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第十章
10-18.門前
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時は数日遡る。仁がリリーの両親を救うべく動き出した頃、ロゼッタ、アシュレイと共にマークソン商会の商隊の元に残ったミルは不安そうな視線を門の前に集まる群衆に向けていた。パッと見た限りでは怪我をしている人の姿は見つけられなかったが、何か良くないことが起こっているのは幼いミルの目にも明らかだった。
突然、ぽつぽつと降り出した雨に濡れた頭の頂上をポンポンと叩かれたミルが上目遣いで見上げると、真剣な目をしたアシュレイと目が合った。
「焦っても仕方がない。今は任された護衛の任務をしっかりと果たしながら、ジンたちの報告を待とう」
ミルは小さく頷き、いつの間にか街の様子にだけ向いていた注意を商隊の周囲に向けるが、赤紫の瞳は不安げに揺れていた。
「グルゥ……」
そんなミルの姿に、馬車の中に残されたイムが側面の小窓から顔を出して心配そうな鳴き声を上げた。
「イ、イム様!」
ミルの隣で街の様子を窺っていたロゼッタが慌ててイムの姿を周囲から隠すように立ち塞がる。ミルの姿が見えなくなったイムが抗議するように鳴き、ロゼッタはビクッと身を竦めるが、イムの姿を群集に晒して更なる混乱を招くわけにはいかなかった。
「ミルちゃん! ロゼ! アシュレイさん!」
名を呼ばれた3人の視線が、人波を掻き分けてまっすぐ向かってくる玲奈を捉える。すぐ後ろにはリリーとマルコが続いていたが、一緒に門に向かったはずの仁の姿は見当たらなかった。
「レナお姉ちゃん。ジンお兄ちゃんは?」
「仁くんは――」
ミルは人の海の中へ消えていく玲奈とアシュレイの背中を見つめ、小さな拳に力を込める。必要とされなかったわけではないのも、足手まといだと思われたわけではないのはわかっていても、大好きな人たちと一緒に戦えないのは悲しく、寂しい。
「グルゥ?」
イムが馬車の小窓から体を乗り出し、ロゼッタの背の横に長い首を回して気遣わしげに鳴いた。ロゼッタが振り返り、慌てた様子で辺りを見回すが、イムに注意を向けている人はおらず、ホッと大きく息を吐いた。
「ミルちゃん、ロゼさん。わたしたちのせいでジンさんたちと一緒にいられなくて、ごめんね」
暗い顔で申し訳なさそうに言うリリーに、ミルはふるふると首を横に振る。
「ジンお兄ちゃんはミルを信じてお役目をくれたの。だから、ミルは頑張るの」
ミルはニッコリと笑みを浮かべる。玲奈の話では、ミルが仁に任されたのはリリーたち、商隊の護衛だが、街から少し離れたところにいるマークソン商会の面々に危害が及ぶ可能性は低いように思えた。であるならば、ミルがやるべきことは回復魔法による怪我人の治療が主なものとなるのではないか。
そう考えたミルがメルニールの門から溢れ出てきている人々に目を向けていると、門の辺りから一際大きな悲鳴が上がった。ざわめきが波紋のように街の外側に向かって広がっていく。
「何かあったのでしょうか……」
ロゼッタが呟く。ミルは群衆から目を離し、眉間に皺を寄せて騒ぎの中心を見据えるロゼッタの横顔を見上げてから、リリーに視線を移した。
「リリーお姉ちゃん。イムちゃんをお願いなの!」
「う、うん。任せて!」
「ロゼお姉ちゃん。一緒に来てほしいの!」
「はい。お供します!」
ミルが門に向かって駆け出し、ロゼッタがすぐ後を追う。ミルは蜘蛛の子を散らすように無秩序に逃げ惑う人々の中を縫うようにすり抜けていくが、ロゼッタはそうもいかず、声を張り上げる。
「皆さん、道を開けてください!」
ロゼッタの叫びは人々の喧騒に打ち消され、ロゼッタとミルの距離が開いていく。
「ミル様、先に行ってください! すぐ追いつきます!」
「わかったの!」
