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二十七
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陸の家へ移動する間、ぽつりぽつりと話した。大学について問うと、陸が告げたのは、この辺りでは五つの指に数えられるくらいの、充分家から通える範囲にある大学名だった。
おめでとうと言うところを、学は間違えてそうですか、と感慨もなさそうに言った。嬉しかったし、ほっとしたのに、口から出るのは素っ気ない言葉ばかりだった。陸は気にした風もなく、そうなんだ、と言った。
家に着いて、案内されたのは陸の部屋だった。他には誰もいなくて、家は静まり返っていた。陸が暖房を付けると、暖房は待ってましたとばかりに稼働し始めた。
冷たい座布団に座っている内、暖かい茶を出されて会釈を返す。しだいに部屋が暖まってきて、時間が経過すればするほど、優しい沈黙が胸に痛かった。
「俺、振られたんです」
自分の声とは思えないくらい、それは冷たさを帯びていた。
ぽつりと言えば、陸は静かに茶をすすった。
「いや、正確に言えば、振られたんじゃなくて、向こうに恋人ができたってことなんですけど。そんなこと、初めから分かってて。俺じゃないって知ってて。なのに」
エアコンがため息のような音を出して、学は自分が息継ぎをしていなかったことに気付いた。じいと見られていることに気付いて、学は態勢を正す。
「いろいろ、どうしたらいいか分からなくて」
「それで、あのファミレスに行ったのか?」
陸の声に答えられないまま、視線を下げる。
「俺に、会いたかったの?」
愛しい人へ向けるような、とんでもなく甘くて優しい声に、学の体は痺れた。
怒っていないのだろうか。呆れていないのだろうか。そんな不安と同時に安心感もあって、学はいっそう顔を下げた。きっと、今自分は情けない顔をしている。
返ってくる陸の反応が怖くて、学は手を握りしめた。
「俺、あそこ通る時、いつもファミレスの方見てたんだ。お前がいるかもしれないって。いるわけないって思ってんのに、どうしても止められなかった」
ふと顔を上げると、真剣な眼差しが学を貫いた。
「お前見てたら、もう駄目なんだよ。色々、抑えらんなくなって。だから距離を取ったくせに、どっかで会えるんじゃないかって期待したりもして」
言葉を挟もうとしたが、学は唇を噛みしめて黙っていた。一年も前の記憶が、つい先ほどのことのように鮮明に思い出される。
触れた手。綺麗な瞳。甘い吐息。良い匂い。
それが目の前にあると思うと、妙に落ち着かなかった。
「俺、は」
絞り出した声は、自分でも分かるくらいに震えていた。
「俺、ずるい人間なんです」
陸は、黙って聞いていた。
「ここにいていいよって、居場所をくれる人のところに行って、安心したかっただけなんです。ちゃんとしてない俺もひっくるめて全部、受け入れてほしかったんです。俺は、ひどい人間だ。先輩を、利用して」
利用して。
学の言葉はそこで止まった。
壁に反射して返ってくる自分の言葉を聞いていると、その身勝手さに辟易する。ちゃんとした人間になろうとした結果がこれだ。なんて有様だろう。
しかし学は止まらなかった。感情の波が一気に押し寄せてきて、気持ちを吐き出さずにはいられなくなった。
「俺が委員長にならなければ、他の誰かがなるでしょう。俺が死んだところで、地球は回り続けます。そういうのじゃなくて、俺がいないとどうにもならないって、言ってほしいんです。俺と一緒に死ぬって言ってくれるくらいの」
「俺と一緒に死にたいわけ?」
そこではっと我に返る。アーモンド形の綺麗な瞳が、いつになく真剣さを帯びていた。
学はふるふると頭を振って否定した。
「違う、んです」
波が一気に出て行くせいで、上手く言葉が選べない。余裕がないからいつものように笑えない。
押し黙っていると、頭の上に優しい体温が置かれた。
「そんな顔すんなよ。泣きたいなら泣けばいい。お前、感情を押し込めすぎなんだって」
以前泣いたのは、いつだったか。覚えていないくらい昔のことで、学は考え込んだ。両親に怒られて。感動する映画を見て。考えている内に、つうと頬に何かが伝うのが分かった。
「違うんです。そうじゃなくて」
「うん。分かってるから」
手を頬にまで滑らせると、陸は濡れた頬を拭うようにした。そして、こつんと額を合せる。
「俺もずるい人間なんだよ。お前が傷心のところにつけこもうとしてんだ。つか、ずるくねえ人とかいねえだろ」
