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第十一章
11-13.約束
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その夜、就寝の準備を終えた仁が自身の部屋のベッドに仰向けに寝そべってこれからのことを考えていると、ドアを控えめにノックする音が聞こえた。仁は「誰だろう?」と首を傾げながら体を起こし、照明の魔道具を起動して部屋に明かりを灯す。
「仁くん、夜遅くにごめんね。起こしちゃった?」
仁が入室の許可を出すと、静かに開けられたドアの隙間から、申し訳なさそうな玲奈の顔が覗いた。
「ううん。大丈夫。まだ起きてたよ」
仁がベッドの縁に腰掛けて答えると、玲奈はホッと小さく息を吐き、緊張した様子で部屋の中に体を滑り込ませた。仄明るい柔らかな黄色の光に照らされて露わになった玲奈の姿に、仁はハッと息を呑んだ。玲奈は見覚えのある薄ピンクのネグリジェを身に着けていた。
「玲奈ちゃん、どうしたの?」
仁は胸をドキドキさせながらも、それを悟られないように平常心を装い、「そんな恰好で」という口から出かかった余計な言葉を何とか呑み込む。
今、玲奈が着ているネグリジェはこちらの世界に召喚された際にルーナリアが玲奈のために用意したものだ。帝都から逃げ出す際に仁がアイテムリングに収納したものを、この屋敷を手に入れたときに私物として玲奈に渡していたのだが、仁はこうして再び玲奈が着ている姿を見られる日が来るとは思っていなかった。
「あの。ちょっとお話ししたいことがあって……」
玲奈はワンピースタイプのネグリジェの裾を両手で掴みながら、紅潮した顔でキョロキョロと部屋を見回し、仁の隣で目を止める。
「と、隣、いいかな……?」
「え、あ、うん」
仁が意味もなく僅かに腰を上げ、少しだけ横にずれる。
「じゃ、じゃあ、失礼します……」
仁がチラチラと視線を送る中、玲奈はどこかぎこちない足取りで10畳ほどの部屋の端に置かれたベッドに歩み寄り、仁の右隣、仁の肩に触れるか触れないかというところに腰を下ろした。風呂上りなのか、玲奈から仄かな良い香りが漂い、仁は無意識のうちに大きく息を吸い込んだ。酸素と共に多幸感が仁の体中を駆け巡り、それと同時に心臓の高鳴りがどんどんと大きくなっていく。
僅かな一時、仁も玲奈も口を開かず、胸の鼓動だけが部屋中に伝播していくような気がした。
「れ、玲奈ちゃん……!」
「ひゃい!」
仁が意を決して声をかけると、玲奈はビクッと身を竦める。その拍子に玲奈の剥き出しになった肩が仁の二の腕を掠め、玲奈の声が裏返った。
「その。それで、話って?」
「あ、うん……」
玲奈は俯いた顔を僅かに左に向け、仁の膝の辺りに視線を固定すると、火照った顔に真剣な表情を浮かべた。玲奈の纏う雰囲気が変わったのを感じ取り、仁は浮ついた心を鎮めようと深呼吸を繰り返す。再び良い香りが仁の鼻孔を刺激し、仁は緩みそうになる表情筋をグッと引き締めた。
「仁くん。ごめんね……」
仁は何を謝られたのかわからず、斜め上から玲奈の横顔を見つめながら言葉の続きを待つ。
「仁くんが苦しんでるのに、私は自分のことばかりで……。元はと言えば私が仁くんをけしかけたようなものなのに……」
小振りな唇をキュッと噛む玲奈に、仁は苦しげに表情を歪めた。
「玲奈ちゃん、それは違うよ。こんなことになったけど、俺はあの時の決断を後悔していないし、逃げ出そうとしていた俺を踏みとどまらせてくれた玲奈ちゃんには感謝しているんだ。自惚れかもしれないけど、あのとき逃げ出していたら、今のメルニールはなかったかもしれない」
当時バランが言っていたように、仁たちが街を出ていても帝国が止まることはなかっただろう。仁がいなくても街の冒険者たちは街を守るために必死に戦っただろうが、街の最大戦力であるA級冒険者パーティの“闇の超越者”が裏切っていた以上、とても守り切れたとは言い切れない。
