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二十一
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文化祭当日がやって来た。
望は、文化祭に心躍らせる生徒たちと同じ目をしていて、いつもの落ち着いたなりはすっかり息を潜めていた。
人混みは嫌いでも祭りは好き。複雑な思考回路は、今日ここでも存分に発揮されていた。
「悪いな」
言いつつ、まんざらでもない顔で椅子に座る望は、まだ静かな外の音を聞いているようだった。十時から十一時の間、望は美術部の受付をしなくてはいけないのだ。
十時前では、ステージや出し物はまだ本格的に始まっていない。もう少し、昼近くになってやっと、活気が溢れてくるのである。今にも爆発しそうにうずうずしている文化祭の空気を吸い込み、学は誰もいない教室を見回した。完璧にセッティングされた朝の美術部の教室は、誰かが来る気配すらなかった。
風景、校舎、人物、動物――様々な絵が飾られていたが、望の絵は一目で分かる。一、二、合計三枚。朝焼けと夕焼け、星空である。目を奪われる清廉さは、望特有のものだ。他にも空の絵は飾られていたが、望とは質が違う。胸が締め付けられるような痛みと、果てしない愛しさが感じられるのは、望が描いた絵だけだ。
特に望の絵を凝視しながら一通り見て回る。
「望の絵、多くないか? 他に三枚も描いてる人なんて……えっと、池田さん、くらいしかいない」
小さく池田と描かれた絵は、合計三枚。全てが学校内の校舎の絵だった。どうやら、全て同じ校舎を違う角度から描いているようだ。
「文化祭用のを提出してねって言っても、出す人が少なくて。幽霊部員も多いし。俺がもっと描きましょうかって言ったら喜ばれたよ」
校舎の絵の前に立っていると、望は立ち上がって学の隣に立った。
「この人の絵、けっこう好きなんだ。何となく目を引かれる感じがして」
無機質な校舎から、まるで人の笑い声が聞こえてきそうな絵には、人柄が表れている。学も、望の次に好きだと感じた。
しかし同時に、心の中に靄がかかる。望にこんな優しい目を向けられる絵が羨ましい。こんな絵が描ける池田が妬ましい。
つまらないことを考えてしまって、学は息を吐いた。学には、絵の才能はない。人並みに描くことは出来ても、それ以上にはなれない。望や池田のようにはなれない。頑張っても出来ないことは、たくさんあった。
一時間かけてたっぷりと堪能すると、十一時ぴったりにやってきた部員と交代する形で、二人は外へ出た。
展示は、比較的人が少ないのが常だ。遠くで聞こえていた騒ぎ声が近づいてきて、本格的に文化祭が始まった気がした。望は配られていたパンフレットを見て、行きたい食べたいを連呼している。
ステージで踊る人、「いかがですかー!」と叫んでいる人、友達と楽しそうに歩く人。今から自分もあそこに混じることを考えて、学は意気込んだ。
自分たちのクラスの出し物を見て行けば、学のクラスより望のクラスの占いの方が反響を呼んでいた。それっぽい服に身を包んで、それっぽい水晶をかざして、おどろおどろしく未来を語る。
「あれ、本当に当たると思う?」
占ってもらった後に訊いてみれば、どうだろう、と望はポテトを食べた。
学は、今年か来年に人生の転換期が訪れ、望はしだいに心の弱みを見せられる人が増えていく、とのことだった。
「俺はたいしたこと言ってなかったし。学は、転換期って何だと思う?」
「何だろう」
今のところ何かが変わる予兆なんてないはずだ。そもそも占いなんて、当たるも八卦当たらぬも八卦なのだから、娯楽の一つとして話半分にとどめるべきだろう。
「望は何かしなくていいのか?」
「うん。飾り付けやったからもう役割免除」
ポテトの袋を差し出され、学は礼を言って最後の一個をつまんだ。ティッシュを望にも渡して手を拭いていると、望は興味深そうにある教室を眺めた。
「あそこ、すごい人」
見なくても分かった。二年B組の、執事喫茶だ。