学を金縛りにさせる瞳が、甘い色をして学の心を溶かす。息を呑めば、陸は名残惜しそうに離れた。
「居場所のない人間もいねえ。迷ったら俺んとこ来ればいい。道は示してやれねえけど、隣にいることはできる」
胸に、何とも言葉にし難い感情がせり上がってきた。手で顔を覆おうとすれば、陸は学の腕を掴んで自分の頬に当てさせる。顔は、熱でもあるように赤かった。
上手く表情が作れないから、見られたくないと思っても、陸は問答無用で学を見つめた。
「本当にするかはともかくとして、お前が俺と一緒に死にたいって言うなら、一緒に死んでやる気持ちはあるからな。一番いいのは、お前と一緒に生きることだけど」
どうして。
ぽつんと呟けば、陸は「何?」と体を近づけてきた。
どうして、陸はこれほどまでに真剣に、学が求めていた言葉を伝えてくれるのか。こんなにも簡単に、こんなにもあっけなく。
それだけで、体が解放されて自由にどこまでも飛んで行けるような気分になる。
ほとんど陸の体に抱きしめられるようになって、こつんとたくましい胸に顔を埋めた。どくどくと、心臓の音が良く聞こえる。どうやら緊張しているらしい。息を吸ってみれば、良い匂いが体の中に充満していった。
「触ってもいいか」
息を詰めた声に、ふふ、と思わず笑いが込み上げた。
「もう触ってるじゃないですか」
「何つーか、こう、ぎゅっとしたい」
「前は無理やりキスしようとしてたのに」
指摘すれば、頭の上で拗ねたように陸は言った。
「未遂だろ」
慣れない手つきで学の体を支える様子は、どうしたって女遊びの激しい人間には思えない。
「ですね。やっぱり先輩は優しいです。あと、大学合格おめでとうございます」
「それ、今言う?」
腕、手、胸、腰、足。体全体の皮膚が、陸を感じようと躍起になっている。父のようであり、恋人のようでもある抱擁は、学を安心させた。
役割なんてなくても、ちゃんとしていなくても、ここにはこんなにも学を想ってくれる人がいるのだと。
「じゃあ」
陸は学を駅まで送った。手を繋ぎたいと言われたが、人通りの多い道では耐えられないと拒否した。
改札口まで来て、電車の発着を知らせる電光掲示板を見上げる。もう数分で電車が来るようだった。挨拶もそこそこに、学は改札を通る。
人混みに紛れて中へ進み、ホームへ繋がる階段へ歩いて行こうとしたが、名残惜しくて一瞬立ち止まった。振り向けば、先程と同じところで陸が笑って立っていて、学は満たされた気分で歩き出した。
おめでとうと言うところを、学は間違えてそうですか、と感慨もなさそうに言った。嬉しかったし、ほっとしたのに、口から出るのは素っ気ない言葉ばかりだった。陸は気にした風もなく、そうなんだ、と言った。
家に着いて、案内されたのは陸の部屋だった。他には誰もいなくて、家は静まり返っていた。陸が暖房を付けると、暖房は待ってましたとばかりに稼働し始めた。
冷たい座布団に座っている内、暖かい茶を出されて会釈を返す。しだいに部屋が暖まってきて、時間が経過すればするほど、優しい沈黙が胸に痛かった。
「俺、振られたんです」
自分の声とは思えないくらい、それは冷たさを帯びていた。
ぽつりと言えば、陸は静かに茶をすすった。
「いや、正確に言えば、振られたんじゃなくて、向こうに恋人ができたってことなんですけど。そんなこと、初めから分かってて。俺じゃないって知ってて。なのに」
エアコンがため息のような音を出して、学は自分が息継ぎをしていなかったことに気付いた。じいと見られていることに気付いて、学は態勢を正す。
「いろいろ、どうしたらいいか分からなくて」
「それで、あのファミレスに行ったのか?」
陸の声に答えられないまま、視線を下げる。
「俺に、会いたかったの?」
愛しい人へ向けるような、とんでもなく甘くて優しい声に、学の体は痺れた。
怒っていないのだろうか。呆れていないのだろうか。そんな不安と同時に安心感もあって、学はいっそう顔を下げた。きっと、今自分は情けない顔をしている。
返ってくる陸の反応が怖くて、学は手を握りしめた。
「俺、あそこ通る時、いつもファミレスの方見てたんだ。お前がいるかもしれないって。いるわけないって思ってんのに、どうしても止められなかった」
ふと顔を上げると、真剣な眼差しが学を貫いた。
「お前見てたら、もう駄目なんだよ。色々、抑えらんなくなって。だから距離を取ったくせに、どっかで会えるんじゃないかって期待したりもして」
言葉を挟もうとしたが、学は唇を噛みしめて黙っていた。一年も前の記憶が、つい先ほどのことのように鮮明に思い出される。
触れた手。綺麗な瞳。甘い吐息。良い匂い。
