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チャプター【111】
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風が鳴っている。
頭上高くで聴こえるその音は、まるで獣の咆哮のようだ。
山道である。
両側を木々に囲まれ、わずかに覗く空には、散った枯葉が強い風に流されている。
「荒れておるな」
歩を進めながら頭上を見上げ、仙翁が言った。
「空も猛っているようだの」
仙翁その言葉の意味を理解し、ともにゆく継ぐべき者たちの身も、猛っていくようだった。
それぞれの眼が、凛とした光を帯びている。
だれひとりとして口を開く者はいない。
遥か前方へと眼を馳せている。
風の音以外は、枯葉を踏む足音だけが聴こえていた。
しばらくいくと、とつぜんのように視野が開けた。
広大といえる空間に出たのだ。
山間に広がった、荒野と思しき場所であった。
一同は、その荒野へと足を踏み入れていく。
その荒野の中央付近まで来ると、
「この辺りでよかろう」
仙翁が足を止め、他の者も同様に足を止めた。
異論を吐く者はいない。
皆、そこが決戦となる場であることを感じている。
荒野を吹き抜ける荒れた風が、一同をなぶっていく。
時間が流れていく。
長い沈黙のあと、
「来る」
仙翁が言った。
すると、前方の山裾から、こちらへ向かってくる複数の人の姿が見えた。
皆、馬に跨っている。
近づくごとに、馬上の人の姿形がはっきりとしてくる。
「羅紀――」
仙翁が呟いた。
やはりそこでも、他に声を発するものはいない。
7頭の馬が横並びに向かってくる。
その中央の馬上に、羅紀の姿があった。
その顔には、あるかなしかの微笑が浮かんでいる。
7頭の馬が脚を止めた。
仙翁率いる、春、夏の継ぐべき者たちから10メートルほど先である。
羅紀たちが馬上から降りた。
「ここにいては危険ですよ。あなたたちは行きなさい」
羅紀がそう囁くと、馬たちは、もと来た山道へ向かって走り去っていった。
月密が、羅紀の顔をジッと見上げている。
それに気づいて、
「わたしの顔に、なにかついていますか?」
羅紀が訊いた。
「闇は、ぬしがこの世に生じさせたもの。ぬしこそが、闇の根源じゃ」
月密は、唐突にそう言った。
「――――」
羅紀は黙って月密を見つめている。
「しかし、此度(こたび)のぬしを見、ぬしと接し、わからぬようになった」
そこで月密は瞼を閉じた。
「なにがです?」
「ぬしというものがよ」
月密は瞼を開き、改めて羅紀を見た。
「この1000年のあいだに、ぬしになにがあったのじゃ」
「なにがあったかとあえて申すなら、その1000年の長き時がわたしを変えた、とでも言っておきましょうか」
「うむう……」
月密は、羅紀の微笑の中の眼から、何かを捜し出そうとでもしているかのように見つめつづけている。
その視線を、羅紀は微笑のまま受けていた。
そのふたりに、割って入るように、
「いまは、そんな話をしている場合ではないだろう」
紫門が言った。
その紫門は、対峙する仙翁率いる、春、夏の継ぐべき者たちを見据えていた。
「紫門の言うとおりですよ、月密」
羅紀のその言葉に、
「わかっておるわ」
月密も、仙翁たちへと向き直った。
羅紀もまた、仙翁たちへと向き直る。
その視線は、仙翁へと投げられていた。
「ひさしぶりじゃのう」
言ったのは、仙翁だった。
「懐かしいですね、仙翁。そなたとは2000年ぶりです」
眼を細めて、羅紀が答える。
「うむ。あのときと、まったく変わらぬ姿よ」
「それはお互いさまと言うもの。とは申せ、あのときと比べ、いまのそなたの霊力は、ずいぶん落ちてしまったようですね」
「それはしかたなきことよ。いまの儂は分身であるからの。おぬしを封印するのとはべつに、儂は錫杖に霊力を残した。いま思えば、それが誤りであったのかもしれぬ。おぬしに掛けた封印を、わずか1000年で解かれてしまったのだからのう」
「1000年を、わずかとは言いますね。しかし、そなたに封印されてから200年後、神谷剣尊によってその封印を強固なものにされていなければ、もっと早くに自由になれたのですがね」
「おぬしこそ言うではないか。儂の掛けた封印は、それほどの効力はなかったと申すか」
「それが事実というものです」
「ならば此度は、この先永久に封印してくれようか」
仙翁は、皮肉な笑みを浮かべた。
「そなたのいまの霊力で、それができますか?」
「クク。1000年前、おぬしが封印を解いたとき、儂は実体化するまでの霊力を持たなかった。それゆえ、おぬしと闘うことができなかったが、いまはほれ、こうして実体化するまでの霊力を取りもどしておる。分身だからと侮っておると、痛い目をみるぞ」
羅紀を睨みつける、仙翁の唇の端にも笑みが浮かんでいた。
「侮るなどと、まさか。そなたは、おのれが死にゆく間際まで、謀(はかりごと)を企むほどの策士ですからね」
「それは褒め言葉かの」
「ええ。死にゆく身でありながら、このわたしを封印しただけでも、賛辞に値します。当然ですよ」
「ほう、それはうれしいのう。しかし、おぬしも、一度ならず二度までも封印を解くとは、よほどこの世界に執着があるようだの。真の和などと申して、冬、秋の継ぐべき者を仲間に引き入れたのも、その執着心ゆえか」
「執着心、ですか」
羅紀の顔から、すうっと微笑が消えた。
「そんなもので真の和を唱えるほど、わたしが愚かだと?」
「だが、そんな戯言を信ずる者などおらぬぞ」
「むろん、信じてなどいないでしょうね。ですが、このわたしについてきたのは、まぎれもない事実。それがなぜかわかりますか? このわたしの力が必要だからですよ。いまのこの世界を変えるためにね」
「世界を変えるか。なるほどの。人が自ら闇へと化してしまったいま、その闇を一掃するには、圧倒的な力というわけか。闇には闇。そんなところであろう。しかし、世界を変えるならば、おぬしの力は必要ない。おぬしは、ただの起爆剤にすぎぬ」
「ただの起爆剤とは、これはまた言ってくれますね。では、そなたならば変えられると言うのですか? それができていたならば、世界はこのようにはなっていなかったはず。違いますか? だからこそ、うしろの者たちは、このわたしの力を必要としたのですよ」
「――――」
仙翁は気圧されたように押し黙った。
視線を落し、わずかに沈黙すると、
「確かにの」
そう言った。
「おぬしの言うとおり、この儂に、この世界を変える力はない。だが、それはおぬしにも言えることよ。おぬしや儂の力では、この世界は変えられぬ。いや、変えてはならぬのだ」
仙翁は、視線を羅紀へともどした。
「人の世は、人の力で変えねばならない、とでも?」
「そのとおりよ。そうでなければ、人は成長せぬ。このまま、そなたの力を借りて世界を一掃したとて、それは一時しのぎにすぎぬのだ。時が経てば、またおなじことをくり返すだけよ。それは、儂の力もおなじこと。どれだけの時がかかろうとも、人は人のみの力で、世を正していかねばならぬ」
「なんと悠長なことを。この世界は、すでに滅びゆく途中にあるというのに。それだけにわたしは、冬、秋の継ぐべき者に働きかけたのではありませんか。世界の滅びを止めるためにね」
「おぬしが、そんな台詞を吐くとは、驚きよのう」
仙翁のその言葉に、羅紀は数瞬の間を置くと、
「仙翁。わたしは、そなたに感謝しているのですよ」
ふいに、そんなことを口にしていた。
「感謝だと?」
仙翁が訊く。
「そなたに封印された1000年。わたしはそなたへの、憎悪と怒りを糧に長き時をすごした。そして封印を解き、しかし、またしてもわたしは、12人の継ぐべき者によって封印され、さらに1000年――」
そこで羅紀は言葉をつめ、
「我は、自己を見つめることに費やした」
再び口を開いたときには、その口調が変わっていた。
「その中で我は、世に放っておいた闇の者たちから、人間が闇へと化して、世界が変わっていく有様を耳にした。その闇は、人間の裡の奥底に眠る闇であった。その闇は、増幅し、増大していった。しかし、100年ごとに現れる継ぐべき者たちは、我の放った闇を斃しても、闇と化した人間を斃しはしなかった。継ぐべき者は、闇と化した人間をも護っていたのだ。その結果は言わずとも知れよう。人間の裡に眠っていた闇。それは、人間の本質とも言える。我の闇とは、似て非なるもの。我は考えた。考えに考え抜いた。我は、人間に対しどうあるべきかとな。そうして出た答えが――」
「真の和か」
羅紀が言わんとすることを、仙翁が言った。
「そうだ」
「なぜに、その考えに及んだのだ。この地界宮を欲していたおぬしが、人間を平然と殺し、または闇の者へと変貌させたおぬしが、なぜだ」
「だから申したではないか。そなたに感謝していると。いや、正確に申せば、1000年前、我を封印した12人の継ぐべき者に、と言うべきか。その封印によって、我は変わったのだ」
「確かにおぬしは変わった。いまのおぬしからは、邪気を感じぬからのう。しかし、だからといって、いまの話を信じることはできぬ。羅紀。申せ。おぬしの真の目的はなんだ。この世界の王となることか」
「クク。世界の王か。それも悪くはないが、いまの我には、そんなものに興味はない」
「では、なんだと言うのだ」
その問いに答えず、羅紀は視線をつるぎへと移していた。
「そなたが、異界からの来訪者か」
つるぎに向かって羅紀が訊いた。
「えッ、あの、ボク、ですか。えっと、その、まあ、一応そういうことになります」
まさか、このタイミングで羅紀が自分に対して問いかけてくるとは思わず、つるぎはしどろもどろになった。
「運悪き者よ」
「え、どういうこと?」
思わず、つるぎは訊いていた。
「これよ」
羅紀は言うと、右手を正面に突き出し、空を掴む仕草をした。
指先が内側へと狭まっていく。
と、
「うッ、ぐぐ……」
つるぎが苦しそうに、自分の首に手をやった。
「く、苦しい……」
つるぎは呼吸ができないようだった。
そのつるぎの身体が、宙に浮いていく。
「くッ、まずい」
仙翁は2本の指を立て、下唇をあてると、小さく呪を唱えた。
そのとたん、宙に浮いたつるぎは、糸が切れたように地に落ちた。
「がはッ!」
つるぎは首を押さえ、咳きこんだ。
「つるぎさん。大丈夫ですか」
すぐに凛が駆けよっていき、咳きこむつるぎの背をなでた。
「いきなりだのう。なんのつもりだ」
仙翁が、羅紀に向かって言った。
「来訪者への、軽い挨拶よ」
「軽い挨拶だと? 儂が術を解かねば、おぬし、首をへし折っていたのではないか?」
「へし折るつもりならば、そなたが術を解く間もない」
「フン。ならば、儂からも挨拶をしようかの」
仙翁は錫杖を鳴らした。
呪を唱えようとしたそのとき、
「仙翁」
つるぎの声が止めた。
つるぎは立ち上がっていた。
首には、指の痕が赤く残っている。
「羅紀は、このボクに挨拶をしたんだ。だったら、ボクが挨拶を返すのが礼儀ってもんだよ」
つるぎは、羅紀を見据えている。
眼の奥に、赤い光が燈っていた。
「羅紀。挨拶のやり直しだ。いまの挨拶、もう一度やって見せてよ」
羅紀を見据えたまま、平然として言った。
「な、なにを言うのだ。つるぎ!」
仙翁が、思わず顔をしかめてつるぎを見た。
「ほう。言うではないか」
言うが早いか、羅紀は空を鷲づかみにした。
すると、つるぎの首に残った指の痕と同じ個所が、窪み始めた。
「さて、そなたの望みどおりにしたが、どうするのだ?」
微笑している羅紀の唇の端が、くっとつり上がった。
つるぎの首の窪みが、肉眼でも確認できるほど、さらに窪んでいく。
そのつるぎの身体が、またも宙に浮かぶ。
しかし、つるぎは首を庇おうともせず、何事もないような顔で羅紀を見つめている。
仙翁がまた、呪を唱えようと下唇に2本の指を立てた。
それを、つるぎが手を上げて制していた。
「君の力って、こんなものなの? ちょっとがっかりかも」
つるぎが言った。
「小童(こわっぱ)ごときが、この我にそのような口を利くとは小賢しい」
空を掴む指を、羅紀はさらに狭めた。
だが――
「なに?――」
羅紀は眉をひそめた。
狭めているはずの羅紀の指が、逆にもどされていく。
「ばかな――」
羅紀は眉根を寄せた。
「じゃあ、今度は、ボクのほうも挨拶をしなきゃね」
言うと、つるぎは眼を、かっと見開いた。
すると、空を掴んでいた羅紀の右手が手首ごと、破裂したかのように四散した。
「ぐわッ!」
手首を失った腕を、羅紀は左手で掴む。
しかし、手首を失ったその傷口からは、なぜか出血はしていなかった。
「ククク。やはり、そなたが環力(わりょく)を得た者のようだな」
「環力? なに、それ?」
「知らぬのか、それともただとぼけておるのか。まあ、よい。これで、互いの挨拶はすませたというわけだな。異界からの来訪者よ」
羅紀は腕の傷口を上に向けた。
すると、まるで映像の逆再生を観ているかのように、四散した手首がもとにもどっていった。
「うお、すげーな。あんなこともできるのかよ」
言ったのは、コウザだった。
もとへともどっていく羅紀の右手首を見て言ったのだ。
「どういうことじゃ。説明せい」
コウザを見上げて、月密が訊いた。
「どういうことって、見りゃあ、わかるだろ? 破裂した羅紀の手首がもとにもどったんだよ」
「だれも、そんなことは訊いておらぬ。さきほどから羅紀は、あの継ぐべき者を異界からの来訪者と言っておるが、どういうことなのじゃ」
「そうか。あんたたちには、まだ話してなかったな。あいつは、異界からとつぜん現れたらしいんだ。そして、春ノ洲にある神谷の森の100年岩から剣の霊晶石を引き抜き、継ぐべき者になったんだよ」
「なんと――」
月密は驚愕して眼を伏せ、その眼をすぐに上げた。
「それとじゃ。いま、環力と言わなんだか」
「ああ、そのこともまだだったな。あいつはどうやら、環力を得ているらしい」
「ばかな。環力を得たなどと、あろうはずがない。あれは――」
「そう、伝説のようなものだよ。いや、伝説だったと言ったほうがいいな」
「伝説だった、とはどういうことじゃ」
「羅紀と紫門は、環力を得た男と闘っている。とは言っても、そのふたりは、完全に環力をものにしたというわけではなかったがな」
「――――」
月密は、紫門へと顔を向けた。
「環力を得た者と闘ったというのは、真実(まこと)かえ」
月密のその問いに、
「ああ」
紫門は月密を見ずにうなずき、それ以上は口を閉ざした。
「それだけでは、なにもわからぬぞえ」
「――――」
紫門は口を開かない。
「黙っておらずに、詳しく話さぬか。その者と闘ってどうなった」
焦れたように、月密が言うと、
「その男はよ、紫門の同門だったんだ」
紫門に代わって、コウザが答えた。
「同門?……」
月密は、コウザへと顔をもどす。
「そいつは、環力をものにはしたが、それは一時的なものだったんだ。無理やりクンダリニーってのを覚醒させてしまったためにな。それによって引き起こされる、反動の波に――」
「やめろ、コウザ! 余計なことをしゃべるな!」
コウザが言うのを、紫門が制した。
「わかったよ。わかったから、そんな恐い眼で睨むなって」
コウザは両の手のひらを紫門に向け、降参だ、という仕草をした。
「よほど、その同門のことには触れてほしくないようじゃな。ならば、羅紀と闘った者はどうだったのじゃ。やはり一時的のものだったのか」
月密は食い下がらずにコウザに訊いた。
「その男は、冬ノ洲の五大老の長、邪黄(じゃこう)ってやつだったんだが、環力のほんの一部を得た程度で、いとも簡単に羅紀に殺(や)られちまったよ。それにしてもよ、どうしてそんなに環力のことを知りたがるんだ?」
そう訊いた。
月密はすぐには答えず、黙考したが、
「狗音(くおん)じゃ」
狗音を見やって言った。
「やつがどうした」
コウザも、狗音に眼をやった。
狗音は、対峙する羅紀とつるぎを見据えている。
コウザと月密の会話を聴いているのかいないのか、その様子からではわからなかった。
「そやつは、クンダリニーの覚醒のために、霊性の受け渡しをしたのじゃ」
月密が言った。
「なに?」
月密の言葉に、コウザの顔が険しいものになった。
「その霊性の受け渡しをしたのは、わらわよ」
「なんだよ、それ。あんたも、環力は伝説のようなものだと思ってたんじゃねえのかよ」
「そうじゃ。じゃが、そう思うようになったのは、狗音がクンダリニーの覚醒を果たせなかったときからよ。やはり伝説だったのか、とな。しかし、一時的やほんの一部とはいえ、環力を得た者がおったとは……。そのうえ、あの異界の者までもが、環力を得ていると言うのか」
狗音に向けていた視線を、月密はつるぎへと移した。
「あいつの環力は、どうやら本物らしいぜ」
コウザが言う。
「そんなことが、なぜわかるのじゃ」
「冬ノ洲の城を陥落(お)としたその直後、羅紀と紫門は、夏ノ洲に凄まじい霊気を感じたと言っていた」
「凄まじい霊気……。おう、それならば、わらわも感じたぞえ。確かにあれは、凄まじい霊気じゃったわ。じゃが、それだとおかしい。あの異界の者からは、あのときの霊気を感じぬ」
つるぎを見つめる眼を、月密は細めた。
「うむ。俺はあのとき、ふたりの言っていた霊気を感じなかったが、いまのあいつの霊気が、俺の霊気よりも弱いっていうのはわかるぜ。ならよ、羅紀はなぜあいつを、環力を得た者と言ったんだ?」
「わらわも、はっきりと聴いたぞえ」
コウザと月密がそんな会話を交わしていたそのとき、
「なんだい、あれは……」
白薙の驚愕の声が聴こえた。
ふたりは、白薙に眼を向け、そして、その白薙が見つめる視線の先へと眼をやった。
対峙(たいじ)する互いの中央。
そこに球体が出現していた。
その大きさは1メートルほどもあった。
球体の周囲の大気がゆがんで見える。
磁場に影響を及ぼし、磁気が発生しているらしい。
「霊動破だ」
紫門が言った。
「霊動破だと?」
コウザが訊く。
「ナギと闘ったとき、やつが放ったものと同じだ。あんなに大きなものではなかったがな」
「というと、あれは羅紀が発現させているのか」
羅紀に眼を向けると、もうすでにもとにもどっている右手を掲げ、前方の球体に手のひらを向けていた。
「だがよ、なぜ、あんなところに浮かせたままなんだ?」
「よく見よ。あれの反対側の面を」
そう言ったのは、月密だった。
コウザは、身体を横へとずらした。
コウザの位置からだと、その球体は黒い球体にしか見えなかったが、身体を横へずらして見てみると、その球体は中央から向こう側の半球の色が違っているのだった。
こちら側の半球が黒。
向こう側の半球は青であった。
「どういうことだ。ありゃあ」
コウザはさらに、視線を球体の先へと移した。
「まさか、あの異界のやろうが抑えてるってるのか!」
視線の先には、つるぎの姿がある。
つるぎは、両の手のひらを球体に向けてかざしていた。
それだけではない。
「なんだよ、あいつの霊気。さっきとは、比べものにならねえじゃねえかよ……」
コウザは思わず、息を呑んだ。
そのときのつるぎの霊気は、羅紀と同等の言える質量があった。
「この霊気。あのとき感じたものと同質のものじゃ。これが環力というものなのか……」
月密も、つるぎの霊気を感じて息を呑んでいた。
と、そのとき、球体が膨張を始めた。
球体は瞬く間に膨張していき、3メートルの大きさにまで膨らんだ。
それでもさらに、膨張をしつづけている。
「皆の者、この場におったら捲(ま)きこまれるぞ! 逃げるのじゃ!」
月密が叫んだ。
羅紀を残し、他の者は20メートルほど後方へと退避した。
仙翁たちも、同じように後方へと退(ひ)いた。
球体は5メートルほど膨張すると、今度は収縮していき、もとの大きさよりもさらに小さくなっていった。
そのまま消えてなくなるのではないか、そう思えた瞬間、球体はまたも膨張し始め、内部から光を発すると爆発を起こした。
凄まじい衝撃波が、爆風となって一気に広がった。
爆風が治まり、相対する者たちは、それぞれが立ち上がった。
舞い上がった土煙が風に流されると、そこには、半径10メートルを超える大きな溝ができていた。
その溝の中に、ふたつの人影がある。
ひとつは羅紀。
そしてもうひとつは、つるぎであった。
つるぎは膝を落し、両手を地に着いていた。
「つるぎッ!」
仙翁が呼びかけた。
つるぎは、それに答えない。
いや、霊気の消耗が激しく、答えることができないのだ。
肩で息をついている。
「つるぎ!」
いつの間にか、つるぎの横に仙翁が立っていた。
「怪我はないか?」
つるぎの背に手を置く。
「大丈夫。怪我はないよ。ただ、少し疲れたな……」
つるぎの息はまだ荒れている。
「無理もない。あれだけの霊気を放出したのだからの」
「自分でも、びっくりだよ。ボクにあんなことができるなんてさ……」
「他の者ならば、気を失うか、悪ければ命を落としていたやもしれぬ」
「仙翁……」
つるぎは立ち上がろうとする。
「なんじゃ」
仙翁が手を貸す。
「さっき、羅紀は、『やはり、そなたが環力を得た者のようだな』って言ったけど、その環力っていうのがボクの力なの?」
「うむ。しかし、いまはそれについて話しておる暇はない。おぬしは霊力を使いすぎた。少し休んでおれ。羅紀は、儂が相手をする」
「ボクなら大丈夫。充分に闘えるよ」
「わかっておる。だが、つるぎ。他の者が見ておる。儂も仙翁だ。かっこ良いところを見せたいのよ。それにの、かつての敵を前にし、儂はいま血が滾(たぎ)っておる。この滾りは、やつと闘わずして治まるものではない。ここは、この儂を立ててはくれぬか」
「そう言われちゃったら、だめだとは言えないよね。うん、わかった。仙翁。あいつ、やっつけちゃって」
「すまぬの、つるぎ」
仙翁は、羅紀に眼を向けた。
羅紀は悠然と立ち尽くしている。
「仙翁。そなたが相手をするのか? わたしはかまわぬぞ。そなたを斃すのに、そう時間はかからぬだろうからな」
羅紀の顔には、いつもの微笑が浮いている。
「おぬし、やはり儂を侮っておるようだの」
仙翁は、錫杖を水平に持ち、正面に掲げた。
「クク。さきほどは、侮ってなどいないなどと申したが、訂正しよう。いまのそなたなど、侮るまでもないわ」
羅紀はマントを翻し、腰の妖刀を抜刀した。
と、そのとき、
「羅紀様――」
声がした。
「無面か」
羅紀の立つ横に、光の粒子が凝りはじめると、そこに無面の姿が現れた。
無面は地に膝をつき、平伏している。
「なに用か」
仙翁を見据えたまま、羅紀が言う。
「あの者と殺り合うこと、このわたくしめにお任せいただけませぬか」
「無面。我が邪魔をされるのをもっとも嫌うということ、忘れたか」
「いえ、滅相もござりませぬ」
「ならば、承知のうえで、そのようなことを申したと?」
「はい」
「ほう」
羅紀は、横目で無面を見下ろし、その無面の頸に妖刀をあてた。
その答え如何によっては、斬る。
そういった圧力がそこにあった。
「あの者と殺り合うこと、約束にござります」
無面が答えた。
「約束?――」
羅紀は、仙翁へと視線を流した。
「いまの話、真実(まこと)か」
訊いた。
「うむ。確かよ」
仙翁が答えた。
「そうか」
羅紀は、無面の頸から妖刀を引いた。
「約束とあらば、それを反故(ほご)にさせるわけにはいかぬな。ぞんぶんに殺り合うがよい」
羅紀は、妖刀を鞘に納めると、
「これを使うがよい」
無面へと差し出した。
「これを、わたくしめにでござりまするか」
「そうだ。そなたの功績への褒美よ。さあ、遠慮なく受け取れ」
「はッ!」
無面は羅紀へと向き直ると、平伏したまま両手を前へ出した。
その両手に、羅紀は妖刀を載せた。
「有り難き幸せにござります」
無面はさらに平伏すると立ち上がり、妖刀を背に負って抜刀した。
「こ、これは――」
握った妖刀を見つめ、無面が言った。
妖刀が黒い霊気を放っている。
その霊気は、揺らめきながら、無面の手から腕へと流れていき、全身を被った。
「力が、漲(みな)ってまいりまする」
「我が妖刀。闇の力を増幅させる。だが、侮(あなど)るな。あやつは強い」
「御意」
言うが早いか、無面は仙翁に向けて地を蹴っていた。
「つるぎ! おぬしは回復するまで、下がっておれ!」
仙翁が言い放つ。
と同時に、すでに仙翁の目の前に迫った無面が、妖刀をふり下していた。
それを、仙翁が錫杖で受け止める。
ぎぃんッ!
金属音がこだまする。
「他人の心配などしている暇はないぞ。仙翁よ」
「くッ……」
無面の攻撃は想像を超えて重く、仙翁の持つ錫杖が徐々に圧されていく。
「分を超えた霊力は、おのれを滅ぼすことになるぞ……」
圧されながら、仙翁は言った。
「なにを、わけのわからぬことを」
無面はさらに圧力をかける。
それを仙翁が押しとどめ、
「おぬしの……、この霊力は、分相応だと言っておるのだ……」
逆に少しずつ圧し返した。
と、仙翁の錫杖が、眩い光を発した。
その瞬間、無面が後方へと跳んでいた。
「クク。さすがは、須弥界宮(しゃみかいぐう)の多聞(たもん)。油断も隙もない」
無面は刀を片手に持ち、剣先を下に向けた。
その無面の胸元に眼をやれば、黒衣の腹部の辺りが切れている。
眩い光に、無面が後方へ跳ぶその刹那、その無面の腹部へ、仙翁が錫杖を払ったのだ。
錫杖は、太刀へと姿を変えていた。
「その名で儂を呼ぶでない!」
今度は、仙翁が地を蹴った。
きん、
ぎん、
きいん!
ふたりの攻防が始まった。
その光景を、羅紀が見つめている。
いや、そうではない。
羅紀が見つめているのは、仙翁と無面が相対しているその後方、つるぎの姿であった。
つるぎもまた、羅紀を見つめている。
そこへ、双方の継ぐべき者たちが駆けよってきた。
春、夏の継ぐべき者は、つるぎのもとへ。
冬、秋の継ぐべき者は、羅紀のもとへ。
「つるぎさん。大丈夫なんですか?」
凛が言った。
「うん。ボクは平気。なんだか、身体の奥から、力が湧いてくるようなんだ」
つるぎは、両の手のひらに眼を落として答えた。
「さっきのは凄かったなー。あれが、環力ってもんの力なのかー」
ぶったまげたなー、と力道。
「フン。あの程度なら、おれ様の閃光雷電撃(せんこうらいでんげき)のほうが上だ」
ソウマが、吐き棄てるように言った。
翡翠は黙って、ソウマの横に立つ。
そして、ひょうはと言うと。
いったいはどこにいるのか。
そう思うと、その姿は、力道の背にすっぽりと隠れてしまっていた。
一方、冬、秋の継ぐべき者たちは、羅紀の両脇に並び、春、夏の継ぐべき者たちを見据えている。
「いよいよ、来たな。このときが」
紫門が言った。
「おう」
コウザが奮い立つ。
と、そのとき、
「青竜! 姿を見せぬか!」
羅紀が、つるぎに向かって叫んだ。
正確には、つるぎが背に負う、剣の霊晶石に宿る式鬼、もろは丸に向かってである。
すると、
「騒ぐな、羅紀!」
つるぎの背後に、竜の姿のもろは丸が現れた。
「性懲りもなく、また封印を解いたか」
もろは丸は、口端をつり上げて嗤った。
「我はうれしいぞ、青竜よ。うれしゅうて、たまらぬ。ククク。ハ、ハ、ハ、ハ、ハ」
羅紀は声をあげて嗤い始めた。
歓喜が、身体の奥底から、怒涛のごとく湧き上がってきているようであった。
髪が逆立ち、眼はつり上がり、その顔が、これまでにない貌に変貌していく。
「このとき、この瞬間を、どれほど待ったであろうか」
声までが、禍々しいものに変わった。
全身からは、黒い霊波が立ち昇り始めている。
「おう。それほど、このおれ会いたかったか。まるで、愛しい男を待ちつづけた、女のようではないか」
「グクク。確かにそうかもしれぬ。胸の傷が疼くたびに、我はきさまへの怒りに打ち震えたのだからなァ!」
黒い霊波が、ゆらゆらと羅紀を包みこんでいった。
その色は闇の色をしていた。
いや、それは、闇そのものと言ってよかった。
その闇に包まれ、羅紀の姿が見えなくなっていく。
闇は揺れながら大きくなっていき、倍ほどの大きさにまでなると、しだいに闇が払われ、羅紀の姿が見えてきた。
そこに現れた羅紀の姿が、それまでとは一変していた。
それまでの透き通るほどの白い肌が漆黒の色となり、眼も、頬まで裂けた口から伸びる牙までもが同じ色となっていた。
まるで、闇が凝り固まってできたような貌(かお)であった。
だが、口の奥に覗く舌だけが、赤い血の色をしていた。
額からは、いびつに伸びた角が生えている。
しなやかだった体躯は、2メートルを遥かに凌ぐ巨体となっていた。
その姿は、まさに黒鬼であった。
それを見ていた双方の継ぐべき者たちは、それまでとはまったく違う羅紀の姿に絶句していた。
「さあ、殺(や)り合おうではないかァ。青竜よォ!」
羅紀が言った。
「そう慌てるな!」
もろは丸は、つるぎの前へと出た。
そのもろは丸の身体が徐々に大きくなっていき、羅紀と変わらぬ体躯となった。
「これで、対等というものだろう?」
もろは丸が言う。
「グクク、面白い。来い! この胸の傷の恨み、いま晴らしてくれようぞ!」
「フン。その恨みを返す前に、返り討ちにしてくれる! 今度は、胸の傷だけではすまんぞ!」
グオォォオッ!
