上 下
275 / 616
第十三章

13-5.反省

しおりを挟む
「ミル!?」
「ミル様!?」
「グルゥッ!?」

 二人と一体が揃って驚きの声を上げた。仁とロゼッタがミルに向き直ると、ミルのまさかの宣言を受けた玲奈が、呆然とミルを見下ろして固まっていた。いつものようにミルの周りを飛んでいるイムも、まばたきを止めて覗き込んでいる。

「ミ、ミル。今なんて?」
「ミルもレナお姉ちゃんの奴隷にしてほしいの!」

 仁が聞き間違いではないかと思って確認すると、ミルはニコニコ顔のまま同じ文言を繰り返した。

「ミルもレナお姉ちゃんが大好きだから、きっと大丈夫なの!」

 これまでの話の通り、玲奈の特殊従者召喚の対象者の条件が玲奈への一定以上の好感度であるならば、ミルが自分も対象だと思っても不思議ではない。仮に双方の絆だった場合でも、ミルが条件を満たしている可能性は高い。むしろ、対象外だという方が考えにくかった。

 仁の推測がまったくの見当外れだった場合はその限りではないが、対象が仁のみではないとわかった以上、玲奈の奴隷にさえなればミルも対象であることは想像に難くない。しかし。

 仁は純粋無垢な瞳で見上げてくるミルを見つめながら思索を巡らす。

 確かにミルも特殊従者召喚の対象になれば色々と便利になるのは間違いない。ミルがそこまで考えているかはともかく、この後の帝都への訪問でもミルも一緒に行くことが可能となる。ただ、そうしてしまうとまたイムがミルと離れ離れになってしまうし、飛べることで安全性を確保できるとしてイムも一緒に行くとした場合、玲奈だけが里に残ることになる。

 玲奈はそれでも文句は言わないだろうが、玲奈自身もできることなら一緒に行きたいと思っていることは流石に仁も理解しているため、それは好ましくないように思えた。それに――

「……ダメ?」

 真剣な表情で黙考する仁に、ミルが笑顔を引っ込めて心配そうな顔を形作る。仁はミルの寂しそうな上目遣いにほだされそうになるが、そもそも、仁はメリットがあるからと言ってミルを奴隷にしたくなかった。

 いくらメルニールやエルフの里では奴隷の身分を殊更意識する必要が少なく、仁自身、奴隷の身であることで特段不利益を被っているわけではないが、やはり生まれ育った環境から奴隷制に馴染のない仁にとって、特殊従者召喚の効果目当てでミルを奴隷にするのには抵抗があった。

 奴隷という存在はどう言い繕ったところで主人の所有物であることに間違いはなく、決して望んでなるべきものではない。人の事情や嗜好は様々であるため、そう断言するのは乱暴かもしれないが、少なくとも仁にはそう思えた。

 それは玲奈も同様だったようで、玲奈はミルの前で膝をついて目線を合わせると、優しく微笑んだ。

「ミルちゃんが大好きだって言ってくれて、私はすっごく嬉しいよ。だけどね、私はミルちゃんが奴隷になるのは反対だな」

 玲奈はミルの丸い瞳を見つめたまま、言葉を選び、ゆっくりとした口調で語りかける。

「この世界にはね、奴隷になりたくなくても奴隷にされてしまう人たちも大勢いるの。ミルちゃんは奴隷の人たちが辛そうにしているところを見たことない?」

 ミルはハッとしたような表情を浮かべた後、目尻を下げながら小さく頷いた。

 メルニールが他の帝国の地域より奴隷に寛容とはいえ、奴隷にひどく当たる者が全くいないわけではない。最も身近な主従である玲奈と仁やロゼッタを見ていると忘れがちになってしまうが、ミルにも心当たりはあったようで、その顔には後悔と反省の色が浮かんでいた。

「私はもしミルちゃんが私の奴隷になってもひどいことをするつもりはないよ。もちろん、仕方なく奴隷になってもらっている仁くんやロゼにもね」

 仁の隣でロゼッタが何か言いたげにしていたが、仁が首を横に振って制する。

「だけどね、奴隷っていうのは簡単になりたいなんて言っていいものじゃないの」

 諭すように言う玲奈に、ミルは真剣な表情で頷いた。

「それにね、ミルちゃんまで私の奴隷になってイムちゃんと一緒に仁くんとロゼに付いて行っちゃったら、私、寂しくて泣いちゃうよ?」

 玲奈が少しだけおどけた調子で言うと、ミルの顔に笑みが戻る。

「ミルはレナお姉ちゃんと一緒にいるの!」

 ミルが元気にそう宣言したことで、その場は丸く収まった。イムが露骨に安堵の息を吐き、少しだけハラハラした様子で仁たちのやりとりを見守っていた里の人々も、ほんわかした雰囲気の中で散っていく。