教室の前には椅子がいくつか並んでいるが、それでは追いつかず立って並んでいる人までいる。さらに並ぼうとする人に対しては、列を整理している人が券を渡し、「~時までに来てください」と指示していた。
室内からは黄色い声が聞こえてくる。
「何だろう」
前を通りながら、望は興味深そうに覗いた。
「執事喫茶だって。すごいな。あ、ちょっと中見えた」
「どうだった?」
元凶の顔を思い出しながら聞くと、望は「後姿だけ」と呟いた。
「女ばっかだし。よっぽどカッコいい人でもいるのかもな」
まあどうでもいいけど、と付け足しそうな望に、学は苦笑して頷いた。
通り過ぎながら、列をなす女子生徒たちの会話が意図せず聞こえてくる。
「陸くんって、最近とっつきやすいよね」
「うんうん、大人しくなった感じ」
「もうちょっと前とか、けっこう怖くなかった?」
「女の子には割と優しかったけどね」
「でも喧嘩とかしてたじゃん」
「先生に怒られてたよね」
あちこちから飛び出す甲高い声に、学の知らない陸の姿が映し出され、聞く気はないのに言葉が勝手に脳みその奥深くに入っていく。
最近は、確かに大人しい。勉強も真面目にしている。昔のことは知らないが、初めて会った時のことを思い出すと、きっとろくでもないこともしていたのだろう。女性に優しいのは知っている。いくら外見が良くても、中身がどうしようもなければあんなにモテるわけはない。
ふうん、と頷いておけば良いものを、学は対抗するかのようにぐるぐると考えた。理由は分からない。でも、知らない陸がいる。当たり前のことを当たり前のごとく知っただけなのに、もやもやした。
室内を振り返ってみたが、人混みが見えるだけで目当ての人物は見えなかった。
「入る? 執事喫茶」
そんな学の行動を見てか、望はパンフレットを持ったまま首を傾けた。ああ可愛い、と思ったが表情にはおくびにも出さずに首を振った。
展示を見て、ステージを見て、適当にぶらぶらしている内に、文化祭一日目は終了した。今日は完全なフリーだったが、明日は委員会の仕事が割り振られているため、気分的には学の文化祭も終了だった。
次の日も、二年B組は盛況のようだったが、学は近づくことすらなかった。
望は、文化祭に心躍らせる生徒たちと同じ目をしていて、いつもの落ち着いたなりはすっかり息を潜めていた。
人混みは嫌いでも祭りは好き。複雑な思考回路は、今日ここでも存分に発揮されていた。
「悪いな」
言いつつ、まんざらでもない顔で椅子に座る望は、まだ静かな外の音を聞いているようだった。十時から十一時の間、望は美術部の受付をしなくてはいけないのだ。
十時前では、ステージや出し物はまだ本格的に始まっていない。もう少し、昼近くになってやっと、活気が溢れてくるのである。今にも爆発しそうにうずうずしている文化祭の空気を吸い込み、学は誰もいない教室を見回した。完璧にセッティングされた朝の美術部の教室は、誰かが来る気配すらなかった。
風景、校舎、人物、動物――様々な絵が飾られていたが、望の絵は一目で分かる。一、二、合計三枚。朝焼けと夕焼け、星空である。目を奪われる清廉さは、望特有のものだ。他にも空の絵は飾られていたが、望とは質が違う。胸が締め付けられるような痛みと、果てしない愛しさが感じられるのは、望が描いた絵だけだ。
特に望の絵を凝視しながら一通り見て回る。
「望の絵、多くないか? 他に三枚も描いてる人なんて……えっと、池田さん、くらいしかいない」
小さく池田と描かれた絵は、合計三枚。全てが学校内の校舎の絵だった。どうやら、全て同じ校舎を違う角度から描いているようだ。
「文化祭用のを提出してねって言っても、出す人が少なくて。幽霊部員も多いし。俺がもっと描きましょうかって言ったら喜ばれたよ」
校舎の絵の前に立っていると、望は立ち上がって学の隣に立った。
「この人の絵、けっこう好きなんだ。何となく目を引かれる感じがして」
無機質な校舎から、まるで人の笑い声が聞こえてきそうな絵には、人柄が表れている。学も、望の次に好きだと感じた。
しかし同時に、心の中に靄がかかる。望にこんな優しい目を向けられる絵が羨ましい。こんな絵が描ける池田が妬ましい。