オオォォウッ!
もろは丸と羅紀は、同時に地を蹴った。
ふたりがぶつかり合った。
だが、ふたりの巨躯は、まだ触れ合ってもいない。
ぶつかったのは、互いが放出している霊波であった。
青い霊波と漆黒の霊波が、バチッ、バチッ、と音を立てて圧し合っている。
放出しているその霊波によって、周囲の大気がゆがんで見える。
その圧力は、双方の継ぐべき者たちのところにまで届くほどの、凄まじいものだった。
それはもう、2体の巨獣の闘いと言ってよかった。
「まさか――」
冬、秋の継ぐべき者たちのほうから、そういう声がした。
「あやつの目的は、これであったか」
2体の闘いを見つめている中で、そう言ったのは月密だった。
「なんだ。その、これ、ってのはよ」
コウザが訊いた。
「青竜よ」
月密が答える。
「青竜? 青竜がどうしたってんだよ」
「わたしらを仲間に引き入れた、真の理由だよ」
そう答えたのは、これまでほとんど口を利かなかった楓香(ふうか)だった。
「なんだ、そりゃあ。なんで、俺たちを仲間にした理由が、あの青竜なんだ? 意味がわからねえよ」
コウザが楓香を見やる。
そのコウザを、楓花は横目で見ると、
「あんたも鈍いやつだね」
嘲(あざける)るように言った。
「なにィ!」
声を張りあげたのは、白薙だった。
「てめえ、滅多に口を利かないくせしやがって、なんてこと言いやがるんだい! こいつを馬鹿にするやつは、このあたいが承知しないよ!」
白薙はいきり立って、楓花を睨みつけた。
その白薙を、コウザが見つめる。
自分を庇ってくれたことが、よほどうれしかったのか、その眼は潤んでいた。
「なんだい。やろうってのかい。だったら、相手になるよ」
楓香が睨み返す。
戦いを前にして気が昂ぶっているのだろうが、どうやらふたりは、どちらも気性の激しい性質であるらしい。
ふたりは向き合い、睨み合う。
互いの眼に、一触即発の火花が散った。
「これ、よさぬか、ふたりとも。ここで仲たがいを起こしてどうするのじゃ」
見かねて月密が止めに入った。
白薙と楓香は、フン、とともにそっぽを向いた。
月密はため息を吐き、コウザを見上げると、
「要するに、こういうことじゃ」
言った。
「12人の継ぐべき者と12支の式鬼を敵にしてしまえば、1000年前と同様、封印されてしまうだけであろう。じゃからあやつは、継ぐべき者を分断させようと考えたのじゃよ」
「封印を恐れてるっていうなら、仙翁はどうなるんだ? 仙翁だって、封印はできるじゃあねえか」
「確かにな。まさか、仙翁が復活するとは、羅紀も思わなんだであろうよ。じゃが、復活したとはいえ、いまの仙翁の霊力では、羅紀を封印するまでの力はあるまい」
「そうなのか?」
「うむ」
「でもよ、だから、それと――」
「コウザ。あんたは、そんなだから鈍いって言われるんだよ」
コウザが言うのを、白薙ぎが制した。
「あいつはただ、あの青竜と闘いたいたかっただけなのさ。だれにも邪魔をされずにね」
「なに? それだけのために、あいつは、おれたちを仲間にしたってのかよ」
「ありえなくはない」
そう言ったのは、紫門だった。
「あいつには、胸に傷を負わされた恨みがある。その恨みは、よほど深く根を張っていたんだろう」
「そうじゃの」
と、月密。
「あやつは、自尊心の強いやつじゃ。あやつにとって、傷を負うことなど、あってはならぬことなのじゃよ。それを青竜によって負わされた。自尊心をも傷つけられたあやつは、復讐を誓った。それはもう、執念だったであろう」
月密のその言葉に、紫門はナギのことを思った。
ナギは、いまの世界の有り方を憂いていた。
真剣にこの世を変えようと想っていた。
だからこそ、継ぐべき者に成ろうとし、だが、それは叶わず、ナギは、継ぐべき者に並ぶ、いや、それ以上の力を欲した。
そして、環力(わりょく)という力があることを知り、それと同時に、継ぐべき者となったひとりが、紫門であることを知った。
それによってナギは、紫門を斃(たお)すことだけを考えるようになったのだ。
強引な霊性の引き渡しまでして環力を得たナギは、紫門を捜しつづけた。
己の得た力を見せつけ、完膚なきまでに叩き潰すために。
ナギがそこまで紫門に執着したその理由は、ともに修行に明け暮れた社で、常に二番手であった紫門が継ぐべき者となったことに起因している。
その根底にはあるのは、紫門に対する嫉妬心に違いないが、それよりも、ナギは異常なほどに自尊心が強かったのだ。
そのナギと闘った紫門には、羅紀の想いがわからなくもなかった。
ナギと同様に、羅紀もいま、傷ついた自尊心を回復させるために、青竜と闘っているのだ。
とは言え、ナギと羅紀では違いがある。
一時的ではあったが、ナギは環力を得、それによって傲慢になり、人間性を失っていった。
そして、なにより、邪気に満ちていた。
しかし、それとは逆に、羅紀には邪気をまったく感じなかった。
環力と並ぶであろう力を有し、邪気の塊であった闇の冥王から、その邪気が消え失せていたのである。
紫門はいままで、羅紀から邪気を感じないのは、己の裡に隠しているだけなのだと思っていた。
それがいま、青竜と闘う羅紀の姿を見ていると、それが間違いであったということに気づかされる。
羅紀のいまの姿は、紫門の知るそれまでの羅紀ではない。
それは、漆黒の霊波を放ち、一心不乱に闘う1匹の修羅である。
であるのに、その羅紀からは邪気を感じないのだ。
黒きその貌は、嗤っているようにも見える。
いや、実際に嗤っているのだろう。
心置きなく闘えることを、純粋に悦んでいるのだ。
それは、青竜、もろは丸にも言えることであった。
2体の巨獣は、闘いながら嗤い、歓喜しているのであった。
だが――
と、紫門は思う。
青竜と闘うという、ただそれだけのことで、ほんとうに自分たちを仲間に引き入れたのだろうか、という思いも拭えずにいる。
「ってことはよ」
ふいに、コウザが言った。
「俺たちは、羅紀のお膳立てをしたようなもんじゃねえかよ。どうせなら、世界征服を企んでたほうが、まだマシだったじゃねえか。あー、バッカくせえ。いっぺんに闘う気が失せちまったぜ」
そう言ったコウザの、「世界征服」と言葉に、紫門はハッとするものを覚えた。
「コウザ。もしかすると、羅紀はほんとうに、この世界に真の和をもたらそうと考えていたのかもしれないぞ」
「なに? なんで、そうなるんだよ」
コウザは訝った眼で紫門を見た。
紫門自身、ふいにそんなことを言った自分が不思議だった。
しかし、それはまぎれもなく、紫門の本心から出た言葉である。
これまで紫門は、羅紀が、真の和をもたらそうとしているわけがないと、そう思いきっていた。
それは、自分たちを仲間に引き入れるための口実にすぎず、それには裏があり、どこかで必ず本性を現すはずだ と。
紫門はそんな疑念の眼で、羅紀を見ていた。
それがいま、青竜と闘う羅紀の姿を眼にしたことで、その疑念は消え失せ、それだけに、コウザの「世界征服」いう言葉を聞き、紫門は気づいたのだ。
いまの羅紀は、その世界征服と言う言葉からは遠いところにいると。
そしてさらに、羅紀はほんとうに、世界に真の和をもたらそうと考えていたのではないかと、そういう気がしていた。
「羅紀は、おれたちに試練を与えたのかもしれない」
紫門は、自分の考えから導き出した答えを、口にした。
「試練だと?」
わけがわからぬ、といった顔でコウザは紫門を見た。
「うむ。紫門。わらわも、ぬしと同じことを思っておったぞえ」
月密がふたりのあいだに、割って入った。
「どういうことだよ」
コウザが訊く。
「あやつが、ただ青竜への復讐のために我らを仲間に引きこんだのであれば、わざわざ冬と秋の城を陥落すまでもなかったじゃろう。そうすることで、我らを信用させようとしたと言えばそれまでじゃが、考えてもみよ。青竜に復讐を果たすためだけならば、我らを仲間にする以前に、ひとりでもよいから斃してしまえばよかったはずじゃ。あやつからすれば、そのほうが容易(ようい)だったであろうよ。12人の継ぐべき者がひとりでも欠ければ、あやつを封印すること叶わぬのだからな。じゃが、あやつはそうしなかった。わらわは、あやつから邪気が感じられないのは、どういうことなのかと、ずっと考えておった。その答えがいま、出たということじゃ。あやつは、邪気を隠していたのではなかったのよ。1000年の長き時がわたしを変えたと、あやつは言っておったが、それはどうやら偽りではなかったようじゃ。わらわはそう思う」
「そりゃあ、あいつに世界を征服する気がないってえなら、それはそれでいいさ。だけどよ、だったらどうするんだ? 春、夏の継ぐべき者との戦いはよ」
「戦うさ。おれたちの戦いは、羅紀に後押しされて、ここまでやってきたようなものだが、ここで止めるわけにはいかない。違うか、コウザ」
紫門は、改めて春、夏の継ぐべき者たちを見据えて言った。
「そりゃあ、そうだ。あいつらが、俺たちを止めるって言うなら、やるしかねえな」
コウザもまた、対峙する継ぐべき者たちを見据えた。
意気消沈していたその眼には、光がもどっていた。
「だったらよ、さっさと片付けちまおうぜ」
「ああ。コウザ。おれは、あの異界の者とやる」
紫門の視線は、すでにつるぎに向けられていた。
「そうだな。おまえは、一時的とはいえ、環力を手に入れたやつと闘っているからな」
それに紫門はひとつうなずくと、
「みんな、それでかまわないか」
その紫門の言葉に、他の者は皆、黙ってうなずいた。
他の者の了解を得るとともに、紫門は地を蹴っていた。
「おう、疾いな。この俺も、血が滾ってきたぜ。だったら、俺はどいつにするかな。他のやつは、どいつもたいしたことはなさそうだが――よし、決めた。俺は、あのでかいやつにするぜ」
コウザが、力道を見据えて言った。
「じゃあ、あたいは――」
白薙が、翡翠を見据えと、
「髪をうさぎの耳のようにしている、あの小娘にするよ。あーいうやつは大嫌いなんだ」
そう言った。
その白薙に、
「気が合うじゃないか」
そう言ったのは楓香だった。
「あたしも、あの女は虫唾が走るほど嫌いなやつさ。あいつは、あたしがやるよ」
「なに言ってんだ! あたいが先に、あいつとやるって言ったじゃないか!」
「それがなんだってんだ。関係ないね」
「なにを! だったら、まずはおまえを血祭りにあげてやる」
「できるもんなら、やってみな!」
またもふたりは睨み合い、火花が散る。
「これこれ。おまえたちは、どうしてそうなのじゃ。仲良くせよとは言わぬが、いがみ合いはよさぬか」
月密は、ひとつため息を吐き、
「ならば――」
懐に手を入れ、何かを取り出した。
手のひらを開くと、そこには銭が1枚あった。
「これの裏表で決めればよい」
そう言うと、月密は銭をひょいと投げ上げた。
それを右手でパシリと掴むと、そのまま左手の甲に被せた。
「さあ、決めよ。裏か、表か」
「表!」
と、白薙。
「裏!」
と、楓花。
「よし」
月密は右手をゆっくり離す。
白薙と楓香が、左手の甲の銭を覗きこむ。
上を向いていたのは、表であった。
「やったぜ!」
思わず、白薙はガッツポーズを取った。
「チッ!」
楓香は舌打ちすると、
「しかたない。なら、あたしは、もうひとりの女にする」
凛に眼を投げた。
うむ、と月密はうなずき、
「狗音。ぬしはどうする」
狗音を見やって訊いた。
すると狗音は、
「ぼくは、あいつだ」
ソウマを、静かな眼で見つめた。
「おう、あの生意気そうな小僧か。ぬしの相手として、不足はなさそうじゃ」
その言葉に、どんな表情も浮かべず、狗音は地を蹴っていた。
「となると、残るは、あのでかい男の陰に隠れた、あやつか。それにしても、存在の薄いやつじゃな。わらわには不足じゃが、まあよい」
月密が動いた。
そのときには、冬、秋の継ぐべき者6人ずつすべてが、それぞれの相対する相手に向かって走っていた。
それを見て、
「おいー、あやつら、向かってきたぞー!」
力道が言った。
「あいつら、どうやら、闘う相手を決めているらしいな」
ソウマがつづけざまに言った。
「うん。そうみたいだね」
つるぎがそう言ったとき、眼の前には紫門が立っていた。
つるぎと紫門(しもん)――
「おまえ、異界から、なぜこの世界にやってきた」
つるぎの前に立つなり、紫門がいきなり言った。
「なぜって言われても、ボクにもわからないんだ」
つるぎが答える。
「わからない?」
「うん、さっぱり。でも、わかっていることは、闇の冥王の仲間になって、この世界を壊し始めた君たちを止めることさ」
「異界からやってきたおまえには、関係のないことだ」
「そんなことはないよ。ボクは、剣の霊晶石に選ばれて、継ぐべき者になったんだからね」
「物事には間違いというものがある。そして、起こりえないことが起こることもな」
「それがボクだって言いたいの?」
「そうだ。おまえは、その犠牲者というわけだ。悪いことは言わない。これ以上この世界のことに関わるな」
「それは無理だね。それに、いま君が言ったことは、こうも言えるよ。あらゆる出来事には、すべて理由がある。起こりえないことなんて、なにもないってね。だから、ボクは、ううん、ボクたちは、君たちを止める。そして、羅紀を斃(たお)す」
「羅紀を斃す、か。環力を得たからといって、ずいぶんとでかい口を利くもんだな。だがおれは、その環力を得たことで、おまえのようにでかい口を利き、死んでいった男を知っている」
「死んだ?……」
「ああ、そうだ。その男は、反動の波によって、全身から血を流して死んでいった」
「反動の波……。その反動の波というのは、どういうものなのかな。ボクに備わった力が環力だということはわかったけど、でもそれがどういうものなのかはわからないんだ。だから、その反動の波というものも、まったく見当がつかない。知ってるなら、教えてくれないかな」
「おまえにそれを、あーそうですか、と教えてやる謂(いわ)れはない。ただ、ひとつだけ言えるのは、その反動の波がくれば、おまえは死ぬということだ」
「ボクが死ぬ……」
つるぎは眼を伏せた。
「そうだ。だからいいか、もう一度だけ言う。関わるな。これ以上環力を使えば、それだけ命を縮めることになる。身のためだ。黙ってこの場を立ち去れ」
紫門の言葉に、つるぎはわずかに沈黙していたが、
「それは、できないよ」
眼を伏せたまま言った。
「物わかりの悪いやつだな。このまま闘えば、おまえに明日はない。確実に死ぬんだぞ。おまえ、命が惜しくないのか」
紫門が言う。
「命は惜しいよ。決まってるじゃないか。だけど、やっとこのボクにも、友だちができたんだ。その友だちのために、ボクは戦うと決めた。一度決めたことを曲げるようじゃ、男じゃないよ」
「友だち? その友だちとは、あの青竜のことを言ってるのか」
「そうさ。ボクは彼を、もろは丸って呼んでる。それと、友だちはもろは丸だけじゃない。仙翁も、春、夏の継ぐべき者や他の式鬼たちも、みんな友だちだよ」
「命が惜しいと言いながら、その友のために命を棄てると言うのか」
「命を棄てたりなんかしないよ。とうさんとかあさんよりも先に死ぬなんて、そんな親不孝なことはできないからね。それに、ほんとは凄く恐い。だけど、これはボクの覚悟なんだ」
「覚悟、か……」
紫門はそこで言葉を切ると、つるぎから視線を下へとそらして瞼を閉じた。
だが、すぐに瞼を開けて、つるぎへと視線をもどすと、
「なるほどな。どうやら、おまえはいいやつらしい。凄く恐いなどと本音を口にするのは、心が穢れていない証拠だからな。だが、おれたちの往く手を阻むなら、おまえを斃すしかない」
太刀を抜刀した。
「だったら、ボクはそれを止めるだけだよ」
つるぎも、背から剣を抜き放った。
「名を言っておこう。おれは弓の霊晶石継承者、紫門」
紫門が名乗った。
それに応えて、
「ボクは剣の霊晶石継承者、神谷つるぎ」
つるぎが名乗った。
「なに? その名は、神谷剣尊(かみたにのつるぎのみこと)と――」
紫門は驚きをふくんだ表情を、その眼に浮かべた。
「そう。同じなんだ。読み方はちょっと違うけどね。仙翁はボクを、その神谷剣尊の生まれ変わりだと思っているよ」
「生まれ変わり、か……。だが、そんなことは、おれには関係ない」
そこで紫門は周囲を視線だけで見やり、
「ここでは、他の者の邪魔になる。場を移すぞ」
紫門の言葉に、つるぎはうなずき、ふたりはその場を離れた。
それに合わせるように、他の者たちも、それぞれ場を移していった。
コウザと力道(りきどう)――
「よし、この辺りでいいだろう。さて、やるか。でかいの。俺は槍の霊晶石継承者、コウザだ」
コウザが十文字槍を肩に担ぎ、名を告げた。
「おう。オレはー、斧の霊晶石継承者、力道だー」
力道も名を告げる。
「しかしー、継ぐべき者同士で闘うのは、気が引けるなー」
「なんだ、怖気づいたのか? だったら、お家に帰んな」
「いやー、そういうわけにはいかないよー。おまえたちをー、この先へは行かせるわけにはいかないからなー」
「その間延びした喋りを聴いてると、調子が狂っちまう。やるなら、さっさとやろうぜ」
コウザは十文字槍を片手で握った。
「オレならばー、いつでもいいぞー」
力道は手に何も持たず、ただ立ったままだ。
「てめえ、素手でやろうってのか」
「オレはー、斧を手にすると人格が変わるんだー。そうなるとー、怪我をさせるだけではすまなくなるんだー。だから、このままでいいぞ」
「へー、そうかよ。だがよ、俺は遠慮なく、この華炎槍を使わせておらうぜ」
そう言うや否や、コウザは力道の顔に向けて、十文字槍を片手で突いて出た。
力道が空を切って向かってくる十文字槍の先端を、首を傾けて躱(かわ)す。
しかし、それだけでは躱したとは言えない。
なぜなら、槍の刃は十文字の形の成しているのである。
先端を躱したとしても、中央部から横に伸びる刃を躱さなければならないのだ。
「顔の肉を切り裂いてやるぜ」
コウザの言葉どおり、槍の横へ伸びる刃が、力道の頬を切り裂いた。
に、見えた。
だが、十文字槍は、空を裂いただけであった。
力道は、まだ空にある十文字槍の、50センチほど横に立っていた。
「おめえ、でかいくせに動きが疾いな。そうこなくゃ、面白くねえ。これで少しは、殺り甲斐があるってえもんだ」
コウザは十文字槍をもどし、両手で持った。
両腕の筋肉が、ぐっと盛り上がる。
「次は躱せるかよ」
またも突いて出た。
疾い。
それは、初めの突きよりも、比べものにならない速さである。
いったい、どれほどの突きを放っているのだろうか。
その速度が眼にも止まらぬ速さのために、その回数がわからない。
しかし、速さでは、力道も負けていない。
疾風のようにくり出される槍のことごとくを、すべて躱している。
コウザの動きが止まった。
「へへ。さすがだな、力道。俺の瞬連槍弾(しゅんれんそうだん)をすべて躱(かわ)し切ったのは、おめえが初めてだぜ。伊達に継ぐべき者になったわけじゃねえってことだな」
「褒められるのは、うれしいけどなー。おまえ、まだ本気を出してないだろー」
「ケッ、言ってくれるぜ。確かにな。いまのはほんの準備運動だ。じゃあ、こっからは本気で行くぜ。おめえの隠れた人格を、引きずり出してやる」
コウザはにやりと笑い、十文字槍を改めて構えた。
その槍の刃が、炎に包まれた。
白薙(しらなぎ)と翡翠(ひすい)――
ふたりの闘いは、すでに始まっていた。
「おらァッ!」
白薙は、大鎌を真横に薙いだ。
「きゃあ!」
翡翠が声をあげる。
それと同時に、うさぎの耳のような翡翠の髪が、中央辺りから切断されて風に流された。
「アーン。わたしの大切な髪がァ」
翡翠は、切断された髪に手をやると悲しい顔をした。
「もう、ひどいじゃないですかァ。わたしの髪、どうしてくれるんですかァ」
「心配することはないよ。すぐにその首、刈り取ってやるからよ」
白薙は大鎌をふり被ると、
「おらァッ!」
翡翠の首へ向かって、真横に薙いだ。
「きゃあ!」
白薙が声をあげる。
それと同時に、うさぎの耳のような翡翠の髪が、中央辺りから切断されて風に流された。
「アーン。わたしの大切な髪がァ」
翡翠は、切断された髪に手をやると悲しい顔をした。
「もう、ひどいじゃないですかァ。わたしの髪、どうしてくれるんですかァ」
「なに?――」
同じことが、また起きたことを、瞬時に白薙は理解した。
「どういうことだい……」
そう呟き、翡翠を見てみれば、その頭には、うさぎの耳の髪がもとにもどっていた。
(まさか……)
白薙はもう一度、翡翠の首に向かって大釜を薙いだ。
「きゃあ!」
白薙が声をあげる。
それと同時に、うさぎの耳のような翡翠の髪が、中央辺りから切断されて風に流された。
「アーン。わたしの大切な髪がァ」
翡翠は、切断された髪に手をやると悲しい顔をした。
「もう、ひどいじゃないですかァ。わたしの髪、どうしてくれるんですかァ」
やはりまた、同じことが起こった。
「このあたいを、幻術に嵌めたのかい?」
白薙が問うた。
「違いますよォ。いまのは幻術じゃないですゥ。時間をちょっとだけ、操作しただけですゥ」
翡翠の髪は、またももとにもどっている。
「そうか、忘れていたよ。勾玉の霊晶石に宿る式鬼は、時を操るんだったね」
「そうよ」
翡翠が答えた。
いや、それは翡翠の声ではない。
と、
翡翠の背後に、うさぎの霊獣、時読が姿を現した。
「ほんとうなら、別次元に飛ばしてやりたいところだけれど、翡翠がそれを嫌うから、同じ時をくり返したのよ」
「そうですよォ。別の次元に飛ばしちゃったら、白薙さまは帰ってこれなくなっちゃうじゃないですかァ。そんなこと、絶対だめですゥ」
翡翠は、胸の前で握った両拳を震わせていた。
「なんだい。このあたいを、心配してくれてるってわけかい。そんなことは、大きなお世話だよ。そんなことより、その、かわいい子ぶりぶりはよさねえか。見てるだけで腹が立ってくるよ」
「えー、そうなんですかァ。そんなこと言われたら、翡翠、悲しい」
翡翠は悲しい顔をして、シュンとしてしまった。
「あー、やだやだ。寒気がしてくるよ。まったく。こんななら、向こうの女を選ぶんだったよ」
白薙は大鎌を肩に担ぐと、重いため息をこぼした。
「白薙。あんな女に、惑わされるんじゃないよ」
その声は、白薙の背後でした。
そこには、猪の霊獣、霧縄の姿があった。
「そうは言うけどさ、あたいは、あーいう女は大嫌いなうえに大の苦手なんだ。やりづらくって、しかたないよ」
白薙は、完全に意気消沈してしまっていた。
「なにを弱気なこと、言ってんだい。あんたがあの女を選んだんだ。きっちり片をつけな」
霧縄がたきつける。
「わかってるよ。どのみち、あの女を斃さなきゃ、先へは進めないからね。やってやるさ」
「よし、その意気だよ。なら、ひとつ進言しといてやる。あの術はね、相手を捉えてこそ、その相手の時を操作したり、別次元へ飛ばしたりできるんだ。だから、あんな術は、霧境呪縛(むきょうじゅばく)に嵌めこめば、あんたを捉えることはできなくなるよ」
「そうか。それはいいことを聞いたよ」
白薙が、唇の端に笑みを浮かべると、とたんに濃い霧が立ちこめ、瞬く間に広がっていき、翡翠をも包みこんだ。
「あらァ? なにも見えなくなっちゃいましたよォ」
翡翠は周囲に眼をやるが、辺り一面、濃霧に包まれた。
「これで、おまえはもう、あたいを捉えることはできないよ」
霧の中で、白薙の声が聴こえる。
しかし、その姿は見えず、その声は前から聴こえるようであり、うしろからのようでもあり、左右のどちらからも聴こえてくるようであった。
「白薙さまァ。意地悪しないでくださいよォ」
悲しげに翡翠が言った。
「なに? 意地悪だって? なにを言ってんだい、おまえは」
思わず、白薙の声は裏返った。
「だって、これじゃ、白薙さまの声は聴こえても、姿が見えないじゃないですかァ。こんなの、意地悪ですよォ」
「あのなー。これはおまえに掛けた術なんだよ。おまえだって、術で時間を操作しただろうが」
「それは、わたしの防衛のためですよォ。あんな大きな鎌をふるってくるんだもん、危ないじゃないですかァ」
「おまえ、自分がなにを言ってるのかわかってるのか? いま、あたいとおまえは闘ってるんだよ。危ないもクソもあるかよ」
「わたしは闘いたくないですよォ」
「闘いたくないだと? おまえ、あたいを舐めてんのか? 闘わないなら、どうしようってんだ!」
白薙のその声は、翡翠の頭上から、または遠くから、そしてまたは耳のそばで聴こえていた。
「お話しましょう。話し合えば、きっとわかり合えると思うんです」
「話し合う? ハハ、まいったね、こりゃ。いったい、どうすりゃいいのさ、霧縄」
もうお手上げだ、とばかりに白薙が言った。
「そんなこと、あたしにだってわかりゃしないよ」
霧縄は、投げやりに返す。どうやら霧縄も、翡翠が苦手なようであった。
「あー、なんか、闘う気が失せちまったよ」
「まあ、相手があれじゃ、しかたいさ。面倒だ。さっさと、首を刈っちまえよ」
「闘う意思もなく無防備なやつに、そんなことできるかよ」
「なら、どうする」
「どうするもこうするもないさ。相手が話し合いたいって言うなら、まずはそうするよ。そのあとのことは、そのときに決めるさ」
白薙が言う。
すると、立ちこめていた霧が、徐々に払われ始めた。
楓香(ふうか)と凛(りん)――
すでに、ふたりの攻防が始まっている。
きん、
ぎん、
きぃん、
きん!
押しつ押されつ、ふたりの闘いは均衡していた。
「やるね、あんた」
楓香が言った。
「あなたこそ」
凛が返す。
ふたりは間合いを取っている。
それは、互いの間合いのわずかに外。
じりじり、と楓香が右に動けば、凛は左へ動く。
前に出れば、うしろへ下がる。
ふたりは、決して互いのあいだの間隔を崩さない。
「あんた、夏ノ洲、国主の娘と言っていたが、人を斬ったことはあるのかい?」
楓香が言う。
「ありません」
凛が答える。
「そうかい。じゃあ、あんたは素人ってわけだね」
「だから、なんだと言うのです」
「素人のあんたに、あたしが斬れるのかってことさ」
「そう言う、あなたは? 人を斬ったことがあるんですか」
「ああ。あるよ。どっかの国の、お姫さまと違ってね」
楓香は、皮肉に笑った。
「姫と呼ばれるは好きじゃありませんが、そんなことで、わたしが動揺を覚えるたりはしませんよ」
凛の足先が、じり、とほんのわずかに、間合いの中に入った。
次の瞬間、凛は地を蹴った。
楓香の胴ががら空きと見て取ると、太刀を真横から一閃させた。
ぎきぃんッ!
金属音がこだまする。
「見事な太刀筋じゃないか。だけど、残念だったね。あんたの太刀筋は見えてるよ」
凛の太刀を、楓香は己の太刀で受け止めていた。
「このわたしを、一州(いっこく)の姫だからと見くびらないほうがいいですよ」
険しい眼を楓香に向け、太刀を払うと、凛はつづけさまに太刀を浴びせていった。
きん、
ぎん、
きん、
ぎいん!
楓香は、浴びせくる凛の太刀を受ける。
きん、
きん、
ぎん!
