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第十二章
12-3.発端
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「竜……ドラゴンか……」
呟いた仁の脳裏に、帝都で戦った火竜や、ミルの両親の炎竜の姿が浮かぶ。
「はい。調査に出た者らが大山脈に近付いたところに姿を現され、大山脈に足を踏み入れないよう忠告された後、最も高い山の頂の方角に飛び去られたそうです」
「それで調査隊は引き返してきたということですか?」
「そのように伝わっています」
「エルフはドラゴンと友好関係にあるのですよね? その理由を尋ねたりはしなかったのですか?」
わざわざドラゴンが忠告に来るということは、大山脈、もしくはその向こう側に何かあるということだ。単に縄張りに他者が入るのを拒んだだけなのかもしれないが、竜語を解し、魔の森南方に住むドラゴンと交流のあるエルフ族ならば、話を聞いてもらえるのではないかと仁は考えた。
仁の期待の籠った視線を受けたエルフィーナが、ゆっくりと首を横に振る。
「我々はシルフィーナ様の血を引く者として、竜王ヴェルフィーナ様の一族の方々と関わらせていただいていますが、他の竜族と交流があるわけではないのです」
「そうですか……」
エルフィーナが知っているのは、その警告を与えてきたドラゴンが風竜と見られ、おそらく大山脈にはその上位存在である嵐竜がいるだろうということだけだった。
仁はもしかしたらイムの両親が何か知っているかもしれないと考えてイムに目を遣るが、イムは仁の視線に気付いてそっぽを向いた。仁が苦笑いを浮かべていると、隣から玲奈の可愛らしい声が聞こえてきた。
「ねえ、仁くん。この世界って船はないの? ドラゴンがいてその大山脈が通れないなら、海から向こう側に渡れないのかな?」
「あ。そういえば玲奈ちゃんには話したことなかったっけ」
仁は人差し指で頬を掻いた。小首を傾げた玲奈が視線で続きを促す。
「この世界の海は地上とは比べ物にならない強力な魔物たちがひしめき合っていて、筏も船も、すぐに沈められてしまうんだよ。だから、この世界の人たちは極々浅瀬で食用の魚を採ることはあっても、基本的には海には近づかないんだよ」
「そうなんだ」
「まぁ、俺も話に聞いただけで、こっちの海を見たことはないんだけど」
目を丸くした玲奈に、仁は肩を竦めて見せた。
「ということでよかったよね?」
仁がそう言ってアシュレイに目を向けると、アシュレイが頷きを返す。仁に昔この世界の基本的な知識を教えていた頃を思い出したのか、アシュレイの口角が僅かに吊り上っていた。
「ジンの言う通り、海はあまりにも危険が多くてな。空でも飛べない限り、大山脈を迂回するのはまず無理だな。もっとも、竜が大山脈を超えられたくないと考えているのであれば、それも見逃さないだろうがな。空こそ竜の領域なのだから」
玲奈が納得したように頷き、一瞬の間が生まれた。その間、仁は大山脈や、その西側にいるかもしれない魔人族のことを考えていたが、結局のところ、今この場で思い悩んでどうにかなる問題ではないという結論に至った。
もし仮に魔王妃が西側を目指すと言うのであれば話は変わるかもしれないが、仁としてはもうドラゴンと争うようなことはしたくなかった。
「エルフィーナさん。とりあえず魔人族のことはわかりました。それで、古の大戦でしたか? それと魔王妃の関わりを教えていただけますか?」
「はい。古(いにしえ)の大戦は、魔王に率いられた魔人族と、大山脈の東に住む人々との長年に渡る戦です。そもそも――」
古の大戦は人族の間では人魔大戦と呼ばれている。エルフ族がそう呼ばないのは、人族の言う“人”には獣人族もエルフ族も含まれていないからだ。また、戦相手の魔人族も、エルフ族から見れば“人”だからとの思いも含まれているかもしれない。ともかく、古の大戦は魔人族が人族の村を襲ったことに端を発し、瞬く間に戦火が広がっていったことは間違いない。