 穏やかに微笑んでいるロゼッタの隣で「玲奈の奴隷というポジションも悪くない。むしろ美味しいのでは?」と思っていた仁は密かに反省していたのだが、それに気付く者はなかった。



 こうして当初の予定通りロゼッタと二人で帝都のコーデリアを訪ねることになった仁は、この後、エルフィーナに頼んで保存食としてアイテムリングに入れて持っていく食事を用意してもらうなど、旅の準備を始めた。

 懸念だったロゼッタだけが取り残されるような事態も回避できたことで、仁としては、善は急げというような気持ちもあったが、いてばかりもいられない。片道数日の道のりではあるが、準備は万全にしておくべきだという玲奈やアシュレイたちの意見はもっともなものだった。

 前回と異なり、コーデリアに訪問の予定を告げてあるわけではなく、以前のようにすぐに面会できるとは限らない。何日か帝都に滞在するくらいの金銭的余裕は十分にあるが、奴隷だけでは帝都の宿に宿泊を拒否されることも考えられるため、野営の継続の準備も欠かせない。



「リリーとマークソン商会の人たちがタイミングよく帝都に来ていればいろいろ助かるんだけどなぁ……」

 その日の晩、仁は自身に与えられた個室の窓から夜空で輝くほぼ真円に近い月を眺めていた。

 仁は元の世界では夜空の月を眺める習慣はあまりなかったが、こちらの世界に来てからは月明かりに優しさを感じるようになっていた。毎晩のように眺めているわけではないが、ふとした瞬間に夜空を見上げる機会が増えたのは間違いない。

 照明の魔道具はある程度普及しているものの、こちらの世界では元の世界に比べて人工の光が少ないために月の光の存在感が増していることも影響しているのではないかと仁は何となく思っていたが、理由はさしたる問題ではなかった。

 仁は満月に近い月を見上げながら、これからのことを思う。当座の目的は魔王妃の魂を宿したユミラの行方の調査だが、当然見つけただけで終わるものではない。

 魔王妃の企てを阻止するためにユミラの命を奪う必要があった場合、自身の手でそれを成す覚悟はあるのか。仁は自身に問いかける。

「覚悟はある……はずだけど……」

 魔王妃の望み通りに魔王が復活してしまえば、この世界に再び滅びの危機が訪れる。なぜか仁の記憶にある魔王とドラゴンの戦いの光景は、仁にそう確信させるのに十分なものだった。戦いと呼ぶのが烏滸おこがましく思ってしまうほどの、圧倒的な力による蹂躙じゅうりん

 仁は一度その記憶の中の魔法を真似て編み出した“消滅エクスティンクション”によって窮地きゅうちを救われたが、あの光景が実際にこの世界の過去で起こったものだという可能性が高いと分かってしまってはとても感謝する気持ちにはなれなかった。

「はぁ……」

 仁は盛大に溜息を吐く。

 ミルやロゼッタたちの生きる世界と、ユミラの命。普段であれば決してはかりにかけていいようなものではないが、一度天秤の両側に置いてしまえば、どちらに傾くか、結果は言うまでもない。

「覚悟はある……」

 仁は自身に言い聞かせるように呟いた。当然、可能であるならばユミラを救った上で魔王妃の野望を阻止したいが、そうは行かなかった場合、自分が片を付けなければならない。まかり間違っても玲奈にだけは背負わせるわけにはいかない。仁はそう強く意識する。

 仁はユミラに命を狙われたことがある。魔王妃の魂に体を乗っ取られていなければ今も狙われ続けたことだろう。ならば、仁はそれを言い訳にすることができる。どういう理由があるにせよ、ユミラが先に仁の命を狙ったのだから、逆に命を奪われても文句を言う資格はない。そう言えるのは仁だけなのだ。

