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第十章

10-20.暗躍

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 メルニールのダンジョンから殺人蟻キラーアントが溢れ出てきた日の翌朝、冒険者ギルドと探索者ギルドの長の連名で一応の終息宣言が出された。街中が松明たいまつや篝火、光魔法や照明の魔道具などで照らされ、夜通し行われた魔物の捜索と駆除の結果、もう大丈夫だろうと判断されてのことだった。

 夜を徹して働き、総じてぐったりとした様子の冒険者たちの中には仁を除く戦乙女の翼ヴァルキリーウイングの面々に加えて新参であるアシュレイやイムの姿も見られ、他の冒険者や探索者たちと達成感を共有していた。

 珍しい種族であるアシュレイや、子供とはいえドラゴンであるイムも、同じ街の危機を戦い抜いた同士として受け入れられていた。特にイムは魔物ならではの優れた察知能力で隠れた殺人蟻キラーアントの発見に一役買った上に、小さな聖女として可愛がられているミルとのコンビが人々の目に微笑ましく映ったようで、拒絶されるようなことはなかった。

 ここが帝都であればまた違ったかもしれないが、メルニールで暮らす人々の中にドラゴンの直接的な脅威を目の当たりにした人が少ないことも幸いし、イムも勇者の仲間の一員として認められたのだった。



 柔らかな朝の陽ざしがメルニールを優しく包み込む中、幾人かの冒険者たちと一緒にホッと息を吐くミルやイムたちに、崩れた石造りの家の陰から黒い視線が注がれていた。長く伸びたブラウンの前髪の隙間から覗く光沢のない目が見開かれる。

「なんでこんなところにドラゴンが……」

 暗く小さな女の呟きは、誰に聞かれることなく黒い影の中に消えていく。楽しげに笑うミルたちから目を離した女は散乱する瓦礫を見つめながら、何か思い付いたように妖しい笑みを浮かべたのだった。



「そういえば、ここに来る前にドラゴンを見かけたのですが、その、大丈夫なのですか?」

 窓からの光が届かない部屋の奥のベッドに仰向けになった女が、丸めた肩を両手で抱いた。

「ん? あぁ、俺は話に聞いただけだが、小さな聖女様に飼われてるって子竜か?」
「わ、私、すぐにでも暴れ出すんじゃないかって怖くて怖くて……」
「なんだ、あんた。見ない顔だと思ったが、もしかして帝都から逃げてきた口か?」

 ぶるぶると震える女を、ベッドの横から冒険者風の髭面の男が見下ろす。男は女のざっくりと露出した太ももの付け根に目を遣り、生唾を飲み込むと、ベッドに上がり込み、女に覆い被さった。ベッドがギシッと軋む。

「え、ええ。なぜドラゴンが帝都を襲ったか、未だわからないと言いますし、この街にいるドラゴンが何か関係してるんじゃないかって……。ドラゴンを連れている獣人の女の子は魔王の仲間だという話ですし……」
「魔王ねぇ……」

 低級の冒険者である男は仁の戦う姿を直接見たことがないため、仁の実力も聞きかじったものでしかなく、普段街で見かける印象から、仁が魔王と言われてもどこかしっくりこなかった。

「まぁ、帝都でドラゴン退治したやつらがドラゴンを連れてるってのも、奇妙な話といえば奇妙な話だが……」

 男の視線が、女の胸元に吸い寄せられる。ゆったりとした襟元から覗く白い双丘が女の両腕に押さえつけられ、白い谷間が強調されていた。男は再度生唾を大きな音を立てて飲み込み、ごつごつした手で女の白い太ももを撫で回しながら、女の耳元に、にやけた口を近づける。

「まっ、心配すんな。あんたは俺が守ってやるよ」

 男の舌が女の耳の穴をゆっくりと舐め上げ、女の唇の間から小さな嬌声が零れ落ちる。女は肩を抱いていた両手を解き、男の背に回した。



「ほ、本当にいいんですか?」
「ええ。街の復興に励んでいる君を見ていたら、なんだかエッチな気分になってしまったの。だから、ねっ?」

 若者はそわそわしながらも、優しく微笑みながら白い腕を絡めてくる女性のざっくりと開いた胸元に、視線が釘付けになっていた。

「あ、あなたみたいな方が……」
「ごめんなさいね。本当はもっと身だしなみを整えたいのだけど……」
「そ、そんなこと! 僕なんかには勿体ないくらい、お、お綺麗です!」
「そう? ふふっ。ありがとう」

 蠱惑的な表情で見上げる女性に導かれるまま、若者は瓦礫の散乱した暗い路地に足を進める。若者の心臓が飛び出るくらいバクバクと高鳴っていた。

「この辺りでいいかしら……」

 石造りの家と家に挟まれた暗がりで、女性は若者の腕から手を離し、壁を背にして若者と正面から向き合った。路地には日の光は直接届かないが、全く見えないというほどではなく、若者は女性の胸の谷間にチラチラ視線を送りながらも、不安げにきょろきょろと辺りを見回す。

「大丈夫。この辺りには誰もいないわ」
「で、でも、みんなまだ働いているのに……」
「もうっ。ここまで来ておいて、そんなこと言わないで」

 女性は戸惑う若者の腕を掴んで引き寄せると、自身の胸に押し当てた。薄布1枚に隠された柔らかな丘がぐにゃりと形を変えた。

「わっ、わわっ!」
「どう?」
「ど、どうって……」

 若者をからかうように、女性がクスッと小さく笑う。女性が「揉んでいいのよ?」と口にすると、まだ幼さの残る若者の頬に朱が差した。

「ねっ。私が誰にでもこんなことする痴女だって思う?」
「そ、そんなことは……!」

 若者がカラカラに乾いた喉から必死に声を絞り出した拍子に、女性の胸に押し当てられたまま緊張でガチガチになった手に力が籠る。

「あんっ」
「ご、ごめんなさい!」

 女性のてらてらと艶めかしく光る唇の隙間から、甘い声が零れた。慌てて引き抜こうとする若者の手を、女性は強く引き寄せる。

「大丈夫」

 女性はニッコリと微笑み、かかとを上げると、唾液で濡れた唇を若者の乾いた唇に押し当てた。数秒後、離れた二人の間に透明の糸が生まれ、重量に引かれて落ちていく。

「本当はね、冒険者の人って、少しだけ怖かったの」

 時が止まったかのように背筋を伸ばしたまま硬直している若者を、女性の潤んだ瞳が見つめる。

「私ね、今日、何匹もの魔物に囲まれたところを、ある冒険者に助けられたの。そのときね……」

 女性が僅かに目を伏せ、若者の脳が再起動を果たす。助けられたと言いながら冒険者を怖いと話す女性に、若者は僅かに首を傾げた。

「その黒い鎧の冒険者は離れたところから黒い雷のような魔法で、あっという間に魔物を一掃した後、見返りを寄越せって、私を無理やり……」
「……え? 黒い鎧に黒い雷……。無理やり? まさか……」
「だから、お願い……。嫌な記憶を君に消し去ってほしいの……。ねえ。こんな汚れた女、君は、嫌?」

 上目遣いに涙で潤んだ瞳で見上げる女性を、若者が空いた片手で抱き寄せる。女性は若者の胸に抱かれながら、口角を吊り上げた。色を失くした瞳に憎悪の炎が燃え上がるのに、若者は気付かない。

 日がようやく傾きかけたメルニールの街外れの路地裏に、女の妖しい嬌声が響き渡った。
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