最初の犠牲となったのは大山脈からほど近い辺境の小さな村だったと言われている。ただし、これは後の調査で判明したことで、当時はいくつかの国を跨いだ複数の村々が同時多発的に魔人族の襲撃を受けたことが始まりだったと思われていた。
と言うのも、最初に襲われたとされる村の村人たちが皆殺しにされたためか、近隣の村でさえ魔人族の襲撃に気付いていなかったのだ。貧しいながら細々と自給自足で生き延びてきた寒村は外部とあまり交流がなく、この村が所属する小さな国が滅ぶまで、その事実が知られることはなかった。
それが明るみになったのは、後になって大賢者が故郷であるその村を訪れたときだった。そのため、当時、その村が最初に襲われたのは、まだ大した力を持たない幼い少女だった大賢者を魔王が恐れたためだと噂されていたが、魔王や魔人族が未来予知のような力を持っていたとは思えないことから、当の大賢者は否定していたという。
結局、シルフィーナが伝えるところによると、その村が最初の標的となった理由はわからなかったようだ。その村の犠牲が発覚する十年ほど前、大山脈の調査に向かう途中にたまたま村を見かけて訪れたという小国の貴族の話で、過去、村に魔人族が訪れていたかもしれないという噂があったことはわかったが、噂は噂でしかなく、それが事実だったとしても、それが、村が襲われた理由とどう繋がるのか、誰にもわからなかった。
ちなみに、その貴族が村を訪れた際に後の大賢者の素質を見抜き、養女に迎えて小国の首都に連れ帰ったということらしい。その貴族は小国が滅ぶ前に養女だけを連れて逃げ出し、魔人族の戦火の及んでいなかった東の国で伝手を頼りに細々と暮らしていたそうだ。貴族は後に大賢者の育ての親として権勢を誇ったようだが、大賢者はそのことをあまり話したがらなかったようでシルフィーナも詳しくは伝えていない。
ともあれ、亜人や魔物を引きつれて大山脈の東側に突然現れた魔人族は瞬く間にいくつもの村や街、国を呑み込み、魔王の名の元で、東に暮らす全ての種族に対して宣戦布告したのだった。
呟いた仁の脳裏に、帝都で戦った火竜や、ミルの両親の炎竜の姿が浮かぶ。
「はい。調査に出た者らが大山脈に近付いたところに姿を現され、大山脈に足を踏み入れないよう忠告された後、最も高い山の頂の方角に飛び去られたそうです」
「それで調査隊は引き返してきたということですか?」
「そのように伝わっています」
「エルフはドラゴンと友好関係にあるのですよね? その理由を尋ねたりはしなかったのですか?」
わざわざドラゴンが忠告に来るということは、大山脈、もしくはその向こう側に何かあるということだ。単に縄張りに他者が入るのを拒んだだけなのかもしれないが、竜語を解し、魔の森南方に住むドラゴンと交流のあるエルフ族ならば、話を聞いてもらえるのではないかと仁は考えた。
仁の期待の籠った視線を受けたエルフィーナが、ゆっくりと首を横に振る。
「我々はシルフィーナ様の血を引く者として、竜王ヴェルフィーナ様の一族の方々と関わらせていただいていますが、他の竜族と交流があるわけではないのです」
「そうですか……」
エルフィーナが知っているのは、その警告を与えてきたドラゴンが風竜と見られ、おそらく大山脈にはその上位存在である嵐竜がいるだろうということだけだった。
仁はもしかしたらイムの両親が何か知っているかもしれないと考えてイムに目を遣るが、イムは仁の視線に気付いてそっぽを向いた。仁が苦笑いを浮かべていると、隣から玲奈の可愛らしい声が聞こえてきた。
「ねえ、仁くん。この世界って船はないの? ドラゴンがいてその大山脈が通れないなら、海から向こう側に渡れないのかな?」
「あ。そういえば玲奈ちゃんには話したことなかったっけ」
仁は人差し指で頬を掻いた。小首を傾げた玲奈が視線で続きを促す。
「この世界の海は地上とは比べ物にならない強力な魔物たちがひしめき合っていて、筏も船も、すぐに沈められてしまうんだよ。だから、この世界の人たちは極々浅瀬で食用の魚を採ることはあっても、基本的には海には近づかないんだよ」