「ぐッ……」
楓香が押されはじめて、うしろへと下がっていく。
「まだ、疾さが増していくというのか……」
その太刀筋の疾さに、楓香はかろうじて凛のくり出す太刀を受け止めていた。
だが、それも長くつづかず、
「つッ……」
受け止める太刀が間に合わずに、凛の一刀が楓香の胸に走った。
その瞬間、楓香は後方へと跳んでいた。
「一州(いっこく)の姫も、馬鹿にはできないでしょう?」
凛は余裕の笑みを浮かべた。
「そのようだね。紙一重で躱したつもりだったんだが、躱しきれなかったよ」
楓香が身に着けている、アーマー・スーツの胸元が真横に裂けて肌が覗き、そこに血が滲んでいた。
「どうやら、太刀の勝負じゃ、あんたに分があるようだ。ここからは、霊晶石継承者として、技で勝負しようじゃないか」
楓香は太刀を鞘に収めた。そのとたん、楓香の全身から橙色の霊波が立ち昇った。
「傷をつけられた礼は、きっちりさせてもらうよ」
ポニーテールの髪に差してある風車を手に取る。
その風車を口許へと持っていくと、息を吹きかけた。
風車が回る。
すると、天空を流れていた風が、渦を巻きはじめた。
その渦がしだいに竜巻となって、地上へと降りてきた。
「乱風演舞(らんぷうえんぶ!」
そう叫ぶと、楓香はまた、風車に息を吹きかけた。
と、竜巻が地を削りながら、凛に向かっていった。
凛は素早く太刀を鞘に収め、向かってくる竜巻を、左へと跳んで躱した。
しかし、竜巻は、意思があるかのように、凛が跳んだ方向へと動きを変えた。
凛は、今度は右へと跳んだ。
それに合わせて、竜巻も方向を変える。
「無駄だよ、お姫さま。それは、あんたを捕らえるまで、どこまでだって追っていくのさ」
楓香のその言葉どおり、竜巻は、どれだけ凛が躱そうとも、執拗にあとを追いつづけていく。
それどころか、その速度が増している。
「太刀さばきでは、あんたの疾さが勝っていたけどね。それの疾さに勝ることができるかい?」
楓香は勝ち誇ったように言った。
徐々に、凛が竜巻を躱すのが遅くなっていく。
決して、凛の動きが鈍くなっているわけではない。
それだけ、竜巻の動きが疾くなっているのだ。
「くッ……」
このままじゃ、防ぎきれない。
凛がそう思ったその矢先だった。
ぎりぎりで躱したその瞬間、竜巻の動きがぐんと伸びて、まだ宙にあった凛の身体が巻きこまれた。
「きゃああああ!」
完全に捕えられた凛は、竜巻の中で舞った。
「ついに捕まったね、お姫さま。ハハハ、舞え!」
凛の身体は、土くれや枯葉と同様に、巻き上げられていく。
10メートルほど巻き上げられたところで、凛は中空へと放り出され、そのまま地上へと落ちていった。
「がはッ!」
背から、凛は地上に叩きつけられた。
気を失ったのか、凛はぴくりとも動かない。
「なんだい、もう終わりかい? まさかだろ? これからが、お楽しみだってのにさ。おい、お姫さま、起きなよ! ただのお姫さまじゃないってとこ、見せてごらんよ」
楓香が言葉を投げる。
だがやはり、凛は動かない。
「おいおい、くたばったのか? 勢いがあったのは最初だけかよ。少しは骨のあるやつかと思ったが、しょせんは一州(いっこく)の姫ってわけか。まったく、お姫さまはお姫さまらしく、城の中でおとなしくしてりゃあよかったんだよ。継ぐべき者になったのが間違いだったね」
楓香のその言葉に反応したのか、倒れ伏している凛の指先が、ぴくりと動いた。
「お、生きてるじゃないか。いいぞ、よし、立て、立ってこい!」
凛の腕が動く。
身体を支えて起き上がる。
ゆらりと立ち上がった凛の身体から、紫色の霊波が立ち昇った。
「わたしを、馬鹿にする言いかたは、やめてください……」
楓香を睨む眼が、ぎらりと光った。
「あなたを、殺してしまうかもしれません……」
言うと凛は、腰の鞭を手にした。
「へえ、言うじゃないか、お姫さま」
楓香の眼にも光が宿る。
改めてふたりは、対峙する形となった。
狗音(くおん)とソウマ――
「くうッ、なんだ、この音は……」
ソウマは両手で耳を塞ぎ、苦しそうに顔をゆがませている。
この音は、とソウマは言ったが、しかし、耳を塞ぐほどの音など聴こえてこない。
「その笛の音(ね)か……」
苦しげに、ソウマは狗音を見る。
狗音は、無表情の顔で横笛を唇にあてていた。
しかし、その横笛からも、まったく音は聴こえてこない。
狗音が横笛から唇を離した。
そのとたん、苦痛から解放されたように、ソウマは耳から両手を放した。
いったい、どういうことなのか。
「やっぱり、その笛か!」
ソウマが訊く。
「そう。君を、死へといざなう死送曲さ」
狗音が言った。
抑揚のない声だ。
「死送曲だと?」
「いまの曲は、君にしか聴こえない。ぼくが曲を奏でつづければ、君は狂ったあげくに死ぬ」
「なに!」
「でも安心していいよ。君をそう簡単に殺すつもりはないから」
狗音は無表情である。
「舐めるなよ。要するに、その笛を吹かせなけりゃいいんだろ? おれ様をすぐに殺さなかったことを後悔させてやる」
ソウマは、背の鎚を手にすると、狗音に向かって投げた。
向かってくる鎚を、狗音は余裕で躱す。
「なんのつもり」
そう言う狗音の背に向かって、ソウマの投げた鎚がもどってくる。
それをまた、狗音はふり返りもせずに躱す。
「芸術性の微塵もない、そんな単純な攻撃で、ぼくを斃せるものか」
「さあ、それはどうかな」
狗音が躱した鎚が、宙で止まっていた。
と、鎚が方向転換をし、狗音へと向き直ると左右に分裂した。
ひとつだった鎚が、いまはみっつとなり、狗音の前に浮いている。
「それで? 芸術的な踊りでも見せてくれるのか」
狗音が言う。その顔は、やはり無表情のままだ。
「言うじゃないか」
ソウマは人差し指と中指を立て、下唇にあてると、呪を唱え、
「けどな、踊るのはおまえだよ」
立てている2本の指で空を切った。
すると、宙に浮いているみっつの鎚が、くん、と動いた。
まず、中央の鎚が、狗音に向かっていく。
それを、またも狗音は躱す。
つづいて、左の鎚。
そして右。
それらも、狗音は難なく躱しきる。
しかし、躱されたみっつの鎚は、それだけでは留まらず、すぐさまは方向転換して、狗音へと攻撃を仕掛けていく。
それを狗音はまた躱すが、鎚は攻撃の手を緩めようとはしない。
執拗に狗音へと向かっていく。
「なんだよ、狗音。芸術性が微塵もないとか言っときながら、おまえのその踊りだって、ぜんぜん芸術性を感じないじゃないか。それなら、もっと芸術的に踊れるようにしてやるよ」
言うとソウマは、指先でもう一度、空を切った。
と、鎚の動きが疾くなった。
それに負けず、狗音の動きも疾くなる。
みっつの鎚の動きも、狗音の動きも、眼では追えないほどの疾さとなっていた。
「へー、やるじゃないか」
感心したように、ソウマが言った。
そのとき、
「以心伝操(いしんでんそう)!」
狗音の声が聴こえた。
と思うと、笛の音が聴こえてきた。
「なに?――」
ソウマの眼に、驚きの色が浮かんだ。
眼には見えないが、狗音が鎚を躱しながら横笛を吹いているのだ。
その音色は、さきほどようにソウマだけに聴こえる音ではない。
周囲の大気を振動させ、はっきりと届いてくる音色だった。
しかし、ソウマが驚いたのは、その笛の音ではない。
笛の音が聴こえてきたと同時に、攻撃している鎚の動きが失速しはじめたからだった。
みっつの鎚は、しだいにその速度を弱め、そして宙に静止した。
と思うと今度は、静止した鎚が、ソウマへと向き直り飛んでいった。
ソウマはすぐさま、指先で空を切る。
そのとたん、みっつに分裂していた鎚がひとつにもどり、自分に向かって飛んでくる鎚の柄を、ソウマは掴み取った。
「いまのはどういうことだ」
ソウマが訊く。
「この笛は、音色で物体の原子を振動させ、その物体を自由に操ることができる。だから、こういうこともできるんだ」
狗音はまた、横笛を唇にあてた。
音色が奏でられる。
その音色に操られるように、地表に転がっている幾つもの小石が、ゆっくりと浮き上がった。
「これは、お返しだ」
狗音は一段と高い音程を奏でた。
その瞬間、小石は礫となって一斉にソウマへと向かっていった。
飛んできた礫を、ソウマは次々に鎚で弾き返した。
「面白い」
鎚を頭上に掲げた。
見る間に、空が黒雲に包まれる。
ソウマは、2本の指をした唇にあてると、小さく呪を唱えると、
「猛虎雷電(もうこらいでん)!」
叫んだ。
すると、黒雲のあいだを、幾つもの稲妻が走った。
稲妻は、泳ぐように走り、絡み合い、重なり合いながら、しだいに虎の姿を形成していった。
虎の姿となった稲妻は、天空を駆けおりてきた。
「だったら、あれを操れるか?」
ソウマは、狗音を睨みながらにやりと笑った。
狗音は無表情の顔で、稲妻の虎を見やり、そしてソウマへと視線を移した。
唇に笑みを浮かべると、狗音は、
「狗神(いぬがみ)!」
そう言った。
と、狗音の横に、全身黄色い毛で被われた犬が姿を現した。
しかしそれは、犬と言うより、その容貌は狼と言ってよかった。
口から覗く牙が鋭い。
頭部から背にかけて、美しい鬣(たてがみ)がある。
笛の霊晶石に宿り式鬼、犬の霊獣、狗神であった。
「式鬼の狗神か」
ソウマがそう言うと、
「ソウマよ。向こうが狗神でくるなら、こっちはおれの出番だぜ」
ソウマの横に、虎の霊獣、雷皇が姿を現した。
「そうだな、雷皇」
ソウマがたま呪を唱えると、稲妻の虎がその場から消えた。
「狗神! 行くぜッ!」
雷皇が叫ぶ。
「おう! 望むところだ、雷皇ッ!」
狗神が叫ぶ。
式鬼2体が対峙した。
月密(つきみつ)とひょう――
「む、あれは――」
月密は黒雲に包まれた空を見上げ、天空から駆け下りてくる、虎に姿を変えた稲妻へと眼を馳せた。
闘いのために距離をとってはいるが、その姿はよく見える。
「狗音の相手……。そうか、あやつ、鎚の霊晶石継承者か」
そう呟いて、少女の姿の月密は、狗音へと眼を向けた。
「まあ、狗音のことじゃ。心配はなかろうて」
そう言いながらも気になるのか、狗音から眼を離さずにいる。
すると、
「あの……」
という声がした。
その声が聴こえないかのように、月密は狗音から眼を離さない。
「あの……」
また声がする。
しかし、月密はその声の主に顔を向けようともしない。
「あの、ちょっと……」
3度目でようやく、月密は声の主に顔を向けた。
「なんじゃ」
声の主に訊く。
少女の顔には似合わぬ口調である。
「いや、その……」
「声が小そうて、よう聴こえんぞえ」
「あ、すみません……」
「ところで、ぬしはだれぞ?」
月密は、声の主を訝しそうに見つめる。
「僕は、その、あの……」
「その、あの、ではわからぬではないか」
「は、はい。ぼ、僕は、ひょうです」
声の主――ひょうは、おずおずと言った。
「おう、そうじゃった、そうじゃった。いま名乗り合ったばかりじゃというのに、すっかり忘れておった。して、このわらわに何用じゃ」
「何用って言うか、その、僕たち、闘うんですよね」
「闘う? ぬしとわらわがか」
「他のみんなも闘っているわけですから、そうなると思うんですけれど……」
ひょうの口調は遠慮がちである。
「言われてみれば、確かにそうじゃが……」
月密は、値踏みするかのように、ひょうを下から上へと眺め、
「ぬし、ほんとうに継ぐべき者かえ」
そう訊いた。
「やっぱり、そうは見えませんか。ハハハ。そうですよね。自分でもそう思います。どうして僕なんかが、霊晶石に選ばれてしまったんでしょうか」
「わらわにわかるものか。それにしても、ぬしは暗いやつじゃのう」
「はい……。それだけに僕は、名前も憶えてもらえず、存在さえも気づいてもらえないんです……」
ひょうはしゃがみこむと、抱えた膝に顔を埋めてしまった。
「これ。そこまで塞ぎこむことはなかろうに。元気を出さんか。なんであれ、霊晶石に選ばれて継ぐべき者になったのじゃ。それはぬしが、優れているという証拠ではないか。もっとおのれに誇りを持たぬか」
思わず月密は、ひょうを励ましていた。
ひょうは顔を上げると、
「おじょうちゃんは、やさしいんだね。ありがとう」
涙を浮かべていた。
「わらわを、おじょうちゃんと呼ぶでない。この身体は借りものじゃ」
「借りもの?」
興味を持ったのか、ひょうはすっと立ち上がっていた。
「そうじゃ。わらわは、この娘に憑依しておるのじゃよ。我が肉体を失ってから、1000年が経っておる」
「憑依って……。では、あなたは亡霊というわけですか」
「亡霊とはなんじゃ。霊体と言わぬか、霊体と」
「あ、すみません」
「まあ、よい。ともかく、ぬしとわらわは、闘うめぐり合わせとなったわけじゃが、ぬしを見ていると、どうも闘う気にはなれぬ。ぬしはどうなのじゃ。わらわと闘うつもりでおるのか」
「はあ……。僕としては、その、できれば、闘わない方向で……」
ひょうは、気のない返事を返す。
「そうか。ぬしも闘う気はないか。ならば、ここはすんなり、わらわを通してはくれぬかの」
「いや、それはいくらなんでも……、みんなが闘っているというのに、僕だけがそんなこと……。仲間を裏切るようなことはできません」
「うむ。そうよの。じゃが、となると、これは困った。どうしたものかの」
月密は顎に手をやり、考えこむと、
「やはり、闘うしかないかの」
そう言った。
「しかたないですね……」
ひょうは、腰の瓢箪を手に取った。
「おう」
月密も、懐に入れていた銅鏡を手に取る。
ふたりは、そこで初めて対峙した。
仙翁と無面――
「かかかッ!」
仙翁と太刀を交えながら、無面が嗤った。
「なにが可笑しいのだ。無面よ」
仙翁が訊く。
「可笑しいのではない。うれしいのよ。ぬしとこうして殺り合えることがなァ」
そう言うと、無面は渾身の一刀を撃ちこんだ。
ぎきいぃん!
仙翁が、その重い一撃を受け止める。
圧し合う形となった。
「こうでなければなァ。仙翁」
のっぺらな無面の貌の口の部分がぱっくりと割れ、両端がくっとつり上がった。
闘うことに歓喜し、嗤っているのだ。
「羅紀の妖刀を手にしているとはいえ、おぬし、やるのう」
仙翁が言う。
重なり合った刃と刃が、ぎりぎりと音を立てる。
「これは、うれしや。四天王のひとりから褒め言葉をもらえるとは、感激至極」
「だがのう、無面」
仙翁の口許を被う髭が動く。
仙翁もまた嗤っている。
と、
「この儂には及ばぬよ」
仙翁のその声が、無面の背後でした。
そこに仙翁の姿があった。
しかし、無面と太刀を合わせている仙翁の姿も、そこにある。
仙翁がふたり――
そう思った瞬間、その無面と太刀を合わせている仙翁の姿がすっと消え、一枚の紙片がひらひらと舞い落ちた。
「これは……」
無面が、舞い落ちた紙片に眼を落とす。
「それは、擬人式神というものよ。羅紀から聞いていなかったようだのう」
言うや否や、仙翁は、背後から無面へと一刀をふり下した。
無面は、頭のてっぺんから、股下まで両断されていた。
妖刀が手から滑り落ちて、地に突き刺さる。
だが、無面は倒れない。
身体が真っ二つになりながらも立っている。
すると、そのとき、無面の身体が光の粒子となっていき、真っ二つとなった黒衣だけが、はらりと地に落ちた。
光となった粒子は、再び無面の身体を形成していく。
それを、仙翁が真一文字に斬る。
するとまた、その身体は光の粒子となる。
「ククク、無駄よ。太刀で俺を斬ることはできぬ」
光の粒子のままの無面が言った。
「斬れぬ身体か……。さすがは妖(あやかし)よの。しかし、妖刀の力なくして、儂の相手が務まるかの」
「俺が身体を形成させたところを、また斬るつもりか? そうすれば、妖刀を手にできぬとでも思っているのか」
宙に漂う光の粒子が、下方へと細く伸びていく。
その細く伸びた粒子は、腕の形となって、地に刺さった妖刀を引き抜いた。
光の粒子から離れた腕が、妖刀を握ったまま宙に浮く。
「さあ、つづきをやろうか」
腕が、仙翁に向かって動いた。
その動きが疾(はや)い。
きん、
きん、
きん、
ぎぃん!
右に左にと打ちこんでくるその打撃を、仙翁が受け止める。
「驚いたか、仙翁。俺は肉体の一部だけを、形成させることもできるのだ」
光の粒子が言う。
「と言うより、本来の俺は肉体を持たぬ。ゆえに、このほうが力も疾さも上だ」
その言葉どおり、妖刀をふるう腕の動きは、身体を形成させていたときよりも疾(はや)かった。
「それでも、おぬしは儂に勝てぬ」
「そのわりには、繰り出される打撃を受けるのがやっとではないか」
それも、無面の言うとおりである。
確かに仙翁は、無面の腕が繰り出す打撃を、かろうじて受けている。
それどころか、その疾さと圧力に、じりじりと後方へ下がっていく。
「ククク。口ほどにもない。ぬしの身体、切り刻んでくれよう」
きん、
ぎん、
きん、
きん!
圧されながら、しかし、仙翁は嗤っていた。
「なに!――」
無面が、驚きの声をあげた。
その声をあげたのは、仙翁が嗤っていたからではない。
またも仙翁が、もうひとりいたからである。
その、もうひとりの仙翁は、宙に漂う無面の1メートルほど先に立っていた。
「くッ、あっちは、擬人式神だったか!」
と、妖刀をふるう腕の打撃を受けていた仙翁の姿がすっと消え、人形(ひとがた)の紙片がひらりと落ちた。
「チッ!」
腕は、すぐさま妖刀の刃先を仙翁の背へと向けて、飛んでいった。
仙翁は、背後に意識をやることもなく、胸の前で素早く印を結んだ。
「仙法陣異結界(せんぽうじんいけっかい)!」
仙翁のその声とともに、光の粒子の無面が、透明な正方形の空間に捕らえられていた。
そのとき、妖刀が仙翁の背を貫くところまで迫っていた。
それを、仙翁が瞬時に横へと躱した。
目標を失い、そのまま突き進んだ妖刀は、無面を捕らえた正方形の空間に取りこまれていた。
その空間の中で、腕が動く。
内側から空間を破ろうと、妖刀で斬りつける。
だが、どれほど斬りつけようと、空間は破れるどころか、疵(きず)をつけることさえもできなかった。
「どれだけあがこうと、おぬしではその結界を破ることはできぬよ」
空間――結界の中の無面を、仙翁が見つめる。
「くそう! ここから出せえ! 卑怯ではないか、仙翁! 潔く勝負をせぬか!」
無面が吠える。
「卑怯? なにを言うか。我らはいま、殺り合っていたのだろう? 命の取り合いに、卑怯もくそもあるものか」
仙翁は下唇に2本の指を立て、囁くように呪を唱えた。
すると、結界がひと回りほど小さくなった。
「な、なんだ。俺を結界で圧し潰すつもりか」
無面が言う。
「うむ。それもよいが、違うな。それは異結界よ。おぬしを捕らえたまま異界へと飛ばす」
仙翁がそう言うあいだにも、結界は小さくなる。
「異界へ飛ばずだと?」
「そうだ。そこでこの結界は解けよう。さすれば、おぬしは自由の身となる。が、ここへはもうもどれぬ」
「ぐぬぬ……」
結界がまた、小さくなる。
「さらばだ。無面よ」
「まま、待ってくれ! 俺は改心する。だから、頼む。異界になど飛ばさないでくれ」
無面は、必死に懇願する。
しかし、その懇願虚しく、結界はさらに小さくなると、ふっと宙から消えた。
「よし」
そう呟くと、仙翁はもろは丸と闘う羅紀へと眼を馳せた。
2体の巨獣が闘っている――
ごうッ!
もろは丸の青き霊波が膨れあがり、羅紀へと向かっていく。
はあッ!
羅紀の黒き霊波が膨れあがり、もろは丸へと向かっていく。
霊波と霊波が、ぶつかり合う。
青き霊波が押せば、それを黒き霊波が押し返す。
黒き霊波が押せば、それをまた青き霊波が押し返す。
大気がびりびりと軋む。
互いに、その力が互角と見るや、2体の巨獣は睨み合いに転じた。
2体ともに動かない。
「青竜ィ!」
「羅紀ィ!」
巨獣がともに叫ぶ。
「どうした。来ぬのかァ!」
羅紀は嗤(わら)っている。
「おまえこそ、来いよ!」
もろは丸もまた、嗤っている。
「グクク、ハッ、ハッ、ハッ、ハッ、ハッ!」
羅紀が右腕を上げ、正面に向けて手のひらを広げた。
その手のひらの中心に、黒い球体が発現する。
霊動破、黒魔莉(くろまり)である。
黒魔莉は、高速に回転しながら収縮と膨張をくり返し、手のひらを隠すほどの大きさとなった。
それを、もろは丸へと放つ。
黒魔莉は大気を巻きこみながら、もろは丸へと向かっていく。
もろは丸の双眸が、かっと見開かれる。
すると、蒼い閃光が宙を走り、黒魔莉(くろまり)が真っ2つとなって爆発を起こした。黒煙が視界を塞ぐ。
と、その黒煙の中から、黒魔莉が飛び出してきた。
すぐさま、もろは丸は閃光によって黒魔莉を斬り、またも爆発が起こった。
それが、数度くり返された。
立ちこめる黒煙と、もろは丸との距離が1メートルほどに狭まったそのとき、今度は、立てつづけに4つ黒魔莉が黒煙の中から飛び出してきた。
「くッ!」
もろは丸が閃光を走らせる。
だが――
爆発した黒魔莉との距離が近すぎたために、もろは丸は爆発に巻きこまれてしまった。
そこへ、さらに黒魔莉が飛んできて、もろは丸はそれを避けることができずにまともに食らった。
「ぐわッ!」
もろは丸の巨体が、後方へと吹き飛ばされていた。
黒煙が風に流されていく。
もろは丸は倒れたままだ。
「青竜! いつまで寝ているつもりだァ!」
羅紀が言う。
「ぐぬう……」
もろは丸がゆらりと立ち上がった。
右肩のつけ根に、黒々とした火傷を負ったような傷がある。
「その程度の傷、なんのこともあるまい」
「ああ。こんなもの、蟲に刺された程度よ」
「グクク。ならば、これはどうかなァ」
羅紀が動く。それは、眼にも止まらぬ疾さだ。
再び羅紀の姿を確認したときには、すでにもろは丸の眼前にいた。
次の瞬間、もろは丸がまたも後方へと吹き飛んでいた。
羅紀は腰を落し、左手で右の手首を掴み、手のひらを正面に突き出している。
霊気を瞬時に手のひらへと流し、気功波をもろは丸の胸に打ちこんだのだ。
もろは丸は、10メートルほども吹き飛ばされていた。
「がはッ!」
血を吐いた。
それでも、もろは丸は立ち上がる。
「いまのは、さすがに効いたぞ……」
口許を拭い、だが、もろは丸は嗤っていた。
「少し、一方的すぎたようだなァ」
羅紀もやはり、嗤(わら)っている。
「なんの。今度は、おれのほうからいかせてもらうだけよ」
もろは丸は、かっと眼を見開いた。
三日月形をした蒼い閃光が、空を切って羅紀へと向かっていく。
羅紀はその場を動かずに、その閃光を見ている。
閃光が迫る。
羅紀は動かない。
「そんなもの、躱すまでもないわ!」
しかし――
閃光は、羅紀の眼前に迫ったところで消えた。
「!――」
と、そこに、もろは丸の姿があった。
羅紀の顔面に、もろは丸が拳を放つ。
「くッ!」
閃光に意識をやっていた羅紀は、もろは丸の放った拳を躱す間もなかった。
もろは丸の拳をまともに食らい、今度は羅紀が後方へと吹き飛んでいた。
吹き飛んでいくその羅紀に、もろは丸は両の手のひらを向けた。
手のひらの中心に、蒼い球体が発現した。
「閃光破(せんこうは)!」
その蒼い球体ふたつを、羅紀に向かって放った。
それは、羅紀と同質の、霊気を凝固させた霊動破であった。
空を貫いていく閃光破は、まだ宙にある羅紀に命中し、爆発を起こした。
土煙が上がる。
そこへ、もろは丸は、間髪入れずに閃光破を放つ。
1発、2発、3発、4発――
もろは丸は閃光破を放ちつづけた。
さらに土煙が、もくもくと広がっていく。
「終わったか……」
もろは丸は肩で息をついていた。
閃光破に霊気を使いすぎたらしい。
土煙が、しだいに風に流されていく。
その中に人影が見える。
風に土煙が払われると、そこに羅紀が立っていた。
「なんだ、そのザマは。もう、息があがっているではないか。我は、1000年、この日が来るのを待ち望んでいたのだ。楽しませてくれねば困るぞ、青竜よ」
羅紀の身体は、傷ひとつ負っていなかった。
「くそ……」
もろは丸は、ぎりぎりと歯ぎしりした。
「きさまの霊力は、その程度か」
「ふざけるな。まだまだ、これからだ……」
そう言った、もろは丸の膝はがくがくと震えていた。
「強がりはよせ。そんなきさまと闘っても面白くもない。回復するのを待ってやる。少し休め」
「われァ、舐めるなよ。このおれは、十二支の式鬼をまとめる、青竜もろは丸や。ブチ殺したるぞ、こらァ! かかってこんかいッ!」
もろは丸の言葉が、関西弁に変わった。
とたんに、全身から霊波が、勢いよく噴きだした。
「おう。いいぞ。まだまだこれからというのは、口先だけではなかったようだな。グクク、そうでなくては困る」
羅紀が地を蹴る。
「上等だ、こらァ!」
もろは丸も同じく、地を蹴っていた。
2体はまたも激突した。
つるぎと紫門が対峙している――
じりじりと間合いを計りつつ、互いに相手の出方を見ている。
ふたりともに、肩で息をついていた。
それまでふたりは、烈(はげ)しい攻防をつづけていた。
「おまえ、つるぎと言ったな」
ふと、紫門が訊いた。
正眼に構えている。
その自然な姿には、まったく隙がない。
「だったら、なんなのさ」
つるぎも、正眼に構えている。
紫門を見つめる眼が険しい。
その顔には、逞しさがある。
春ノ洲の神谷の森を出たときとは、別人のようにさえ見えた。
「いい腕をしているな。異界の者とはいえ、その腕なら、霊晶石に選ばれたのも納得がいく」
「それって、褒めてるつもり?」
「そんなつもりはない。おれは、真実を言っただけだ」
「へー。だったら、素直に歓んでおくよ。ところで、紫門くん。君は、ボクのことをいいやつだって言ったけど、君だって悪いやつじゃないよね。闘っているときだって、卑怯なことはしなかった。でも、そんな君が、どうして世界を壊そうとしているのさ」
「新しき世界を創るためだ」
紫門は答えた。
「それって、真の和ってやつ?」
「なぜ、それを知っている」
「あの無面って妖人から聞いた」
つるぎは、仙翁と闘っている無面にちらりと眼をやり、すぐに紫門へと視線をもどした。
「そうか」
紫門はつるぎを見つめたままだ。
「でもさ、それっておかしいよ。州(くに)を襲って、人を殺して、それのどこが真の和なのさ」
「異界から来た、よそ者のおまえになにがわかる」
「わかるよ。どんな世界だって、人を殺すことがいいわけない。そんなことでできた平和なんて、ほんとうの平和じゃないよ」
つるぎの言葉に、紫門はわずかに黙り、
「確かにな」
そう言った。
「おまえの言うことは正論だ。だが、その正論が通らないのが、世の中というものだ。異界から来たとはいえ、おまえも、ここまでの道中で垣間見ただろう。この世界の、持つ側と持たざる側の格差を。持つ側はさらに富を得、持たざる側はさらに搾取されている。格差は広がるばかりだ。おまえの言う正論が通っていれば、世界はこんなことにはなっていない」
紫門のその言葉に、今度はつるぎが黙した。
つるぎは思い出していた。
春ノ洲の町の宿から見た光景を。
川向こうに住む人々の集落。
町とは雲泥の差のある世界が、そこには広がっていた。
「世界をいまのようにしてしまったのは、それぞれの州の州主(こくしゅ)をただの飾り物とし、行政府を牛耳っている者たちだ。その者たちを斃さないかぎり、世界に和は訪れない」
紫門は、なおもそう言った。
「じゃあ、君たちは、世界を良くしようとしているってわけだ」
つるぎが言った。
「そのとおりだ」
「だったら、もう闘う意味はないよね」
つるぎの眼から、ふっ、と険しさが消えていた。
そればかりか、正眼の構えを解き、剣を下した。
「どういうことだ」
「ボクたちはさ、君たちが羅紀と一緒になって、世界の征服を狙っているんだとばかり思っていたから、それを止めようとしてたんだ。でも、君の話を聞いて、それが違うってことがわかった。要するに、力が必要だったんだよね。世界を変革させうるだけの大きな力が。それが羅紀の持つ力だった。だから君たちは、羅紀の仲間になった。違うかい?」
「そこまでわかっているなら、おれたちの往く手を妨げるな」
「それはできないよ」
「なぜだ!」
「人の血が流れるからさ」
「なにを言っている。おまえは、おれが言ったことを理解したんじゃないのか」
「したよ。だけど、どんなに悪いやつだって、殺しちゃだめだよ」
「まだそんなことを。根付いてしまった悪は、根底から絶たなければ、またおなじことが起きる」
「違うよ。力によって血が流れれば、それは因果となってくり返すだけだ。君が言っていた、真の和を望むなら、それじゃだめなんだ。――ボクの世界には、暗く長い血塗られた歴史がある……。人と人が争い、州と州とが争う。そして争いは争いを呼んで大きくなり、戦争へと発展していく。どんなに正義や大義を掲げたって、戦争は人殺しでしかない。その犠牲になるのは弱き人々さ。その弱き人々のためにも、殺しちゃだめなんだ」
「因果はいずれ災いとなって、弱き人々に降りかかる――因果応報というわけか……」
「そうさ。だから、ここでやめようよ。君たちは、いまのこの世界を憂いて、弱き人々を救うために立ち上がったんじゃないか。そんな君たちが、これ以上その手を血で汚しちゃいけないよ」
「――――」
紫門は眼を伏せて押し黙り、すっと構えを解くと、太刀を下した。
「もういいじゃない。継ぐべき者同士が闘って、傷つけ合う必要なんてないよ」
「やつらを、生かせというのか」
それに、つるぎはひとつうなずくと、
「うん。殺すよりも、罪を償わせるべきだよ」
言った。
紫門が伏せていた眼を上げた。
「罪を償わせる、か……」
そう呟くと、
「おまえの言ってることは、いちいちもっともだ。だがな――」
太刀を上段へと持っていき、構え直した。
「それは、きれいごとでしかない。そんなきれいごとで世界が変わるなら、とっくに変わっている。おまえは、やはりなにもわかっていないただのガキだ。長きに渡って君臨してきた悪しき体制は、叩き壊すしかないんだよ。それに、おまえは言ったな。一度決めたことは曲げられないと。それはおれたちだって同じなんだ。これは、おれたちの覚悟なんだよ」
「――そう。わかった。そこまでわからず屋なら、しかたないね」
つるぎもまた、剣を正眼に構えた。
ふたりは再び、対峙した。
コウザと力道(りきどう)の闘いがつづいている――
「このオレに、斧を持たせたことを後悔させてやるぞ、コウザよ」
力道の声色が変わった。
手に斧を握っている。
両頬に切り傷があり、その傷は火傷を負っていた。
それは顔ばかりではない。
身に着けている衣服のそこかしこが破れ、その破れ目は黒く焦げていた。
それは、コウザの炎に包まれた十文字槍を、すべて避けきれずにできた傷であった。
「間延びした口調じゃねえな」
コウザが言った。
「へへ、こいつは面白くなってきたぜ」
その語尾を言い切る前に、力道の斧が、コウザの頭上からふり下されてきた。
ぎきぃん!
