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チャプター【03】
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「なんだっていいさ。ただ、おまえを排除する者とだけ言っておくよ」
女が言った。
「なに? いま、このおれを排除すると言ったか?」
血にまみれた口を舌でぐるりと舐め取り、大猿はゆっくりと立ち上がった。
2メートルを優に超えた巨躯(きょく)であった。
「ああ、言った」
女は平然と答えた。
大猿を見上げる形になっても、臆するところは微塵もない。
それどころか、かすかな笑みさえ、その唇に浮かべている。
「むふう。すると、なにか? きさまが排除人(エリミネーター)だとでも言うのか。それは、冗談のつもりか?」
大猿が言った。
「冗談かどうか、試してみな」
女は挑発した。
「グクク、これは驚いた。このおれを前にして、恐れをなすどころか啖呵を切るとはなァ。女ァ。正直に言えば、命は助けてやってもいいぞ。きさま、何者だ」
「くどいぞ。なんだっていいと言ったはずだ。そんなことより、おまえ、アビスタントに咬まれて、異形(いぎょう)に変異してからどれくらいだ」
「なぜ、そんなことを訊く」
「変異してまだ間もないのなら、人間にもどれる可能性がある」
「人間にもどれる可能性だと?」
「そうだ。アビスタントは人の血を吸うとき、己の遺伝子を送りこむ。すると人の遺伝子は、アビスタントの遺伝子に上書きされてしまう。それによって変異を引き起こすんだよ。だが、遺伝子が完全に上書きされるまでには時間がかかる。それまでならば――」
「人間にもどれるという訳か」
女が言わんとすることを、大猿が先に言った。
「そうだ。しかし、おまえのようにセリアンとなって時間が経ちすぎてしまっては、その可能性は無に等しくなる」
女が言う。
「人間にもどる、か――。くだらん。人間など、いまのおれにはただの餌よ。そんな下等な生き物に、もどりたいと思うか」
「訊くだけ、野暮ということか」
女は唇の右端を上げた。
「馬鹿なやつだ。アビスタントならともかく、そんなできそこないに変異して、どこがいいんだ。それに、完全体になれば、おまえは意識を失ってしまうんだぞ。それでもいいのか」
「かまわぬさ。意識を失おうと、本能のまま、人間の血肉を貪り喰うことができるならなァ。力も劣る下等な人間にはわかるまいよ。この身体の素晴らしさが。グフフ」
「それならそれで、こっちとしては好都合だ。心置きなく、おまえを排除させてもらうさ」
大猿の貌に、女は銃口を向けた。
「おう。威勢のいいことよ。おしゃべりはもうすんだか? おれは早くきさまの血を啜りたくてうずうずしているんだよ。人間の血を啜り、臓物を喰らうならば、やはり女がいちばんだからなァ」
そこで大猿は、口吻の端をつり上げ、にたりと嗤った。
血に染まった黄ばんだ歯が覗く。上の犬歯が、鋭い牙となって伸びていた。
「ぐだぐだとうるさいやつだね。弾(はじ)くぞ」
女は、さらに挑発した。
「おおう。その強気、実にいい。たまらんなァ。ゾクゾクするぞ」
大猿の口吻から、よだれが滴り落ちている。
その次の瞬間、
ダンッ!
その音とともに、大猿の右耳が弾け飛んだ。とたんに鮮血が噴き出す。
「グアッ!」
大猿は耳を手で押さえてのた打った。
「ぐごうぅ。きさま、撃ちやがったなァ!」
「だから、弾くと言っただろう?」
女は小首を軽く傾げてみせた。
唇の端には嘲笑が浮かんでいる。
「きさま、よくもォ!」
赤い双眸(そうぼう)で、大猿は、ぎろりと女を睨みつけた。
「もう片方も、弾き飛ばしてやろうか。そのほうが、マシになるんじゃないか?」
「きさま、許さんぞォ!」
大猿は右耳から手を放し、胸を大きく張った。
ゴオォォォォウッ!
