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第二章
2-5.出師
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祭りの翌日。高千穂宮では颯や彦五瀬と共に東へ出兵する総勢500名の勢揃いが行われ、高千穂の南東、今の宮崎県日向市にある美々津海岸へ向けて出発した。
そこでは彦五瀬と薙が東の楽園を目指すと決めたときから造船などの準備が着々と進められていたが、沙々羅の来訪、そして薙の鬼の討伐を経て当初の予定よりも急ぐこととなった。
颯たちが到着しても準備は完全には終わっておらず、この日も現地の人々は彦五瀬の指揮の下、まだ暗いうちから急ピッチで最後の仕上げに入り、颯も長である彦火火出見尊として現場に立ち会っていた。
人々が忙しなく働く様を見て、颯は何かできることはないかと考えるが、下手に手を出すと邪魔をしてしまいそうだった。颯が情けなく思っていると、傍らに立つ沙々羅と五十鈴媛、そして伽耶には、そこにいるだけで皆の士気が上がると言われてしまった。
「役に立ってるならいいんだけど……」
何となく釈然とはしなかったものの、篝火の照らす中で働く皆を、せめて立って見守ろうと心の中でエールを送る。立つこと自体に意味はない。最初は海岸の岩に腰掛けていたのだが、自分だけ楽をしているような罪悪感に駆られた結果だった。
颯は沙々羅らには座っているよう勧めたが、誰もが颯に倣って立ったまま皆を見守っている。
「長とは皆の心の支えなのだから、それでいいのよ。それに、颯は日の神の御子なのよ? 高千穂の兵士たちはともかく、この辺りの人々に変に近付くと、かえって恐れおののかれてしまうわ」
颯自身は自分に神性を感じていないが、昔の人々が信心深いということは感覚的に理解できたため、そういうものだと納得した。
「颯様のお気持ちはきっと皆に届いて――あら?」
沙々羅が身を屈めて颯の裾を覗き込む。
「沙々羅さん、どうかしましたか?」
「颯様。五十鈴媛と同様にとお願いしたはずですが」
「う……うん。えっと、沙々羅、どうかした?」
颯が呼び捨てにして敬語を省いて言い直すと、沙々羅は満足そうに微笑んだ。ここまでの道中でお願いされて了承したものの、颯はまだ慣れていなかった。とはいえ、出雲の支配者に連なる姫である五十鈴媛を呼び捨てにしておきながら、一介の巫女に敬称付けるのはおかしいと沙々羅自身に言われてしまっては、返す言葉がなかった。
ちなみに、五十鈴媛は沙々羅が高名な巫女の後継者であり、一介の巫女ではないと主張していたが、沙々羅は強引に颯から了承の返事を勝ち取ったのだった。
「颯様。裾が解れております」
「え?」
颯が腕を持ち上げて裾に目をやると、沙々羅の言う通りだった。
「お兄ちゃん」
伽耶がもう片方の裾を引っ張った。まだ幼い伽耶は祖父の思金と共に高千穂に残る予定だったのだが、少しでも真菜を助ける手助けをしたいと願い出て、これまで通り颯の世話役として同行することになっていた。
「伽耶にお任せください」
小さな妹分がどこからともなく裁縫道具を取り出し、颯に解れた裾を寄こすように要求した。颯が言われたまま差し出すと、伽耶は立ったまま、篝火の明かりを頼りに見事な手際で直してしまった。
「伽耶ちゃん、ありがとう」
「いえ。お兄ちゃんのお世話は私のお役目ですから」
ニッコリと微笑む伽耶が、そう言いながら上目遣いで颯を見上げる。颯はその視線が遠慮がちに言いたいことを察して、伽耶の頭に手を乗せた。そっとその手を動かすと、伽耶の顔が、ふにゃっと崩れた。
