぐさまロゼッタとアイコンタクトを交わし、気配を殺しつつ滝壺から距離を取った。ロゼッタと共に黒い大岩の陰に体を隠し、顔を半分だけ出して様子を窺う。

 魔物除けの結界内だからと油断していたわけではないが、まさか人と遭遇することになるとは思っていなかった。ただの旅人ならしたる問題ではないが、敵対勢力の人間でない保証など、どこにもない。

 仁の頭には敵対する勢力として真っ先に魔王妃が思い浮かぶ。もしかしてユミラではないかと、期待と不安、焦りなどのい交ぜになった感情が仁の心の内に湧き上った。

 流れ落ちる水の向こうの人影が滝の切れ目に沿って動き、やがて頭から全身をフード付きのローブで覆い隠した姿を現す。白いローブにはところどころに金色の刺繍があり、手にした木製と思しき杖の先端部にはいくつかの宝石が埋め込まれていた。

 白いローブの人物は滝の背後を完全に通り抜けると、頭部の水滴を払い除け、フードを取った。ローブと背中の間に入り込んだブロンドの長髪を左手で掬い上げ、背後に流す。

 それを覗き見ていた仁は顔を引っ込め、大岩に背を預けた。ローブの人物は女性のようだが、ユミラとは別人であることがわかり、仁はホッと胸を撫で下ろした。複雑に絡み合った感情はまだ仁の胸中に留まっていたが、とりあえず不意の遭遇とはならなかったことに安堵し、仁はこれからどうするべきかを考える。

 このまま隠れてやり過ごすべきか、この場で何をしているのか女性を問いただすべきか。

 この場が魔の森の中にあることを考えると、旅の道中で偶然訪れたとは考えにくい。かといって、あの滝の裏の洞穴が隠し通路の出口になっていることを知っているのは帝国の皇族だけのはずだ。もしかすると仁たちのように皇族から聞かされた者かもしれないが、だとするならば見つかるのは避けるべきかもしれない。

 仁はそんなことを考えながら、再度女性の様子を探ろうと大岩から顔を覗かせようとするが、その直前、眉間に皺を寄せて女性を見つめているロゼッタの姿が目に入った。

「ロゼ、どうかしたの?」

 仁が小声で尋ねると、ロゼッタはゴクリと喉を鳴らした。

「ジン殿。かの者に見覚えはありませんか?」
「え?」

 仁は眉をひそめ、女性を注視する。女性は辺りをキョロキョロと見回していたが、ふいに視線を一点に固定し、ほんのりと笑みを浮かべた。女性の視線は仁たちのいる大岩に向いていた。

 仁とロゼッタは弾かれたように大岩の死角に隠れる。

「ごめん、ロゼ。気付かれたかも」
「い、いえ。それより、自分の記憶が正しければ、あの者は――」
「そこにいるのはわかっているわ。出てきてお姉さんに顔を見せてくれないかしら?」

 大岩の向こうから声が聞こえ、ロゼッタが反射的に口をつぐむ。明らかに自分たちに向けられている呼びかけに、仁とロゼッタは顔を見合わせた。

「どこの誰か知らないけれど、やましいことがなければ出て来られるわよね?」

 仁はロゼッタに隠れたままでいるように小声で告げてから姿を見せる。相手の目的がわからない以上、可能ならば友好的に場を収めたかった。

「あら? 坊や一人だけ? もう一人いるのではなくて?」

 感知系の技能を持っているのか、それとも既にロゼッタも見られていたのか。確信に満ちた女性の物言いに、仁は観念し、ロゼッタに出てくるよう促す。

「あら? あなたは……」

 ロゼッタの姿を目にした途端、女性はあでやかな笑みを浮かべた。仁は女性と正面から相対して初めて、どこかで見たことがあるような感覚に襲われる。ロゼッタは覚えがあるようだったが、仁はすぐには思い出せない。

「お久しぶりね。白虎族のお嬢ちゃん。今日はあなたの可愛らしいご主人様や小さなお嬢ちゃんは一緒ではないのかしら?」
「確か、エルヴィナさん、でしたか。そちらこそ闇の超越者ダークネス・トランセンダーのお仲間はどうされたのですか?」

 ロゼッタが油断なく女性を見据える中、仁は目を見開いた。闇の超越者ダークネス・トランセンダーと言えば、メルニールと帝国との戦争時にメルニール所属のA級冒険者でありながら帝国と通じていた者たちだ。

 4人パーティの内、2人は死亡し、残った2人は捕縛された後、冒険者の資格を剥奪されて追放されたと仁は聞いている。そしてその2人を捕縛したのが他ならぬ玲奈とミル、ロゼッタだった。

 仁は魔王としてメルニールの外で帝国軍と戦っていたために直接的なやり取りはなかったが、戦争が始まる前の集会で目にしていたことを思い出した。

「あなたに負けたマークハルトのことを言っているのだったら、メルニールを追放されたときに別れたっきり、音沙汰なしよ」

 大げさに肩をすくめて見せたエルヴィナは、ロゼッタから仁に視線を移す。エルヴィナはてらてらと妖しく輝く唇をチロリと舐めた。

「初めましてと言った方がいいかしら。坊やがあの名高き英雄様? いえ、勇者、それとも魔王だったかしら?」
「ご想像にお任せします」
「つれないのね」

 再度肩を竦めたエルヴィナの口から、くすくすと色に濡れた笑い声がこぼれる。仁とロゼッタがエルヴィナの一挙手一投足に注視していると、妖艶な笑みを浮かべたまま、エルヴィナが口を開く。

「それで、メルニールの英雄様とそのお仲間が、ご主人様もなしに、こんなところで何をしているのかしら?」
「強くなるために魔物退治をしていただけですよ。魔の森で他の人と出会うなんて思っていなかったので、驚いて隠れてしまいました」

 仁は何でもない風を装うが、その心臓はバクバクと音を立てていた。エルヴィナがこの場にいた理由は不明だが、エルヴィナが隠し通路のことを知らないのであれば、余計な情報を与えるわけにはいかなかった。

「そう。あなたたち二人だけで魔物退治ねぇ……」

 エルヴィナの舐めるような視線が仁とロゼッタを行き来する。

「あなたたちの可愛らしいご主人様と小さなお嬢ちゃんはエルフの隠れ里でお留守番なのかしら?」

 ビクッと仁の肩が揺れ、ロゼッタが息を呑んだ。仁がしまったと思ったときには、時すでに遅く、エルヴィナの顔は妖しく輝いていた。まさかいきなりエルフの里に言及されると思っていなかったため思わず反応してしまったが、これ以上の動揺を見せるわけにはいかず、仁は気を引き締める。

「エルフの隠れ里ですか? そんなものが魔の森にあるんですか?」
「あら? わたくしはエルフの隠れ里が魔の森にあるなんて一言も言っていませんわよ?」

 なぜエルヴィナがエルフの里を知っているのか。なぜ今その話を持ち出すのか。仁の頭の中を色々な疑問が飛び交うが、情報が少なすぎてエルヴィナの目的を推測することができない。

「あー、違うんですか? 話の流れから、てっきりこの近くにエルフの里があるのかと思ったのですが。俺はエルフの里に行ったことがないので、もし場所を知っているのなら教えていただけませんか?」

 仁が努めて冷静に答えると、エルヴィナは仁の問いかけには答えず、さも面白そうに笑みを深めた。

 仁の胸の内で、このままでは不味いのではないかという得も言われぬ不安が鎌首をもたげる。後手に回ってしまった現状を挽回すべく、仁は混乱する頭を必死に働かせた。
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