「そうなんだ」
「まぁ、俺も話に聞いただけで、こっちの海を見たことはないんだけど」
目を丸くした玲奈に、仁は肩を竦めて見せた。
「ということでよかったよね?」
仁がそう言ってアシュレイに目を向けると、アシュレイが頷きを返す。仁に昔この世界の基本的な知識を教えていた頃を思い出したのか、アシュレイの口角が僅かに吊り上っていた。
「ジンの言う通り、海はあまりにも危険が多くてな。空でも飛べない限り、大山脈を迂回するのはまず無理だな。もっとも、竜が大山脈を超えられたくないと考えているのであれば、それも見逃さないだろうがな。空こそ竜の領域なのだから」
玲奈が納得したように頷き、一瞬の間が生まれた。その間、仁は大山脈や、その西側にいるかもしれない魔人族のことを考えていたが、結局のところ、今この場で思い悩んでどうにかなる問題ではないという結論に至った。
もし仮に魔王妃が西側を目指すと言うのであれば話は変わるかもしれないが、仁としてはもうドラゴンと争うようなことはしたくなかった。
「エルフィーナさん。とりあえず魔人族のことはわかりました。それで、古の大戦でしたか? それと魔王妃の関わりを教えていただけますか?」
「はい。古(いにしえ)の大戦は、魔王に率いられた魔人族と、大山脈の東に住む人々との長年に渡る戦です。そもそも――」
古の大戦は人族の間では人魔大戦と呼ばれている。エルフ族がそう呼ばないのは、人族の言う“人”には獣人族もエルフ族も含まれていないからだ。また、戦相手の魔人族も、エルフ族から見れば“人”だからとの思いも含まれているかもしれない。ともかく、古の大戦は魔人族が人族の村を襲ったことに端を発し、瞬く間に戦火が広がっていったことは間違いない。
最初の犠牲となったのは大山脈からほど近い辺境の小さな村だったと言われている。ただし、これは後の調査で判明したことで、当時はいくつかの国を跨いだ複数の村々が同時多発的に魔人族の襲撃を受けたことが始まりだったと思われていた。
と言うのも、最初に襲われたとされる村の村人たちが皆殺しにされたためか、近隣の村でさえ魔人族の襲撃に気付いていなかったのだ。貧しいながら細々と自給自足で生き延びてきた寒村は外部とあまり交流がなく、この村が所属する小さな国が滅ぶまで、その事実が知られることはなかった。
それが明るみになったのは、後になって大賢者が故郷であるその村を訪れたときだった。そのため、当時、その村が最初に襲われたのは、まだ大した力を持たない幼い少女だった大賢者を魔王が恐れたためだと噂されていたが、魔王や魔人族が未来予知のような力を持っていたとは思えないことから、当の大賢者は否定していたという。
結局、シルフィーナが伝えるところによると、その村が最初の標的となった理由はわからなかったようだ。その村の犠牲が発覚する十年ほど前、大山脈の調査に向かう途中にたまたま村を見かけて訪れたという小国の貴族の話で、過去、村に魔人族が訪れていたかもしれないという噂があったことはわかったが、噂は噂でしかなく、それが事実だったとしても、それが、村が襲われた理由とどう繋がるのか、誰にもわからなかった。
ちなみに、その貴族が村を訪れた際に後の大賢者の素質を見抜き、養女に迎えて小国の首都に連れ帰ったということらしい。その貴族は小国が滅ぶ前に養女だけを連れて逃げ出し、魔人族の戦火の及んでいなかった東の国で伝手を頼りに細々と暮らしていたそうだ。貴族は後に大賢者の育ての親として権勢を誇ったようだが、大賢者はそのことをあまり話したがらなかったようでシルフィーナも詳しくは伝えていない。
ともあれ、亜人や魔物を引きつれて大山脈の東側に突然現れた魔人族は瞬く間にいくつもの村や街、国を呑み込み、魔王の名の元で、東に暮らす全ての種族に対して宣戦布告したのだった。
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