「沙々羅さん。颯の世話は可愛い妹に任せ、私たちは食事の用意の手伝いにでも参ろうかしら」
五十鈴媛の言葉を聞いて視線を動かせば、颯の視界に、おそらく餅つきをしようとしている人々の姿が飛び込んできた。
「私はともかく、五十鈴媛も――」
「大丈夫よ。ここは出雲でも熊襲の土地でもないのだから。せいぜい颯の正妻と思われるくらいよ」
「それはそれでこちらの人からすれば――って、それは大いに問題ありますね。むしろ問題しかありません。人々が勘違いしてしまわないよう、五十鈴媛はこちらでお待ちください。では颯様、後ほど」
沙々羅はそれだけ言い残し、現地の人たちの方へと歩を進める。
「颯。沙々羅さんが変なことを言い触らさないよう見張ってくるわ」
五十鈴媛が早足で沙々羅の後を追っていく。颯は二人の背中を見送りながら、餅つきをするのなら男手も必要なのではないかと思ったが、先の五十鈴媛の話を思い出し、その場に留まることにした。
その後、颯らは小豆ともち米を一緒についた団子のようなものを食べ、日がまだまだ高くなる前に美々津海岸を出港した。
船団は北上し、九州北部のいくつかに寄港して各地の協力を取り付け、時に鬼の討伐を請け負うことで力を示した。中には頑なに協力を拒む者たちもいたが、高千穂の一族の戦力には敵わず、最後には傘下に入ることを受け入れたのだった。
それから船は瀬戸内海に入り、今の広島県西部へと到達した。一行は埃宮、現在の多家神社の辺りに滞在し、それまでの長旅の疲れを癒すこととなった。
埃宮周辺では鬼の出現は報告されていなかったが、それまでの道中を顧みると、各地で異変が起きつつあるのは間違いなかった。それが東のヤマトを席巻する長髄彦の影響なのか、はたまた別の要因なのか、それはわからない。
本州に上陸した時点で沙々羅の文を持った使者をヤマトに派遣し、現状の報告をする傍ら、高名な巫女である沙々羅の祖母、サルメの知恵を求めた。
真菜の手掛かりは、未だなかった。
そこでは彦五瀬と薙が東の楽園を目指すと決めたときから造船などの準備が着々と進められていたが、沙々羅の来訪、そして薙の鬼の討伐を経て当初の予定よりも急ぐこととなった。
颯たちが到着しても準備は完全には終わっておらず、この日も現地の人々は彦五瀬の指揮の下、まだ暗いうちから急ピッチで最後の仕上げに入り、颯も長である彦火火出見尊として現場に立ち会っていた。
人々が忙しなく働く様を見て、颯は何かできることはないかと考えるが、下手に手を出すと邪魔をしてしまいそうだった。颯が情けなく思っていると、傍らに立つ沙々羅と五十鈴媛、そして伽耶には、そこにいるだけで皆の士気が上がると言われてしまった。
「役に立ってるならいいんだけど……」
何となく釈然とはしなかったものの、篝火の照らす中で働く皆を、せめて立って見守ろうと心の中でエールを送る。立つこと自体に意味はない。最初は海岸の岩に腰掛けていたのだが、自分だけ楽をしているような罪悪感に駆られた結果だった。
颯は沙々羅らには座っているよう勧めたが、誰もが颯に倣って立ったまま皆を見守っている。
「長とは皆の心の支えなのだから、それでいいのよ。それに、颯は日の神の御子なのよ? 高千穂の兵士たちはともかく、この辺りの人々に変に近付くと、かえって恐れおののかれてしまうわ」
颯自身は自分に神性を感じていないが、昔の人々が信心深いということは感覚的に理解できたため、そういうものだと納得した。
「颯様のお気持ちはきっと皆に届いて――あら?」
沙々羅が身を屈めて颯の裾を覗き込む。
「沙々羅さん、どうかしましたか?」
「颯様。五十鈴媛と同様にとお願いしたはずですが」
