上 下
235 / 616
第十一章

11-13.約束

しおりを挟む
 その夜、就寝の準備を終えた仁が自身の部屋のベッドに仰向けに寝そべってこれからのことを考えていると、ドアを控えめにノックする音が聞こえた。仁は「誰だろう?」と首を傾げながら体を起こし、照明の魔道具を起動して部屋に明かりを灯す。

「仁くん、夜遅くにごめんね。起こしちゃった?」

 仁が入室の許可を出すと、静かに開けられたドアの隙間から、申し訳なさそうな玲奈の顔が覗いた。

「ううん。大丈夫。まだ起きてたよ」

 仁がベッドの縁に腰掛けて答えると、玲奈はホッと小さく息を吐き、緊張した様子で部屋の中に体を滑り込ませた。仄明ほのあかるい柔らかな黄色おうしょくの光に照らされて露わになった玲奈の姿に、仁はハッと息を呑んだ。玲奈は見覚えのある薄ピンクのネグリジェを身に着けていた。

「玲奈ちゃん、どうしたの?」

 仁は胸をドキドキさせながらも、それを悟られないように平常心を装い、「そんな恰好で」という口から出かかった余計な言葉を何とか呑み込む。

 今、玲奈が着ているネグリジェはこちらの世界に召喚された際にルーナリアが玲奈のために用意したものだ。帝都から逃げ出す際に仁がアイテムリングに収納したものを、この屋敷を手に入れたときに私物として玲奈に渡していたのだが、仁はこうして再び玲奈が着ている姿を見られる日が来るとは思っていなかった。

「あの。ちょっとお話ししたいことがあって……」

 玲奈はワンピースタイプのネグリジェのすそを両手で掴みながら、紅潮した顔でキョロキョロと部屋を見回し、仁の隣で目を止める。

「と、隣、いいかな……?」
「え、あ、うん」

 仁が意味もなく僅かに腰を上げ、少しだけ横にずれる。

「じゃ、じゃあ、失礼します……」

 仁がチラチラと視線を送る中、玲奈はどこかぎこちない足取りで10畳ほどの部屋の端に置かれたベッドに歩み寄り、仁の右隣、仁の肩に触れるか触れないかというところに腰を下ろした。風呂上りなのか、玲奈から仄かな良い香りが漂い、仁は無意識のうちに大きく息を吸い込んだ。酸素と共に多幸感が仁の体中を駆け巡り、それと同時に心臓の高鳴りがどんどんと大きくなっていく。

 僅かな一時、仁も玲奈も口を開かず、胸の鼓動だけが部屋中に伝播していくような気がした。

「れ、玲奈ちゃん……!」
「ひゃい!」

 仁が意を決して声をかけると、玲奈はビクッと身をすくめる。その拍子に玲奈の剥き出しになった肩が仁の二の腕をかすめ、玲奈の声が裏返った。

「その。それで、話って?」
「あ、うん……」

 玲奈は俯いた顔を僅かに左に向け、仁の膝の辺りに視線を固定すると、火照った顔に真剣な表情を浮かべた。玲奈のまとう雰囲気が変わったのを感じ取り、仁は浮ついた心を鎮めようと深呼吸を繰り返す。再び良い香りが仁の鼻孔を刺激し、仁は緩みそうになる表情筋をグッと引き締めた。

「仁くん。ごめんね……」

 仁は何を謝られたのかわからず、斜め上から玲奈の横顔を見つめながら言葉の続きを待つ。

「仁くんが苦しんでるのに、私は自分のことばかりで……。元はと言えば私が仁くんをけしかけたようなものなのに……」

 小振りな唇をキュッと噛む玲奈に、仁は苦しげに表情を歪めた。

「玲奈ちゃん、それは違うよ。こんなことになったけど、俺はあの時の決断を後悔していないし、逃げ出そうとしていた俺を踏みとどまらせてくれた玲奈ちゃんには感謝しているんだ。自惚うぬぼれかもしれないけど、あのとき逃げ出していたら、今のメルニールはなかったかもしれない」