「情け、ないな……」

 仁が自嘲と共に吐き出した言葉が窓の外に消える。その直後、静寂の訪れた仁の部屋に、コンコンと優しくドアをノックする音が広がった。

 仁は沈んでいた意識を浮上させ、ドアに歩み寄る。こんな夜更けに誰だろうと疑問に思いながら仁がゆっくりドアを開くと、そこには緊張した面持ちの黒髪の少女が立っていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

月が導く異世界道中extra

あずみ 圭
ファンタジー
 月読尊とある女神の手によって癖のある異世界に送られた高校生、深澄真。  真は商売をしながら少しずつ世界を見聞していく。  彼の他に召喚された二人の勇者、竜や亜人、そしてヒューマンと魔族の戦争、次々に真は事件に関わっていく。  これはそんな真と、彼を慕う(基本人外の)者達の異世界道中物語。  こちらは月が導く異世界道中番外編になります。

勇者一行から追放された二刀流使い~仲間から捜索願いを出されるが、もう遅い!~新たな仲間と共に魔王を討伐ス

R666
ファンタジー
アマチュアニートの【二龍隆史】こと36歳のおっさんは、ある日を境に実の両親達の手によって包丁で腹部を何度も刺されて地獄のような痛みを味わい死亡。 そして彼の魂はそのまま天界へ向かう筈であったが女神を自称する危ない女に呼び止められると、ギフトと呼ばれる最強の特典を一つだけ選んで、異世界で勇者達が魔王を討伐できるように手助けをして欲しいと頼み込まれた。 最初こそ余り乗り気ではない隆史ではあったが第二の人生を始めるのも悪くないとして、ギフトを一つ選び女神に言われた通りに勇者一行の手助けをするべく異世界へと乗り込む。 そして異世界にて真面目に勇者達の手助けをしていたらチキン野郎の役立たずという烙印を押されてしまい隆史は勇者一行から追放されてしまう。 ※これは勇者一行から追放された最凶の二刀流使いの隆史が新たな仲間を自ら探して、自分達が新たな勇者一行となり魔王を討伐するまでの物語である※

転生したら、全てがチートだった

ゆーふー
ファンタジー
転生した俺はもらったチートを駆使し、楽しく自由に生きる。

特殊部隊の俺が転生すると、目の前で絶世の美人母娘が犯されそうで助けたら、とんでもないヤンデレ貴族だった

なるとし
ファンタジー
 鷹取晴翔(たかとりはると)は陸上自衛隊のとある特殊部隊に所属している。だが、ある日、訓練の途中、不慮の事故に遭い、異世界に転生することとなる。  特殊部隊で使っていた武器や防具などを召喚できる特殊能力を謎の存在から授かり、目を開けたら、絶世の美女とも呼ばれる母娘が男たちによって犯されそうになっていた。  武装状態の鷹取晴翔は、持ち前の優秀な身体能力と武器を使い、その母娘と敷地にいる使用人たちを救う。  だけど、その母と娘二人は、    とおおおおんでもないヤンデレだった…… 第3回次世代ファンタジーカップに出すために一部を修正して投稿したものです。