それをコウザは槍で横へと払い、後方へと跳んだ。
だが、
「!――」
後方へと跳んだ、コウザと力道との距離が変わっていない。
コウザが後方へと跳ぶのに合わせて、力道は前方へと地を蹴ったのだった。
着地と同時に、力道の斧が、真横からコウザの脇腹をめがけて向かっていく。
ぎんッ!
コウザはそれを、今度は槍の柄の太刀打ちで受けた。
強く重い斧のその衝撃に、コウザは横へと吹っ飛んでいた。
「くッ!……」
飛ばされながら、コウザは槍の柄の底、石突きを地に突き立てた。
しかし、コウザの身体は止まらない。
柄の石突きは10メートルほど地を削って、ようやく止まった。
「おめえ、なんて力をしてやがる。この俺も力に自信はあるが、上には上ってもんがあるもんだぜ」
コウザは、にやりと嗤って見せた。
「驚くのはまだ早い」
言うと力道は、斧を両手に持ち、頭上高くにふり上げると、
「地殻津波!」
地に向かってふり下した。
斧の刃が、深々と地に入りこむ。
いや、そう見えたがそうではない。
力道は、刃ではなく斧頭で地を叩いたのだ。
とたんに地が揺れ、地鳴りが響いた。
それともに、地表が盛り上がり始めていく。
その盛り上がりが、コウザの方向へ動いた。
それは、まさに津波のごとく、コウザへ向かって突き進み、その高さを増していった。
「な――」
土の津波は、コウザの眼前にまで迫ると、土砂が崩れ落ちるように、コウザを呑みこんでいった。
コウザを呑みこんだ土砂は山となった。
と――
土砂の山の表面にひびが走った。
その内部が赤い光を帯びている。
と思うと、山全体が炎に包まれた。
次の瞬間、山は爆発を起こしたかのように四散した。
赤く燃えた幾つもの土塊が、力道に向かって飛んでいく。
それを、力道は斧で弾き落とす。
土煙の中に、コウザが立っている。
「枯葉の交じった土は、よく燃えやがる。って、感心してる場合じゃねえな。おい、力道! てめえ、この俺を生き埋めにするつもりだったのかよ!」
「うるさいものには蓋をしろと言うだろう。おまえは、べらべらとうるさいからな」
「それを言うなら、臭いものには蓋をしろ、だろうが!」
「フン。似たようなものだ。おとなしく生き埋めになっていれば、楽に死ねたものを。だが、もう楽には殺さん。じわりじわりと、いたぶり殺してやる」
力道は斧の腹を舐めると、にたりと嗤った。
「ケッ。おまえ、どうやらほんとうに人格が変わっちまったようだな。上等だ、このやろう。てめえのほうこそ、切り刻んでやるよ!」
コウザは地を蹴った。
それと同時に、力道も地を蹴っていた。
白薙と翡翠――
「要するに、あんたは、闘いたくないけど、先に進ませるわけにもいかないって言うんだな」
確認するように、白薙(しらなぎ)が訊いた。
「だって、また人を殺しちゃうんでしょ? 継ぐべき者が、そんなことしたらだめですよォ。私たちが殺していいのは、妖物だけです。妖物は悪いやつなんですから」
翡翠(ひすい)がそう返す。
「あのなァ」
白薙は、辟易としてため息をついた。
「いいか、なんども言うようだが、いま州(くに)を牛耳っているのは、妖物よりも悪い人間なんだ。だから、この世を良くするには、そいつらを斃さなきゃならないんだよ」
「えー、でも、兄さまや仙翁さまは、羅紀は悪いやつで、その羅紀の仲間になったあなたたちを、止めなきゃならないって言ってましたよォ」
「だからー、なんど同じことをくり返しゃいいんだ、まったく。あ、あんたまさか、また時を操ってるんじゃないだろうね」
「話し合いをするって言ったのにィ、そんなズルはしませんよォ」
「そ、そうか。だったらいいが。するとおまえは、天然なのか?」
「天然?」
翡翠は小首を傾げる。
「あー、やっぱり、そうだ」
「えー、なんですか? やっぱりって」
「おまえは、馬鹿だって言ったんだよ」
そう言ったのは、霧縄だった。
「そんな……」
翡翠はとたんに悲しい顔をした。
眉根をよせた眼が潤み、大粒の涙がぽろぽろとこぼれ落ちた。
「ひどい、ひどいです……」
翡翠は顔をくしゃくしゃにして泣きだした。
と、そのとき、翡翠の背後に時読(ときよみ)が姿を現した。
「あらま、泣かせちゃったみたいね」
時読は翡翠の背をなで、宥めた。
「わたしは、責任持てないわよ」
霧縄と白薙に眼をやった。
「なんだい、時読。責任持てないって、どういうことだよ」
霧縄(きりなわ)が訊く。
「この子はね、一度泣きだすと、歯止めが利かなくなるのよ」
時読がそう言ったとき、翡翠の胸の勾玉が光った。
「歯止めが利かなくなる? それはいったい――」
霧縄の声が、ふいに途切れた。
それもそのはず、霧縄はそこから消えていたのだ。
「な、なんだよ。霧縄はどこへ行っちまったんだい」
白薙は周囲を見渡すが、霧縄の姿はどこにもなかった。
「おい! 霧縄をどこへ――」
すると今度は、白薙の姿も消えてしまった。
「だから言ったじゃない。責任持てないって。この子は泣きだすと、無意識のうちに霊晶石の力を使っちゃうのよ。とは言っても、もう遅いわね。いったい、どこの次元に飛ばしちゃったのかしら。いや、そんなことより、もとにもどれるかどうかが問題だわ。とにかく、この子が泣きやむまで待つしかないわね」
時読は、翡翠を泣きやませようと宥めつづけた。
だが、翡翠が泣きやむ気配は一向になかった。
凛と楓香――
楓香と凛が睨み合っている。
と思うと、
「ぐッ、なんだ……身体が、動か、ない……」
楓香ががくりと片膝をついた。
手のひらを見つめる。
その手のひらが、小刻みに震えている。
「ようやく、毒が効いてきたようですね」
凛が言った。
「なに……」
楓香は、膝を落した脚の太腿に眼をやった。
その太腿に、わずかな破れ目がある。
そこから皮膚が覗き、血が滲んでいた。
それは、凛が放ってきた鞭を太刀で捌ききれなかったときに受けた傷であった。
「鞭に毒を……。そうか、あんたは、毒を……、扱うんだったね。迂闊だったよ」
顔をゆがめて、楓香は凛を見た。
そのとき、その楓香の横に現れたものがあった。
オレンジ色をした鶏の姿の霊獣。
風車の霊晶石に宿る式鬼、鳳明(ほうめい)であった。
「大丈夫か、楓香」
鳳明が言った。
「心配は無用だよ、鳳明……」
「だが、おまえ、その身体じゃ――」
「いいんだ……これは継ぐべき者同士の闘いだ。手を出すな」
鳳明が言うのを制して、楓香が言った。
「そうだよ、鳳明」
そう言ったのは、凛の隣りに姿を現した白夜だった。
「手を出そうというなら、このわたしが相手だよ」
鎌首をもたげて白夜が言った。
「白夜。いい度胸じゃないか。おまえなぞ、疾風乱撃(いっぷうらんげき)で切り刻んでくれる」
鳳明は威嚇するように、羽を大きく広げてみせた。
「その前に、猛毒を食らわしてやるよ」
白夜は、裂けた口を、かっと開いた。
「だめです。白夜さん」
凛が白夜を制す。
「ここは、わたしに任せてください」
「あんたがそう言うなら、わかったよ」
白夜は、凛の背後へと身を退いた。
「なんだ、怖気づいたか?」
鳳明が挑発する。
「やめな、鳳明。あんたも下がってな……」
楓香が言うと、鳳明は渋々とうしろへと下がった。
それを見て、凛が懐に左手を入れた。
「ここに、解毒剤があります」
懐から左手を出し、手のひらを上に向けて広げる。
その手のひらの上には、小さなカプセルが載っていた。
「ここであなたが、夏ノ洲に向かうのをやめるならば、この解毒剤を渡します」
「なんだ、と……」
「あなたたちが、いまのこの世界を憂い、格差のない世界を創ろうと立ち上がったことは素晴らしいことです。そんなあなたたちと、わたしも一緒に戦いたい。けれど、やりかたがよくありません。あなたたちは、羅紀とともに、力によってふたつの州を襲い、陥落させた。そして、残りふたつの州も、同じように力で捻じ伏せようとしている。それは間違ったやりかたです」
「やっぱり、お姫さまだね、あんた。考えが甘いよ……。州を牛耳っているやつらが、私利私欲のためにどれだけ悪の限りを尽くしているか、州主の娘のあんたなら、わかってるはずだ……。それを斃すことが間違いだって言うのかい……。しょせん、あんたはお姫さまだ。貧困に苦しんでる下々の人間のことなんて、どうだっていいんだろう……」
楓香は苦しみに耐えながら言い放った。
「そんなことはありません。貧困街に住む人々を、どうでもいいなどと思ったことは一度だってないわ。わたしだって、どうにかしなければいけないと、ずっと考えてきました。だけど、どうすることもできなかった……でも、つるぎさんと出会って、わたしには、州を救おうと努力する勇気がなかったことに気づかされました」
「つるぎって、異界からやって来た、あいつのことか……」
「そうです。だから、わたしは決意したのです。州を、もうあの者たちの好き勝手にはさせないと」
「どうするつもりだい……」
「あの者たちを捕らえ、これまでの罪を償わせます」
「それは、ご立派なことだね……。あいつになにを言われたかは知らないけどね、あいつは異界の者なんだよ。この世界のことなんて、わかるわけがないんだ。あんたは騙されてるだけさ……」
「あなたがどう言おうとも、わたしの心は揺るぎません。そんなことより、早くこの解毒剤を飲まないと、あなたは命を落とすことになるのですよ。どうするのです。答えなさい」
凛は語尾を強めた。
「フ……」
ふいに、楓香が嗤った。
「なにが可笑しいのです」
「お姫さま。どうせ、脅しだろ?」
「――――」
凛は無言のまま、眉根をかすかに寄せた。
その顔には、明らかに動揺の色が浮かんでいた。
「やっぱりね。あんたは、わかりやすいんだよ。この毒だって、どうせ痺れ薬かなにかじゃないのかい」
「鎌をかけたのですか」
「いや、確認をしただけさ。あんた、州を牛耳っているやつらを、捕えて罪を償わせると言っただろ? それで思ったのさ。あんたが、あたしを殺すわけがないってね」
楓香が、ゆらりと立ち上がった。膝が、がくがくと震えている。
「とは言え、大した毒だよ。身体の自由が利きやしない。けどね――」
言うと楓香は風車を唇にあて、息を吹きかけた。
「楓の舞!」
とたんに、一陣の強い風が地上の枯葉を巻き上がった。
巻き上がった枯葉が、凛に向かっていく。
「しまった――」
動揺の一瞬の隙をつかれ、凛は躱(かわ)すタイミングを逃していた。
枯葉が、生き物のように凛に襲いかかる。
しかし、その枯葉は身体に纏わりつくだけで、凛を傷つけることはなかった。
そして、ふいにその動きを止めると、枯葉ははらはらと地に落ちていった。
「毒の回ったその身体では、本来の力は発揮できませんよ」
凛が言った。
楓香の放った技が失敗したと見て、そう言ったのだ。
楓香はうなだれている。
「確かにね……」
その声に力はない。
うなだれている楓香の顔が、ゆっくりと上がった。
瞼を閉じている。
「でも、それでいいのさ」
瞼が、かっと見開かれ、凛に向けられた。
「これを、手に入れたからね」
右手を、凛に示すように上げた。
その右手の指先に、何か小さなものを摘まんでいる。
凛は、それに視線を向けた。
「それは!――」
凛は声をあげ、自分の左の手のひらを開いた。
そこにあるはずのものがなかった。
楓香が手の指先に摘まんでいるものは、凛が手にしていた解毒剤であった。
それを楓香は口に運び、ごくりと呑みこんだ。
「いまのは、あんたを攻撃したわけじゃない。この解毒剤が欲しかったのさ」
楓香は嗤っていた。
「ハハ。さすがは毒を扱うだけあって、解毒剤も即効性があるね。身体の自由がもどってきたよ」
「そういうことでしたか。ならば、もっと強い毒を味わわせてあげましょう」
凛は鞭をふり、地を叩いた。
その鞭の色が、紫色に変わっていく。
「今度の毒に、解毒剤などありません」
「必要ないさ。もう、あんたの鞭を食らったりはしない」
睨み合うふたりの唇には、冷ややかな笑みが浮かんでいた。
ソウマと狗音――
ソウマと狗音の息が上がっている。
ふたりともに、身に着けている着衣のほうぼうが破れ、幾多の傷を負っていた。
「このおれ様が、これほど手間取るとはな」
荒い息を吐きながら、ソウマが言った。
「――――」
狗音は無言である。
「このまま、ダラダラやってたって埒が明かないな。そろそろでカタをつけさせてもらうよ」
ソウマは鎚を頭上に掲げると、2本の指を下唇にあて呪を唱えた。
「閃光爆雷!」
叫んだ。
と、黒雲の雲間に、かっ、と光が瞬いた。
そう思うと、柱のごとく太い問い稲妻が、大気を貫き狗音へと落ちた。
ドーン、という烈(はげ)しい音が鳴り響いた。
焦げた匂いが周囲に漂う。
稲妻の落ちた場所は、ぽっかりと穴が穿たれていた。
「やったか!」
ソウマは穴に近づき、中を覗いた。
しかし、そこに狗音の姿はない。
「ハハ、跡形もないぜ」
ソウマはそう言い、だがすぐに、その顔がハッとなった。
空を見上げた。
「空へ逃げたって無駄だよ」
10メートルほど上空に、狗音が浮いていた。
「浮遊術なら、おまえには負けないぜ」
言うと、ソウマの足が地を離れた。
身体が宙に浮き、そのまま上昇していくと、狗音と同じ高さで止まった。
狗音の唇に冷笑ともいえる笑みが浮いた。
ソウマの唇にも、皮肉な笑みが浮かんでいる。
ふたりは、中空で対峙した。
狗音が横笛を唇にあてた。
「そうはさせるか! 閃光爆雷!」
稲妻が、狗音に向かって走る。
狗音がそれを躱(かわ)す。
その躱したところへ、稲妻がまた走る。
それがくり返される。
狗音の動きは疾い。
いや、その動きに、疾(はや)いという言葉はあてはまらない。
稲妻が走ってくるその瞬間に、狗音の身体はそこから消え、別の空間に瞬時に現れるのだ。
「おまえ、瞬動(しゅんどう)を使うのか。凄いじゃないか」
ソウマが言った。
「だが、疲弊(ひへい)した身体で、それをいつまでつづけられるかな?」
稲妻が、またも狗音に向かって走る。
狗音の姿がそこから消える。
そして今度は、狗音の姿が別の空間に現れるその刹那を狙って、稲妻が走った。
狗音の姿はそこにあるままだ。
あえて、そのままでいるのだ。
稲妻は、狗音の横を走り抜けていった。
「クソ、外したか!」
ソウマが悔しがる。
「目測でぼくを捉えることなんて、できやしないよ」
狗音は余裕の表情であった。
先程と比べれば、狗音の息は正常といえるほど落ち着いている。
それとは逆に、ソウマのほうは息づかいが荒い。
「それに、疲弊(ひへい)しているのは、君のほうじゃないか。君はもう年寄りなんだから、無理をしない方がいいよ。いま楽にしてあげる」
「な、なんだと! おれ様はまだ17だぞ! 年寄りとはなんだ。そんな冗談、笑えねえぞ、このやろう」
「ほら。ぼくよりも、4つも上じゃないか。じゅうぶん年寄りだよ」
「なに? ってことは、おまえ13か。ふざけやがって。だったら、年の功ってのを、その身体に教えてやるよ」
ソウマは、鎚を狗音へと向けた。
「フッ、それはどうかな」
狗音は、横笛を唇にあてた。
音色が奏でられた。
それは、ソウマにしか聴こえない音色だった。
「くッ……」
とたんにソウマは耳を塞ぎ、苦悶に顔をゆがめて、
「卑怯だぞ、狗音……」
苦しまぎれに言った。
「卑怯だって? ぼくたちは命の取り合いをしているんだろう? それを、卑怯とはどういうことかな」
狗音が訊いた。
だが、ソウマの苦悶の表情は変わらない。
どうやら、狗音の持つ霊晶石の横笛は、唇を離しても、その音色を奏でつづけることができるらしい。
「忌々しいが、おまえは、おれ様の術を躱した。それは、瞬動術を使えるおまえだからできたんだ……。それに引き替え、おまえのこの術はどうだ。音じゃ、どうやったって躱すことはできないだろうが……」
「君、面白いことを言うね。ぼくが君の術を躱せて、君がぼくの術を躱せないのは、君とぼくとの能力の差じゃないのかな。要するに、君は弱いってことだろう? それを、ぼくが卑怯な手を使ったような言いかたをするなんて、見下げたやつだね君は」
「ああ、そうさ。おまえの言うとおりだよ。返す言葉もない。だがな、そんなおれ様をおまえは……、こんな一方的な術で斃(たお)そうとしてるんだ。卑怯と言われて当然だろうが。それともなにか? おれ様よりも能力が上のはずのおまえが、こんな術で斃そうとしているのには、それなりの理由があるのか?」
「今度は開き直り? 口だけは達者なようだけど、年の功って、その口のことなんだ」
「どうとでも言えばいい。それよりも理由を言えよ……」
「――――」
狗音は答えない。
「どうした。なぜなにも言わない……。そうか、そういうことか……。おまえ、おれ様が恐いんだろ。おまえがこの術を解いて、おれ様がとんでもない秘術を出すんじゃないかと思って、ビビってるんだな……」
「つくづく見下げたやつ。ぼくが、そんな挑発に乗って、この術を解くとでも思っているのかい?」
「チッ。なんだ、バレちまったか……。じゃあ、しかたない。煮るなり焼くなり、好きにしな……」
「そんなことはしないよ。君は、狂い死ぬのさ」
狗音はまた、横笛に唇をあてた。
「ぐわッ!」
ソウマは、さらに苦しがった。
そのまま中空に留まっていることができずに、ゆっくりと降下していった。
地に足が着くと、ソウマは両膝をついてうずくまった。
「や、やめろ……。頭が、おかしくなりそうだ……」
ソウマがもがき苦しむ。
狗音は中空に浮いたまま、横笛を吹きつづける。
と――
「なーんてな」
ソウマがすくっと立ち上がった。
「どういうこと?……」
狗音は、さらに横笛を吹いた。
だが、ソウマは平然な顔で狗音を見上げ、笑みを浮かべている。
「これさ」
手のひらを開いて見せた。
そこには、小指の先よりも小さい幾つもの小石が載っていた。
「小石を耳に入れて、笛の音を遮断したんだよ。とはいえ、完全に遮断できたわけじゃないが、これなら狂い死ぬこともないな」
ソウマは、手のひらの小石を地に落すと、
「さて、命乞いをするなら、いまだぞ」
言った。
ひょうと月密――
「ぬし、なぜに幻術がかからぬのじゃ」
月密が言った。
少女のその顔は、驚きの表情が浮いている。
「なぜと言われても、僕にもわからないですよ」
ひょうは、困った顔で頭を掻いた。
「幻舞、どういうことじゃ」
月密が言う。
すると、その月密の横に、猿の姿をした霊獣が姿を現した。
銅鏡の霊晶石に宿る式鬼、幻舞であった。
「わからん」
幻舞は頸をふった。
「ぬしにもわからぬか。ならば、氷雨に訊いてみるほかないの」
月密はそう言うと、
「氷雨!」
呼んだ。
と、
「なんだよ、月密」
ひょうの横に、羊の霊獣、氷雨が姿を現した。
「どうして、あんたがぼくを呼び出すのかな」
「よいではないか。長いつき合いじゃ。こやつは、なぜに幻術にかからぬ」
月密が訊いた。
「長いつき合いと言っても、いまはあんた、敵だろう? その敵に、それを教えると思うのかい?」
「固いことを申すな。教えよ」
「そう言われてもなあ……」
氷雨は、ちらりとひょうの横顔を見る。
ひょうは、何やら口許でブツブツと言っている。
「これ、もったいぶるでない」
「うん……」
氷雨は口ごもる。
「早よう、言わぬか」
月密が業を煮やす。
「わ、わかったよ」
氷雨は観念したように言うと、
「実は――」
重い口を開いた。
「うむ」
月密がこくりとうなずく。
「ぼくも、よくわからないんだよね」
氷雨は、アハハと笑った。
そのとたん、月密と幻舞は、お約束のようにこけていた。
「なんじゃ! 気を持たせおって。わからぬなら、初めからそう言わぬか」
まったく、と月密はため息をついた。
「理由のひとつもわからぬとなると、この者、厄介だの」
そう言いながら、月密は胸の前で腕を組み、両腕をさすった。
「これは、どういうことじゃ」
「どうした。月密」
月密が腕をさすりながら震えているのを見て、幻舞が訊いた。
「寒いのじゃ」
月密が答える。
「寒い?」
「そうじゃ。ぬしは感じぬのか。この寒さを」
「おれはこのとおり、全身、毛で被われているから、寒さなど感じないな」
「そうか。わらわは、この着物一枚ゆえ、寒くて敵わぬ。これではまるで、冬ノ洲にいるようじゃぞ」
そう言う月密の唇から吐き出される息が、肉眼でもはっきりと見えるほどに白かった。
気づくと、月密と幻舞(げんぶ)は正方形の氷の壁に閉じこめられていた。
その氷の壁を、月密が手で触れた。
「ひょうとやら、これは、ぬしの仕業か」
月密はひょうに視線を向けた。
「はい。そうです」
ひょうは、素直に認めた。
「こら、小僧!」
幻舞が叫んだ。
「いますぐ、ここから出せ。さもないと、その首へし折るぞ!」
「それは無理だよ。おまえには、その氷は破れない」
言ったのは、氷雨だった。
「なんだと! こんなもの、ぶち破ってやる!」
幻舞は、渾身の力で氷の壁を拳で殴りつけた。
しかし、氷の壁はびくともしない。
「くそッ!」
なんどとなく殴りつけてみたが、結果は同じだった。
「だから言ったろう? その氷は破れないって」
「ぐぬう」
幻舞は、忌々(いまいま)しげに氷雨を睨みつけた。
「どうするつもりじゃ。我らを凍死させる気か」
月密は、がくがくと震えていた。
「そんなことしませんよ。防衛のためにそうしたまでです」
「ならば、わらわの幻術はぬしには効かぬゆえに無害じゃ。ここから出してくれぬかの。わらわが憑依したは、まだ幼き娘。ぬしにその気がなくとも、このままでは凍え死ぬぞえ……」
月密の唇の色が、青くなり始めていた。
「あ、そうですね。わかりました。じゃあ、あなただけ、そこから出すことにします」
「幻舞は、どうするのじゃ」
「そのおサルさんは恐いので、出したくないんですけど」
ひょうが言うと、
「そうだな。あいつは暴れん坊だから、なにをするかわからない。出さないほうが賢明だよ」
氷雨が言った。
「なにをォ! おまえら、ブチ殺してくれる!」
怒りを露わにした幻舞は、またも氷の壁を殴り始めた。
しかし、氷の壁にはひびひとつ入らない。
「無駄なことはよさぬか。幻舞」
月密が窘(たしな)める。
「だってよ……」
怒りの治まらぬ幻舞は、鼻息を荒くしている。
月密は、ひょうへと眼を向け直す。
「ひょうよ」
「はい」
「幻舞を出さぬというのなら、わらわもここから出ぬ」
月密のその言葉に、
「なにを言ってる、月密。おれなら、大丈夫だ」
幻舞は驚いて言った。
「いや、そうはいかぬ……」
そう言うと、月密の身体がゆらりと傾いだ。
その月密を、幻舞が受け止める。
身体を温めようと、胸の中に抱えこむ。
「幻舞よ。ぬしとは、一心同体じゃ……」
月密の瞼が、すうっと閉じた。
その顔からは、血の気が失せていた。
「おい、月密! しっかりしろ! おい!」
返答はない。
月密はぐったりとしていた。
幻舞は、月密を抱えこんだまま、ひょうへと顔を向けた。
「こらァ! 早くここから出せ! 月密にもしものことがあってみろ。てめえら、ブチ殺すだけじゃすまねえぞ!」
睨みつけた。
「あ、あの、術はすでに解いてあるんだけど……」
ひょうは、ビクつきながら言った。
「なに!」
幻舞は周囲に眼をやった。
ひょうの言葉どおり、氷の壁はもうすでになかった。
「おい、もう氷の壁はない。しっかりするんだ。月密!」
月密に声をかける。
月密は、まだぐったりとしたままだ。
「月密!」
幻舞がなおも声をかける。
と、
「大丈夫じゃ。ぬしが身体を温めてくれたからの……」
か細い声が聴こえた。
月密が、瞼を薄く開く。
「おう、月密。意識を取りもどしたか」
その顔には、血の気がもどりつつあった。
それでもまだ、月密の身体は震えていた。
「よかった。まったく、心配かけやがって。こんな幼い娘に憑依するから、こんなことになるんだぞ」
玄舞は、月密の小さな身体を抱き締め、その背をさすった。
「しかたなかろうよ。この娘が、霊晶石に選ばれた者なのじゃからの……」
月密は唇の端で、小さく微笑んだ。
幻舞も、それに微笑みで返し、
「だが、あいつは許せねえぞ」
ひょうを睨みつけた。
「よせ、幻舞」
月密が止める。
「なぜだ。なぜ、止める。あいつは、あんたをこんな目に遭わせたんだぞ」
「あやつは、防衛のためと言うていたではないか。もしあやつが本気ならば、ぬしとともに凍りついていたであろうよ」
「――――」
幻舞は黙って眉根を寄せた。
「もう、よいのだ。それより、わらわを立たせてくれぬか」
「まだ、だめだ。体力が消耗する」
「心配いらぬ。この身体、幼いが、それだけに回復力が早い」
「そう言うなら、わかったよ」
幻舞は、月密の身体を労わるように立たせた。
「ひょうよ」
月密がひょうを呼んだ。
「は、はい……」
おずおずと、ひょうは返事をした。
「ぬしのお陰で、眼が醒めたわ」
「?――」
「この戦いは、無益なだけよ」
「僕も、そう思います……」
「うむ。我らは、羅紀の圧倒的な力によって、この世界を変えようなどと本気で思っておったわけじゃが――」
月密は、もろは丸と闘いをつづける羅紀に眼を馳せた。
「羅紀はあのとおり、青竜との闘いに没頭しておる。あやつにとって、世界のことなどどうでもよいことのようじゃ」
「――――」
ひょうは黙って、月密と同じように、羅紀ともろは丸との闘いに眼を向けた。
わずかな沈黙のあと、
「この無益な戦い、止めねばならぬな」
月密が言った。
「止めねばならぬって、だれがですか?」
「わらわとぬしに決まっておろうが」
「え、えーッ!」
とたんに、ひょうは眼を丸くした。
「なにを驚いておる。ぬしは、ただ黙って、ここで見ているつもりでおったのかえ」
「いや、その、止めると言っても、あのふたりをどうやって止めてばいいんですか」
ひょうは、羅紀ともろは丸に眼を向けながら言った。
「あのふたりは、闘わせておけばよい。止めなければならぬは、継ぐべき者たちよ。とは申せ、止めるには、冬と秋の継ぐべき者を説き伏せればすむことじゃ」
「なんだ。そうだったんですか」
ひょうは、ほっと息をついた。
「あのふたりを止めようとて、わらわとぬしで止められるものか」
「そうですよね。あんな巨獣と化したふたりを止めるなんて、命が幾つあっても足りませんよ」
「無駄口はよい。ゆくぞえ」
「は、はい。あ、でも、冬と秋に継ぐべき者を説き伏せると言っても、僕は知らない人たちだし、それに、その……」
「あー、わかった。説き伏せるのはこのわらわに任せよ。ぬしは、わらわについてくるだけでよい」
「わかりました。はい」
ふたりは、継ぐべき者の闘いを止めるために動いた。
つるぎと紫門――
つるぎと紫門は、間合いの外にいた。
互いの剣と太刀を正眼に構え、対峙している。
「紫門くん」
つるぎが、ふいに紫門を呼んだ。
「なんだ」
「ほんとに、やめる気はないの?」
「まだ、そんなことを言っているのか。くどいぞ」
「そう。じゃあ、しかたないね」
言うと、つるぎの身体から霊波が立ち昇った。
その眼に、赤い光が帯びる。
「なに! なんだ、その霊波は……」
紫門は、つるぎの発する霊波の凄さに驚愕した。
その瞬間、
「ごめんね。紫門くん」
紫門は、つるぎのその声を耳元で聴いた。
なぜ――
そんな疑問が脳裡をよぎった。
それは、間合いの外にいるはずのつるぎの声がなぜに耳元で聴こえるのか、という疑問であった。
「!――」
それから、コンマ数秒遅れて、紫門はつるぎの頭部が自分の顔のすぐ横にあることに気づいた。
その刹那、紫門は腹に鈍い痛みを覚えた。
「ぐ、う……」
身体の力がふいに抜け、紫門は膝から崩れ落ちた。
いったい何が起きたのか。
それを考えるいとまもなく、紫門は地に倒れ伏していた。
紫門との間合いの外にいたつるぎは、一瞬にして紫門と身体が触れるほどまでに接近し、剣の柄頭で紫門の鳩尾を 突いたのだった。
瞬動――狗音と同じ瞬間移動を、つるぎは使ったのだ。
「ごめんね。紫門くん」
同じ台詞をもう一度口にすると、つるぎは、闘いをつづけている2体の巨獣へと向けた。
つるぎ、もろは丸と羅紀のもとへ――
「なんだよ、もろは丸。圧されているじゃないか」
つるぎが言うように、もろは丸は劣勢であった。
それまで、圧しつ圧されつの攻防がつづいていたが、いまはほとんど一方的にもろは丸が圧されている状態になっていた。
「加勢するのは反則かもしれないけど――」
つるぎは、ぽつりと言った。
すると、つるぎの姿が、その場からすっと消えていた。
もろは丸の内と羅紀――
「グクク、どうしたァ、青竜ゥ!」
裂けた口をつり上げて、羅紀が嗤(わら)った。
その羅紀の前には、地に膝をつき、頸をうなだれたもろは丸の姿があった。
もろは丸は、全身のあらゆるところに傷を負い、そこから血が流れ出していた。
どの傷も、深い傷である。
「膝をつき、そうやって首をうなだれたきさまの姿を見ていると、我に許しを乞うているようではないか。なァ、仙翁。そう思わぬか」
もろは丸の後方に立つ仙翁に、羅紀は眼をやった。
仙翁はもろは丸から5メートルほど後方に立ち、口惜しげに羅紀を見据えている。
「なにも言わぬか。まあ、よい。そこでそうして、この青竜の最期を見届けるがよいわ!」
勝ち誇ったように、羅紀は笑みを浮かべると、一度胸の前で両の手のひらを合わせ、そして20センチほど離した。
すると、その両の手のひらのあいだにできたわずかな空間に、黒い球体が発現した。
「取って置きの黒魔莉を、お見舞いしてくれようぞ!」
黒い球体――黒魔莉(くろまり)が収縮をくり返しながらみるみる両手の中で大きくなっていった。
「青竜よ。塵と化してしまえ!」
1メートルほどに大きくなった黒魔莉を、羅紀が放とうとする。
そのときだった。
「塵になるのは君のほうさ」
その声が聴こえ、と思うと、羅紀が後方へと吹き飛んでいた。
放とうとした黒魔莉によって、自らが吹き飛ばされていたのだった。
次の瞬間、凄まじい爆発とともに爆音がこだました。
もろは丸がうなだれた頸を上げると、目の前につるぎの背があった。
「つるぎ……」
もろは丸のその声に、つるぎがふり返った。
「!――」
身体中に傷を負ったもろは丸の姿に、つるぎは眉をひそめた。
「傷だらけじゃないか」
つるぎは気づかうように、もろは丸の腕に触れた。
「触るな……」
その腕を、もろは丸はふり払った。
つるぎを睨みつける。
「なぜ、勝手な真似をした……」
「それは……」
つるぎは言葉に窮(きゅう)した。
「手助けをしてくれと、おれは頼んだか……」
「頼んでないよ。だけどさ……」
「だけどもくそもない。これは、おれと羅紀の闘いだ。邪魔をするな」
もろは丸は、ゆらりと立ち上がった。
「邪魔? なんだよ、それ」
「いいから、そこをどけ!」
もろは丸は乱暴に言い放った。
つるぎが、そのもろは丸を睨み返す。
「どかないよ」
「なに!」
「逆の立場になっていたら、君だって同じことをしたはずさ」
「おれがか? フン。買い被りすぎだ。おまえが双頭狼の妖物と闘っているとき、おれはおまえを助けなかった」
「それは違うよ。あのとき、ボクがほんとうに危なかったら、きっと君は助けたさ」
「なぜ、そう言い切れる」
「ボクたちは、友だちだからだよ」
「!――」
つるぎのその言葉に、もろは丸の眼が揺れた。
「君は、自分の命をかえりみずに、ボクを助けたはずだよ」
「なぜ、そう決めつける。それにな、おれを友と言うなら、その友の想いを察するものではないのか。それをおまえは、このおれの自尊心を傷つける真似をしたのだぞ。それのどこが友だと言うんだ」
「だったら、君がやられているのを、ただ見てればいいって言うのかい? あんなふうにさ」
つるぎの視線は、仙翁に向けられていた。
仙翁は、何も言わずに黙ってつるぎを見返している。
「そうだ。おまえと違ってな、仙翁はおれの意思を尊重しているのだ」
「――――」
つるぎはそこで眼を伏せ、わずかに沈黙すると、
「なんだよ。自尊心だの、意思を尊重しているだのって……」
言った。
「そんなのおかしいよ」
眼を上げると、つるぎはもろは丸を見、そして仙翁を見た。
その眼に、赤い光が宿っている。
「目の前で友だちが傷ついていくのをただ見ているだけだなんて、そんなことボクにはできないよ。ボクにはボクの、友だちを想うやり方がある。それが気に入らないって言うなら、ボクを殴ればいいさ。ただし、それは羅紀を斃してからだ」
言い放つと、つるぎは背を向けた。
「つるぎ!」
もろは丸のその声に応えず、つるぎは前方を見つめている。
爆発によって上がった土煙は、風に流され、つるぎの向ける視線の先には、羅紀の姿があった。
あれだけの爆発があったというのに、羅紀はかすり傷ひとつ負っていなかった。
つるぎは、そのことを気に止めているふうもなく、
「待たせたね。羅紀」
言った。
「聴こえていたぞ、来訪者よ。この我を斃(たお)すなどと、大口を叩いていたなァ」
羅紀は、もとの姿にもどっていた。
しかし、その口調はもどっていない。
「だって、しかたないよ。君を斃さなきゃ、この無益な戦いは終わらないんだからさ」
「世界を変える戦を、無益と申すか」
「世界を変えようというのは、悪くないよ。だけど、やりかたがよくない」
「ほう。そのやりかたとは、人間を殺すことを言っているのか」
「そうだよ。どんな悪いやつだって、殺しちゃいけない」
「これは面白いことを言う。ならば、闇の者、妖物はどうなのだ。妖物を殺すのはいいのか」
「妖物は人を容赦なく殺し、喰らうじゃないか」
「人間とて、獣を、鳥を、魚を、喰ろうているであろうが」
「それは、人が生きていくためには、しかたのないことだよ……」
「しかたない? おかしなことを言うな。人間が他の生き物を喰らうのはよくて、妖物が人間を喰らうのはいかんと申すか。ずいぶん、身勝手な言い草だな」
「――――」
つるぎは、口をつぐんだ。
「それは、人間の傲慢(ごうまん)と言うものだ。人間も妖物も、他の生き物を喰らわねば生きていけぬのだ。おなじではないか。それとも、なにか? 人間だけは特別な存在だとでも思っているのか。思い上がるなよ」
「特別だとは思わないよ。だけど、人間と妖物はおなじじゃない」
「どこが違うと言うのだ」
「人間は、無益な殺生はしない。でも妖物は、見境なく人間を襲う。そして、人間を残虐に殺し、それを楽しんでいる。それのどこが、同じだって言うんだ」
「無益な殺生はしない、か。クク、それはどうであろうかな。我は闇の冥王、闇を司る者。我に2度、封印されたが、闇は2000年ものあいだ人間と戦いつづけてきた。そして、我は知った。人間の中にも、闇があるということをな。人間の持つ闇と比べれば、妖物など可愛いものだ。いまや人間は、おのれの裡に潜んでおった闇に支配されている。いまの世界は、その人間どもが牛耳っているのだ。皮肉なものだな。その人間を、継ぐべき者は護ってきたのだからな。来訪者よ。きさまは、その手助けをしているだけなのだ」
「――――」
つるぎは、羅紀を見つめながら押し黙っていた。
「どうだ、来訪者よ。我とともに、この腐臭にまみれた世界を壊し、新しい世界を築かぬか」
つるぎは一度眼を伏せ、すぐにその眼を上げると、
「やだよ」
そう言った。
「なに? なぜだ」
羅紀は眉根をよせた。
「君がなんと言おうと、ボクは君を信じない。それに、人間が犯した罪は、人間が正さなければならないよ。仙翁が言っていたように、人の世は人の力で変えなければならないんだ。だから、きみの仲間になんか、絶対にならない!」
つるぎは言い放った。
「生意気な」
羅紀は右腕でマントが翻した。その右腕を真横に上げた。
黒い霊気が、右手に凝っていく。
その霊気は、凝りながら長く伸びていき、さらに凝って、何かを形成しているようだった。
それは、黒い闇の色をした妖刀であった。
羅紀は霊気によって、新たにその妖刀を形成し、具現化させたのだ。
その妖刀を握り、
「身のほどを知らぬ、小僧めが!」
羅紀は地を蹴(け)っていた。
「身のほどを知るほど、ボクはまだおとなじゃないよ」
つるぎもすでに、剣を手に地を蹴っていた。
ぎぃいん!
