振り向けば

糸坂 有

文字の大きさ
上 下
21 / 28

二十一

しおりを挟む
 文化祭当日がやって来た。
 望は、文化祭に心躍らせる生徒たちと同じ目をしていて、いつもの落ち着いたなりはすっかり息を潜めていた。
人混みは嫌いでも祭りは好き。複雑な思考回路は、今日ここでも存分に発揮されていた。
「悪いな」
 言いつつ、まんざらでもない顔で椅子に座る望は、まだ静かな外の音を聞いているようだった。十時から十一時の間、望は美術部の受付をしなくてはいけないのだ。
 十時前では、ステージや出し物はまだ本格的に始まっていない。もう少し、昼近くになってやっと、活気が溢れてくるのである。今にも爆発しそうにうずうずしている文化祭の空気を吸い込み、学は誰もいない教室を見回した。完璧にセッティングされた朝の美術部の教室は、誰かが来る気配すらなかった。
 風景、校舎、人物、動物――様々な絵が飾られていたが、望の絵は一目で分かる。一、二、合計三枚。朝焼けと夕焼け、星空である。目を奪われる清廉さは、望特有のものだ。他にも空の絵は飾られていたが、望とは質が違う。胸が締め付けられるような痛みと、果てしない愛しさが感じられるのは、望が描いた絵だけだ。
 特に望の絵を凝視しながら一通り見て回る。
「望の絵、多くないか? 他に三枚も描いてる人なんて……えっと、池田さん、くらいしかいない」
 小さく池田と描かれた絵は、合計三枚。全てが学校内の校舎の絵だった。どうやら、全て同じ校舎を違う角度から描いているようだ。
「文化祭用のを提出してねって言っても、出す人が少なくて。幽霊部員も多いし。俺がもっと描きましょうかって言ったら喜ばれたよ」
 校舎の絵の前に立っていると、望は立ち上がって学の隣に立った。
「この人の絵、けっこう好きなんだ。何となく目を引かれる感じがして」
 無機質な校舎から、まるで人の笑い声が聞こえてきそうな絵には、人柄が表れている。学も、望の次に好きだと感じた。
 しかし同時に、心の中に靄がかかる。望にこんな優しい目を向けられる絵が羨ましい。こんな絵が描ける池田が妬ましい。
 つまらないことを考えてしまって、学は息を吐いた。学には、絵の才能はない。人並みに描くことは出来ても、それ以上にはなれない。望や池田のようにはなれない。頑張っても出来ないことは、たくさんあった。
 一時間かけてたっぷりと堪能すると、十一時ぴったりにやってきた部員と交代する形で、二人は外へ出た。
 展示は、比較的人が少ないのが常だ。遠くで聞こえていた騒ぎ声が近づいてきて、本格的に文化祭が始まった気がした。望は配られていたパンフレットを見て、行きたい食べたいを連呼している。
 ステージで踊る人、「いかがですかー!」と叫んでいる人、友達と楽しそうに歩く人。今から自分もあそこに混じることを考えて、学は意気込んだ。
 自分たちのクラスの出し物を見て行けば、学のクラスより望のクラスの占いの方が反響を呼んでいた。それっぽい服に身を包んで、それっぽい水晶をかざして、おどろおどろしく未来を語る。
「あれ、本当に当たると思う?」
 占ってもらった後に訊いてみれば、どうだろう、と望はポテトを食べた。
 学は、今年か来年に人生の転換期が訪れ、望はしだいに心の弱みを見せられる人が増えていく、とのことだった。
「俺はたいしたこと言ってなかったし。学は、転換期って何だと思う?」
「何だろう」
 今のところ何かが変わる予兆なんてないはずだ。そもそも占いなんて、当たるも八卦当たらぬも八卦なのだから、娯楽の一つとして話半分にとどめるべきだろう。
「望は何かしなくていいのか?」
「うん。飾り付けやったからもう役割免除」
 ポテトの袋を差し出され、学は礼を言って最後の一個をつまんだ。ティッシュを望にも渡して手を拭いていると、望は興味深そうにある教室を眺めた。
「あそこ、すごい人」
 見なくても分かった。二年B組の、執事喫茶だ。
 教室の前には椅子がいくつか並んでいるが、それでは追いつかず立って並んでいる人までいる。さらに並ぼうとする人に対しては、列を整理している人が券を渡し、「~時までに来てください」と指示していた。
 室内からは黄色い声が聞こえてくる。
「何だろう」
前を通りながら、望は興味深そうに覗いた。
「執事喫茶だって。すごいな。あ、ちょっと中見えた」
「どうだった?」
 元凶の顔を思い出しながら聞くと、望は「後姿だけ」と呟いた。
「女ばっかだし。よっぽどカッコいい人でもいるのかもな」
 まあどうでもいいけど、と付け足しそうな望に、学は苦笑して頷いた。
 通り過ぎながら、列をなす女子生徒たちの会話が意図せず聞こえてくる。
「陸くんって、最近とっつきやすいよね」
「うんうん、大人しくなった感じ」
「もうちょっと前とか、けっこう怖くなかった?」
「女の子には割と優しかったけどね」
「でも喧嘩とかしてたじゃん」
「先生に怒られてたよね」
 あちこちから飛び出す甲高い声に、学の知らない陸の姿が映し出され、聞く気はないのに言葉が勝手に脳みその奥深くに入っていく。
 最近は、確かに大人しい。勉強も真面目にしている。昔のことは知らないが、初めて会った時のことを思い出すと、きっとろくでもないこともしていたのだろう。女性に優しいのは知っている。いくら外見が良くても、中身がどうしようもなければあんなにモテるわけはない。
 ふうん、と頷いておけば良いものを、学は対抗するかのようにぐるぐると考えた。理由は分からない。でも、知らない陸がいる。当たり前のことを当たり前のごとく知っただけなのに、もやもやした。
 室内を振り返ってみたが、人混みが見えるだけで目当ての人物は見えなかった。
「入る? 執事喫茶」
 そんな学の行動を見てか、望はパンフレットを持ったまま首を傾けた。ああ可愛い、と思ったが表情にはおくびにも出さずに首を振った。
 展示を見て、ステージを見て、適当にぶらぶらしている内に、文化祭一日目は終了した。今日は完全なフリーだったが、明日は委員会の仕事が割り振られているため、気分的には学の文化祭も終了だった。
 次の日も、二年B組は盛況のようだったが、学は近づくことすらなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