ミルは振り返ることなく答えると、足を速めた。人と人の間をギリギリで跳び抜け、体を屈めて人の股の間を潜り、誰にぶつかることなく人の波を渡り切る。遮るもののなくなったミルの視界に、地面に倒れて足を押さえている人と、怪我で動けない人を守るように立ち塞がった門番の姿が飛びこんできた。門番の二人はそれぞれ手にした剣で一匹の殺人蟻を抑え込んでいるが、その向こうに何匹もの魔物の姿が見える。ミルは正面を見据え、左右の手で腰の後ろの鞘から形見の魔剣と赤い光沢を放つ短剣を抜き放ち、逆手に構えた。
「やあっ!」
ミルはそのままの勢いで門番二人の間を駆け抜け、すれ違いざまに両手の短剣で殺人蟻の頸部を切り裂く。一方から即座に緑の体液が噴き出して雨に濡れた地面を溶かし、もう一方からも少し遅れて毒々しい体液が滲み出した。
「うわっ!」
緑の体液が降りかかりそうになった門番が飛び退く。2匹の殺人蟻が力なく地に倒れ、もう一人の門番の青年が尻餅をついた。
「門番さん。怪我した人を安全なところに連れて行って欲しいの!」
門の前に陣取ったミルが吼える。ミルの目の前では扇状に広がった4匹の殺人蟻が威嚇するようにギチギチと顎を鳴らしている。
「で、でも、一人では――あ、危ない!」
門の陰から黒い影が飛び出した。ミルは相対する4匹に顔を向けたまま動かない。その後に訪れるであろう凄惨な場面を想像して思わず目を閉じた二人の門番の耳に、何か鋭いものが風を切る音が届く。門番が恐る恐る目を開くと、ミルの横で殺人蟻が串刺しになっていた。赤い槍に貫かれた殺人蟻がピクピクと痙攣した後、すぐに動きを止めた。
「ここはミル様と自分にお任せください」
白い髪を靡かせながら門番の横を颯爽と駆け抜けたロゼッタが、火竜爪の槍を引き抜く。緑の体液が吹き出し、湿った地面がじゅうじゅうと煙を上げた。
「ミル様、遅れて申し訳ありません」
「ロゼお姉ちゃん、ありがとう。助かったの!」
ロゼッタがミルの横に並び、槍を殺人蟻たちに向ける。ニッコリと笑みを浮かべたミルの右手の血喰らいの魔剣が赤く薄い刃を生み出した。
その頃になって、ようやく門番の青年たちはすぐ後ろで蹲っている怪我人に手を貸し、門から離れ始める。
「ではミル様、参りましょうか」
後方に遠ざかる気配を察知し、腰を落として臨戦態勢を取っているロゼッタに、ミルが頷く。相変わらず顎を打ち鳴らしている殺人蟻たちの黒い甲殻が、冷たい雨に濡れ、てらてらと輝いていた。
突然、ぽつぽつと降り出した雨に濡れた頭の頂上をポンポンと叩かれたミルが上目遣いで見上げると、真剣な目をしたアシュレイと目が合った。
「焦っても仕方がない。今は任された護衛の任務をしっかりと果たしながら、ジンたちの報告を待とう」
ミルは小さく頷き、いつの間にか街の様子にだけ向いていた注意を商隊の周囲に向けるが、赤紫の瞳は不安げに揺れていた。
「グルゥ……」
そんなミルの姿に、馬車の中に残されたイムが側面の小窓から顔を出して心配そうな鳴き声を上げた。
「イ、イム様!」
ミルの隣で街の様子を窺っていたロゼッタが慌ててイムの姿を周囲から隠すように立ち塞がる。ミルの姿が見えなくなったイムが抗議するように鳴き、ロゼッタはビクッと身を竦めるが、イムの姿を群集に晒して更なる混乱を招くわけにはいかなかった。
「ミルちゃん! ロゼ! アシュレイさん!」
名を呼ばれた3人の視線が、人波を掻き分けてまっすぐ向かってくる玲奈を捉える。すぐ後ろにはリリーとマルコが続いていたが、一緒に門に向かったはずの仁の姿は見当たらなかった。
「レナお姉ちゃん。ジンお兄ちゃんは?」
「仁くんは――」
ミルは人の海の中へ消えていく玲奈とアシュレイの背中を見つめ、小さな拳に力を込める。必要とされなかったわけではないのも、足手まといだと思われたわけではないのはわかっていても、大好きな人たちと一緒に戦えないのは悲しく、寂しい。
「グルゥ?」
イムが馬車の小窓から体を乗り出し、ロゼッタの背の横に長い首を回して気遣わしげに鳴いた。ロゼッタが振り返り、慌てた様子で辺りを見回すが、イムに注意を向けている人はおらず、ホッと大きく息を吐いた。
「ミルちゃん、ロゼさん。わたしたちのせいでジンさんたちと一緒にいられなくて、ごめんね」