黒い霊波をまとった妖刀と、青い霊波をまとった剣がぶつかり合った。
烈(はげ)しく圧(お)し合う。
その圧力に、大気がびりびりと震える。
「ほう。我の力に耐えるか」
羅紀がさらに圧力を加える。
「耐える?」
その圧力を、つるぎは物ともせず、
「いまのボクには、この程度の力、耐えるまでもないよ」
唇に不敵な笑みを浮かべると、腕へと流した霊気を、爆発させるようにして圧し返した。
それだけで、羅紀は後方へと吹き飛んでいた。
だが、吹き飛んでいく羅紀の身体が、まるで急ブレーキを掛けたかのように止まった。
「クク、やるではないか」
羅紀の唇の両端が、くっとつり上がる。
と思うと、羅紀の身体が中空へと浮き上がっていった。
それに合わせるように、つるぎの身体も地を離れて浮上していく。
ふたりは、中空に同じ高さで対峙した。
「だが、きさまの環力、本物なのか?」
羅紀が問う。
「さあ、ボクにもわからないよ」
つるぎが答える。
「そうか。ならば、試してやろう」
羅紀の眼が、かっと見開いた。
すると、
バシッ!
「ぐッ!……」
つるぎの左頬に、何かが当たった。
宙を、何かが飛んできたのだ。
左頬が、殴られたように赤くなっている。
バシンッ!
「ぐはッ!」
今度は、つるぎの右頬だった。
右頬も、左頬と同様に赤くなり、唇から血が流れ出した。
「なんだ……」
何かが飛んできたというのはわかる。
そしてそれが、羅紀が放った技であるということもわかる。
だが、その飛んできたものが何であるのか、それがわからない。
眼に見えない何か――
つるぎは、眉根を寄せた。
「フン。なにが起きたのかわからぬといった顔だな。いまのは空功弾(くうこうだん)と言うものよ」
「――――」
羅紀を見つめ、つるぎは唇の血を拭った。
「大気を凝固させ、きさまに放ったのだ。大気だけに眼には見えぬ。ゆえに、どこから飛んでくるかもわからぬ」
羅紀が、また空功弾を放った。
空功弾は、つるぎの腹を抉るように命中した。
つるぎの身体が、くの字に折れた。
「がはッ!」
つるぎは、胃液の混じった血を吐いた。
「どうだ。凝固した大気とはいえ、鉄の塊を食らったようであろう」
羅紀の唇が、さらにつり上がる。
またも、空功弾を放つ。
顔、肩、背、胸、腹、太腿。
前後左右のあらゆる角度から、空功弾がつるぎを襲う。
どうやら羅紀は、複数の空功弾を放っているらしかった。
その眼に見えぬ空功弾を避けることもできずに浴びつづけ、つるぎは全身に傷を負ていった。
学生服のそこかしこが破れ、ぼろきれのようになっていった。
「どうした、来訪者よ」
羅紀のその言葉とともに、空功弾(くうこうだん)の攻撃が止まった。
つるぎは首をうなだれ、中空に浮いている。
「環力(わりょく)も、使う間もなければ、宝の持ち腐れと言うものよ」
ク、
ク、
ク、
羅紀は、右の手のひらを胸の前で上に向けた。
そこに、黒い球体、黒魔莉(くろまり)が発現した。
黒魔莉は、手のひらを被うほどの大きさになると、すうっと手のひらから離れて、上空へ上がっていった。
ある程度まで上がると、今度は前方へと進んでいき、うなだれたつるぎの頭上高くに止まった。
その黒魔莉に、羅紀は一差し指を向けると、指先をくいっと下へさげた。
すると、黒魔莉は真下のつるぎに向かって直角に落ちていった。
「ぐわッ!」
黒魔莉をまともに食らったつるぎは、地上へと落下した。
「つるぎ!」
「つるぎ!」
仙翁ともろは丸が同時に声をあげ、つるぎに駆け寄ろうとした。
と、
「待て!」
羅紀の声が降り落ちてきた。
その声に、ふたりの足が止まった。
自分の意思で止めたのではない。
とつぜん、身体が動かなくなったのだ。
「くッ、儂としたことが……」
仙翁は印を結ぼうとしたが、指先さえも動かすことができなかった。
動くのは、口と眼だけだ。
「ぐく……、羅紀の術にハマったか……」
もろは丸も同様だった。
「そのようだの……」
仙翁は、中空に浮かぶ羅紀へと眼を向けた。
「邪魔はさせぬぞ」
羅紀が、ゆっくりと降りてきた。
「おまえの相手は、このおれだろうが」
もろは丸が言う。
「きさまとは、この来訪者を始末したあとだ」
「そいつはもう、闘える状態にない。そんなやつを相手にするより、このおれと闘え」
もろは丸が言えば、
「いや、羅紀よ。闘うのはこの儂とよ。儂はまだ、おぬしとやり合うておらぬでな」
仙翁がそう言った。
「ククク。よほど、この来訪者を助けたいようだな。ならば、なおさらのこと、こやつを先に始末してくれようぞ。きさまらとは、それからよ。それまで、そこでおとなしくしてろ」
羅紀は、狂気染みた笑みを浮かべると、倒れたまま動かないつるぎへと近づいていった。
「もう、虫の息ではないか」
つるぎの傍(かたわ)らに立ち、見下ろす。
狂気じみた笑みとは一変し、それは凍りつくような眼だった。
「つまらぬ」
羅紀は、つるぎの頭を踏みつけた。
つるぎは動かない。
「つるぎ! 立たぬか!」
仙翁が叫ぶ。
「ほら、どうした、来訪者よ。仲間が、悲痛の叫びをあげておるぞ」
羅紀は、足を上げると、またもつるぎを踏みつけた。
それでも、つるぎは動かない。
「この、あほんだらァ!」
そう叫んだのは、もろは丸だった。
「いつまでそこで寝とるつもりやッ! ええかげん、眼ェ醒まさんかい、こらァ! 羅紀を斃(たお)す言うたんは、口先だけやったんか! 情けないのう。おまえは、ただの情けない小僧やッ!」
関西弁で罵倒した。
「なにを言うか、もろは丸。そんな言いかたはなかろうよ」
思わず、仙翁が言った。
「いや、いまのあいつには、これくらいがいちばんなんや。それを証拠に、見てみィ」
もろは丸の言葉に、仙翁はつるぎへと眼を凝らした。
「む!」
眼を瞠った。
つるぎの指先が、ぴくりと動いたのだ。
「おう! 動いたぞ!」
「やっぱりや。つるぎは、情けないと言われると過剰に反応するんや」
「なるほどの。そうか。では、もっと罵倒しようぞ」
そう言うと仙翁は、思いつくかぎりの罵詈雑言を吐いた。
「あのな、仙翁。いくらなんでも、そこまで言うことはないだろうが」
もろは丸はため息をついた。
口調がもとにもどっている。
「なに? 罵倒すればよいのではないのか」
「違う。反応するのは、情けないという言葉だ」
「ぐぬ、そうであったのか……」
仙翁は、ふだん言ったこともない罵詈雑言を口にしたことを後悔した。
そこへ、
「なにを、ごちゃごちゃと言っている」
羅紀が言った。
「たかが指先が動いたくらいではないか。だが、面白い。もう少し反応させてみるか」
羅紀は、つるぎを見下ろし、
「来訪者よ。きさまは、そんな情けない醜態をみせるために、この世界にやって来たのか? 環力を得ながら、その力を存分に発揮することもできずに、死にゆくとは皮肉なものよ。情けないという言葉は、きさまのような者のためにあるのだなァ。ククク」
罵倒した。
するとまた、つるぎの指先が、ピクピクと動いた。
「ほう。どうやら、ほんとうらしいな。しかし、反応したといって、たったそれだけのことか? フン、つまらぬ。時間潰しにもならぬな。虫けらのごとく情けないやつよ」
羅紀は、つるぎの頭を踏みつけにしたまま、両の手のひらを一度胸の前で重ねた。
その手のひらを20センチほど離した。
手のひらのあいだの空間に、黒魔莉が発現した。
それは、もろは丸に放とうとしたものと同質の黒魔莉だった。
「さっきは、きさまに邪魔をされ、放つことができなかった黒魔莉だ。粉微塵になるがいい」
黒魔莉が、徐々にその大きさを増していく。
と、30センチほどの大きさになった黒魔莉の膨張が、ふいに止まった。
羅紀が自ら止めたのである。
その羅紀が、訝しげにつるぎを見下ろした。
「きさま、なにか言ったか」
つるぎの顔を、覗きこむ。
「この……、ろ」
確かに、つるぎは何か言った。
しかし、声が小さすぎて、その内容までは聴き取れない。
「そんな、蚊の鳴くような声では、なにも聴こえぬぞ」
羅紀が訊き返す。
「この足を……、どけろと言ったんだ……」
つるぎは、ようやく聴き取れるほどの声で言った。
おもむろに手が動く。
「な――」
羅紀の足首を、むんずと摑んだ。
「この死にぞこないめが、放さぬか!」
羅紀は、つるぎの手を蹴るようにして強引にふり払った。
つるぎは両手を地につき、上体を起こすと、ゆらりと立ち上がった。
オアァァァァア!
咆哮のような声をあげた。
上目使いに羅紀を見る。眼がつり上がっている。
その眼は、燃えるような赤い光を帯び、髪が逆立ち、揺れていた。
つるぎの身体の表面に、霊波が立ち昇り、それが次の瞬間には、爆発を起こしたかのように一気に放出した。
「!――」
羅紀は眉根をよせた。
つるぎの身体から放出したのは霊波ではなく。
霊気そのものだった。
凄まじいまでの圧力を有した霊気のエネルギー量は膨大であった。
それを眼にした羅紀に、臆するところはない。
それどころか、
「ククク。環力を解放したか。来訪者よ」
その顔には、またも狂気の笑みが浮かんだ。
「おれを……」
つるぎが、口を開いた。
口調が変わり、声色が太くなっている。
「情けないって言ったな」
赤い眼が、羅紀を睨んでいた。
「それがどうした。来訪――」
来訪者よ、そう言おうとし、だが、羅紀はそれを最後まで言うことができなかった。
「ごふッ……」
唇から血が流れた。
「きさま……」
羅紀の胸元に頭を押しつけるような形で、つるぎの姿があった。
その背から、剣が突き出でいる。
羅紀の腹を、つるぎが剣で貫いたのだ。
「おまえも、これで終わりだ」
つるぎは、羅紀を貫いた剣を、さらに深く突き刺した。
そのぶん、羅紀の背からは、剣が突き出ていく。
「ぐはッ!」
羅紀が血を吐いた。
その血が、つるぎの肩や背に飛び散る。
だが、
「これで終わりだと?」
血の付着した、羅紀の唇がつり上がった。
そう思うと、羅紀の身体が、身に着けている衣服ごと崩れた。
いや、崩れたというのは正確ではない。
羅紀の身体は、とつぜんのごとく黒い粒子となって散ったのである。
黒い粒子は流されるように、つるぎの前方5メートルのところで留まると、凝り固まっていき、羅紀の姿へと形成していった。
その変化は、仙翁と闘っていたときの無面と同じであった。
ひとつ違うのは、無面の場合は光の粒子であったが、羅紀の場合は暗黒の闇の粒子であるということだった。
羅紀の身体が、もとにもどっていく。
そのとき、ふいにつるぎが眼前に現れ、もとにもどった羅紀を頭から股下まで絶ち割った。
しかし、ふたつに立ち割られた羅紀は、またも黒い霧となって中空へと昇っていった。
「無駄だ。我を、剣で斬ることはできぬ」
羅紀の身体が、またしても、もとにもどっていく。
その羅紀の眼前に、これまたつるぎの姿が現れ、今度は真横から剣を一閃させた。
羅紀の身体が上下に寸断された。だがやはり、羅紀の身体は黒い霧となり、すぐにもとへともどっていく。
中空、そして地上で、同じことが数度くり返された。
「どうやら、きさまは馬鹿らしいな。我の身体は、剣では斬れぬと言っておろうが」
羅紀の身体は、もとにもどっていた。
つるぎは肩で息をついていた。
その肩がぐらりと揺れる。
つるぎは、くずおれるように膝をついた。
「クク。霊力の消耗が烈(はげ)しいようだな。たとえ環力を得ようとも、その脆弱な身体では無理もあるまい。きさまごときが、環力を得たことが間違いよ」
「――――」
つるぎは、荒い息を吐きながら、羅紀を見据えている。
「もう、さすがに飽いたぞ。お遊びはここまでだ」
羅紀は、右手をつるぎに向けて突きだすと、空を鷲づかみにした。
と、
「ぐくッ……」
つるぎが、首に手をやり苦しがった。
「その首、へし折ってくれる」
羅紀が、ゆっくりと腕を上へ上げていく。
すると、つるぎの身体が、それに合わせるように宙へと浮き上がった。
「ぐ……、あの黒魔莉を……、使わないところをみると、おまえも霊力を消耗しているようだな……」
苦しげに、つるぎが言った。
「なにを言うか。きさまなど、首をへし折るくらいが妥当だと思っただけのことだ。それに、きさまは疲弊(ひへい)しきっている。それだけ消耗していれば、我の手を粉砕した技も使えまいからな」
「――――」
つるぎは、口許でふっと笑った。
「なにを笑う。我を愚弄(ぐろう)するか」
羅紀は、指を内側へと狭めた。
「ぐ、う……。ま、待て……」
「なんだ。この期に及んで命乞いか?」
羅紀は、狭めた指をわずかにもどした。
「違う。そうじゃない……」
「では、なんだ」
「おまえは……、この世界を、ほんとうに変えようと思っているのか……」
「フン。そんなことか。これから死にゆくきさまが、それを知ってどうすると言うのだ。冥土(めいど)の土産にでもするつもりか?」
「――――」
つるぎは、それに答えない。
「まあ、いい。異界から迷いこみ、哀れに死なねばならぬきさまには教えてやろうではないか。我には、この世界がどうなろうがどうでもいいことよ。この胸に傷をつけた青竜を八つ裂きにすること、我にはただそれだけだったのだ。だが、その青竜もいまはあのざまだ。あれでは、我の心は満たされぬ。仙翁というあの者でさえ、いまでは2000年前の力はない。見ろ、我の掛けた呪縛を解くこともできぬ。そのうえ、環力を得たきさまでさえ、この我の 心を満たすにはほど遠い」
羅紀は、空を摑んでいた右手をふいに下した。
それによってつるぎは、首の呪縛が解け、地に膝をついた。
「他の継ぐべき者とて、きさまがその体たらくでは結果は見えている」
そう言った羅紀の右手に、闇の霊気が凝っていく。
そこに妖刀が発現した。
妖刀の切っ先を正面に向けた。
すると、刀身を包む大気が異様なゆがみを見せ、先端のわずかに先の空間へと集まっていった。
「となれば、あとはきさまらを、この地界宮もろとも消滅させるだけよ」
羅紀の顔に、狂気にゆがんだ笑みが浮かんだ。
妖刀の先に集まっていく大気が、しだいに螺旋を描き始める。
と、そのとき――
「やはり、そんなことであったか、羅紀よ」
羅紀の背後から、少女の声が聴こえた。
「クク、月密か」
羅紀は、ふり向かずに言った。
「初めから、ぬしを信用などしていなかったが、そうも露骨に胸の内を曝け出すとはの」
少女の姿の月密が言った。
「だからなんだと言うのだ。いまさらなにを言おうと、きさまらはこの世界とともに藻屑と消えるのだ。この闇荼羅によってな」
螺旋――闇荼羅(やみだら)は、直径1メートルほどの虚空の穴となり、大気が吸いこまれていた。
「それはどうかな」
その声は、紫門だった。
「そんなことを、させるわけねえだろう」
その声はコウザ。
「消えるのは、おまえのほうさ」
その声は白薙。
「まったくだよ」
その声は楓香。
そして、その隣には狗音がいた。
冬、秋の継ぐべき者たちが、月密のところに集まっていた。
一方、春、夏の継ぐべき者たちも、つるぎのもとへと駆けつけていた。
「つるぎー、大丈夫かー」
膝をつき、うなだれているつるぎを、力道が抱き上げた。
「おいー、しっかりしろー」
「力道、くん……」
つるぎが薄く眼を開けた。
「あー、オレだー」
「無事だったんだね……」
「おう。オレだけじゃねえぞ。みんなも無事だー。多少の怪我は負っているがなー」
「よかった……。でも、そうか……、ということは、冬と秋の継ぐべき者たちを、斃したってことなんだよね……」
つるぎは、ふと眼を伏せた。その顔に翳りが生じた。
そのつるぎの想いを、力道は察してか、
「そんな顔するなー、つるぎー。冬と夏の継ぐべき者たちも、無事だぞー」
言った。
「ほんと?……」
「ああ。秋の継ぐべき者の月密とひょうがなー、闘うオレたちを止めに入ったんだー。そしてなー、月密がなにか言ってたんだよ。んー、なんて言ってたんだっけなー」
力道が、首を傾げて考えこんだ。
すると、
「『我らは、羅紀にまんまと踊らされたのじゃ』だとか、『この戦いは無益でしかないぞえ』とか言って、仲間の狗音を説き伏せていたよ」
代わりに言ったのは、ソウマだった。
「そうなんだ、よかった……。ひょうくん。みんなを止めてくれたんだね……」
つるぎは、ひょうに眼を向けた。
「え、僕は、その、あの……」
ひょうは、とつぜん言葉を向けられて、しどろもどろになった。
「こいつは、ただ月密にひっついていただけだよ」
ソウマが言う。
「なにもしなくたって、みんなを止めようと行動したことは事実だよ……。そのお陰で、みんな死なずにすんだ……。ほんとに、よかった……」
つるぎはそこで、眼を閉じた。
「おい、つるぎー!」
力道がつるぎを覗きこむ。
「つるぎ!」
「つるぎさん!」
「つるぎさま!」
「つるぎ……」
他の4人も、つるぎの顔を覗きこんでいた。
わずかに沈黙が流れる。
「おい、なんだよ」
ソウマが、沈黙を破った。
「眠っちまっただけじゃねえか」
その声には、ほっとした響きがあった。
「つるぎは霊力の消耗が激しい。このまま眠らせておこう。力道、つるぎを頼む」
改まった声で、ソウマが言った。
「あー、任せろー」
力道が答える。
「よし。じゃあ、やるか!」
ソウマは、自分の頬を両手で叩き、気合を入れた。
そうして、羅紀へと眼を向けた。
凛、翡翠、ひょうも、同じように羅紀へと眼を向ける。
春、夏、秋、冬の継ぐべき者が、それぞれに動き、羅紀を囲った。
「いまさら、なにをしようとも無駄よ。闇荼羅は、すでに完成しているのだからなァ」
羅紀は、闇荼羅から妖刀を外した。
闇荼羅は消えることなく、螺旋を描いている。
その大きさは直径3メートルほどになっていた。
ぽっかりと空いた虚空が覗いている。
それは暗黒の闇であった。
「なんだー、あれはー。見るからにやばそうだぞー」
それを眼にした力道は、後方へじりじりと退いた。
「一度完成した闇荼羅(やみだら)は、すべてのものを吸いこみながら大きくなっていく。この地界宮を呑み尽くすのも、時間の問題というわけだ」
羅紀は、そこで声高らかに嗤った。
「だから、そうはさせねえって言ってるだろうが!」
コウザの声が響く。コウザは、両手で握った十文字槍を頭上に上げた。
と、十文字の刃が、炎に包まれた。
回転する槍の速度が増していく。
それによって、炎が円を描く。
コウザは、槍の柄を両手に握り直すと、
「華炎無常(かえんむじょう)!」
その槍で空を切るように薙いだ。
すると、燃えていた槍の炎だけが、鋭い回転力を維持したまま羅紀の背へと飛んでいった。
羅紀はふり向こうともしない。
「もらった!」
回転する炎が羅紀にあたった。
羅紀が燃え上がる。
「コウザよ。きさまには、復習能力というものがないなしいな。我が冬ノ洲の五大老のひとりである邪黄と闘っていたとき、きさまはなにを見ていたのだ。我に、この程度の炎が効かぬということがわからぬとはな」
羅紀を包みこんでいた炎が消えていく。
「だったら、今度はあたしだよ」
白薙が大鎌を構えた。
「無駄だ」
羅紀がそう言ったとたん、白薙は後方へと吹き飛んでいた。
「白薙!」
コウザが叫ぶ。
「あたいは、大丈夫さ……」
白薙が、ゆらりと立ち上がる。
「てめえ、このやろう!」
コウザが憤怒の形相で、羅紀に向かっていこうとする。
「やめんか!」
それを止めたのは、月密だった。
「羅紀の言うとおり、我ら継ぐべき者が技や術を繰り出したとて、あやつにはきかぬ」
「なら、どうすりゃいいんだよ」
月密を睨むようにして、コウザが訊いた。
「封印の呪、十二柱仙法陣封印じゃ」
「な――。それって、12人の継ぐべき者を柱とする封印じゃねえかよ」
「じゃが、あやつを斃すには、それ以外の方法はない」
「だけどよ、それは……」
コウザは眉根をよせた。
「そうじゃ。12人の継ぐべき者が地中に入り、死ぬそのときまで、呪を唱えつづけなければならぬ。それが、この呪式の制約じゃからな」
「――――」
コウザは、眼を伏せて押し黙った。
「考えている暇なんてないぞ、コウザ。こうしているあいだにも、あの闇荼羅というものは大きくなっているんだ」
言ったのは紫門だった。
「それは、わかってるけどよ。ほんとに、あいつを斃す方法はないのかよ。継ぐべき者と式鬼が総がかりでやれば、どうにかなるんじゃねえのか?」
コウザが返す。
それに対し、
「それができていれば、1000年前も、十二柱仙法陣封印を掛けずにすんでおったわ」
月密が答えた。
「ぐむ……」
コウザはまた、押し黙った。
「じゃが、ひとつ問題がある」
「問題とは、なんだ」
紫門が問う。
「異界から来た、あの者じゃよ。あの状態で、果たして印を結び、呪を唱えつづけることができるかどうか。いや、それ以前に、あの者は異界の者。この世界のために、命を棄てる覚悟があるかの……」
皆の視線が、力道に抱きかかえられたつるぎに向けられた。
「ならやっぱりよ、継ぐべき者と式鬼が総がかりでいくしかねえよ」
コウザが言う。
「だから、それは無駄なのじゃ」
「1000年前がどうであろうと、そんなことは関係ねえよ。いまはいまじゃねえか。やりもしねえで、無駄だなんて決めつけんな!」
コウザは引き下がらなかった。
すると、
「そうだ。やってやろうじゃねえか!」
そう言う声がした。
コウザの背後に、牛の霊獣、紅蓮(ぐれん)の姿があった。
「コウザ。継ぐべき者であるおまえは、おれ主だ。その主がやると言ったら、式鬼のおれは従うまでだ。皆もそうだろう!」
紅蓮(ぐれん)は、他の式鬼たちに向かってそう言った。
他の式鬼たちは、皆、雄たけびをあげるように咆哮した。
その咆哮に、継ぐべき者たちまでが奮い立った。
と、
「待ってよ……」
今度は、か細い声がした。
「僕なら、大丈夫だ……」
それは、つるぎの声だった。
皆の視線がまた、つるぎへと向けられた。
「力道くん……、降ろしてくれないかな……」
「その身体じゃ、無理だぞ」
「力道くん。頼むよ……」
その真剣な眼差しに、
「あ、ああ。わかったー」
力道はつるぎを降ろした。
地に足をつけたつるぎは、ふらりとよろめいた。
そのつるぎを、力道が支える。
「ほら見ろー。やっぱり、無理だ―。ここは、オレたちに任せて、つるぎは休んでいろー」
「そうはいかないよ……」
つるぎは、支える力道から離れて、地に立った。
その足が、ぶるぶると震えている。
「友だちの世界が崩壊していこうとしているのに、これくらいの傷を負ったくらで休んではいられないよ……」
「だけど、つるぎよー。十二柱仙法陣封印は、おまえ自身を柱にするんだぞ。そうしたらおまえ、自分の世界に帰れなくなるどころか、この世界で死ぬことになるんだぞー」
「わかってるさ……。どっちにしたって、この世界が崩壊したらボクは帰ることができずに死ぬんだ……。だったら、ボクは覚悟を決めるよ。友だちのために、そしてこの世界のために……」
「つるぎー。おまえ、死ぬことが恐くないのか」
「恐いよ。とってもね……。だけど、なにもせずに死ぬより、友だちとともに闘い、それで死ぬとしても、ボクの人生に悔いはないよ……」
「つるぎ……」
力道は、先の言葉を失った。つるぎの背を見つめる。
「よく言ったぜ、おまえ!」
コウザが叫んだ。
「つるぎって言ったよな。おまえのことはよ、環力を得た異界の者だってことくらいしか知らねえけどよ、おまえのその心意気、気に入ったぜ。いまおれは、死ぬことを恐れてた自分が恥ずかしくてたまらねえ。ちくしょう。おれも覚悟を決めたぜ。羅紀を葬(ほおむ)るのに、封印がいちばんだって言うなら、この命くれてやろうじゃねえか!」
コウザは、言い放った。
「うむ。コウザよ、見事な決意じゃ」
月密はそう言うと、つるぎに眼を向けた。
「つるぎとやら、ぬしにはなんと言うたらいいか、言葉が見つからぬ」
「言葉なんていらないよ。これは僕の意思で決めたことなんだから……」
「――――」
月密は黙って、深くうなずいた。
「ふざけるなよ」
羅紀の声が響いた。
「封印だと?」
眼が、赤く光る。
「我を、またしても封印するというのか。そんなことはさせぬぞ!」
右腕を上げ、妖刀を闇荼羅へと向けた。
「ひとりでも欠ければ、封印はできまい」
妖刀に闇の霊波が揺らめいた。
妖刀の切っ先から、闇荼羅に霊気が送られていくのがわかる。
闇荼羅は、見る間にひと回りほど大きくなった。
地が、引き剥がされていくかのように、闇荼羅に吸いこまれていく。
つるぎの身体も、例外ではなかった。
一歩、さらに一歩と、つるぎの身体が闇荼羅に向かって動く。
闇荼羅に吸い寄せられているのだ。
「くッ……」
つるぎは、吸い寄せられまいと耐えるが、闇荼羅の引力には敵わず、なおも引き寄せられていく。
そのつるぎを、背後から太い腕が抱きかかえた。
「ぐうッ!」
力道が、つるぎを身体を後方へ引いた。
しかし、つるぎの身体は、わずかに後方へともどっただけで、すぐにまた、闇荼羅に引き寄せられ始めた。
「力道くん、手を放すんだ! 君までが巻きこまれる!」
「オレたちはー、友だちだー。この手は放さないぞー」
「君の気持はうれしいけど、君を巻き添えにしたくない」
「いいから、黙ってオレに任せとけー」
力道は歯を喰いしばり、顔を真っ赤にして闇荼羅の引力に耐えた。
それでも、じりじりとふたりの身体は、闇荼羅に引かれていく。
と、そのときだった。
闇荼羅に引きこまれようとするふたりの前に、人影が現れた。
「なに!」
驚きの声をあげたのは羅紀だった。
「きさま! 呪縛を解いたか!」
つるぎと力道の前に立ったのは、仙翁だった。
「遅れてすまぬ。ここは儂が時間を稼ぐ。その間に、羅紀を封印するのだ」
言うと仙翁は、右手の中指と人差し指の2本を立てると唇にあて、呪を唱えた。
すると、大きく口を開けていた闇荼羅が、ぐん、と半分ほどに小さくなった。
「ぐぬう。小癪な真似をォ!」
羅紀は、妖刀にさらに霊気をこめる。
それを、仙翁が必死で抑えこむ。
「さあ、早くせよ。いまの儂の力では、あとわずかしか、こやつの霊気を抑えられぬ!」
仙翁の言葉どおり、半分ほどになった闇荼羅が、徐々に大きくなりはじめていた。
「皆の者!」
月密が叫んだ。
「これより羅紀を封印する!」
おう!