それが目の前にあると思うと、妙に落ち着かなかった。
「俺、は」
絞り出した声は、自分でも分かるくらいに震えていた。
「俺、ずるい人間なんです」
陸は、黙って聞いていた。
「ここにいていいよって、居場所をくれる人のところに行って、安心したかっただけなんです。ちゃんとしてない俺もひっくるめて全部、受け入れてほしかったんです。俺は、ひどい人間だ。先輩を、利用して」
利用して。
学の言葉はそこで止まった。
壁に反射して返ってくる自分の言葉を聞いていると、その身勝手さに辟易する。ちゃんとした人間になろうとした結果がこれだ。なんて有様だろう。
しかし学は止まらなかった。感情の波が一気に押し寄せてきて、気持ちを吐き出さずにはいられなくなった。
「俺が委員長にならなければ、他の誰かがなるでしょう。俺が死んだところで、地球は回り続けます。そういうのじゃなくて、俺がいないとどうにもならないって、言ってほしいんです。俺と一緒に死ぬって言ってくれるくらいの」
「俺と一緒に死にたいわけ?」
そこではっと我に返る。アーモンド形の綺麗な瞳が、いつになく真剣さを帯びていた。
学はふるふると頭を振って否定した。
「違う、んです」
波が一気に出て行くせいで、上手く言葉が選べない。余裕がないからいつものように笑えない。
押し黙っていると、頭の上に優しい体温が置かれた。
「そんな顔すんなよ。泣きたいなら泣けばいい。お前、感情を押し込めすぎなんだって」
以前泣いたのは、いつだったか。覚えていないくらい昔のことで、学は考え込んだ。両親に怒られて。感動する映画を見て。考えている内に、つうと頬に何かが伝うのが分かった。
「違うんです。そうじゃなくて」
「うん。分かってるから」
手を頬にまで滑らせると、陸は濡れた頬を拭うようにした。そして、こつんと額を合せる。
「俺もずるい人間なんだよ。お前が傷心のところにつけこもうとしてんだ。つか、ずるくねえ人とかいねえだろ」
学を金縛りにさせる瞳が、甘い色をして学の心を溶かす。息を呑めば、陸は名残惜しそうに離れた。
「居場所のない人間もいねえ。迷ったら俺んとこ来ればいい。道は示してやれねえけど、隣にいることはできる」
胸に、何とも言葉にし難い感情がせり上がってきた。手で顔を覆おうとすれば、陸は学の腕を掴んで自分の頬に当てさせる。顔は、熱でもあるように赤かった。
上手く表情が作れないから、見られたくないと思っても、陸は問答無用で学を見つめた。
「本当にするかはともかくとして、お前が俺と一緒に死にたいって言うなら、一緒に死んでやる気持ちはあるからな。一番いいのは、お前と一緒に生きることだけど」
どうして。
ぽつんと呟けば、陸は「何?」と体を近づけてきた。
どうして、陸はこれほどまでに真剣に、学が求めていた言葉を伝えてくれるのか。こんなにも簡単に、こんなにもあっけなく。
それだけで、体が解放されて自由にどこまでも飛んで行けるような気分になる。
ほとんど陸の体に抱きしめられるようになって、こつんとたくましい胸に顔を埋めた。どくどくと、心臓の音が良く聞こえる。どうやら緊張しているらしい。息を吸ってみれば、良い匂いが体の中に充満していった。
「触ってもいいか」
息を詰めた声に、ふふ、と思わず笑いが込み上げた。
「もう触ってるじゃないですか」
「何つーか、こう、ぎゅっとしたい」
「前は無理やりキスしようとしてたのに」
指摘すれば、頭の上で拗ねたように陸は言った。
「未遂だろ」
慣れない手つきで学の体を支える様子は、どうしたって女遊びの激しい人間には思えない。
「ですね。やっぱり先輩は優しいです。あと、大学合格おめでとうございます」
「それ、今言う?」
腕、手、胸、腰、足。体全体の皮膚が、陸を感じようと躍起になっている。父のようであり、恋人のようでもある抱擁は、学を安心させた。
役割なんてなくても、ちゃんとしていなくても、ここにはこんなにも学を想ってくれる人がいるのだと。
「じゃあ」
陸は学を駅まで送った。手を繋ぎたいと言われたが、人通りの多い道では耐えられないと拒否した。
改札口まで来て、電車の発着を知らせる電光掲示板を見上げる。もう数分で電車が来るようだった。挨拶もそこそこに、学は改札を通る。
人混みに紛れて中へ進み、ホームへ繋がる階段へ歩いて行こうとしたが、名残惜しくて一瞬立ち止まった。振り向けば、先程と同じところで陸が笑って立っていて、学は満たされた気分で歩き出した。
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