 当時バランが言っていたように、仁たちが街を出ていても帝国が止まることはなかっただろう。仁がいなくても街の冒険者たちは街を守るために必死に戦っただろうが、街の最大戦力であるA級冒険者パーティの“闇の超越者ダークネス・トランセンダー”が裏切っていた以上、とても守り切れたとは言い切れない。

 もし帝国軍がメルニールを落とすようなことにでもなっていれば、リリーやファム、キャロルたち非戦闘員も、ヴィクターやガロンたち冒険者も、メルニールを愛する全ての人々がどのような扱いを受けていたかわかったものではなかった。

 仁はそんな人たちを守れて良かったと心から思っている。例え、その命がけで守った人々の一部が悪意に満ちた噂に踊らされていたとしても、それは変わらない。もちろん、玲奈にまで悪意が向けられている今のメルニールの姿は決して歓迎されるものではないというのが仁としては複雑なところではあるが。

「だから玲奈ちゃんが謝るようなことじゃないよ」

 仁が口角を柔らかに持ち上げる。仁は玲奈の悩みが無くなってほしいと念じながら玲奈の横顔を見つめるが、玲奈の表情は晴れない。

「仁くんは優しいからいつもそう言ってくれるけど、それでも私は自分が許せない。私の想像力が足らないばっかりに、仁くんだけに辛い思いをさせちゃった。それに、仁くんの横に並びたいなんて分不相応な目標を掲げてる癖に、噂とかユミラさんのこととかもあって仁くんが苦しんでるときに、支えるどころか、一緒にいてあげることもしなかったなんて、自分が恥ずかしい……!」

 玲奈はそう言って奥歯を強く噛みしめ、顔を自身の膝よりも内側に向けた。強く閉じられた玲奈の瞼の隙間からしずくしたたる。

 仁は元の世界にいるときもこちらの世界に来てからも玲奈の存在が十分以上に支えになっていると考えているが、それを何度口で説明しても、玲奈の頑固さを突破することはできそうになかった。玲奈は手の甲で涙をぬぐい、顔を持ち上げて、すぐ横から仁を見つめた。

「私はもっと強くなりたい。精神的な強さはすぐには無理かもしれないけど、今後同じようなことがあったときに、仁くんと一緒に戦えるように、足手まといにならないように、いろいろなものを一緒に背負えるように、せめて戦う力だけでも、もっと、もっと強くなりたい。だから……!」

 そこで一旦言葉を切り、玲奈は上目遣いで仁を見上げた。涙でうるんだ瞳が輝く。玲奈の頬が朱に染まっていた。

「仁くん。今ここで、約束を果たしてほしいの……!」

 照れと必死さのない交ぜになった意志のこもった声が仁の全身を貫き、二人以外に誰もいない部屋の中に広がっていった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

田舎暮らしと思ったら、異世界暮らしだった。

けむし
ファンタジー
突然の異世界転移とともに魔法が使えるようになった青年の、ほぼ手に汗握らない物語。 日本と異世界を行き来する転移魔法、物を複製する魔法。 あらゆる魔法を使えるようになった主人公は異世界で、そして日本でチート能力を発揮・・・するの? ゆる~くのんびり進む物語です。読者の皆様ものんびりお付き合いください。 感想などお待ちしております。

ぐ~たら第三王子、牧場でスローライフ始めるってよ

雑木林
ファンタジー
 現代日本で草臥れたサラリーマンをやっていた俺は、過労死した後に何の脈絡もなく異世界転生を果たした。  第二の人生で新たに得た俺の身分は、とある王国の第三王子だ。  この世界では神様が人々に天職を授けると言われており、俺の父親である国王は【軍神】で、長男の第一王子が【剣聖】、それから次男の第二王子が【賢者】という天職を授かっている。  そんなエリートな王族の末席に加わった俺は、当然のように周囲から期待されていたが……しかし、俺が授かった天職は、なんと【牧場主】だった。  畜産業は人類の食文化を支える素晴らしいものだが、王族が従事する仕事としては相応しくない。  斯くして、父親に失望された俺は王城から追放され、辺境の片隅でひっそりとスローライフを始めることになる。