羅紀を取り囲んだ12人の継ぐべき者が、一斉に胸前で印を結んだ。
封印の呪、十二柱仙法陣封印(じゅうにちゅうせんぽうじんふういん)!!!
とたんに、羅紀の身体が固まったように動かなくなった。
継ぐべき者たちは、皆、胸前で印を結んだまま呪を唱え始め、それとともに、羅紀の足が地の中へと入りこんでいった。
「うぐぐぐ……、3度までも、この我を封印するだとォ!」
羅紀は抗うが、それに反して、身体は地中へと入っていく。
「ふざけるな、ふざけるな、ふざけるなァ! こんなことが、あってたまるものかァ!」
羅紀の身体は、徐々に、腰、腹、胸、肩、と入りこんでいき、そしてついには、その貌も地中へと消えた。
「よいか。ここからが本番じゃ! 我ら12人の継ぐべき者が柱となりて、この封印を完全なものとする!」
月密が言うと、今度は継ぐべき者たちの身体が地中へと入りこんでいった。
だが――
グ
ク
ク
地の中から、不気味な嗤い声が響いてきた。
そのとたん、地が揺れ始めた。
と思うと、羅紀の埋まった地が盛り上がりだして、弾け飛んだ。
中空に、黒鬼と化した羅紀の姿があった。
「どうやら、失敗のようだな。いや、いまの我には、きさまらの封印など効かぬと言ったほうがいいか! グ、ハッ、ハッ、ハッ、ハッ!」
羅紀は高らかに嗤った。
「まさかよ……」
月密が、羅紀を見上げた。
「十二柱仙法陣封印が破れるとは……」
呆然と、中空に浮く羅紀を見つめていた。
「ボクのせいだ……」
ぽつりと言う、つるぎの声がした。
皆の視線が、つるぎへと向く。
「どういうことじゃ!」
月密が問うた。
「封印の呪。憶えたつもりだったんだけど、すべて憶えきれていなかったんだ……」
つるぎは、眼を伏せた。
「なんじゃと! なんとしたことか。この愚か者めが!」
月密は厳しい眼で、つるぎを睨みつけた。
「月密。そう責めるな。つるぎはよくやったよ。それに、2度も封印を解いた羅紀のことだ。またいつの日か、封印を解くに決まっている」
そう言ったのは、紫門だった。
紫門は、月密からつるぎへと視線を向け、そして羅紀を見上げると、
「あいつは、斃さなければだめなんだ」
言った。
「確かにそうじゃの……。うむ。こうなれば、やれるところまでやるまでじゃ」
月密は得心し、またも羅紀を見上げた。
「だから、初めからこうしてりゃあ、よかったんだよ。紅蓮、行くぜ!」
コウザは言うと、紅蓮とともに羅紀へと向かって飛んだ。
そのあとを、白薙、楓香、狗音、そして霧縄、鳳明、狗神がつづいた。
「おれも行く。柳水!」
「おう」
紫門と柳水も、羅紀へと向かって飛んだ。
「月密!」
幻舞が言った。
「わかっておる」
月密と幻舞もまた、中空へ飛んだ。
一方つるぎは、申し訳ないという思いからか、がっくりと肩を落し、うなだれている。
「気を落さないで、つるぎさん」
凛が、つるぎの肩に手をやった。
「だめだったものを、悔やんでいてもしかたないですよ」
「うん……」
落胆が大きいのか、つるぎは顔を上げない。
「とにかく。いまは羅紀を斃すことに集中すべきです」
凛は中空を見上げると、地を蹴って飛んでいった。
つづいて、ソウマ、翡翠がいく。
「つるぎ。なんのことはいぞー。あいつを斃しちまえばー、それでいいんだからー」
力道がつるぎの肩を、ポンと叩く。その力道も、中空へと飛んでいく。
そのあとを、白夜、雷皇、時読、駿山がつづく。
すると、
「これは、僕も行かないといけないよね。やっぱり……」
中空を見上げながら、ひょうがぼそりと言い、だが、
「なに言ってるのさ。当然だろう。さあ、行くよ」
氷雨に窘められて、ひょうも地を蹴って飛んでいった。
しかし、それでもつるぎは、顔を上げない。
「こらァ。いつまで、おどれは落ちこんどるんじゃい!」
背後で、もろは丸の声がした。
もろは丸は、まだ呪縛に掛かったまま動けずにいる。
「――――」
つるぎはふり向こうともしない。
「おどれは、それでも男か! 他のやつらを見てみい! 必死に戦っとるんやぞ!」
中空では、11人の継ぐべき者と十一支の式鬼が、羅紀と戦っている。
次々に技や術が繰り出していくのだが、それらを羅紀は、雑作もないように撥ね返していく。
継ぐべき者たちの、疲弊(ひへい)している姿が見てとれる。
羅紀へと掛けた封印の呪は、それほど霊力を必要としたのだろう。
それとは逆に、黒い鬼と化した羅紀の貌には余裕の笑みさえ浮かんでいる。
「うるさい蠅どもがッ!」
羅紀は両腕を上げ、手のひらに黒魔莉を発現させると、継ぐべき者たちへと放った。
次々に放たれる黒魔莉を、継ぐべき者たちは避けることもできずにその身に受けて、力なく地上へと落ちていった。
「このままじゃ、全滅やぞ! なんとかせんかい! 友だちとともに闘い、それで死ぬとしても、ボクの人生に悔いはない言うたんは、口先だけやったんかい!」
「――――」
「おう、こらァ。なんとか言わんかい! それとも怖気づいたんかい。情けないやっちゃのう」
そのとき、つるぎがやっと顔を上げた。
「ボクを、情けないって言うな!」
つるぎはうしろをふり返った。
羅紀を睨みつける。
「ボクはいま、考えていたんだよ」
「考えていただと? まさか、逃げる算段をしていたのとちゃうやろな」
「違う! そんなこと考えるもんか。あの羅紀に、とどめをさせるほどのフルスロットルな超々必殺技を考えていたんだ」
「フルスロ?――相変わらず、わけがわからん。まあ、そんなことはどうでもいい。それで、そのフルスロロな超々必殺技は思いついたんか」
「ああ。思いついたよ。それよりも、君こそそんなところで、いつまで休んでいるつもりなのさ」
「なにィ! 休んどるやとッ!」
「青竜もろは丸たる者が、そんな呪縛が解けないわけがないだろうよ」
「ほう。言ってくれるやないか、つるぎよォ!」
もろは丸は、にやりと嗤った。
双眸(そうぼう)が、ぎらりと光る。
「おれを、舐めるなよ!」
全身から、凄まじいばかりの青い霊波が迸った。
ゴォオォォォォウ!
咆哮するとともに、もろは丸は呪縛を吹き飛ばしていた。
「ふう」
もろは丸は、頸を左右に、ごきりごきりと鳴らして、つるぎのもとへと歩いた。
「どうだ。羅紀の呪縛を解くなど、このおれには容易いものだ。それで、おまえの言う超々必殺技とはどんな技だ」
もろは丸の口調は、ふだんのものにもどっていた。
「君の青竜斬月翔と天地消滅破を融合させた技さ。それを羅紀に放つ」
「なんだとォ! おまえ、自分がなにを言ってるのかわかってるのか? 天地消滅破だけでも、この地界宮を消滅させてしまうほど力があるというのに、このおれの青竜斬月翔と融合させるというのか!」
「そうだよ」
「そうだよって、あっさり言うが、おまえ――」
「ボクを信じてよ」
つるぎは、もろは丸が言うのを制した。
「この超々必殺技なら、羅紀を斃せる」
「自信があると言うのか」
「ある!」
つるぎは、自信満々に言い切った。
「ぐむう……」
もろは丸は、どうしたものかと唸った。
そのとき、
「もろは丸よ」
仙翁が呼ぶ声がした。
仙翁はまだ、闇荼羅(やみだら)を抑えこんでいる状態だった。
「つるぎが自信を持って言っておるのだ。ここは、つるぎに託そうではないか。儂は、この闇荼羅をなんとかする。だからおまえも、つるぎに力を貸してやればよい」
そこで、わずかにもろは丸は思案したが、
「よし、わかった。仙翁がそう言うならしかたない。だが、つるぎ。封印の呪もまともにできなかったおまえが、天地消滅破が使えるのか?」
訊いた。
「うるさいな。封印の呪は失敗したけど、この技は失敗しないよ。ボクをだれだと思ってるのさ。剣の霊晶石継承者、神谷つるぎだよ」
つるぎは剣を、胸の前に翳(かざ)した。
そのつるぎの身体から、青い霊気が爆発するように立ち昇った。
その霊気の量は、もろは丸の霊波を凌ぐほどだった。
「おう! ならばよし。おれの青竜斬月翔とおまえの天地消滅破を融合した超々必殺技とやらを、羅紀にお見舞いしてやろうではないか」
もろは丸の言葉に、つるぎがうなずく。
もろは丸は霊身となり、つるぎの持つ霊晶石の剣に入っていった。
剣が青く耀く。
つるぎはふり返り、中空を見上げた。
「みんなッ! 羅紀から離れてッ!」
つるぎの声に、中空に残った継ぐべき者と式鬼たちが何事かと視線を向ける。
「ぐぬう。来訪者め、なにをするつもりだァ」
羅紀までが、つるぎへと眼を向けた。
つるぎは、剣を正眼に構えた。
眼が赤い光を帯びる。
髪が逆立ち、ゆらゆらと揺れる。
ウォオォォォォォオッ!
雄叫びをあげると、つるぎは、すっと瞼を閉じた。
霊気が両腕へと流れ、そして剣へと集まっていく。
剣の耀きが、眩いほどになっていた。
つるぎは腰を落し、剣を脇構えの形に持っていくと、瞼を、かっ、と見開いた。
羅紀を見据えた。
「天地転生斬月破ッ(てんちてんしょうざんげつは)!」
空を斬るようにして、つるぎは剣に集まった霊気を羅紀に向かって放った。
放たれた霊気は、膨大なエネルギーを有した塊であった。
その塊が、青い竜へと変化し、羅紀へと突き進んでいく。
「フン。そんなもの、ただの霊動破にすぎぬであろう。我の妖刀で弾き返してくれるわ!」
羅紀は妖刀を正眼に構えた。
そこへ、青い竜となった天地転生斬月破がぶちあたる。
「ぐうッ!」
その天地転生斬月破を、羅紀は妖刀で受け止めた。
押し返そうとするが、しかし、天地転生斬月破の威力に受け止めるだけでやっとだった。
「ぐぬぬう……」
羅紀の貌に、明らかに焦りの表情が浮かぶ。
徐々に、羅紀が圧されていく。
「ぐ、くくッ……」
かろうじて抑えていた妖刀が、まるで蒸発するかのように消えていった。
羅紀は両手で、天地転生斬月破を抑えようとする。
しかし、その両手までもが蒸発していく。
「くそう! なぜだ! なぜだァ! この我れが、来訪者ごときにィ!……」
天地転生斬月破は、徐々に羅紀を呑みこんでいく。
そのまま青い光となって天空へと突き進んでいった。
その青い光が小さくなっていき、やがて見えなくなったそのとき、遥か天空の先で凄まじい大爆発が起こった。
爆音が、天空に響き渡った。
上空に残った者たちも、地上に落ちた者たちも、天空に広がる大爆発を見ていた。
「やったのか……」
皆の口から、そんな言葉が洩れていた。
天空を見上げるそれぞれの顔には、祈るような表情が浮かんでいる。
大爆発の光は、少しずつ小さくなり、やがて消えた。
ひとりひとりの眼が、自然につるぎへと向けられる。
つるぎは、まだ天空を見上げたままでいる。
沈黙の中、つるぎの顔がゆっくりと下される。
皆の視線を受け、
「やったよ。みんな……」
つるぎはかすかな笑みを浮かべた。
そのとたん、仰向けに倒れこんでいた。
「つるぎ!」
皆が同時に声をあげ、一斉につるぎへと駆け寄っていった。
「おい、つるぎ!」
つるぎを抱き上げたのは、紫門だった。
皆が、つるぎを取り囲む。
つるぎが、薄く眼を開けた。
「紫門くん……」
「つるぎ。よくやったな」
紫門が言う。
「おまえはスゲーやつだぜ」
と、コウザ。
「男だな、おまえ」
と、白薙。
「かっこよかったぞ」
と、楓香。
「――――」
狗音は無言。
「よくやったの、つるぎとやら」
と、月密。
「おまえを、友だちと認めてやるよ」
と、ソウマ。
「おー、つるぎー。やったなー」
と、力道。
「つるぎさま。わたしー、好きになっちゃたみたいですゥ」
と、翡翠。
「つるぎさん。思ったとおり、あなたは救世主でしたね」
と、凛。
「あの、その、す、凄かったよ」
と、ひょう。
皆、それぞれの想いで、つるぎを見つめている。
その背後には式鬼たちが、やはりつるぎを見下ろしていた。
とそこに、
「なんとも、大したやつよ」
「まったくだ」
と、ふたつの声が聴こえてきた。
その声に、皆がふり返る。
そこには、仙翁と人の姿のもろは丸の姿があった。
「仙翁! 闇荼羅はどうなった!」
ソウマが訊いた。
「もう、心配はいらぬ。少し苦労したがのう」
そう言う仙翁の後方へ眼をやれば、さきほどまで宙にぽっかりと穴を開けていた闇荼羅は、跡形もなく消滅していた。
継ぐべき者たちが、自然に囲みを解き、仙翁ともろは丸はつるぎに近づいていった。
「それにしても、まさか、あの天地消滅破と青竜斬月翔を、融合させて放つとはのう」
仙翁は、紫門に抱きかかえられているつるぎの横に膝をついた。
「お陰でおれは、霊力のほとんどを使い果たし、こうして立っているのがやっとだぞ」
もろは丸も、仙翁と同じく膝をつく。
「つるぎよ」
仙翁がつるぎの手を取り、両手で包みこんだ。
「仙翁……」
つるぎは、笑みを浮かべる。
「実にようやった。おぬしには、どれほど感謝しても感謝しきれぬ」
「感謝なんていらないよ……。ボクは、ボクのできることをやっただけさ……」
「うむ。しかし、環力を得たおぬしだからこそ、できたことよ」
「環力か……。ボクには、やっぱりよくわからないや……」
「それでよい」
仙翁は、口髭を上げて微笑んだ。
「ところで、ひとつ訊いてもよいか」
「うん……」
「さきほどのあの技、天地転生斬月破と言ったかの。斬月はもろは丸の技との融合ゆえにつけたのであろうが、なぜに、天地消滅ではなく天地転生だったのだ」
「それは、仙翁の言っていたことを思い出したからなんだ……。天地消滅破は滅と生を司っているってことと、この技は使う者の霊力によってどうにでもなるってことを。だからボクは、天地消滅を天地転生に変えて、もしこの世界が崩壊してももとにもどるようにと思って……」
「なるほどの。滅ではなく、生の力を使ったというわけだな」
仙翁は、ふと考えこんだ。
「どうした、仙翁。なにかあるのか」
もろは丸が訊く。
「うむ。つるぎの放った天地転生斬月破は、天地消滅破と表裏一体の技よ」
「そんなことはわかってるよ。それがどうしたというんだ」
「つまり、つるぎはの、生の力である転生の霊動破を、羅紀に放ったのだ」
「転生の霊動破? というと、まさか、羅紀が甦るってことか!」
もろは丸のその言葉に、皆の顔に険しさが走った。
「いやいや、もろは丸よ。早合点するでない。甦るといっても意味が違う。転生とは輪廻転生のこと。羅紀は生まれ変わってくるということよ」
「生まれ変わるなら、同じことではないか!」
もろは丸は、思わず声を荒げた。
「同じではない。輪廻転生となれば、前世の記憶は失われる。魂は同じでも、もはや羅紀ではないということだ」
「そうなのか」
「うむ」
そのふたりの会話を聴き、
「仙翁。ボクは、また失敗しちゃったのかな……」
つるぎが、心配するように言った。
「いいや。おぬしは、なにも失敗などしておらぬ。むしろ、羅紀を救ったのだ」
「救った?……」
「そうだ。あやつは、これからなんどとなく生まれ変わり、魂を浄化してゆくのだからのう」
「そう、なんだ……。だったら……、よかった……」
そう言うとつるぎは、力尽きたように眼を閉じた。
すると、すぐに寝息が聴こえてきた。
「どうやら、眠ったようだの」
仙翁は、眠りに落ちたつるぎの頬に、指先で触れた。
「ようやった。異界からの訪れし者、つるぎよ」
その眼には、やさしい光が満ちていた。
その後、継ぐべき者たちによって、春、秋ノ洲を牛耳っていた者たちは失脚した。
一滴の血も流れることはなかった。
なぜなら、12人の継ぐべき者と十二支の式鬼、そして仙翁を前にしては、さすがに戦いを挑むものはなかったからだ。
そうして、すべての州(くに)は、改めて州主(こくしゅ)の手に委ねられることとなったのだった。
頭上高くで聴こえるその音は、まるで獣の咆哮のようだ。
山道である。
両側を木々に囲まれ、わずかに覗く空には、散った枯葉が強い風に流されている。
「荒れておるな」
歩を進めながら頭上を見上げ、仙翁が言った。
「空も猛っているようだの」
仙翁その言葉の意味を理解し、ともにゆく継ぐべき者たちの身も、猛っていくようだった。
それぞれの眼が、凛とした光を帯びている。
だれひとりとして口を開く者はいない。
遥か前方へと眼を馳せている。
風の音以外は、枯葉を踏む足音だけが聴こえていた。
しばらくいくと、とつぜんのように視野が開けた。
広大といえる空間に出たのだ。
山間に広がった、荒野と思しき場所であった。
一同は、その荒野へと足を踏み入れていく。
その荒野の中央付近まで来ると、
「この辺りでよかろう」
仙翁が足を止め、他の者も同様に足を止めた。
異論を吐く者はいない。
皆、そこが決戦となる場であることを感じている。
荒野を吹き抜ける荒れた風が、一同をなぶっていく。
時間が流れていく。
長い沈黙のあと、
「来る」
仙翁が言った。
すると、前方の山裾から、こちらへ向かってくる複数の人の姿が見えた。
皆、馬に跨っている。
近づくごとに、馬上の人の姿形がはっきりとしてくる。
「羅紀――」
仙翁が呟いた。
やはりそこでも、他に声を発するものはいない。
7頭の馬が横並びに向かってくる。
その中央の馬上に、羅紀の姿があった。
その顔には、あるかなしかの微笑が浮かんでいる。
7頭の馬が脚を止めた。
仙翁率いる、春、夏の継ぐべき者たちから10メートルほど先である。
羅紀たちが馬上から降りた。
「ここにいては危険ですよ。あなたたちは行きなさい」
羅紀がそう囁くと、馬たちは、もと来た山道へ向かって走り去っていった。
月密が、羅紀の顔をジッと見上げている。
それに気づいて、
「わたしの顔に、なにかついていますか?」
羅紀が訊いた。
「闇は、ぬしがこの世に生じさせたもの。ぬしこそが、闇の根源じゃ」
月密は、唐突にそう言った。
「――――」
羅紀は黙って月密を見つめている。
「しかし、此度(こたび)のぬしを見、ぬしと接し、わからぬようになった」
そこで月密は瞼を閉じた。
「なにがです?」
「ぬしというものがよ」
月密は瞼を開き、改めて羅紀を見た。
「この1000年のあいだに、ぬしになにがあったのじゃ」
「なにがあったかとあえて申すなら、その1000年の長き時がわたしを変えた、とでも言っておきましょうか」
「うむう……」
月密は、羅紀の微笑の中の眼から、何かを捜し出そうとでもしているかのように見つめつづけている。
その視線を、羅紀は微笑のまま受けていた。
そのふたりに、割って入るように、
「いまは、そんな話をしている場合ではないだろう」
紫門が言った。
その紫門は、対峙する仙翁率いる、春、夏の継ぐべき者たちを見据えていた。
「紫門の言うとおりですよ、月密」
羅紀のその言葉に、
「わかっておるわ」
月密も、仙翁たちへと向き直った。
羅紀もまた、仙翁たちへと向き直る。
その視線は、仙翁へと投げられていた。
「ひさしぶりじゃのう」
言ったのは、仙翁だった。
「懐かしいですね、仙翁。そなたとは2000年ぶりです」
眼を細めて、羅紀が答える。
「うむ。あのときと、まったく変わらぬ姿よ」
「それはお互いさまと言うもの。とは申せ、あのときと比べ、いまのそなたの霊力は、ずいぶん落ちてしまったようですね」
「それはしかたなきことよ。いまの儂は分身であるからの。おぬしを封印するのとはべつに、儂は錫杖に霊力を残した。いま思えば、それが誤りであったのかもしれぬ。おぬしに掛けた封印を、わずか1000年で解かれてしまったのだからのう」
「1000年を、わずかとは言いますね。しかし、そなたに封印されてから200年後、神谷剣尊によってその封印を強固なものにされていなければ、もっと早くに自由になれたのですがね」
「おぬしこそ言うではないか。儂の掛けた封印は、それほどの効力はなかったと申すか」
「それが事実というものです」
「ならば此度は、この先永久に封印してくれようか」
仙翁は、皮肉な笑みを浮かべた。
「そなたのいまの霊力で、それができますか?」
「クク。1000年前、おぬしが封印を解いたとき、儂は実体化するまでの霊力を持たなかった。それゆえ、おぬしと闘うことができなかったが、いまはほれ、こうして実体化するまでの霊力を取りもどしておる。分身だからと侮っておると、痛い目をみるぞ」
羅紀を睨みつける、仙翁の唇の端にも笑みが浮かんでいた。
「侮るなどと、まさか。そなたは、おのれが死にゆく間際まで、謀(はかりごと)を企むほどの策士ですからね」
「それは褒め言葉かの」
「ええ。死にゆく身でありながら、このわたしを封印しただけでも、賛辞に値します。当然ですよ」
「ほう、それはうれしいのう。しかし、おぬしも、一度ならず二度までも封印を解くとは、よほどこの世界に執着があるようだの。真の和などと申して、冬、秋の継ぐべき者を仲間に引き入れたのも、その執着心ゆえか」
「執着心、ですか」
羅紀の顔から、すうっと微笑が消えた。
「そんなもので真の和を唱えるほど、わたしが愚かだと?」
「だが、そんな戯言を信ずる者などおらぬぞ」
「むろん、信じてなどいないでしょうね。ですが、このわたしについてきたのは、まぎれもない事実。それがなぜかわかりますか? このわたしの力が必要だからですよ。いまのこの世界を変えるためにね」
「世界を変えるか。なるほどの。人が自ら闇へと化してしまったいま、その闇を一掃するには、圧倒的な力というわけか。闇には闇。そんなところであろう。しかし、世界を変えるならば、おぬしの力は必要ない。おぬしは、ただの起爆剤にすぎぬ」
「ただの起爆剤とは、これはまた言ってくれますね。では、そなたならば変えられると言うのですか? それができていたならば、世界はこのようにはなっていなかったはず。違いますか? だからこそ、うしろの者たちは、このわたしの力を必要としたのですよ」
「――――」
仙翁は気圧されたように押し黙った。
視線を落し、わずかに沈黙すると、
「確かにの」
そう言った。
「おぬしの言うとおり、この儂に、この世界を変える力はない。だが、それはおぬしにも言えることよ。おぬしや儂の力では、この世界は変えられぬ。いや、変えてはならぬのだ」
仙翁は、視線を羅紀へともどした。
「人の世は、人の力で変えねばならない、とでも?」
「そのとおりよ。そうでなければ、人は成長せぬ。このまま、そなたの力を借りて世界を一掃したとて、それは一時しのぎにすぎぬのだ。時が経てば、またおなじことをくり返すだけよ。それは、儂の力もおなじこと。どれだけの時がかかろうとも、人は人のみの力で、世を正していかねばならぬ」