もし帝国軍がメルニールを落とすようなことにでもなっていれば、リリーやファム、キャロルたち非戦闘員も、ヴィクターやガロンたち冒険者も、メルニールを愛する全ての人々がどのような扱いを受けていたかわかったものではなかった。
仁はそんな人たちを守れて良かったと心から思っている。例え、その命がけで守った人々の一部が悪意に満ちた噂に踊らされていたとしても、それは変わらない。もちろん、玲奈にまで悪意が向けられている今のメルニールの姿は決して歓迎されるものではないというのが仁としては複雑なところではあるが。
「だから玲奈ちゃんが謝るようなことじゃないよ」
仁が口角を柔らかに持ち上げる。仁は玲奈の悩みが無くなってほしいと念じながら玲奈の横顔を見つめるが、玲奈の表情は晴れない。
「仁くんは優しいからいつもそう言ってくれるけど、それでも私は自分が許せない。私の想像力が足らないばっかりに、仁くんだけに辛い思いをさせちゃった。それに、仁くんの横に並びたいなんて分不相応な目標を掲げてる癖に、噂とかユミラさんのこととかもあって仁くんが苦しんでるときに、支えるどころか、一緒にいてあげることもしなかったなんて、自分が恥ずかしい……!」
玲奈はそう言って奥歯を強く噛みしめ、顔を自身の膝よりも内側に向けた。強く閉じられた玲奈の瞼の隙間から雫が滴る。
仁は元の世界にいるときもこちらの世界に来てからも玲奈の存在が十分以上に支えになっていると考えているが、それを何度口で説明しても、玲奈の頑固さを突破することはできそうになかった。玲奈は手の甲で涙を拭い、顔を持ち上げて、すぐ横から仁を見つめた。
「私はもっと強くなりたい。精神的な強さはすぐには無理かもしれないけど、今後同じようなことがあったときに、仁くんと一緒に戦えるように、足手まといにならないように、いろいろなものを一緒に背負えるように、せめて戦う力だけでも、もっと、もっと強くなりたい。だから……!」
そこで一旦言葉を切り、玲奈は上目遣いで仁を見上げた。涙で潤んだ瞳が輝く。玲奈の頬が朱に染まっていた。
「仁くん。今ここで、約束を果たしてほしいの……!」
照れと必死さのない交ぜになった意志の籠った声が仁の全身を貫き、二人以外に誰もいない部屋の中に広がっていった。
「仁くん、夜遅くにごめんね。起こしちゃった?」
仁が入室の許可を出すと、静かに開けられたドアの隙間から、申し訳なさそうな玲奈の顔が覗いた。
「ううん。大丈夫。まだ起きてたよ」
仁がベッドの縁に腰掛けて答えると、玲奈はホッと小さく息を吐き、緊張した様子で部屋の中に体を滑り込ませた。仄明るい柔らかな黄色の光に照らされて露わになった玲奈の姿に、仁はハッと息を呑んだ。玲奈は見覚えのある薄ピンクのネグリジェを身に着けていた。
「玲奈ちゃん、どうしたの?」
仁は胸をドキドキさせながらも、それを悟られないように平常心を装い、「そんな恰好で」という口から出かかった余計な言葉を何とか呑み込む。
今、玲奈が着ているネグリジェはこちらの世界に召喚された際にルーナリアが玲奈のために用意したものだ。帝都から逃げ出す際に仁がアイテムリングに収納したものを、この屋敷を手に入れたときに私物として玲奈に渡していたのだが、仁はこうして再び玲奈が着ている姿を見られる日が来るとは思っていなかった。
「あの。ちょっとお話ししたいことがあって……」
玲奈はワンピースタイプのネグリジェの裾を両手で掴みながら、紅潮した顔でキョロキョロと部屋を見回し、仁の隣で目を止める。
「と、隣、いいかな……?」
「え、あ、うん」
仁が意味もなく僅かに腰を上げ、少しだけ横にずれる。
「じゃ、じゃあ、失礼します……」
仁がチラチラと視線を送る中、玲奈はどこかぎこちない足取りで10畳ほどの部屋の端に置かれたベッドに歩み寄り、仁の右隣、仁の肩に触れるか触れないかというところに腰を下ろした。風呂上りなのか、玲奈から仄かな良い香りが漂い、仁は無意識のうちに大きく息を吸い込んだ。酸素と共に多幸感が仁の体中を駆け巡り、それと同時に心臓の高鳴りがどんどんと大きくなっていく。