彼女をイケメンに取られた俺が異世界帰り

あおアンドあお
ファンタジー
俺...光野朔夜(こうのさくや)には、大好きな彼女がいた。 しかし親の都合で遠くへと転校してしまった。 だが今は遠くの人と通信が出来る手段は多々ある。 その通信手段を使い、彼女と毎日連絡を取り合っていた。 ―――そんな恋愛関係が続くこと、数ヶ月。 いつものように朝食を食べていると、母が母友から聞いたという話を 俺に教えてきた。 ―――それは俺の彼女...海川恵美(うみかわめぐみ)の浮気情報だった。 「――――は!?」 俺は思わず、嘘だろうという声が口から洩れてしまう。 あいつが浮気してをいたなんて信じたくなかった。 だが残念ながら、母友の集まりで流れる情報はガセがない事で 有名だった。 恵美の浮気にショックを受けた俺は、未練が残らないようにと、 あいつとの連絡手段の全て絶ち切った。 恵美の浮気を聞かされ、一体どれだけの月日が流れただろうか? 時が経てば、少しずつあいつの事を忘れていくものだと思っていた。 ―――だが、現実は厳しかった。 幾ら時が過ぎろうとも、未だに恵美の裏切りを忘れる事なんて 出来ずにいた。 ......そんな日々が幾ばくか過ぎ去った、とある日。 ―――――俺はトラックに跳ねられてしまった。 今度こそ良い人生を願いつつ、薄れゆく意識と共にまぶたを閉じていく。 ......が、その瞬間、 突如と聞こえてくる大きな声にて、俺の消え入った意識は無理やり 引き戻されてしまう。 俺は目を開け、声の聞こえた方向を見ると、そこには美しい女性が 立っていた。 その女性にここはどこだと訊ねてみると、ニコッとした微笑みで こう告げてくる。 ―――ここは天国に近い場所、天界です。 そしてその女性は俺の顔を見て、続け様にこう言った。 ―――ようこそ、天界に勇者様。 ...と。 どうやら俺は、この女性...女神メリアーナの管轄する異世界に蔓延る 魔族の王、魔王を打ち倒す勇者として選ばれたらしい。 んなもん、無理無理と最初は断った。 だが、俺はふと考える。 「勇者となって使命に没頭すれば、恵美の事を忘れられるのでは!?」 そう思った俺は、女神様の嘆願を快く受諾する。 こうして俺は魔王の討伐の為、異世界へと旅立って行く。 ―――それから、五年と数ヶ月後が流れた。 幾度の艱難辛苦を乗り越えた俺は、女神様の願いであった魔王の討伐に 見事成功し、女神様からの恩恵...『勇者』の力を保持したまま元の世界へと 帰還するのだった。 ※小説家になろう様とツギクル様でも掲載中です。

転生王女は異世界でも美味しい生活がしたい!~モブですがヒロインを排除します~

ちゃんこ
ファンタジー
乙女ゲームの世界に転生した⁉ 攻略対象である3人の王子は私の兄さまたちだ。 私は……名前も出てこないモブ王女だけど、兄さまたちを誑かすヒロインが嫌いなので色々回避したいと思います。 美味しいものをモグモグしながら(重要)兄さまたちも、お国の平和も、きっちりお守り致します。守ってみせます、守りたい、守れたらいいな。え~と……ひとりじゃ何もできない! 助けてMyファミリー、私の知識を形にして~! 【1章】飯テロ/スイーツテロ・局地戦争・飢饉回避 【2章】王国発展・vs.ヒロイン 【予定】全面戦争回避、婚約破棄、陰謀?、養い子の子育て、恋愛、ざまぁ、などなど。 ※〈私〉=〈わたし〉と読んで頂きたいと存じます。 ※恋愛相手とはまだ出会っていません(年の差) ブログ https://tenseioujo.blogspot.com/ Pinterest https://www.pinterest.jp/chankoroom/ ※作中のイラストは画像生成AIで作成したものです。

私の家族はハイスペックです! 落ちこぼれ転生末姫ですが溺愛されつつ世界救っちゃいます!

りーさん
ファンタジー
 ある日、突然生まれ変わっていた。理由はわからないけど、私は末っ子のお姫さまになったらしい。 でも、このお姫さま、なんか放置気味!?と思っていたら、お兄さんやお姉さん、お父さんやお母さんのスペックが高すぎるのが原因みたい。 こうなったら、こうなったでがんばる!放置されてるんなら、なにしてもいいよね! のんびりマイペースをモットーに、私は好きに生きようと思ったんだけど、実は私は、重要な使命で転生していて、それを遂行するために神器までもらってしまいました!でも、私は私で楽しく暮らしたいと思います!

システムバグで輪廻の輪から外れましたが、便利グッズ詰め合わせ付きで他の星に転生しました。

大国 鹿児
ファンタジー
輪廻転生のシステムのバグで輪廻の輪から外れちゃった! でも神様から便利なチートグッズ(笑)の詰め合わせをもらって、 他の星に転生しました!特に使命も無いなら自由気ままに生きてみよう! 主人公はチート無双するのか!? それともハーレムか!? はたまた、壮大なファンタジーが始まるのか!? いえ、実は単なる趣味全開の主人公です。 色々な秘密がだんだん明らかになりますので、ゆっくりとお楽しみください。 *** 作品について *** この作品は、真面目なチート物ではありません。 コメディーやギャグ要素やネタの多い作品となっております 重厚な世界観や派手な戦闘描写、ざまあ展開などをお求めの方は、 この作品をスルーして下さい。 *カクヨム様,小説家になろう様でも、別PNで先行して投稿しております。

処理中です...