モテる兄貴を持つと……(三人称改訂版)

夏目碧央
BL
 兄、海斗(かいと)と同じ高校に入学した城崎岳斗(きのさきやまと)は、兄がモテるがゆえに様々な苦難に遭う。だが、カッコよくて優しい兄を実は自慢に思っている。兄は弟が大好きで、少々過保護気味。  ある日、岳斗は両親の血液型と自分の血液型がおかしい事に気づく。海斗は「覚えてないのか?」と驚いた様子。岳斗は何を忘れているのか?一体どんな秘密が?

家事代行サービスにdomの溺愛は必要ありません!

灯璃
BL
家事代行サービスで働く鏑木(かぶらぎ) 慧(けい)はある日、高級マンションの一室に仕事に向かった。だが、住人の男性は入る事すら拒否し、何故かなかなか中に入れてくれない。 何度かの押し問答の後、なんとか慧は中に入れてもらえる事になった。だが、男性からは冷たくオレの部屋には入るなと言われてしまう。 仕方ないと気にせず仕事をし、気が重いまま次の日も訪れると、昨日とは打って変わって男性、秋水(しゅうすい) 龍士郎(りゅうしろう)は慧の料理を褒めた。 思ったより悪い人ではないのかもと慧が思った時、彼がdom、支配する側の人間だという事に気づいてしまう。subである慧は彼と一定の距離を置こうとするがーー。 みたいな、ゆるいdom/subユニバース。ふんわり過ぎてdom/subユニバースにする必要あったのかとか疑問に思ってはいけない。 ※完結しました!ありがとうございました!

漢方薬局「泡影堂」調剤録

珈琲屋
BL
母子家庭苦労人真面目長男(17)× 生活力0放浪癖漢方医(32)の体格差&年の差恋愛(予定)。じりじり片恋。 キヨフミには最近悩みがあった。3歳児と5歳児を抱えての家事と諸々、加えて勉強。父はとうになく、母はいっさい頼りにならず、妹は受験真っ最中だ。この先俺が生き残るには…そうだ、「泡影堂」にいこう。 高校生×漢方医の先生の話をメインに、二人に関わる人々の話を閑話で書いていく予定です。 メイン2章、閑話1章の順で進めていきます。恋愛は非常にゆっくりです。

学院のモブ役だったはずの青年溺愛物語

紅林
BL
『桜田門学院高等学校』 日本中の超金持ちの子息子女が通うこの学校は東京都内に位置する野球ドーム五個分の土地が学院としてなる巨大学園だ しかし生徒数は300人程の少人数の学院だ そんな学院でモブとして役割を果たすはずだった青年の物語である

【完結】遍く、歪んだ花たちに。

古都まとい
BL
職場の部下 和泉周(いずみしゅう)は、はっきり言って根暗でオタクっぽい。目にかかる長い前髪に、覇気のない視線を隠す黒縁眼鏡。仕事ぶりは可もなく不可もなく。そう、凡人の中の凡人である。 和泉の直属の上司である村谷(むらや)はある日、ひょんなことから繁華街のホストクラブへと連れて行かれてしまう。そこで出会ったNo.1ホスト天音(あまね)には、どこか和泉の面影があって――。 「先輩、僕のこと何も知っちゃいないくせに」 No.1ホスト部下×堅物上司の現代BL。

【完結】運命さんこんにちは、さようなら

ハリネズミ
BL
Ωである神楽 咲(かぐら さき)は『運命』と出会ったが、知らない間に番になっていたのは別の人物、影山 燐(かげやま りん)だった。 とある誤解から思うように優しくできない燐と、番=家族だと考え、家族が欲しかったことから簡単に受け入れてしまったマイペースな咲とのちぐはぐでピュアなラブストーリー。 ========== 完結しました。ありがとうございました。

【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】

彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』 高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。 その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。 そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?

【完結】嘘はBLの始まり

紫紺
BL
現在売り出し中の若手俳優、三條伊織。 突然のオファーは、話題のBL小説『最初で最後のボーイズラブ』の主演!しかもW主演の相手役は彼がずっと憧れていたイケメン俳優の越前享祐だった! 衝撃のBLドラマと現実が同時進行! 俳優同士、秘密のBLストーリーが始まった♡ ※番外編を追加しました!(1/3)  4話追加しますのでよろしくお願いします。

処理中です...