咆哮した。
その凄まじい大音響に、廊下の壁がびりびりと振動した。
大猿の肩、胸が一段と大きさを増した。
弾け飛んだ右耳の出血が止まっている。
「ハハァ。きさまァ、生きたまま臓物喰い、狂い死にさせてやるう」
大猿がいやらしい笑みで顔をゆがめ、舌なめずりをした。
「獣人が。いいから、さっさと来なッ!」
女がそう言うや否や、大猿が女へと突進した。
疾(はや)い。
その巨躯からは想像しがたいスピードだった。
「ゴアッ!」
右腕をふり上げ、女の頭上からふり下す。
そんなものをまともに喰らったら、頭部が吹き飛んでしまうだろう。
だが女は、ふり下されてくる大猿の腕を、後方へと跳んで、ぎりぎりのところで躱(かわ)した。
標的を失ったその腕は、そのまま廊下の床を粉砕した。
女が言った。
「なに? いま、このおれを排除すると言ったか?」
血にまみれた口を舌でぐるりと舐め取り、大猿はゆっくりと立ち上がった。
2メートルを優に超えた巨躯(きょく)であった。
「ああ、言った」
女は平然と答えた。
大猿を見上げる形になっても、臆するところは微塵もない。
それどころか、かすかな笑みさえ、その唇に浮かべている。
「むふう。すると、なにか? きさまが排除人(エリミネーター)だとでも言うのか。それは、冗談のつもりか?」
大猿が言った。
「冗談かどうか、試してみな」
女は挑発した。
「グクク、これは驚いた。このおれを前にして、恐れをなすどころか啖呵を切るとはなァ。女ァ。正直に言えば、命は助けてやってもいいぞ。きさま、何者だ」
「くどいぞ。なんだっていいと言ったはずだ。そんなことより、おまえ、アビスタントに咬まれて、異形(いぎょう)に変異してからどれくらいだ」
「なぜ、そんなことを訊く」
「変異してまだ間もないのなら、人間にもどれる可能性がある」
「人間にもどれる可能性だと?」
「そうだ。アビスタントは人の血を吸うとき、己の遺伝子を送りこむ。すると人の遺伝子は、アビスタントの遺伝子に上書きされてしまう。それによって変異を引き起こすんだよ。だが、遺伝子が完全に上書きされるまでには時間がかかる。それまでならば――」
「人間にもどれるという訳か」
女が言わんとすることを、大猿が先に言った。
「そうだ。しかし、おまえのようにセリアンとなって時間が経ちすぎてしまっては、その可能性は無に等しくなる」
女が言う。
「人間にもどる、か――。くだらん。人間など、いまのおれにはただの餌よ。そんな下等な生き物に、もどりたいと思うか」
「訊くだけ、野暮ということか」
女は唇の右端を上げた。
「馬鹿なやつだ。アビスタントならともかく、そんなできそこないに変異して、どこがいいんだ。それに、完全体になれば、おまえは意識を失ってしまうんだぞ。それでもいいのか」
「かまわぬさ。意識を失おうと、本能のまま、人間の血肉を貪り喰うことができるならなァ。力も劣る下等な人間にはわかるまいよ。この身体の素晴らしさが。グフフ」
「それならそれで、こっちとしては好都合だ。心置きなく、おまえを排除させてもらうさ」
大猿の貌に、女は銃口を向けた。
「おう。威勢のいいことよ。おしゃべりはもうすんだか? おれは早くきさまの血を啜りたくてうずうずしているんだよ。人間の血を啜り、臓物を喰らうならば、やはり女がいちばんだからなァ」
そこで大猿は、口吻の端をつり上げ、にたりと嗤った。
血に染まった黄ばんだ歯が覗く。上の犬歯が、鋭い牙となって伸びていた。
「ぐだぐだとうるさいやつだね。弾(はじ)くぞ」
女は、さらに挑発した。
「おおう。その強気、実にいい。たまらんなァ。ゾクゾクするぞ」
大猿の口吻から、よだれが滴り落ちている。
その次の瞬間、
ダンッ!
その音とともに、大猿の右耳が弾け飛んだ。とたんに鮮血が噴き出す。
「グアッ!」
大猿は耳を手で押さえてのた打った。
「ぐごうぅ。きさま、撃ちやがったなァ!」
「だから、弾くと言っただろう?」
女は小首を軽く傾げてみせた。
唇の端には嘲笑が浮かんでいる。
「きさま、よくもォ!」
赤い双眸(そうぼう)で、大猿は、ぎろりと女を睨みつけた。
「もう片方も、弾き飛ばしてやろうか。そのほうが、マシになるんじゃないか?」
「きさま、許さんぞォ!」
大猿は右耳から手を放し、胸を大きく張った。
ゴオォォォォウッ!
咆哮した。
その凄まじい大音響に、廊下の壁がびりびりと振動した。
大猿の肩、胸が一段と大きさを増した。
弾け飛んだ右耳の出血が止まっている。
「ハハァ。きさまァ、生きたまま臓物喰い、狂い死にさせてやるう」
大猿がいやらしい笑みで顔をゆがめ、舌なめずりをした。
「獣人が。いいから、さっさと来なッ!」
女がそう言うや否や、大猿が女へと突進した。
疾(はや)い。
その巨躯からは想像しがたいスピードだった。
「ゴアッ!」
右腕をふり上げ、女の頭上からふり下す。
そんなものをまともに喰らったら、頭部が吹き飛んでしまうだろう。
だが女は、ふり下されてくる大猿の腕を、後方へと跳んで、ぎりぎりのところで躱(かわ)した。
標的を失ったその腕は、そのまま廊下の床を粉砕した。
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