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チャプター【05】
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巨体が、徐々に浮き上っていく。
女のその細腕からは、とても想像しがたいパワーだった。
たとえ大猿と対等の体躯を有した格闘家であったとしても、その大猿の巨体を腕だけで持ち上げるなど不可能であろう。
それを、女は確実に持ち上げているのだ。
人間の域を遥かに超えていた。
それでも、大猿の巨体はやはり重すぎるのか、持ち上げようとする女の腕が止まった。
女は、ぎりぎりと奥歯を噛みしめた。
唇から覗く犬歯が、先程よりも伸びて見えるのは錯覚だろうか。
ごうッ!
女の喉が鳴った。
それは、獣の唸り声に似ていた。
そのとたん、大猿の巨体がふわりと宙に浮いた。
と思うと、その巨体は、背から床へと倒れこんでいった。
大猿がゆらりと立ち上がった。
「女。きさま、人間ではないのか」
すでに立ち上がっている女を見据えた。
女はそれに答えず、ファスナーを胸までもどした。
大猿を睨む、金碧色の瞳が光を発している。
「その眼の色……。まさか、おまえ――」
大猿の言わんとするのを、
「その先は、口にするな!」
女は制して、大猿に向かって床を蹴った。
「ぐぬう。返り討ちにしてくれるわ!」
突進してくる女に向かって、大猿が腕をふり下す。
その腕をすり抜け、女は懐に入りこむ。
「ハアァッ!」
女は、大猿の胸に貫手を放った。
一瞬、その手が、光に包まれたように見えた。
その場の空気が硬直したかように、女と大猿の動きが止まった。
数瞬の間があって、
「がはッ……」
大猿の口から鮮血が迸った。
身体がぐらりと揺れ、膝をついた。
女の手は大猿の胸を貫き、手首まで潜りこんでいた。
その手に、心臓を握っている。
「おまえの命は、私の手中にある」
大猿の心臓は、女の手の中でドクドクと跳ねた。
「だが、いまならまだ間に合うぞ」
「なにが、だ……命乞いをしろ、とでも言うつもりか」
大猿の声が掠れている。
「おまえ、ほんとうに人間にもどる気はないのか」
「馬鹿な……。人間になど、もどるものか……」
「そうか」
「だが、最後にひとつだけ、訊いてもいいか……」
「なんだ」
「きさま……、アビスタントだろう?」
「――――」
女はそれに答えない。
「やはりそうか……。たとえ排除人であろうが、人間がこのおれを持ち上げることなどできるわけがない……。しかし、わからぬ。アビスタントであるきさまが、なぜに排除人となって仲間を――」
そこでふいに、大猿の言葉が途切れた。
その言葉の代わりに、大猿はまたも口から血を吐いていた。
かっ、と見開かれた眼がゆっくりと閉じていき、力尽きたように首ががくりとうなだれた。
大猿は絶命していた。
女が、大猿の心臓を握り潰したのだった。
「仲間だと? ふざけるな……」
胸に入りこんでいる手を、女は引き抜いた。
大猿は膝をついたまま倒れることはなかった。
血に染まった手を、女は見つめた。
見つめる眼が、異様な光を帯びている。
すると女は、眼前に手を掲げるようにし、手首から腕へと流れていく血を舌で舐め上げた。
とたんに女の眼が、恍惚の色に変わった。
ごるぅ……。
小さく、女の喉で鳴った。両の唇の端が、つり上がっていく。
ぐるる……。
女は、ゆっくりと顎を上げていく。
唇が開く。
あ、ああ……。
開いた唇から、肉の裡に生まれた喜悦が吐息となってこぼれる。
その唇に覗く犬歯が、はっきりとわかるほどに、先ほどよりも長く伸びていた。
すると、女の血に濡れた指先が震えはじめた。
ぎりり、と奥歯を噛みしめている。
「ぐくッ……」
眉根をよせるその表情は、おのれの淵からこみ上げてくるものを必死に抑えこもうとしているかのようだった。
女のその細腕からは、とても想像しがたいパワーだった。
たとえ大猿と対等の体躯を有した格闘家であったとしても、その大猿の巨体を腕だけで持ち上げるなど不可能であろう。
それを、女は確実に持ち上げているのだ。
人間の域を遥かに超えていた。
それでも、大猿の巨体はやはり重すぎるのか、持ち上げようとする女の腕が止まった。
女は、ぎりぎりと奥歯を噛みしめた。
唇から覗く犬歯が、先程よりも伸びて見えるのは錯覚だろうか。
ごうッ!