「う……うん。えっと、沙々羅、どうかした?」
颯が呼び捨てにして敬語を省いて言い直すと、沙々羅は満足そうに微笑んだ。ここまでの道中でお願いされて了承したものの、颯はまだ慣れていなかった。とはいえ、出雲の支配者に連なる姫である五十鈴媛を呼び捨てにしておきながら、一介の巫女に敬称付けるのはおかしいと沙々羅自身に言われてしまっては、返す言葉がなかった。
ちなみに、五十鈴媛は沙々羅が高名な巫女の後継者であり、一介の巫女ではないと主張していたが、沙々羅は強引に颯から了承の返事を勝ち取ったのだった。
「颯様。裾が解れております」
「え?」
颯が腕を持ち上げて裾に目をやると、沙々羅の言う通りだった。
「お兄ちゃん」
伽耶がもう片方の裾を引っ張った。まだ幼い伽耶は祖父の思金と共に高千穂に残る予定だったのだが、少しでも真菜を助ける手助けをしたいと願い出て、これまで通り颯の世話役として同行することになっていた。
「伽耶にお任せください」
小さな妹分がどこからともなく裁縫道具を取り出し、颯に解れた裾を寄こすように要求した。颯が言われたまま差し出すと、伽耶は立ったまま、篝火の明かりを頼りに見事な手際で直してしまった。
「伽耶ちゃん、ありがとう」
「いえ。お兄ちゃんのお世話は私のお役目ですから」
ニッコリと微笑む伽耶が、そう言いながら上目遣いで颯を見上げる。颯はその視線が遠慮がちに言いたいことを察して、伽耶の頭に手を乗せた。そっとその手を動かすと、伽耶の顔が、ふにゃっと崩れた。
「沙々羅さん。颯の世話は可愛い妹に任せ、私たちは食事の用意の手伝いにでも参ろうかしら」
五十鈴媛の言葉を聞いて視線を動かせば、颯の視界に、おそらく餅つきをしようとしている人々の姿が飛び込んできた。
「私はともかく、五十鈴媛も――」
「大丈夫よ。ここは出雲でも熊襲の土地でもないのだから。せいぜい颯の正妻と思われるくらいよ」
「それはそれでこちらの人からすれば――って、それは大いに問題ありますね。むしろ問題しかありません。人々が勘違いしてしまわないよう、五十鈴媛はこちらでお待ちください。では颯様、後ほど」
沙々羅はそれだけ言い残し、現地の人たちの方へと歩を進める。
「颯。沙々羅さんが変なことを言い触らさないよう見張ってくるわ」
五十鈴媛が早足で沙々羅の後を追っていく。颯は二人の背中を見送りながら、餅つきをするのなら男手も必要なのではないかと思ったが、先の五十鈴媛の話を思い出し、その場に留まることにした。
その後、颯らは小豆ともち米を一緒についた団子のようなものを食べ、日がまだまだ高くなる前に美々津海岸を出港した。
船団は北上し、九州北部のいくつかに寄港して各地の協力を取り付け、時に鬼の討伐を請け負うことで力を示した。中には頑なに協力を拒む者たちもいたが、高千穂の一族の戦力には敵わず、最後には傘下に入ることを受け入れたのだった。
それから船は瀬戸内海に入り、今の広島県西部へと到達した。一行は埃宮、現在の多家神社の辺りに滞在し、それまでの長旅の疲れを癒すこととなった。
埃宮周辺では鬼の出現は報告されていなかったが、それまでの道中を顧みると、各地で異変が起きつつあるのは間違いなかった。それが東のヤマトを席巻する長髄彦の影響なのか、はたまた別の要因なのか、それはわからない。
本州に上陸した時点で沙々羅の文を持った使者をヤマトに派遣し、現状の報告をする傍ら、高名な巫女である沙々羅の祖母、サルメの知恵を求めた。
真菜の手掛かりは、未だなかった。
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