暗い顔で申し訳なさそうに言うリリーに、ミルはふるふると首を横に振る。
「ジンお兄ちゃんはミルを信じてお役目をくれたの。だから、ミルは頑張るの」
ミルはニッコリと笑みを浮かべる。玲奈の話では、ミルが仁に任されたのはリリーたち、商隊の護衛だが、街から少し離れたところにいるマークソン商会の面々に危害が及ぶ可能性は低いように思えた。であるならば、ミルがやるべきことは回復魔法による怪我人の治療が主なものとなるのではないか。
そう考えたミルがメルニールの門から溢れ出てきている人々に目を向けていると、門の辺りから一際大きな悲鳴が上がった。ざわめきが波紋のように街の外側に向かって広がっていく。
「何かあったのでしょうか……」
ロゼッタが呟く。ミルは群衆から目を離し、眉間に皺を寄せて騒ぎの中心を見据えるロゼッタの横顔を見上げてから、リリーに視線を移した。
「リリーお姉ちゃん。イムちゃんをお願いなの!」
「う、うん。任せて!」
「ロゼお姉ちゃん。一緒に来てほしいの!」
「はい。お供します!」
ミルが門に向かって駆け出し、ロゼッタがすぐ後を追う。ミルは蜘蛛の子を散らすように無秩序に逃げ惑う人々の中を縫うようにすり抜けていくが、ロゼッタはそうもいかず、声を張り上げる。
「皆さん、道を開けてください!」
ロゼッタの叫びは人々の喧騒に打ち消され、ロゼッタとミルの距離が開いていく。
「ミル様、先に行ってください! すぐ追いつきます!」
「わかったの!」
ミルは振り返ることなく答えると、足を速めた。人と人の間をギリギリで跳び抜け、体を屈めて人の股の間を潜り、誰にぶつかることなく人の波を渡り切る。遮るもののなくなったミルの視界に、地面に倒れて足を押さえている人と、怪我で動けない人を守るように立ち塞がった門番の姿が飛びこんできた。門番の二人はそれぞれ手にした剣で一匹の殺人蟻を抑え込んでいるが、その向こうに何匹もの魔物の姿が見える。ミルは正面を見据え、左右の手で腰の後ろの鞘から形見の魔剣と赤い光沢を放つ短剣を抜き放ち、逆手に構えた。
「やあっ!」
ミルはそのままの勢いで門番二人の間を駆け抜け、すれ違いざまに両手の短剣で殺人蟻の頸部を切り裂く。一方から即座に緑の体液が噴き出して雨に濡れた地面を溶かし、もう一方からも少し遅れて毒々しい体液が滲み出した。
「うわっ!」
緑の体液が降りかかりそうになった門番が飛び退く。2匹の殺人蟻が力なく地に倒れ、もう一人の門番の青年が尻餅をついた。
「門番さん。怪我した人を安全なところに連れて行って欲しいの!」
門の前に陣取ったミルが吼える。ミルの目の前では扇状に広がった4匹の殺人蟻が威嚇するようにギチギチと顎を鳴らしている。
「で、でも、一人では――あ、危ない!」
門の陰から黒い影が飛び出した。ミルは相対する4匹に顔を向けたまま動かない。その後に訪れるであろう凄惨な場面を想像して思わず目を閉じた二人の門番の耳に、何か鋭いものが風を切る音が届く。門番が恐る恐る目を開くと、ミルの横で殺人蟻が串刺しになっていた。赤い槍に貫かれた殺人蟻がピクピクと痙攣した後、すぐに動きを止めた。
「ここはミル様と自分にお任せください」
白い髪を靡かせながら門番の横を颯爽と駆け抜けたロゼッタが、火竜爪の槍を引き抜く。緑の体液が吹き出し、湿った地面がじゅうじゅうと煙を上げた。
「ミル様、遅れて申し訳ありません」
「ロゼお姉ちゃん、ありがとう。助かったの!」
ロゼッタがミルの横に並び、槍を殺人蟻たちに向ける。ニッコリと笑みを浮かべたミルの右手の血喰らいの魔剣が赤く薄い刃を生み出した。
その頃になって、ようやく門番の青年たちはすぐ後ろで蹲っている怪我人に手を貸し、門から離れ始める。
「ではミル様、参りましょうか」
後方に遠ざかる気配を察知し、腰を落として臨戦態勢を取っているロゼッタに、ミルが頷く。相変わらず顎を打ち鳴らしている殺人蟻たちの黒い甲殻が、冷たい雨に濡れ、てらてらと輝いていた。
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