女の喉が鳴った。
それは、獣の唸り声に似ていた。
そのとたん、大猿の巨体がふわりと宙に浮いた。
と思うと、その巨体は、背から床へと倒れこんでいった。
大猿がゆらりと立ち上がった。
「女。きさま、人間ではないのか」
すでに立ち上がっている女を見据えた。
女はそれに答えず、ファスナーを胸までもどした。
大猿を睨む、金碧色の瞳が光を発している。
「その眼の色……。まさか、おまえ――」
大猿の言わんとするのを、
「その先は、口にするな!」
女は制して、大猿に向かって床を蹴った。
「ぐぬう。返り討ちにしてくれるわ!」
突進してくる女に向かって、大猿が腕をふり下す。
その腕をすり抜け、女は懐に入りこむ。
「ハアァッ!」
女は、大猿の胸に貫手を放った。
一瞬、その手が、光に包まれたように見えた。
その場の空気が硬直したかように、女と大猿の動きが止まった。
数瞬の間があって、
「がはッ……」
大猿の口から鮮血が迸った。
身体がぐらりと揺れ、膝をついた。
女の手は大猿の胸を貫き、手首まで潜りこんでいた。
その手に、心臓を握っている。
「おまえの命は、私の手中にある」
大猿の心臓は、女の手の中でドクドクと跳ねた。
「だが、いまならまだ間に合うぞ」
「なにが、だ……命乞いをしろ、とでも言うつもりか」
大猿の声が掠れている。
「おまえ、ほんとうに人間にもどる気はないのか」
「馬鹿な……。人間になど、もどるものか……」
「そうか」
「だが、最後にひとつだけ、訊いてもいいか……」
「なんだ」
「きさま……、アビスタントだろう?」
「――――」
女はそれに答えない。
「やはりそうか……。たとえ排除人であろうが、人間がこのおれを持ち上げることなどできるわけがない……。しかし、わからぬ。アビスタントであるきさまが、なぜに排除人となって仲間を――」
そこでふいに、大猿の言葉が途切れた。
その言葉の代わりに、大猿はまたも口から血を吐いていた。
かっ、と見開かれた眼がゆっくりと閉じていき、力尽きたように首ががくりとうなだれた。
大猿は絶命していた。
女が、大猿の心臓を握り潰したのだった。
「仲間だと? ふざけるな……」
胸に入りこんでいる手を、女は引き抜いた。
大猿は膝をついたまま倒れることはなかった。
血に染まった手を、女は見つめた。
見つめる眼が、異様な光を帯びている。
すると女は、眼前に手を掲げるようにし、手首から腕へと流れていく血を舌で舐め上げた。
とたんに女の眼が、恍惚の色に変わった。
ごるぅ……。
小さく、女の喉で鳴った。両の唇の端が、つり上がっていく。
ぐるる……。
女は、ゆっくりと顎を上げていく。
唇が開く。
あ、ああ……。
開いた唇から、肉の裡に生まれた喜悦が吐息となってこぼれる。
その唇に覗く犬歯が、はっきりとわかるほどに、先ほどよりも長く伸びていた。
すると、女の血に濡れた指先が震えはじめた。
ぎりり、と奥歯を噛みしめている。
「ぐくッ……」
眉根をよせるその表情は、おのれの淵からこみ上げてくるものを必死に抑えこもうとしているかのようだった。
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