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第十章

10-6.故郷

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 数日後、マークソン商会の商隊はガザムの街の近くまで来ていた。仁と玲奈が初めてリリーたちと出会ったときは倒した合成獣キメラを保管するためにガザムの街に立ち寄ったが、今回は寄り道することなくメルニールに向かう予定だった。猪豚人間オークが討たれ、ドラゴンが戻ったことで魔の森の秩序が戻ろうとしているのか、街道まで魔物が現れることはなく、至って順調な道のりだった。

 仁個人に関して言えば、リリーが子作りを迫って来たり、ミルが弟か妹が欲しいと仁に強請ねだって来たりと、心の平静を保ちづらい旅だったが、それでも今の仁にとって故郷と言えるメルニールが近付くにつれ、心が軽くなっていくのを感じていた。

 メルニールと帝国の間で平和条約が結ばれた今、メルニールが再び戦火に巻き込まれるとは考えにくく、仁はガロンたちのダンジョン攻略に手を貸しながらルーナリアが送還方法を見つけてくれるのを待つ生活を思い描く。

 クリスティーナの思惑は不明のままだが、ダンジョン攻略で再び観測者と名乗るラストルの姿をした者に出会うことができれば、何か分かるかもしれないと仁は僅かな期待を持っていた。観測者は仁が最下層を目指すことになる状況を望んでいないような口ぶりだったが、ダンジョンの異常を放置することはメルニールにとって致命的な問題に発展するかもしれない重大な事案のため、それに手を貸すことに躊躇ためらいはなかった。

 もっとも、クリスティーナが仁に何を望んでいたとしても、玲奈を元の世界に帰すことが最優先であることに変わりはない。一緒に召喚されてきたことから考えれば玲奈だけを帰すことはできないかもしれないが、仮に可能だとしたら、仁は自身がどうするべきか即断できなくなっている自分に気付いたのだった。それくらいには仁の中のクリスティーナの存在は小さなものではなかった。

「ジン殿」

 仁は名前を呼ばれ、今が護衛の任務中だったということを思い出す。周囲の警戒を怠っていたわけではないが、いつの間にか意識の大半が心の内に向いてしまっていた。仁が反省しながら声のした方に首を回すと、一緒に護衛の任務に当たっていた中年の冒険者が困り顔を浮かべていた。

「何かありましたか?」
「ええ。少々相談したいことがありまして。そちらのリーダーと話をさせていただきたいのですが」
「わかりました。すぐ呼んできますね」

 仁は玲奈たちの乗っている馬車まで駆け寄り、玲奈を呼び出す。中年の冒険者は仁と玲奈を連れて商隊の指揮を執っているマルコの元に向かった。近寄ってくる仁たちの姿を認めたマルコが商隊に指示を出し、全ての馬車の歩みを止めた。

「マルコさん。何かあったんですか?」

 仁が首を傾げながら問うと、マルコは申し訳なさそうにしながら口を開いた。

「ジン殿、レナ殿。急な話で申し訳ないのですが、ここからメルニールまでの護衛の任務を戦乙女の翼ヴァルキリーウイングの皆さんに一任したいのですが、お願いできませんか?」

 仁と玲奈は顔を見合わせ、小さく頷き合うと、仁が代表して口を開く。

「それは構いませんが……」

 仁はマルコに答えながら、チラッとここまで案内してきた冒険者を盗み見た。仁の視線に気付いたマルコが言葉を連ねる。

「実は元々彼らへの依頼はこの辺りで終了なのです」
「私たちとしてもメルニールを救った勇者殿や英雄殿たちともっと一緒に仕事をしたい気持ちはあるのですが、事前にガザムの街で別の依頼を受けていまして」
「今は帝都の復興やダンジョン攻略で冒険者が引っ張りだこですからな。それで、この辺りからメルニールまでの護衛を別の冒険者パーティに依頼していたのですが、まだ合流できていないのです」