「なんと悠長なことを。この世界は、すでに滅びゆく途中にあるというのに。それだけにわたしは、冬、秋の継ぐべき者に働きかけたのではありませんか。世界の滅びを止めるためにね」
「おぬしが、そんな台詞を吐くとは、驚きよのう」
仙翁のその言葉に、羅紀は数瞬の間を置くと、
「仙翁。わたしは、そなたに感謝しているのですよ」
ふいに、そんなことを口にしていた。
「感謝だと?」
仙翁が訊く。
「そなたに封印された1000年。わたしはそなたへの、憎悪と怒りを糧に長き時をすごした。そして封印を解き、しかし、またしてもわたしは、12人の継ぐべき者によって封印され、さらに1000年――」
そこで羅紀は言葉をつめ、
「我は、自己を見つめることに費やした」
再び口を開いたときには、その口調が変わっていた。
「その中で我は、世に放っておいた闇の者たちから、人間が闇へと化して、世界が変わっていく有様を耳にした。その闇は、人間の裡の奥底に眠る闇であった。その闇は、増幅し、増大していった。しかし、100年ごとに現れる継ぐべき者たちは、我の放った闇を斃しても、闇と化した人間を斃しはしなかった。継ぐべき者は、闇と化した人間をも護っていたのだ。その結果は言わずとも知れよう。人間の裡に眠っていた闇。それは、人間の本質とも言える。我の闇とは、似て非なるもの。我は考えた。考えに考え抜いた。我は、人間に対しどうあるべきかとな。そうして出た答えが――」
「真の和か」
羅紀が言わんとすることを、仙翁が言った。
「そうだ」
「なぜに、その考えに及んだのだ。この地界宮を欲していたおぬしが、人間を平然と殺し、または闇の者へと変貌させたおぬしが、なぜだ」
「だから申したではないか。そなたに感謝していると。いや、正確に申せば、1000年前、我を封印した12人の継ぐべき者に、と言うべきか。その封印によって、我は変わったのだ」
「確かにおぬしは変わった。いまのおぬしからは、邪気を感じぬからのう。しかし、だからといって、いまの話を信じることはできぬ。羅紀。申せ。おぬしの真の目的はなんだ。この世界の王となることか」
「クク。世界の王か。それも悪くはないが、いまの我には、そんなものに興味はない」
「では、なんだと言うのだ」
その問いに答えず、羅紀は視線をつるぎへと移していた。
「そなたが、異界からの来訪者か」
つるぎに向かって羅紀が訊いた。
「えッ、あの、ボク、ですか。えっと、その、まあ、一応そういうことになります」
まさか、このタイミングで羅紀が自分に対して問いかけてくるとは思わず、つるぎはしどろもどろになった。
「運悪き者よ」
「え、どういうこと?」
思わず、つるぎは訊いていた。
「これよ」
羅紀は言うと、右手を正面に突き出し、空を掴む仕草をした。
指先が内側へと狭まっていく。
と、
「うッ、ぐぐ……」
つるぎが苦しそうに、自分の首に手をやった。
「く、苦しい……」
つるぎは呼吸ができないようだった。
そのつるぎの身体が、宙に浮いていく。
「くッ、まずい」
仙翁は2本の指を立て、下唇をあてると、小さく呪を唱えた。
そのとたん、宙に浮いたつるぎは、糸が切れたように地に落ちた。
「がはッ!」
つるぎは首を押さえ、咳きこんだ。
「つるぎさん。大丈夫ですか」
すぐに凛が駆けよっていき、咳きこむつるぎの背をなでた。
「いきなりだのう。なんのつもりだ」
仙翁が、羅紀に向かって言った。
「来訪者への、軽い挨拶よ」
「軽い挨拶だと? 儂が術を解かねば、おぬし、首をへし折っていたのではないか?」
「へし折るつもりならば、そなたが術を解く間もない」
「フン。ならば、儂からも挨拶をしようかの」
仙翁は錫杖を鳴らした。
呪を唱えようとしたそのとき、
「仙翁」
つるぎの声が止めた。
つるぎは立ち上がっていた。
首には、指の痕が赤く残っている。
「羅紀は、このボクに挨拶をしたんだ。だったら、ボクが挨拶を返すのが礼儀ってもんだよ」
つるぎは、羅紀を見据えている。
眼の奥に、赤い光が燈っていた。
「羅紀。挨拶のやり直しだ。いまの挨拶、もう一度やって見せてよ」
羅紀を見据えたまま、平然として言った。
「な、なにを言うのだ。つるぎ!」
仙翁が、思わず顔をしかめてつるぎを見た。
「ほう。言うではないか」
言うが早いか、羅紀は空を鷲づかみにした。
すると、つるぎの首に残った指の痕と同じ個所が、窪み始めた。
「さて、そなたの望みどおりにしたが、どうするのだ?」
微笑している羅紀の唇の端が、くっとつり上がった。
つるぎの首の窪みが、肉眼でも確認できるほど、さらに窪んでいく。
そのつるぎの身体が、またも宙に浮かぶ。
しかし、つるぎは首を庇おうともせず、何事もないような顔で羅紀を見つめている。
仙翁がまた、呪を唱えようと下唇に2本の指を立てた。
それを、つるぎが手を上げて制していた。
「君の力って、こんなものなの? ちょっとがっかりかも」
つるぎが言った。
「小童(こわっぱ)ごときが、この我にそのような口を利くとは小賢しい」
空を掴む指を、羅紀はさらに狭めた。
だが――
「なに?――」
羅紀は眉をひそめた。
狭めているはずの羅紀の指が、逆にもどされていく。
「ばかな――」
羅紀は眉根を寄せた。
「じゃあ、今度は、ボクのほうも挨拶をしなきゃね」
言うと、つるぎは眼を、かっと見開いた。
すると、空を掴んでいた羅紀の右手が手首ごと、破裂したかのように四散した。
「ぐわッ!」
手首を失った腕を、羅紀は左手で掴む。
しかし、手首を失ったその傷口からは、なぜか出血はしていなかった。
「ククク。やはり、そなたが環力(わりょく)を得た者のようだな」
「環力? なに、それ?」
「知らぬのか、それともただとぼけておるのか。まあ、よい。これで、互いの挨拶はすませたというわけだな。異界からの来訪者よ」
羅紀は腕の傷口を上に向けた。
すると、まるで映像の逆再生を観ているかのように、四散した手首がもとにもどっていった。
「うお、すげーな。あんなこともできるのかよ」
言ったのは、コウザだった。
もとへともどっていく羅紀の右手首を見て言ったのだ。
「どういうことじゃ。説明せい」
コウザを見上げて、月密が訊いた。
「どういうことって、見りゃあ、わかるだろ? 破裂した羅紀の手首がもとにもどったんだよ」
「だれも、そんなことは訊いておらぬ。さきほどから羅紀は、あの継ぐべき者を異界からの来訪者と言っておるが、どういうことなのじゃ」
「そうか。あんたたちには、まだ話してなかったな。あいつは、異界からとつぜん現れたらしいんだ。そして、春ノ洲にある神谷の森の100年岩から剣の霊晶石を引き抜き、継ぐべき者になったんだよ」
「なんと――」
月密は驚愕して眼を伏せ、その眼をすぐに上げた。
「それとじゃ。いま、環力と言わなんだか」
「ああ、そのこともまだだったな。あいつはどうやら、環力を得ているらしい」
「ばかな。環力を得たなどと、あろうはずがない。あれは――」
「そう、伝説のようなものだよ。いや、伝説だったと言ったほうがいいな」
「伝説だった、とはどういうことじゃ」
「羅紀と紫門は、環力を得た男と闘っている。とは言っても、そのふたりは、完全に環力をものにしたというわけではなかったがな」
「――――」
月密は、紫門へと顔を向けた。
「環力を得た者と闘ったというのは、真実(まこと)かえ」
月密のその問いに、
「ああ」
紫門は月密を見ずにうなずき、それ以上は口を閉ざした。
「それだけでは、なにもわからぬぞえ」
「――――」
紫門は口を開かない。
「黙っておらずに、詳しく話さぬか。その者と闘ってどうなった」
焦れたように、月密が言うと、
「その男はよ、紫門の同門だったんだ」
紫門に代わって、コウザが答えた。
「同門?……」
月密は、コウザへと顔をもどす。
「そいつは、環力をものにはしたが、それは一時的なものだったんだ。無理やりクンダリニーってのを覚醒させてしまったためにな。それによって引き起こされる、反動の波に――」
「やめろ、コウザ! 余計なことをしゃべるな!」
コウザが言うのを、紫門が制した。
「わかったよ。わかったから、そんな恐い眼で睨むなって」
コウザは両の手のひらを紫門に向け、降参だ、という仕草をした。
「よほど、その同門のことには触れてほしくないようじゃな。ならば、羅紀と闘った者はどうだったのじゃ。やはり一時的のものだったのか」
月密は食い下がらずにコウザに訊いた。
「その男は、冬ノ洲の五大老の長、邪黄(じゃこう)ってやつだったんだが、環力のほんの一部を得た程度で、いとも簡単に羅紀に殺(や)られちまったよ。それにしてもよ、どうしてそんなに環力のことを知りたがるんだ?」
そう訊いた。
月密はすぐには答えず、黙考したが、
「狗音(くおん)じゃ」
狗音を見やって言った。
「やつがどうした」
コウザも、狗音に眼をやった。
狗音は、対峙する羅紀とつるぎを見据えている。
コウザと月密の会話を聴いているのかいないのか、その様子からではわからなかった。
「そやつは、クンダリニーの覚醒のために、霊性の受け渡しをしたのじゃ」
月密が言った。
「なに?」
月密の言葉に、コウザの顔が険しいものになった。
「その霊性の受け渡しをしたのは、わらわよ」
「なんだよ、それ。あんたも、環力は伝説のようなものだと思ってたんじゃねえのかよ」
「そうじゃ。じゃが、そう思うようになったのは、狗音がクンダリニーの覚醒を果たせなかったときからよ。やはり伝説だったのか、とな。しかし、一時的やほんの一部とはいえ、環力を得た者がおったとは……。そのうえ、あの異界の者までもが、環力を得ていると言うのか」
狗音に向けていた視線を、月密はつるぎへと移した。
「あいつの環力は、どうやら本物らしいぜ」
コウザが言う。
「そんなことが、なぜわかるのじゃ」
「冬ノ洲の城を陥落(お)としたその直後、羅紀と紫門は、夏ノ洲に凄まじい霊気を感じたと言っていた」
「凄まじい霊気……。おう、それならば、わらわも感じたぞえ。確かにあれは、凄まじい霊気じゃったわ。じゃが、それだとおかしい。あの異界の者からは、あのときの霊気を感じぬ」
つるぎを見つめる眼を、月密は細めた。
「うむ。俺はあのとき、ふたりの言っていた霊気を感じなかったが、いまのあいつの霊気が、俺の霊気よりも弱いっていうのはわかるぜ。ならよ、羅紀はなぜあいつを、環力を得た者と言ったんだ?」
「わらわも、はっきりと聴いたぞえ」
コウザと月密がそんな会話を交わしていたそのとき、
「なんだい、あれは……」
白薙の驚愕の声が聴こえた。
ふたりは、白薙に眼を向け、そして、その白薙が見つめる視線の先へと眼をやった。
対峙(たいじ)する互いの中央。
そこに球体が出現していた。
その大きさは1メートルほどもあった。
球体の周囲の大気がゆがんで見える。
磁場に影響を及ぼし、磁気が発生しているらしい。
「霊動破だ」
紫門が言った。
「霊動破だと?」
コウザが訊く。
「ナギと闘ったとき、やつが放ったものと同じだ。あんなに大きなものではなかったがな」
「というと、あれは羅紀が発現させているのか」
羅紀に眼を向けると、もうすでにもとにもどっている右手を掲げ、前方の球体に手のひらを向けていた。
「だがよ、なぜ、あんなところに浮かせたままなんだ?」
「よく見よ。あれの反対側の面を」
そう言ったのは、月密だった。
コウザは、身体を横へとずらした。
コウザの位置からだと、その球体は黒い球体にしか見えなかったが、身体を横へずらして見てみると、その球体は中央から向こう側の半球の色が違っているのだった。
こちら側の半球が黒。
向こう側の半球は青であった。
「どういうことだ。ありゃあ」
コウザはさらに、視線を球体の先へと移した。
「まさか、あの異界のやろうが抑えてるってるのか!」
視線の先には、つるぎの姿がある。
つるぎは、両の手のひらを球体に向けてかざしていた。
それだけではない。
「なんだよ、あいつの霊気。さっきとは、比べものにならねえじゃねえかよ……」
コウザは思わず、息を呑んだ。
そのときのつるぎの霊気は、羅紀と同等の言える質量があった。
「この霊気。あのとき感じたものと同質のものじゃ。これが環力というものなのか……」
月密も、つるぎの霊気を感じて息を呑んでいた。
と、そのとき、球体が膨張を始めた。
球体は瞬く間に膨張していき、3メートルの大きさにまで膨らんだ。
それでもさらに、膨張をしつづけている。
「皆の者、この場におったら捲(ま)きこまれるぞ! 逃げるのじゃ!」
月密が叫んだ。
羅紀を残し、他の者は20メートルほど後方へと退避した。
仙翁たちも、同じように後方へと退(ひ)いた。
球体は5メートルほど膨張すると、今度は収縮していき、もとの大きさよりもさらに小さくなっていった。
そのまま消えてなくなるのではないか、そう思えた瞬間、球体はまたも膨張し始め、内部から光を発すると爆発を起こした。
凄まじい衝撃波が、爆風となって一気に広がった。
爆風が治まり、相対する者たちは、それぞれが立ち上がった。
舞い上がった土煙が風に流されると、そこには、半径10メートルを超える大きな溝ができていた。
その溝の中に、ふたつの人影がある。
ひとつは羅紀。
そしてもうひとつは、つるぎであった。
つるぎは膝を落し、両手を地に着いていた。
「つるぎッ!」
仙翁が呼びかけた。
つるぎは、それに答えない。
いや、霊気の消耗が激しく、答えることができないのだ。
肩で息をついている。
「つるぎ!」
いつの間にか、つるぎの横に仙翁が立っていた。
「怪我はないか?」
つるぎの背に手を置く。
「大丈夫。怪我はないよ。ただ、少し疲れたな……」
つるぎの息はまだ荒れている。
「無理もない。あれだけの霊気を放出したのだからの」
「自分でも、びっくりだよ。ボクにあんなことができるなんてさ……」
「他の者ならば、気を失うか、悪ければ命を落としていたやもしれぬ」
「仙翁……」
つるぎは立ち上がろうとする。
「なんじゃ」
仙翁が手を貸す。
「さっき、羅紀は、『やはり、そなたが環力を得た者のようだな』って言ったけど、その環力っていうのがボクの力なの?」
「うむ。しかし、いまはそれについて話しておる暇はない。おぬしは霊力を使いすぎた。少し休んでおれ。羅紀は、儂が相手をする」
「ボクなら大丈夫。充分に闘えるよ」
「わかっておる。だが、つるぎ。他の者が見ておる。儂も仙翁だ。かっこ良いところを見せたいのよ。それにの、かつての敵を前にし、儂はいま血が滾(たぎ)っておる。この滾りは、やつと闘わずして治まるものではない。ここは、この儂を立ててはくれぬか」
「そう言われちゃったら、だめだとは言えないよね。うん、わかった。仙翁。あいつ、やっつけちゃって」
「すまぬの、つるぎ」
仙翁は、羅紀に眼を向けた。
羅紀は悠然と立ち尽くしている。
「仙翁。そなたが相手をするのか? わたしはかまわぬぞ。そなたを斃すのに、そう時間はかからぬだろうからな」
羅紀の顔には、いつもの微笑が浮いている。
「おぬし、やはり儂を侮っておるようだの」
仙翁は、錫杖を水平に持ち、正面に掲げた。
「クク。さきほどは、侮ってなどいないなどと申したが、訂正しよう。いまのそなたなど、侮るまでもないわ」
羅紀はマントを翻し、腰の妖刀を抜刀した。
と、そのとき、
「羅紀様――」
声がした。
「無面か」
羅紀の立つ横に、光の粒子が凝りはじめると、そこに無面の姿が現れた。
無面は地に膝をつき、平伏している。
「なに用か」
仙翁を見据えたまま、羅紀が言う。
「あの者と殺り合うこと、このわたくしめにお任せいただけませぬか」
「無面。我が邪魔をされるのをもっとも嫌うということ、忘れたか」
「いえ、滅相もござりませぬ」
「ならば、承知のうえで、そのようなことを申したと?」
「はい」
「ほう」
羅紀は、横目で無面を見下ろし、その無面の頸に妖刀をあてた。
その答え如何によっては、斬る。
そういった圧力がそこにあった。
「あの者と殺り合うこと、約束にござります」
無面が答えた。
「約束?――」
羅紀は、仙翁へと視線を流した。
「いまの話、真実(まこと)か」
訊いた。
「うむ。確かよ」
仙翁が答えた。
「そうか」
羅紀は、無面の頸から妖刀を引いた。
「約束とあらば、それを反故(ほご)にさせるわけにはいかぬな。ぞんぶんに殺り合うがよい」
羅紀は、妖刀を鞘に納めると、
「これを使うがよい」
無面へと差し出した。
「これを、わたくしめにでござりまするか」
「そうだ。そなたの功績への褒美よ。さあ、遠慮なく受け取れ」
「はッ!」
無面は羅紀へと向き直ると、平伏したまま両手を前へ出した。
その両手に、羅紀は妖刀を載せた。
「有り難き幸せにござります」
無面はさらに平伏すると立ち上がり、妖刀を背に負って抜刀した。
「こ、これは――」
握った妖刀を見つめ、無面が言った。
妖刀が黒い霊気を放っている。
その霊気は、揺らめきながら、無面の手から腕へと流れていき、全身を被った。
「力が、漲(みな)ってまいりまする」
「我が妖刀。闇の力を増幅させる。だが、侮(あなど)るな。あやつは強い」
「御意」
言うが早いか、無面は仙翁に向けて地を蹴っていた。
「つるぎ! おぬしは回復するまで、下がっておれ!」
仙翁が言い放つ。
と同時に、すでに仙翁の目の前に迫った無面が、妖刀をふり下していた。
それを、仙翁が錫杖で受け止める。
ぎぃんッ!
金属音がこだまする。
「他人の心配などしている暇はないぞ。仙翁よ」
「くッ……」
無面の攻撃は想像を超えて重く、仙翁の持つ錫杖が徐々に圧されていく。
「分を超えた霊力は、おのれを滅ぼすことになるぞ……」
圧されながら、仙翁は言った。
「なにを、わけのわからぬことを」
無面はさらに圧力をかける。
それを仙翁が押しとどめ、
「おぬしの……、この霊力は、分相応だと言っておるのだ……」
逆に少しずつ圧し返した。
と、仙翁の錫杖が、眩い光を発した。
その瞬間、無面が後方へと跳んでいた。
「クク。さすがは、須弥界宮(しゃみかいぐう)の多聞(たもん)。油断も隙もない」
無面は刀を片手に持ち、剣先を下に向けた。
その無面の胸元に眼をやれば、黒衣の腹部の辺りが切れている。
眩い光に、無面が後方へ跳ぶその刹那、その無面の腹部へ、仙翁が錫杖を払ったのだ。
錫杖は、太刀へと姿を変えていた。
「その名で儂を呼ぶでない!」
今度は、仙翁が地を蹴った。
きん、
ぎん、
きいん!
ふたりの攻防が始まった。
その光景を、羅紀が見つめている。
いや、そうではない。
羅紀が見つめているのは、仙翁と無面が相対しているその後方、つるぎの姿であった。
つるぎもまた、羅紀を見つめている。
そこへ、双方の継ぐべき者たちが駆けよってきた。
春、夏の継ぐべき者は、つるぎのもとへ。
冬、秋の継ぐべき者は、羅紀のもとへ。
「つるぎさん。大丈夫なんですか?」
凛が言った。
「うん。ボクは平気。なんだか、身体の奥から、力が湧いてくるようなんだ」
つるぎは、両の手のひらに眼を落として答えた。
「さっきのは凄かったなー。あれが、環力ってもんの力なのかー」
ぶったまげたなー、と力道。
「フン。あの程度なら、おれ様の閃光雷電撃(せんこうらいでんげき)のほうが上だ」
ソウマが、吐き棄てるように言った。
翡翠は黙って、ソウマの横に立つ。
そして、ひょうはと言うと。
いったいはどこにいるのか。
そう思うと、その姿は、力道の背にすっぽりと隠れてしまっていた。
一方、冬、秋の継ぐべき者たちは、羅紀の両脇に並び、春、夏の継ぐべき者たちを見据えている。
「いよいよ、来たな。このときが」
紫門が言った。
「おう」
コウザが奮い立つ。
と、そのとき、
「青竜! 姿を見せぬか!」
羅紀が、つるぎに向かって叫んだ。
正確には、つるぎが背に負う、剣の霊晶石に宿る式鬼、もろは丸に向かってである。
すると、
「騒ぐな、羅紀!」
つるぎの背後に、竜の姿のもろは丸が現れた。
「性懲りもなく、また封印を解いたか」
もろは丸は、口端をつり上げて嗤った。
「我はうれしいぞ、青竜よ。うれしゅうて、たまらぬ。ククク。ハ、ハ、ハ、ハ、ハ」
羅紀は声をあげて嗤い始めた。
歓喜が、身体の奥底から、怒涛のごとく湧き上がってきているようであった。
髪が逆立ち、眼はつり上がり、その顔が、これまでにない貌に変貌していく。
「このとき、この瞬間を、どれほど待ったであろうか」
声までが、禍々しいものに変わった。
全身からは、黒い霊波が立ち昇り始めている。
「おう。それほど、このおれ会いたかったか。まるで、愛しい男を待ちつづけた、女のようではないか」
「グクク。確かにそうかもしれぬ。胸の傷が疼くたびに、我はきさまへの怒りに打ち震えたのだからなァ!」
黒い霊波が、ゆらゆらと羅紀を包みこんでいった。
その色は闇の色をしていた。
いや、それは、闇そのものと言ってよかった。
その闇に包まれ、羅紀の姿が見えなくなっていく。
闇は揺れながら大きくなっていき、倍ほどの大きさにまでなると、しだいに闇が払われ、羅紀の姿が見えてきた。
そこに現れた羅紀の姿が、それまでとは一変していた。
それまでの透き通るほどの白い肌が漆黒の色となり、眼も、頬まで裂けた口から伸びる牙までもが同じ色となっていた。
まるで、闇が凝り固まってできたような貌(かお)であった。
だが、口の奥に覗く舌だけが、赤い血の色をしていた。
額からは、いびつに伸びた角が生えている。
しなやかだった体躯は、2メートルを遥かに凌ぐ巨体となっていた。
その姿は、まさに黒鬼であった。
それを見ていた双方の継ぐべき者たちは、それまでとはまったく違う羅紀の姿に絶句していた。
「さあ、殺(や)り合おうではないかァ。青竜よォ!」
羅紀が言った。
「そう慌てるな!」
もろは丸は、つるぎの前へと出た。
そのもろは丸の身体が徐々に大きくなっていき、羅紀と変わらぬ体躯となった。
「これで、対等というものだろう?」
もろは丸が言う。
「グクク、面白い。来い! この胸の傷の恨み、いま晴らしてくれようぞ!」
「フン。その恨みを返す前に、返り討ちにしてくれる! 今度は、胸の傷だけではすまんぞ!」
グオォォオッ!
オオォォウッ!
