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第二章

2-9.手がかり

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 颯、彦五瀬、沙々羅が般若顔の化け物と激しい戦いを繰り広げる。それぞれが傷付きながらも致命傷を避け、天之尾羽張あめのおはばり生太刀いくたち生弓矢いくゆみやで応戦する。

 しかし、2人がいくら斬りつけても化け物の傷はすぐに癒えてしまい、沙々羅の矢も浅く刺さってはすぐに抜け、後は切り傷と同じだった。黒いもやが滲んだと思ったら、あっという間に元通りになってしまう。

 鬼と化した薙との戦いで力不足を痛感した皆のこれまでの努力の成果で善戦はしているものの、このままでは勝負の行方は誰の目にも明らかだった。

「颯! 機は必ず来る。気をしっかり持て」
「はいっ!」

 化け物の大蛇の尾に弾き飛ばされた颯が立ち上がり、声を張り上げて応じる。肩は大きく上下していたが、瞳には決して諦めないという強い意志が宿っていた。沙々羅は颯の無事にホッと息を吐きたい気持ちを抑え、矢を放ち続ける。

 一矢一矢に破邪の力を込めている沙々羅の疲労も相当なものだが、彦五瀬の言うように何かしらのチャンスが来ると信じて全力を尽くすしかなかった。

 とはいえ、真菜が攫われた際は般若顔の化け物と敵対しているのか別の化け物が颯を守ったようにも見えたが、同じ幸運が訪れるとは誰も思っておらず、沙々羅は何か手はないかと、体と同時に頭を働かせている。

 颯が予想したように、沙々羅も化け物が“邪”にまつわる存在だと考えていたが、もしそうだとするならば、破邪の力を纏った攻撃の効き目が薄いのが気になった。

 そもそも破邪の秘術を使えない彦五瀬や、薙相手に力の弱さを晒した沙々羅自身はともかく、今の颯は、剣共々、勾玉から滲み出る破邪の光に包まれているのだ。

 あの勾玉は、かつて彦五瀬の祖母トヨが女王の鬼を倒した際に用いられたものだ。その際に込められていた破邪の力の多くは失われたが、沙々羅の見解では、その後、長きにわたり高千穂の地で人々から少しずつ正の感情、即ち破邪の力を吸収し、蓄えてきたはずだ。

 今の颯にその力を十全に振るえるとは考えづらいが、それでも沙々羅は自分たちの攻撃と同様に無効化されてしまうとは思いたくなかった。もしそうなれば、目の前の化け物はかつて北九州の地に君臨した女王の鬼と同等か、それ以上の存在ということになってしまう。

「危ない!」

 颯の声に、沙々羅はハッとする。目の前に、青白い地を這う雷撃が迫っていた。

 沙々羅はいつの間にか思考に集中力の多くが割かれていたことを後悔するが、時すでに遅し。体を捻って何とか直撃は避けようとするも、雷は進む方向を変え、腰に繋いだ包みの紐を切り裂きながら沙々羅の全身を貫いた。

「きゃあああ!」

 沙々羅はもんどりうって地に倒れ伏す。そんな沙々羅の横に包みから放り出された白銀の円盤が転がった。ぎょくと模様を下にした銅鏡の滑らかな鏡面が、僅かな星明りを反射してキラリと光った。沙々羅が手を伸ばす。

「沙々羅!」
「私は大丈夫です!」

 全身が痺れ、すぐに満足に動くことはできないが、まだ戦える。沙々羅はそんな意志を込めて応じた。

 颯の勾玉の力ほどではないにしても、それを参考に全身に破邪の守りを薄く展開していたおかげだと沙々羅は考えながら、祖母と彦五瀬から託された銅鏡を自身の元へ引き寄せる。

 そのとき、沙々羅はふと違和感を覚えた。それと同時に、沙々羅の脳裏に『何かの役に立つかもしれない』という、祖母であり破邪の秘術の師匠でもあるサルメの手紙の一文が浮かんだ。

「まさか……!」

 沙々羅は震える体で立ち上がり、銅鏡の鏡面を般若顔の化け物に向けた。期待と不安を込めて恐る恐る鏡面を窺い見た沙々羅の瞳が、限界まで大きく見開かれる。

 白銀の鏡の中に、化け物の姿はなかった。美しい鏡面に映っていたのは化け物を形作る黒い靄と、その中心でうごめくく球状の青白い雷だった。

 沙々羅は急いで鏡を腰にくくりなおすと、矢筒から残り少ない矢を取り、鏡面に映る景色と照らし合わせながら照準を合わせる。

 その間も化け物と対峙し続けていた颯と彦五瀬を狙って雷撃が放たれたその瞬間、化け物は動きを止めていた。沙々羅は目を閉じ、一拍の後につがえた矢を解き放った。

 白い破邪の光を纏った矢が一条の光となって化け物の体へと吸い込まれていく。

「なっ!?」

 雷撃を辛くも避けることに成功していた颯は驚きで目を見開いた。沙々羅の放った矢が、まるでそこに何も存在しないかのように化け物の体の中へと消えたのだ。その直後、化け物の全身が透け、その中心の球体に矢が突き刺さっているのが見えた。破邪の光が球体を伝い、化け物が苦悶の叫びを上げた。

「姿に惑わされてはなりません! 目に見える姿は邪により作られしもの。本体は球状の雷です!」

 沙々羅の言葉に、颯と彦五瀬が弾かれたように動き出す。身をよじる化け物に、二人が斬りかかった。

 颯が半信半疑な心を沙々羅への信頼で塗りつぶして長大な剣を振り下ろせば、その先端が僅かに青白い雷球をかすめた。化け物の叫びが険しさを増し、全方位に爆発的な雷の嵐を降らせる。

「颯!」

 彦五瀬が颯の前に躍り出て身代わりとなった。彦五瀬は倒れ込みながら颯を振り返る。その瞳は颯を信頼し、とどめは任せると雄弁に語っていた。

 颯の中で何かが吹っ切れる音が聞こえた。颯が剣を大上段に構える。天之尾羽張が燃えていた。破邪の光と燃え盛る炎が融合し、白く輝く炎の渦となる。

 化け物の角が青白く放電し、再びの雷撃が放たれるかに思われたが、沙々羅の破邪の矢が本体の雷球を穿って防いだ。颯が化け物に接近し、一息に長剣を振り下ろす。

 轟々と燃える白い炎の渦が、雷の球体共々、あっという間に化け物を形作る薄黒い靄のすべてを覆い尽くした。白い破邪の炎が太陽のように辺りに束の間の昼を生み出していた。

 夜の闇が戻ったとき、後に残ったのは中空に浮かぶ弱々しい青白い雷球だけ。

『偉大なる母のいる限り、我は何度でもよみがえる』
「待て!」

 颯の制止もむなしく、青白い雷の球が空へと昇る。いつの間にか晴れていた空は、微かに白みがかっていた。化け物の雷が北へと飛び去る。その軌跡に、灰色の細雲ができていた。

「追え! 必ず居場所を突き止めよ!」

 彦五瀬のめいに、騒ぎを知って駆け付けてきていた部下の何人かが駆け出す。あれだけひしめいていた老婆のような幽鬼は、影となって跡形もなく消えていた。

 颯は夜明けの空を仰ぎ見る。限界を超えた戦いに心身は疲弊しつつも、ようやく掴んだ手がかりに、颯の胸には希望という名の太陽が昇っていた。
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