 もしかして自分たちのためにリリーが無理を言って出発の予定を早めてしまったからではと仁が申し訳なく思っていると、仁の思いを察したマルコが顔の前で手のひらを横に向けて左右に振った。

「ジン殿らのせいではありませんよ。半日出発を早めたのはジン殿らとご一緒したかったワシやリリーが勝手にしたことです。それに、その半日分もここまでの道中で調整しておりますので、これは依頼した冒険者が遅れているだけの話なのです」
「わかりました。そういうことであれば、俺たちが護衛の任務を引き継ぎます。いいよね、玲奈ちゃん」
「うん。もちろん」

 快諾かいだくする仁と玲奈に、マルコと先任の冒険者は笑顔を見せたのだった。



 その後、ガザムの街に向かう冒険者たちと別れ、マークソン商隊はメルニールに向けて出発した。仁とアシュレイの組と、玲奈とロゼの二組に分かれて護衛に当たった。ミルも一緒に働きたがっていたが、イムをあまり人前に出すわけにいかず、ミルにはイムの相手を務めてもらうことにした。

 ガザムの街の近くからメルニールまでは馬車でおよそ2日の距離だが、半日が過ぎても1日が過ぎても、合流予定の冒険者が姿を見せることはなかった。

 マルコによれば、通常、護衛を途中で変えるようなことは滅多にないため、今回のような事例は初めてとのことだが、依頼をした冒険者が契約の日に現れないことは稀に起こるそうだ。その理由は様々だが、一番多いのは依頼の日の前に別の依頼やダンジョン内でパーティが全滅したというものだった。冒険者は依頼主との信頼で成り立っている仕事のため、無責任にすっぽかすものはあまりいないが、死んでしまっていてはどうしようもない。

 しかし、冒険者ギルドを経由した依頼であれば、そうした事態が起こった場合には代わりの冒険者が派遣されるか、依頼主に連絡が行くようになっている。マルコはもちろん冒険者ギルドで依頼しているため、何の知らせもないことに首を捻っていたが、仁たちがいてくれてよかったと朗らかに笑っていた。仁は少しでも恩返しになればと、より一層気を引き締めたのだった。



「あれがメルニールか」
「うん。アシュレイはメルニールに来るのは初めてなんだっけ?」
「ああ。あれがラストルの造った街か……」

 アシュレイが感慨深げに呟く。仁とアシュレイの視線の先に赤茶色の外壁が頼もしげにそびえ立っていた。空に広がる雲がなければもっと映えるのにと、仁が残念そうにしていると背後から声がかかった。

「仁くん」
「ジンさーん!」

 仁が振り返ると、玲奈とリリーが馬車から降りて近づいてきていた。

「どうしたの?」
「なんだか故郷ふるさとに帰ってきたみたいな気持ちになっちゃって」

 はにかむ玲奈に、仁は柔らかな微笑を向けた。玲奈も自分と同じような思いを抱いていたことを仁は嬉しく思った。

「もう。レナさんは何を言っているんですか。メルニールはこの世界でのお二人の故郷じゃないですか」

 リリーが胸を張り、豊満な2つの膨らみが揺れる。仁は思わず生唾を飲み込むが、玲奈のジト目に気付いて視線を逸らした。

「もう仁くんは……」

 仁は玲奈の呟きが聞こえない振りをし、近づいてくるメルニールの門に目を遣った。まだ少し距離はあるが、よく門番をしているヴィクターの姿が見えないかと仁が目を凝らすと、遠くにそびえる門の下に、乱れた人の波が見えた。普段であれば秩序よく並んでいる列が見えるはずだったが、そんなものは存在しなかった。仁は目を細め、マルコの元に走った。その後を玲奈とアシュレイ、リリーが追う。

 仁たちの頭上で、日の光を遮る厚く黒い曇が、今にも降り出しそうな気配を醸し出していた。
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