僅かな一時、仁も玲奈も口を開かず、胸の鼓動だけが部屋中に伝播していくような気がした。
「れ、玲奈ちゃん……!」
「ひゃい!」
仁が意を決して声をかけると、玲奈はビクッと身を竦める。その拍子に玲奈の剥き出しになった肩が仁の二の腕を掠め、玲奈の声が裏返った。
「その。それで、話って?」
「あ、うん……」
玲奈は俯いた顔を僅かに左に向け、仁の膝の辺りに視線を固定すると、火照った顔に真剣な表情を浮かべた。玲奈の纏う雰囲気が変わったのを感じ取り、仁は浮ついた心を鎮めようと深呼吸を繰り返す。再び良い香りが仁の鼻孔を刺激し、仁は緩みそうになる表情筋をグッと引き締めた。
「仁くん。ごめんね……」
仁は何を謝られたのかわからず、斜め上から玲奈の横顔を見つめながら言葉の続きを待つ。
「仁くんが苦しんでるのに、私は自分のことばかりで……。元はと言えば私が仁くんをけしかけたようなものなのに……」
小振りな唇をキュッと噛む玲奈に、仁は苦しげに表情を歪めた。
「玲奈ちゃん、それは違うよ。こんなことになったけど、俺はあの時の決断を後悔していないし、逃げ出そうとしていた俺を踏みとどまらせてくれた玲奈ちゃんには感謝しているんだ。自惚れかもしれないけど、あのとき逃げ出していたら、今のメルニールはなかったかもしれない」
当時バランが言っていたように、仁たちが街を出ていても帝国が止まることはなかっただろう。仁がいなくても街の冒険者たちは街を守るために必死に戦っただろうが、街の最大戦力であるA級冒険者パーティの“闇の超越者”が裏切っていた以上、とても守り切れたとは言い切れない。
もし帝国軍がメルニールを落とすようなことにでもなっていれば、リリーやファム、キャロルたち非戦闘員も、ヴィクターやガロンたち冒険者も、メルニールを愛する全ての人々がどのような扱いを受けていたかわかったものではなかった。
仁はそんな人たちを守れて良かったと心から思っている。例え、その命がけで守った人々の一部が悪意に満ちた噂に踊らされていたとしても、それは変わらない。もちろん、玲奈にまで悪意が向けられている今のメルニールの姿は決して歓迎されるものではないというのが仁としては複雑なところではあるが。
「だから玲奈ちゃんが謝るようなことじゃないよ」
仁が口角を柔らかに持ち上げる。仁は玲奈の悩みが無くなってほしいと念じながら玲奈の横顔を見つめるが、玲奈の表情は晴れない。
「仁くんは優しいからいつもそう言ってくれるけど、それでも私は自分が許せない。私の想像力が足らないばっかりに、仁くんだけに辛い思いをさせちゃった。それに、仁くんの横に並びたいなんて分不相応な目標を掲げてる癖に、噂とかユミラさんのこととかもあって仁くんが苦しんでるときに、支えるどころか、一緒にいてあげることもしなかったなんて、自分が恥ずかしい……!」
玲奈はそう言って奥歯を強く噛みしめ、顔を自身の膝よりも内側に向けた。強く閉じられた玲奈の瞼の隙間から雫が滴る。
仁は元の世界にいるときもこちらの世界に来てからも玲奈の存在が十分以上に支えになっていると考えているが、それを何度口で説明しても、玲奈の頑固さを突破することはできそうになかった。玲奈は手の甲で涙を拭い、顔を持ち上げて、すぐ横から仁を見つめた。
「私はもっと強くなりたい。精神的な強さはすぐには無理かもしれないけど、今後同じようなことがあったときに、仁くんと一緒に戦えるように、足手まといにならないように、いろいろなものを一緒に背負えるように、せめて戦う力だけでも、もっと、もっと強くなりたい。だから……!」
そこで一旦言葉を切り、玲奈は上目遣いで仁を見上げた。涙で潤んだ瞳が輝く。玲奈の頬が朱に染まっていた。
「仁くん。今ここで、約束を果たしてほしいの……!」
照れと必死さのない交ぜになった意志の籠った声が仁の全身を貫き、二人以外に誰もいない部屋の中に広がっていった。
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