祝・定年退職!? 10歳からの異世界生活

空の雲
ファンタジー
中田 祐一郎(なかたゆういちろう)60歳。長年勤めた会社を退職。 最後の勤めを終え、通い慣れた電車で帰宅途中、突然の衝撃をうける。 ――気付けば、幼い子供の姿で見覚えのない森の中に…… どうすればいいのか困惑する中、冒険者バルトジャンと出会う。 顔はいかついが気のいいバルトジャンは、行き場のない子供――中田祐一郎(ユーチ)の保護を申し出る。 魔法や魔物の存在する、この世界の知識がないユーチは、迷いながらもその言葉に甘えることにした。 こうして始まったユーチの異世界生活は、愛用の腕時計から、なぜか地球の道具が取り出せたり、彼の使う魔法が他人とちょっと違っていたりと、出会った人たちを驚かせつつ、ゆっくり動き出す―― ※2月25日、書籍部分がレンタルになりました。

平凡冒険者のスローライフ

上田なごむ
ファンタジー
26歳独身動物好きの主人公大和希は、神様によって魔物・魔法・獣人等ファンタジーな世界観の異世界に転移させられる。 平凡な能力値、野望など抱いていない彼は、冒険者としてスローライフを目標に日々を過ごしていく。 果たして、彼を待ち受ける出会いや試練は如何なるものか…… ファンタジー世界に向き合う、平凡な冒険者の物語。

若返ったおっさん、第2の人生は異世界無双

たまゆら
ファンタジー
事故で死んだネトゲ廃人のおっさん主人公が、ネトゲと酷似した異世界に転移。 ゲームの知識を活かして成り上がります。 圧倒的効率で金を稼ぎ、レベルを上げ、無双します。

オンラインゲームしてたらいつの間にやら勇者になってました(笑)

こばやん2号
ファンタジー
どこにでもいそうなごくごく平凡な男「小橋 大和(こばし やまと)」が 唯一の趣味と言っていいバーチャルオンラインゲームをプレイしている最中に 突然別の世界に飛ばされてしまう いきなりのことに戸惑う男だったが 異世界転生ものの小説やマンガ・アニメの知識と やりこんできたRPGゲームの経験を活かし その世界で奮闘する大和と その世界で出会った仲間たちとともに 冒険をしていくうちに 気付けば【勇者】として崇められ 魔王討伐に向かわなければならない始末 そんな大和の活躍を描いた ちょっぴり楽しくちょっぴりエッチでちょっぴり愉快な 異世界冒険活劇である

キャンピングカーで往く異世界徒然紀行

タジリユウ
ファンタジー
《第4回次世代ファンタジーカップ 面白スキル賞》 【書籍化!】 コツコツとお金を貯めて念願のキャンピングカーを手に入れた主人公。 早速キャンピングカーで初めてのキャンプをしたのだが、次の日目が覚めるとそこは異世界であった。 そしていつの間にかキャンピングカーにはナビゲーション機能、自動修復機能、燃料補給機能など様々な機能を拡張できるようになっていた。 道中で出会ったもふもふの魔物やちょっと残念なエルフを仲間に加えて、キャンピングカーで異世界をのんびりと旅したいのだが… ※旧題)チートなキャンピングカーで旅する異世界徒然紀行〜もふもふと愉快な仲間を添えて〜 ※カクヨム様でも投稿をしております

転生したら脳筋魔法使い男爵の子供だった。見渡す限り荒野の領地でスローライフを目指します。

克全
ファンタジー
「第3回次世代ファンタジーカップ」参加作。面白いと感じましたらお気に入り登録と感想をくださると作者の励みになります! 辺境も辺境、水一滴手に入れるのも大変なマクネイア男爵家生まれた待望の男子には、誰にも言えない秘密があった。それは前世の記憶がある事だった。姉四人に続いてようやく生まれた嫡男フェルディナンドは、この世界の常識だった『魔法の才能は遺伝しない』を覆す存在だった。だが、五〇年戦争で大活躍したマクネイア男爵インマヌエルは、敵対していた旧教徒から怨敵扱いされ、味方だった新教徒達からも畏れられ、炎竜が砂漠にしてしまったと言う伝説がある地に押し込められたいた。そんな父親達を救うべく、前世の知識と魔法を駆使するのだった。

処理中です...