つまらないことを考えてしまって、学は息を吐いた。学には、絵の才能はない。人並みに描くことは出来ても、それ以上にはなれない。望や池田のようにはなれない。頑張っても出来ないことは、たくさんあった。
一時間かけてたっぷりと堪能すると、十一時ぴったりにやってきた部員と交代する形で、二人は外へ出た。
展示は、比較的人が少ないのが常だ。遠くで聞こえていた騒ぎ声が近づいてきて、本格的に文化祭が始まった気がした。望は配られていたパンフレットを見て、行きたい食べたいを連呼している。
ステージで踊る人、「いかがですかー!」と叫んでいる人、友達と楽しそうに歩く人。今から自分もあそこに混じることを考えて、学は意気込んだ。
自分たちのクラスの出し物を見て行けば、学のクラスより望のクラスの占いの方が反響を呼んでいた。それっぽい服に身を包んで、それっぽい水晶をかざして、おどろおどろしく未来を語る。
「あれ、本当に当たると思う?」
占ってもらった後に訊いてみれば、どうだろう、と望はポテトを食べた。
学は、今年か来年に人生の転換期が訪れ、望はしだいに心の弱みを見せられる人が増えていく、とのことだった。
「俺はたいしたこと言ってなかったし。学は、転換期って何だと思う?」
「何だろう」
今のところ何かが変わる予兆なんてないはずだ。そもそも占いなんて、当たるも八卦当たらぬも八卦なのだから、娯楽の一つとして話半分にとどめるべきだろう。
「望は何かしなくていいのか?」
「うん。飾り付けやったからもう役割免除」
ポテトの袋を差し出され、学は礼を言って最後の一個をつまんだ。ティッシュを望にも渡して手を拭いていると、望は興味深そうにある教室を眺めた。
「あそこ、すごい人」
見なくても分かった。二年B組の、執事喫茶だ。
教室の前には椅子がいくつか並んでいるが、それでは追いつかず立って並んでいる人までいる。さらに並ぼうとする人に対しては、列を整理している人が券を渡し、「~時までに来てください」と指示していた。
室内からは黄色い声が聞こえてくる。
「何だろう」
前を通りながら、望は興味深そうに覗いた。
「執事喫茶だって。すごいな。あ、ちょっと中見えた」
「どうだった?」
元凶の顔を思い出しながら聞くと、望は「後姿だけ」と呟いた。
「女ばっかだし。よっぽどカッコいい人でもいるのかもな」
まあどうでもいいけど、と付け足しそうな望に、学は苦笑して頷いた。
通り過ぎながら、列をなす女子生徒たちの会話が意図せず聞こえてくる。
「陸くんって、最近とっつきやすいよね」
「うんうん、大人しくなった感じ」
「もうちょっと前とか、けっこう怖くなかった?」
「女の子には割と優しかったけどね」
「でも喧嘩とかしてたじゃん」
「先生に怒られてたよね」
あちこちから飛び出す甲高い声に、学の知らない陸の姿が映し出され、聞く気はないのに言葉が勝手に脳みその奥深くに入っていく。
最近は、確かに大人しい。勉強も真面目にしている。昔のことは知らないが、初めて会った時のことを思い出すと、きっとろくでもないこともしていたのだろう。女性に優しいのは知っている。いくら外見が良くても、中身がどうしようもなければあんなにモテるわけはない。
ふうん、と頷いておけば良いものを、学は対抗するかのようにぐるぐると考えた。理由は分からない。でも、知らない陸がいる。当たり前のことを当たり前のごとく知っただけなのに、もやもやした。
室内を振り返ってみたが、人混みが見えるだけで目当ての人物は見えなかった。
「入る? 執事喫茶」
そんな学の行動を見てか、望はパンフレットを持ったまま首を傾けた。ああ可愛い、と思ったが表情にはおくびにも出さずに首を振った。
展示を見て、ステージを見て、適当にぶらぶらしている内に、文化祭一日目は終了した。今日は完全なフリーだったが、明日は委員会の仕事が割り振られているため、気分的には学の文化祭も終了だった。
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