振り向けば

糸坂 有

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十八

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 秋学期になると、毎日は慌ただしく過ぎて行った。クラス委員の仕事、塾、文化祭の準備。
 陸からの連絡は、特に変わらず不定期的にやって来る。三日くらい来ない日もあれば、朝も昼も来ることがあった。しかし、学の意向はとにかく何かと用事が入ることが多くなり、断ることが少し増えていた。
「あれ」
 学校のある毎日にもすっかり慣れ、通常業務に入っていた頃だった。
 確実に持って来て机に仕舞っていたはずのノートが見当たらない。どこかへ置き忘れたのだろうか。しかし、そんなミスをした記憶はないし、その日は移動教室もなかった。せいぜい教室を離れたのは体育の時くらいだし、そんな時にうっかりノートを紛失するわけもない。
 悪い予感はしたが、ノートがないくらい学にとって問題ではなかったため、心当たりを探した後は仕方がないと肩を落とし、それで終わるはずだった。
 掃除当番だった学は、きっちりと掃除を終わらせて、率先してゴミ捨ての役割を買って出た。毎日は行かないにしろ、少なくとも金曜日に捨てに行くことは掃除当番としての義務である。クラブとか、用事とか、面倒だからという理由で渋る生徒が多いことを知っているため、いつだって学は手を挙げる。
「ありがとう、じゃあ頼んでもいいかな。今日は急いでて。来週は行くから」
「じゃあ再来週は私行くよ」
「じゃ、その次俺」
 基本的に、クラスメイトは学に優しかった。ゴミ捨てくらい、毎日行ってもいいくらいなのに、みんなが平等になるように互いに気を使い合っている。その優しさを受け取りながら、学はゴミ箱の蓋を開けて袋を取り出そうとした。
「でも、今日はけっこうゴミ多いし、僕も付いていくよ」
 声を上げたのは、小林だった。以前、陸にカツアゲされそうになっていた少年である。陸と接点を持つきっかけになった人物とも言える。
 あれ以来、学と小林の距離は縮まり、グループを組む時も同じになることが多かった。席も近かったため、仲良くなるのは必然とも言えた。大人しいイメージのあった小林もまた、漫画やアニメが好きで、話し出すと止まらないところがあった。外見に反して話すことは好きらしい。人見知りはするが、慣れてしまえば気が合った。夏休みに連絡を取り合ったり、遊びに行くことはなかったが、学校で顔を合せばぱっと花が咲いたように笑って、「夏休みどうだった?」と言う。小林とは、そんな関係性を築いていた。
 ゴミ袋二つくらい、一人で充分持つことは出来るが、「暇なんだ」と付け加えた眼鏡の奥が、話したいと微笑んでいる。夏休みのことで話し足りないことがあるのか、漫画のことか。何にせよ、小林の話は面白く聞いていたので、学は二つ返事で了承した。
 ゴミがこぼれ出ないように、しっかりと結ぶ。そうしている間にクラスメイトたちは挨拶しながら教室を出て行った。
「じゃあ行こ――」
 言いかけて、止まる。小林は、学のノートを持っていたのだ。まだ袋を結ぶ前で、狼狽えたように顔を曇らせた。
「何で、ゴミ箱に奥山くんのノートが……」
 ぱんと、表紙を払ってゴミを落とす。頼りなさ気に持つ手から、学はノートを奪うように受け取った。
「ああ、見つからないと思ってたんだ。誰かが間違えて捨てたのかも」
 平静を装って言ってみるが、小林は浮かない顔だ。全くフォローになっていない。遠くから聞こえる運動部の声がやけに耳についた。
「そんなわけ……そんなわけ、ないよね? 名前書いてあるし、間違えるわけが。だって、こんなの意図的としか」
 いじめ。ひどく懐かしい響きが、頭を通り過ぎて行った。
 最初は、小学生の時、学を気に食わないと思った男子生徒が、学の私物を隠し始めたのだ。
 学は、ピラミッドで例えるならば最上位の人間である。周りが、学をそういう目で見るのだ。実際は何も出来なくて劣等感でいっぱいだったとしても、そういう役割を引き受けることで、自然と地位は上がった。そんな学を、良く思わない生徒は、当然のごとく存在した。しかし、大っぴらにやると周りから猛反発を食らう。だから、こっそりと、ひっそりと、ミッションを達成しようと決断したらしい。
「ごめんなさい」
 拗ねたように謝った生徒たちを、学は冷めた目で見ていた。
 謝りたくないなら謝る必要なんてない。言いたかったけれど、学は笑った。
「いいよ」
 自分はいじめる価値なんてない人間なのに、こんな風に謝らせてしまって、罪悪感だけが募った。
 さらに、中学の時も少し。少し。少し。積まれていった罪悪感は、今更なかったことになんて出来ない。崩れないように、力を尽くすだけだ。
「まだ分からないし。もうちょっと様子を見るよ。もしそれっぽいようだったら、ちゃんと先生に相談する。心配しないで」
「本当に?」
 その問いに、頷くことは出来なかった。でも、嘘はついていないはずだった。それっぽくないと、学が判断した場合、言う必要はないのだ。
 どうせ、物がなくなる程度の些細な出来事、学にとっては屁でもない。あの時だって、親に相談するんじゃなかった。自分ひとりの力でどうにかすべきだった。
 そんな考えばかり、ぐるぐると腹の中でとぐろを巻く。
「僕が言っておこうか?」
「ううん、ありがとう。でも大丈夫だから、本当に心配しないで」
「何か僕に出来ることがあったら、言って」
「うん、ありがとう」
 それ以来、ぽつぽつと物が消え始めた。いつも決まって、ゴミ箱に捨てられていた。小林に悟られないよう気をつけている内、小林もそんなことはなかったように、普通に接してくれるようになった。
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