もろは丸と羅紀は、同時に地を蹴った。
ふたりがぶつかり合った。
だが、ふたりの巨躯は、まだ触れ合ってもいない。
ぶつかったのは、互いが放出している霊波であった。
青い霊波と漆黒の霊波が、バチッ、バチッ、と音を立てて圧し合っている。
放出しているその霊波によって、周囲の大気がゆがんで見える。
その圧力は、双方の継ぐべき者たちのところにまで届くほどの、凄まじいものだった。
それはもう、2体の巨獣の闘いと言ってよかった。
「まさか――」
冬、秋の継ぐべき者たちのほうから、そういう声がした。
「あやつの目的は、これであったか」
2体の闘いを見つめている中で、そう言ったのは月密だった。
「なんだ。その、これ、ってのはよ」
コウザが訊いた。
「青竜よ」
月密が答える。
「青竜? 青竜がどうしたってんだよ」
「わたしらを仲間に引き入れた、真の理由だよ」
そう答えたのは、これまでほとんど口を利かなかった楓香(ふうか)だった。
「なんだ、そりゃあ。なんで、俺たちを仲間にした理由が、あの青竜なんだ? 意味がわからねえよ」
コウザが楓香を見やる。
そのコウザを、楓花は横目で見ると、
「あんたも鈍いやつだね」
嘲(あざける)るように言った。
「なにィ!」
声を張りあげたのは、白薙だった。
「てめえ、滅多に口を利かないくせしやがって、なんてこと言いやがるんだい! こいつを馬鹿にするやつは、このあたいが承知しないよ!」
白薙はいきり立って、楓花を睨みつけた。
その白薙を、コウザが見つめる。
自分を庇ってくれたことが、よほどうれしかったのか、その眼は潤んでいた。
「なんだい。やろうってのかい。だったら、相手になるよ」
楓香が睨み返す。
戦いを前にして気が昂ぶっているのだろうが、どうやらふたりは、どちらも気性の激しい性質であるらしい。
ふたりは向き合い、睨み合う。
互いの眼に、一触即発の火花が散った。
「これ、よさぬか、ふたりとも。ここで仲たがいを起こしてどうするのじゃ」
見かねて月密が止めに入った。
白薙と楓香は、フン、とともにそっぽを向いた。
月密はため息を吐き、コウザを見上げると、
「要するに、こういうことじゃ」
言った。
「12人の継ぐべき者と12支の式鬼を敵にしてしまえば、1000年前と同様、封印されてしまうだけであろう。じゃからあやつは、継ぐべき者を分断させようと考えたのじゃよ」
「封印を恐れてるっていうなら、仙翁はどうなるんだ? 仙翁だって、封印はできるじゃあねえか」
「確かにな。まさか、仙翁が復活するとは、羅紀も思わなんだであろうよ。じゃが、復活したとはいえ、いまの仙翁の霊力では、羅紀を封印するまでの力はあるまい」
「そうなのか?」
「うむ」
「でもよ、だから、それと――」
「コウザ。あんたは、そんなだから鈍いって言われるんだよ」
コウザが言うのを、白薙ぎが制した。
「あいつはただ、あの青竜と闘いたいたかっただけなのさ。だれにも邪魔をされずにね」
「なに? それだけのために、あいつは、おれたちを仲間にしたってのかよ」
「ありえなくはない」
そう言ったのは、紫門だった。
「あいつには、胸に傷を負わされた恨みがある。その恨みは、よほど深く根を張っていたんだろう」
「そうじゃの」
と、月密。
「あやつは、自尊心の強いやつじゃ。あやつにとって、傷を負うことなど、あってはならぬことなのじゃよ。それを青竜によって負わされた。自尊心をも傷つけられたあやつは、復讐を誓った。それはもう、執念だったであろう」
月密のその言葉に、紫門はナギのことを思った。
ナギは、いまの世界の有り方を憂いていた。
真剣にこの世を変えようと想っていた。
だからこそ、継ぐべき者に成ろうとし、だが、それは叶わず、ナギは、継ぐべき者に並ぶ、いや、それ以上の力を欲した。
そして、環力(わりょく)という力があることを知り、それと同時に、継ぐべき者となったひとりが、紫門であることを知った。
それによってナギは、紫門を斃(たお)すことだけを考えるようになったのだ。
強引な霊性の引き渡しまでして環力を得たナギは、紫門を捜しつづけた。
己の得た力を見せつけ、完膚なきまでに叩き潰すために。
ナギがそこまで紫門に執着したその理由は、ともに修行に明け暮れた社で、常に二番手であった紫門が継ぐべき者となったことに起因している。
その根底にはあるのは、紫門に対する嫉妬心に違いないが、それよりも、ナギは異常なほどに自尊心が強かったのだ。
そのナギと闘った紫門には、羅紀の想いがわからなくもなかった。
ナギと同様に、羅紀もいま、傷ついた自尊心を回復させるために、青竜と闘っているのだ。
とは言え、ナギと羅紀では違いがある。
一時的ではあったが、ナギは環力を得、それによって傲慢になり、人間性を失っていった。
そして、なにより、邪気に満ちていた。
しかし、それとは逆に、羅紀には邪気をまったく感じなかった。
環力と並ぶであろう力を有し、邪気の塊であった闇の冥王から、その邪気が消え失せていたのである。
紫門はいままで、羅紀から邪気を感じないのは、己の裡に隠しているだけなのだと思っていた。
それがいま、青竜と闘う羅紀の姿を見ていると、それが間違いであったということに気づかされる。
羅紀のいまの姿は、紫門の知るそれまでの羅紀ではない。
それは、漆黒の霊波を放ち、一心不乱に闘う1匹の修羅である。
であるのに、その羅紀からは邪気を感じないのだ。
黒きその貌は、嗤っているようにも見える。
いや、実際に嗤っているのだろう。
心置きなく闘えることを、純粋に悦んでいるのだ。
それは、青竜、もろは丸にも言えることであった。
2体の巨獣は、闘いながら嗤い、歓喜しているのであった。
だが――
と、紫門は思う。
青竜と闘うという、ただそれだけのことで、ほんとうに自分たちを仲間に引き入れたのだろうか、という思いも拭えずにいる。
「ってことはよ」
ふいに、コウザが言った。
「俺たちは、羅紀のお膳立てをしたようなもんじゃねえかよ。どうせなら、世界征服を企んでたほうが、まだマシだったじゃねえか。あー、バッカくせえ。いっぺんに闘う気が失せちまったぜ」
そう言ったコウザの、「世界征服」と言葉に、紫門はハッとするものを覚えた。
「コウザ。もしかすると、羅紀はほんとうに、この世界に真の和をもたらそうと考えていたのかもしれないぞ」
「なに? なんで、そうなるんだよ」
コウザは訝った眼で紫門を見た。
紫門自身、ふいにそんなことを言った自分が不思議だった。
しかし、それはまぎれもなく、紫門の本心から出た言葉である。
これまで紫門は、羅紀が、真の和をもたらそうとしているわけがないと、そう思いきっていた。
それは、自分たちを仲間に引き入れるための口実にすぎず、それには裏があり、どこかで必ず本性を現すはずだ と。
紫門はそんな疑念の眼で、羅紀を見ていた。
それがいま、青竜と闘う羅紀の姿を眼にしたことで、その疑念は消え失せ、それだけに、コウザの「世界征服」いう言葉を聞き、紫門は気づいたのだ。
いまの羅紀は、その世界征服と言う言葉からは遠いところにいると。
そしてさらに、羅紀はほんとうに、世界に真の和をもたらそうと考えていたのではないかと、そういう気がしていた。
「羅紀は、おれたちに試練を与えたのかもしれない」
紫門は、自分の考えから導き出した答えを、口にした。
「試練だと?」
わけがわからぬ、といった顔でコウザは紫門を見た。
「うむ。紫門。わらわも、ぬしと同じことを思っておったぞえ」
月密がふたりのあいだに、割って入った。
「どういうことだよ」
コウザが訊く。
「あやつが、ただ青竜への復讐のために我らを仲間に引きこんだのであれば、わざわざ冬と秋の城を陥落すまでもなかったじゃろう。そうすることで、我らを信用させようとしたと言えばそれまでじゃが、考えてもみよ。青竜に復讐を果たすためだけならば、我らを仲間にする以前に、ひとりでもよいから斃してしまえばよかったはずじゃ。あやつからすれば、そのほうが容易(ようい)だったであろうよ。12人の継ぐべき者がひとりでも欠ければ、あやつを封印すること叶わぬのだからな。じゃが、あやつはそうしなかった。わらわは、あやつから邪気が感じられないのは、どういうことなのかと、ずっと考えておった。その答えがいま、出たということじゃ。あやつは、邪気を隠していたのではなかったのよ。1000年の長き時がわたしを変えたと、あやつは言っておったが、それはどうやら偽りではなかったようじゃ。わらわはそう思う」
「そりゃあ、あいつに世界を征服する気がないってえなら、それはそれでいいさ。だけどよ、だったらどうするんだ? 春、夏の継ぐべき者との戦いはよ」
「戦うさ。おれたちの戦いは、羅紀に後押しされて、ここまでやってきたようなものだが、ここで止めるわけにはいかない。違うか、コウザ」
紫門は、改めて春、夏の継ぐべき者たちを見据えて言った。
「そりゃあ、そうだ。あいつらが、俺たちを止めるって言うなら、やるしかねえな」
コウザもまた、対峙する継ぐべき者たちを見据えた。
意気消沈していたその眼には、光がもどっていた。
「だったらよ、さっさと片付けちまおうぜ」
「ああ。コウザ。おれは、あの異界の者とやる」
紫門の視線は、すでにつるぎに向けられていた。
「そうだな。おまえは、一時的とはいえ、環力を手に入れたやつと闘っているからな」
それに紫門はひとつうなずくと、
「みんな、それでかまわないか」
その紫門の言葉に、他の者は皆、黙ってうなずいた。
他の者の了解を得るとともに、紫門は地を蹴っていた。
「おう、疾いな。この俺も、血が滾ってきたぜ。だったら、俺はどいつにするかな。他のやつは、どいつもたいしたことはなさそうだが――よし、決めた。俺は、あのでかいやつにするぜ」
コウザが、力道を見据えて言った。
「じゃあ、あたいは――」
白薙が、翡翠を見据えと、
「髪をうさぎの耳のようにしている、あの小娘にするよ。あーいうやつは大嫌いなんだ」
そう言った。
その白薙に、
「気が合うじゃないか」
そう言ったのは楓香だった。
「あたしも、あの女は虫唾が走るほど嫌いなやつさ。あいつは、あたしがやるよ」
「なに言ってんだ! あたいが先に、あいつとやるって言ったじゃないか!」
「それがなんだってんだ。関係ないね」
「なにを! だったら、まずはおまえを血祭りにあげてやる」
「できるもんなら、やってみな!」
またもふたりは睨み合い、火花が散る。
「これこれ。おまえたちは、どうしてそうなのじゃ。仲良くせよとは言わぬが、いがみ合いはよさぬか」
月密は、ひとつため息を吐き、
「ならば――」
懐に手を入れ、何かを取り出した。
手のひらを開くと、そこには銭が1枚あった。
「これの裏表で決めればよい」
そう言うと、月密は銭をひょいと投げ上げた。
それを右手でパシリと掴むと、そのまま左手の甲に被せた。
「さあ、決めよ。裏か、表か」
「表!」
と、白薙。
「裏!」
と、楓花。
「よし」
月密は右手をゆっくり離す。
白薙と楓香が、左手の甲の銭を覗きこむ。
上を向いていたのは、表であった。
「やったぜ!」
思わず、白薙はガッツポーズを取った。
「チッ!」
楓香は舌打ちすると、
「しかたない。なら、あたしは、もうひとりの女にする」
凛に眼を投げた。
うむ、と月密はうなずき、
「狗音。ぬしはどうする」
狗音を見やって訊いた。
すると狗音は、
「ぼくは、あいつだ」
ソウマを、静かな眼で見つめた。
「おう、あの生意気そうな小僧か。ぬしの相手として、不足はなさそうじゃ」
その言葉に、どんな表情も浮かべず、狗音は地を蹴っていた。
「となると、残るは、あのでかい男の陰に隠れた、あやつか。それにしても、存在の薄いやつじゃな。わらわには不足じゃが、まあよい」
月密が動いた。
そのときには、冬、秋の継ぐべき者6人ずつすべてが、それぞれの相対する相手に向かって走っていた。
それを見て、
「おいー、あやつら、向かってきたぞー!」
力道が言った。
「あいつら、どうやら、闘う相手を決めているらしいな」
ソウマがつづけざまに言った。
「うん。そうみたいだね」
つるぎがそう言ったとき、眼の前には紫門が立っていた。
つるぎと紫門(しもん)――
「おまえ、異界から、なぜこの世界にやってきた」
つるぎの前に立つなり、紫門がいきなり言った。
「なぜって言われても、ボクにもわからないんだ」
つるぎが答える。
「わからない?」
「うん、さっぱり。でも、わかっていることは、闇の冥王の仲間になって、この世界を壊し始めた君たちを止めることさ」
「異界からやってきたおまえには、関係のないことだ」
「そんなことはないよ。ボクは、剣の霊晶石に選ばれて、継ぐべき者になったんだからね」
「物事には間違いというものがある。そして、起こりえないことが起こることもな」
「それがボクだって言いたいの?」
「そうだ。おまえは、その犠牲者というわけだ。悪いことは言わない。これ以上この世界のことに関わるな」
「それは無理だね。それに、いま君が言ったことは、こうも言えるよ。あらゆる出来事には、すべて理由がある。起こりえないことなんて、なにもないってね。だから、ボクは、ううん、ボクたちは、君たちを止める。そして、羅紀を斃(たお)す」
「羅紀を斃す、か。環力を得たからといって、ずいぶんとでかい口を利くもんだな。だがおれは、その環力を得たことで、おまえのようにでかい口を利き、死んでいった男を知っている」
「死んだ?……」
「ああ、そうだ。その男は、反動の波によって、全身から血を流して死んでいった」
「反動の波……。その反動の波というのは、どういうものなのかな。ボクに備わった力が環力だということはわかったけど、でもそれがどういうものなのかはわからないんだ。だから、その反動の波というものも、まったく見当がつかない。知ってるなら、教えてくれないかな」
「おまえにそれを、あーそうですか、と教えてやる謂(いわ)れはない。ただ、ひとつだけ言えるのは、その反動の波がくれば、おまえは死ぬということだ」
「ボクが死ぬ……」
つるぎは眼を伏せた。
「そうだ。だからいいか、もう一度だけ言う。関わるな。これ以上環力を使えば、それだけ命を縮めることになる。身のためだ。黙ってこの場を立ち去れ」
紫門の言葉に、つるぎはわずかに沈黙していたが、
「それは、できないよ」
眼を伏せたまま言った。
「物わかりの悪いやつだな。このまま闘えば、おまえに明日はない。確実に死ぬんだぞ。おまえ、命が惜しくないのか」
紫門が言う。
「命は惜しいよ。決まってるじゃないか。だけど、やっとこのボクにも、友だちができたんだ。その友だちのために、ボクは戦うと決めた。一度決めたことを曲げるようじゃ、男じゃないよ」
「友だち? その友だちとは、あの青竜のことを言ってるのか」
「そうさ。ボクは彼を、もろは丸って呼んでる。それと、友だちはもろは丸だけじゃない。仙翁も、春、夏の継ぐべき者や他の式鬼たちも、みんな友だちだよ」
「命が惜しいと言いながら、その友のために命を棄てると言うのか」
「命を棄てたりなんかしないよ。とうさんとかあさんよりも先に死ぬなんて、そんな親不孝なことはできないからね。それに、ほんとは凄く恐い。だけど、これはボクの覚悟なんだ」
「覚悟、か……」
紫門はそこで言葉を切ると、つるぎから視線を下へとそらして瞼を閉じた。
だが、すぐに瞼を開けて、つるぎへと視線をもどすと、
「なるほどな。どうやら、おまえはいいやつらしい。凄く恐いなどと本音を口にするのは、心が穢れていない証拠だからな。だが、おれたちの往く手を阻むなら、おまえを斃すしかない」
太刀を抜刀した。
「だったら、ボクはそれを止めるだけだよ」
つるぎも、背から剣を抜き放った。
「名を言っておこう。おれは弓の霊晶石継承者、紫門」
紫門が名乗った。
それに応えて、
「ボクは剣の霊晶石継承者、神谷つるぎ」
つるぎが名乗った。
「なに? その名は、神谷剣尊(かみたにのつるぎのみこと)と――」
紫門は驚きをふくんだ表情を、その眼に浮かべた。
「そう。同じなんだ。読み方はちょっと違うけどね。仙翁はボクを、その神谷剣尊の生まれ変わりだと思っているよ」
「生まれ変わり、か……。だが、そんなことは、おれには関係ない」
そこで紫門は周囲を視線だけで見やり、
「ここでは、他の者の邪魔になる。場を移すぞ」
紫門の言葉に、つるぎはうなずき、ふたりはその場を離れた。
それに合わせるように、他の者たちも、それぞれ場を移していった。
コウザと力道(りきどう)――
「よし、この辺りでいいだろう。さて、やるか。でかいの。俺は槍の霊晶石継承者、コウザだ」
コウザが十文字槍を肩に担ぎ、名を告げた。
「おう。オレはー、斧の霊晶石継承者、力道だー」
力道も名を告げる。
「しかしー、継ぐべき者同士で闘うのは、気が引けるなー」
「なんだ、怖気づいたのか? だったら、お家に帰んな」
「いやー、そういうわけにはいかないよー。おまえたちをー、この先へは行かせるわけにはいかないからなー」
「その間延びした喋りを聴いてると、調子が狂っちまう。やるなら、さっさとやろうぜ」
コウザは十文字槍を片手で握った。
「オレならばー、いつでもいいぞー」
力道は手に何も持たず、ただ立ったままだ。
「てめえ、素手でやろうってのか」
「オレはー、斧を手にすると人格が変わるんだー。そうなるとー、怪我をさせるだけではすまなくなるんだー。だから、このままでいいぞ」
「へー、そうかよ。だがよ、俺は遠慮なく、この華炎槍を使わせておらうぜ」
そう言うや否や、コウザは力道の顔に向けて、十文字槍を片手で突いて出た。
力道が空を切って向かってくる十文字槍の先端を、首を傾けて躱(かわ)す。
しかし、それだけでは躱したとは言えない。
なぜなら、槍の刃は十文字の形の成しているのである。
先端を躱したとしても、中央部から横に伸びる刃を躱さなければならないのだ。
「顔の肉を切り裂いてやるぜ」
コウザの言葉どおり、槍の横へ伸びる刃が、力道の頬を切り裂いた。
に、見えた。
だが、十文字槍は、空を裂いただけであった。
力道は、まだ空にある十文字槍の、50センチほど横に立っていた。
「おめえ、でかいくせに動きが疾いな。そうこなくゃ、面白くねえ。これで少しは、殺り甲斐があるってえもんだ」
コウザは十文字槍をもどし、両手で持った。
両腕の筋肉が、ぐっと盛り上がる。
「次は躱せるかよ」
またも突いて出た。
疾い。
それは、初めの突きよりも、比べものにならない速さである。
いったい、どれほどの突きを放っているのだろうか。
その速度が眼にも止まらぬ速さのために、その回数がわからない。
しかし、速さでは、力道も負けていない。
疾風のようにくり出される槍のことごとくを、すべて躱している。
コウザの動きが止まった。
「へへ。さすがだな、力道。俺の瞬連槍弾(しゅんれんそうだん)をすべて躱(かわ)し切ったのは、おめえが初めてだぜ。伊達に継ぐべき者になったわけじゃねえってことだな」
「褒められるのは、うれしいけどなー。おまえ、まだ本気を出してないだろー」
「ケッ、言ってくれるぜ。確かにな。いまのはほんの準備運動だ。じゃあ、こっからは本気で行くぜ。おめえの隠れた人格を、引きずり出してやる」
コウザはにやりと笑い、十文字槍を改めて構えた。
その槍の刃が、炎に包まれた。
白薙(しらなぎ)と翡翠(ひすい)――
ふたりの闘いは、すでに始まっていた。
「おらァッ!」
白薙は、大鎌を真横に薙いだ。
「きゃあ!」
翡翠が声をあげる。
それと同時に、うさぎの耳のような翡翠の髪が、中央辺りから切断されて風に流された。
「アーン。わたしの大切な髪がァ」
翡翠は、切断された髪に手をやると悲しい顔をした。
「もう、ひどいじゃないですかァ。わたしの髪、どうしてくれるんですかァ」
「心配することはないよ。すぐにその首、刈り取ってやるからよ」
白薙は大鎌をふり被ると、
「おらァッ!」
翡翠の首へ向かって、真横に薙いだ。
「きゃあ!」
白薙が声をあげる。
それと同時に、うさぎの耳のような翡翠の髪が、中央辺りから切断されて風に流された。
「アーン。わたしの大切な髪がァ」
翡翠は、切断された髪に手をやると悲しい顔をした。
「もう、ひどいじゃないですかァ。わたしの髪、どうしてくれるんですかァ」
「なに?――」
同じことが、また起きたことを、瞬時に白薙は理解した。
「どういうことだい……」
そう呟き、翡翠を見てみれば、その頭には、うさぎの耳の髪がもとにもどっていた。
(まさか……)
白薙はもう一度、翡翠の首に向かって大釜を薙いだ。
「きゃあ!」
白薙が声をあげる。
それと同時に、うさぎの耳のような翡翠の髪が、中央辺りから切断されて風に流された。
「アーン。わたしの大切な髪がァ」
翡翠は、切断された髪に手をやると悲しい顔をした。
「もう、ひどいじゃないですかァ。わたしの髪、どうしてくれるんですかァ」
やはりまた、同じことが起こった。
「このあたいを、幻術に嵌めたのかい?」
白薙が問うた。
「違いますよォ。いまのは幻術じゃないですゥ。時間をちょっとだけ、操作しただけですゥ」
翡翠の髪は、またももとにもどっている。
「そうか、忘れていたよ。勾玉の霊晶石に宿る式鬼は、時を操るんだったね」
「そうよ」
翡翠が答えた。
いや、それは翡翠の声ではない。
と、
翡翠の背後に、うさぎの霊獣、時読が姿を現した。
「ほんとうなら、別次元に飛ばしてやりたいところだけれど、翡翠がそれを嫌うから、同じ時をくり返したのよ」
「そうですよォ。別の次元に飛ばしちゃったら、白薙さまは帰ってこれなくなっちゃうじゃないですかァ。そんなこと、絶対だめですゥ」
翡翠は、胸の前で握った両拳を震わせていた。
「なんだい。このあたいを、心配してくれてるってわけかい。そんなことは、大きなお世話だよ。そんなことより、その、かわいい子ぶりぶりはよさねえか。見てるだけで腹が立ってくるよ」
「えー、そうなんですかァ。そんなこと言われたら、翡翠、悲しい」
翡翠は悲しい顔をして、シュンとしてしまった。
「あー、やだやだ。寒気がしてくるよ。まったく。こんななら、向こうの女を選ぶんだったよ」
白薙は大鎌を肩に担ぐと、重いため息をこぼした。
「白薙。あんな女に、惑わされるんじゃないよ」
その声は、白薙の背後でした。
そこには、猪の霊獣、霧縄の姿があった。
「そうは言うけどさ、あたいは、あーいう女は大嫌いなうえに大の苦手なんだ。やりづらくって、しかたないよ」
白薙は、完全に意気消沈してしまっていた。
「なにを弱気なこと、言ってんだい。あんたがあの女を選んだんだ。きっちり片をつけな」
霧縄がたきつける。
「わかってるよ。どのみち、あの女を斃さなきゃ、先へは進めないからね。やってやるさ」
「よし、その意気だよ。なら、ひとつ進言しといてやる。あの術はね、相手を捉えてこそ、その相手の時を操作したり、別次元へ飛ばしたりできるんだ。だから、あんな術は、霧境呪縛(むきょうじゅばく)に嵌めこめば、あんたを捉えることはできなくなるよ」
「そうか。それはいいことを聞いたよ」
白薙が、唇の端に笑みを浮かべると、とたんに濃い霧が立ちこめ、瞬く間に広がっていき、翡翠をも包みこんだ。
「あらァ? なにも見えなくなっちゃいましたよォ」
翡翠は周囲に眼をやるが、辺り一面、濃霧に包まれた。
「これで、おまえはもう、あたいを捉えることはできないよ」
霧の中で、白薙の声が聴こえる。
しかし、その姿は見えず、その声は前から聴こえるようであり、うしろからのようでもあり、左右のどちらからも聴こえてくるようであった。
「白薙さまァ。意地悪しないでくださいよォ」
悲しげに翡翠が言った。
「なに? 意地悪だって? なにを言ってんだい、おまえは」
思わず、白薙の声は裏返った。
「だって、これじゃ、白薙さまの声は聴こえても、姿が見えないじゃないですかァ。こんなの、意地悪ですよォ」
「あのなー。これはおまえに掛けた術なんだよ。おまえだって、術で時間を操作しただろうが」
「それは、わたしの防衛のためですよォ。あんな大きな鎌をふるってくるんだもん、危ないじゃないですかァ」
「おまえ、自分がなにを言ってるのかわかってるのか? いま、あたいとおまえは闘ってるんだよ。危ないもクソもあるかよ」
「わたしは闘いたくないですよォ」
「闘いたくないだと? おまえ、あたいを舐めてんのか? 闘わないなら、どうしようってんだ!」
白薙のその声は、翡翠の頭上から、または遠くから、そしてまたは耳のそばで聴こえていた。
「お話しましょう。話し合えば、きっとわかり合えると思うんです」
「話し合う? ハハ、まいったね、こりゃ。いったい、どうすりゃいいのさ、霧縄」
もうお手上げだ、とばかりに白薙が言った。
「そんなこと、あたしにだってわかりゃしないよ」
霧縄は、投げやりに返す。どうやら霧縄も、翡翠が苦手なようであった。
「あー、なんか、闘う気が失せちまったよ」
「まあ、相手があれじゃ、しかたいさ。面倒だ。さっさと、首を刈っちまえよ」
「闘う意思もなく無防備なやつに、そんなことできるかよ」
「なら、どうする」
「どうするもこうするもないさ。相手が話し合いたいって言うなら、まずはそうするよ。そのあとのことは、そのときに決めるさ」
白薙が言う。
すると、立ちこめていた霧が、徐々に払われ始めた。
楓香(ふうか)と凛(りん)――
すでに、ふたりの攻防が始まっている。
きん、
ぎん、
きぃん、
きん!
押しつ押されつ、ふたりの闘いは均衡していた。
「やるね、あんた」
楓香が言った。
「あなたこそ」
凛が返す。
ふたりは間合いを取っている。
それは、互いの間合いのわずかに外。
じりじり、と楓香が右に動けば、凛は左へ動く。
前に出れば、うしろへ下がる。
ふたりは、決して互いのあいだの間隔を崩さない。
「あんた、夏ノ洲、国主の娘と言っていたが、人を斬ったことはあるのかい?」
楓香が言う。
「ありません」
凛が答える。
「そうかい。じゃあ、あんたは素人ってわけだね」
「だから、なんだと言うのです」
「素人のあんたに、あたしが斬れるのかってことさ」
「そう言う、あなたは? 人を斬ったことがあるんですか」
「ああ。あるよ。どっかの国の、お姫さまと違ってね」
楓香は、皮肉に笑った。
「姫と呼ばれるは好きじゃありませんが、そんなことで、わたしが動揺を覚えるたりはしませんよ」
凛の足先が、じり、とほんのわずかに、間合いの中に入った。
次の瞬間、凛は地を蹴った。
楓香の胴ががら空きと見て取ると、太刀を真横から一閃させた。
ぎきぃんッ!
金属音がこだまする。
「見事な太刀筋じゃないか。だけど、残念だったね。あんたの太刀筋は見えてるよ」
凛の太刀を、楓香は己の太刀で受け止めていた。
「このわたしを、一州(いっこく)の姫だからと見くびらないほうがいいですよ」
険しい眼を楓香に向け、太刀を払うと、凛はつづけさまに太刀を浴びせていった。
きん、
ぎん、
きん、
ぎいん!
楓香は、浴びせくる凛の太刀を受ける。
きん、
きん、
ぎん!
「ぐッ……」
楓香が押されはじめて、うしろへと下がっていく。
「まだ、疾さが増していくというのか……」
その太刀筋の疾さに、楓香はかろうじて凛のくり出す太刀を受け止めていた。
だが、それも長くつづかず、
「つッ……」
受け止める太刀が間に合わずに、凛の一刀が楓香の胸に走った。
その瞬間、楓香は後方へと跳んでいた。
「一州(いっこく)の姫も、馬鹿にはできないでしょう?」
凛は余裕の笑みを浮かべた。
「そのようだね。紙一重で躱したつもりだったんだが、躱しきれなかったよ」
楓香が身に着けている、アーマー・スーツの胸元が真横に裂けて肌が覗き、そこに血が滲んでいた。
「どうやら、太刀の勝負じゃ、あんたに分があるようだ。ここからは、霊晶石継承者として、技で勝負しようじゃないか」
楓香は太刀を鞘に収めた。そのとたん、楓香の全身から橙色の霊波が立ち昇った。
「傷をつけられた礼は、きっちりさせてもらうよ」
ポニーテールの髪に差してある風車を手に取る。
その風車を口許へと持っていくと、息を吹きかけた。
風車が回る。
すると、天空を流れていた風が、渦を巻きはじめた。
その渦がしだいに竜巻となって、地上へと降りてきた。
「乱風演舞(らんぷうえんぶ!」
そう叫ぶと、楓香はまた、風車に息を吹きかけた。
と、竜巻が地を削りながら、凛に向かっていった。
凛は素早く太刀を鞘に収め、向かってくる竜巻を、左へと跳んで躱した。
しかし、竜巻は、意思があるかのように、凛が跳んだ方向へと動きを変えた。
凛は、今度は右へと跳んだ。
それに合わせて、竜巻も方向を変える。
「無駄だよ、お姫さま。それは、あんたを捕らえるまで、どこまでだって追っていくのさ」
楓香のその言葉どおり、竜巻は、どれだけ凛が躱そうとも、執拗にあとを追いつづけていく。
それどころか、その速度が増している。
「太刀さばきでは、あんたの疾さが勝っていたけどね。それの疾さに勝ることができるかい?」
楓香は勝ち誇ったように言った。
徐々に、凛が竜巻を躱すのが遅くなっていく。
決して、凛の動きが鈍くなっているわけではない。
それだけ、竜巻の動きが疾くなっているのだ。
「くッ……」
このままじゃ、防ぎきれない。
凛がそう思ったその矢先だった。
ぎりぎりで躱したその瞬間、竜巻の動きがぐんと伸びて、まだ宙にあった凛の身体が巻きこまれた。
「きゃああああ!」
完全に捕えられた凛は、竜巻の中で舞った。
「ついに捕まったね、お姫さま。ハハハ、舞え!」
凛の身体は、土くれや枯葉と同様に、巻き上げられていく。
10メートルほど巻き上げられたところで、凛は中空へと放り出され、そのまま地上へと落ちていった。
「がはッ!」
背から、凛は地上に叩きつけられた。
気を失ったのか、凛はぴくりとも動かない。
「なんだい、もう終わりかい? まさかだろ? これからが、お楽しみだってのにさ。おい、お姫さま、起きなよ! ただのお姫さまじゃないってとこ、見せてごらんよ」
楓香が言葉を投げる。
だがやはり、凛は動かない。
「おいおい、くたばったのか? 勢いがあったのは最初だけかよ。少しは骨のあるやつかと思ったが、しょせんは一州(いっこく)の姫ってわけか。まったく、お姫さまはお姫さまらしく、城の中でおとなしくしてりゃあよかったんだよ。継ぐべき者になったのが間違いだったね」
楓香のその言葉に反応したのか、倒れ伏している凛の指先が、ぴくりと動いた。
「お、生きてるじゃないか。いいぞ、よし、立て、立ってこい!」
凛の腕が動く。
身体を支えて起き上がる。
ゆらりと立ち上がった凛の身体から、紫色の霊波が立ち昇った。
「わたしを、馬鹿にする言いかたは、やめてください……」
楓香を睨む眼が、ぎらりと光った。
「あなたを、殺してしまうかもしれません……」
言うと凛は、腰の鞭を手にした。
「へえ、言うじゃないか、お姫さま」
楓香の眼にも光が宿る。
改めてふたりは、対峙する形となった。
狗音(くおん)とソウマ――
「くうッ、なんだ、この音は……」
ソウマは両手で耳を塞ぎ、苦しそうに顔をゆがませている。
この音は、とソウマは言ったが、しかし、耳を塞ぐほどの音など聴こえてこない。
「その笛の音(ね)か……」
苦しげに、ソウマは狗音を見る。
狗音は、無表情の顔で横笛を唇にあてていた。
しかし、その横笛からも、まったく音は聴こえてこない。
狗音が横笛から唇を離した。
そのとたん、苦痛から解放されたように、ソウマは耳から両手を放した。
いったい、どういうことなのか。
「やっぱり、その笛か!」
ソウマが訊く。
「そう。君を、死へといざなう死送曲さ」
狗音が言った。
抑揚のない声だ。
「死送曲だと?」
「いまの曲は、君にしか聴こえない。ぼくが曲を奏でつづければ、君は狂ったあげくに死ぬ」
「なに!」
「でも安心していいよ。君をそう簡単に殺すつもりはないから」
狗音は無表情である。
「舐めるなよ。要するに、その笛を吹かせなけりゃいいんだろ? おれ様をすぐに殺さなかったことを後悔させてやる」
ソウマは、背の鎚を手にすると、狗音に向かって投げた。
向かってくる鎚を、狗音は余裕で躱す。
「なんのつもり」
そう言う狗音の背に向かって、ソウマの投げた鎚がもどってくる。
それをまた、狗音はふり返りもせずに躱す。
「芸術性の微塵もない、そんな単純な攻撃で、ぼくを斃せるものか」
「さあ、それはどうかな」
狗音が躱した鎚が、宙で止まっていた。
と、鎚が方向転換をし、狗音へと向き直ると左右に分裂した。
ひとつだった鎚が、いまはみっつとなり、狗音の前に浮いている。
「それで? 芸術的な踊りでも見せてくれるのか」
狗音が言う。その顔は、やはり無表情のままだ。
「言うじゃないか」
ソウマは人差し指と中指を立て、下唇にあてると、呪を唱え、
「けどな、踊るのはおまえだよ」
立てている2本の指で空を切った。
すると、宙に浮いているみっつの鎚が、くん、と動いた。
まず、中央の鎚が、狗音に向かっていく。
それを、またも狗音は躱す。
つづいて、左の鎚。
そして右。
それらも、狗音は難なく躱しきる。
しかし、躱されたみっつの鎚は、それだけでは留まらず、すぐさまは方向転換して、狗音へと攻撃を仕掛けていく。
それを狗音はまた躱すが、鎚は攻撃の手を緩めようとはしない。
執拗に狗音へと向かっていく。
「なんだよ、狗音。芸術性が微塵もないとか言っときながら、おまえのその踊りだって、ぜんぜん芸術性を感じないじゃないか。それなら、もっと芸術的に踊れるようにしてやるよ」
言うとソウマは、指先でもう一度、空を切った。
と、鎚の動きが疾くなった。
それに負けず、狗音の動きも疾くなる。
みっつの鎚の動きも、狗音の動きも、眼では追えないほどの疾さとなっていた。
「へー、やるじゃないか」
感心したように、ソウマが言った。
そのとき、
「以心伝操(いしんでんそう)!」
狗音の声が聴こえた。
と思うと、笛の音が聴こえてきた。
「なに?――」
ソウマの眼に、驚きの色が浮かんだ。
眼には見えないが、狗音が鎚を躱しながら横笛を吹いているのだ。
その音色は、さきほどようにソウマだけに聴こえる音ではない。
周囲の大気を振動させ、はっきりと届いてくる音色だった。
しかし、ソウマが驚いたのは、その笛の音ではない。
笛の音が聴こえてきたと同時に、攻撃している鎚の動きが失速しはじめたからだった。
みっつの鎚は、しだいにその速度を弱め、そして宙に静止した。
と思うと今度は、静止した鎚が、ソウマへと向き直り飛んでいった。
ソウマはすぐさま、指先で空を切る。
そのとたん、みっつに分裂していた鎚がひとつにもどり、自分に向かって飛んでくる鎚の柄を、ソウマは掴み取った。
「いまのはどういうことだ」
ソウマが訊く。
「この笛は、音色で物体の原子を振動させ、その物体を自由に操ることができる。だから、こういうこともできるんだ」
狗音はまた、横笛を唇にあてた。
音色が奏でられる。
その音色に操られるように、地表に転がっている幾つもの小石が、ゆっくりと浮き上がった。
「これは、お返しだ」
狗音は一段と高い音程を奏でた。
その瞬間、小石は礫となって一斉にソウマへと向かっていった。
飛んできた礫を、ソウマは次々に鎚で弾き返した。
「面白い」
鎚を頭上に掲げた。
見る間に、空が黒雲に包まれる。
ソウマは、2本の指をした唇にあてると、小さく呪を唱えると、
「猛虎雷電(もうこらいでん)!」
叫んだ。
すると、黒雲のあいだを、幾つもの稲妻が走った。
稲妻は、泳ぐように走り、絡み合い、重なり合いながら、しだいに虎の姿を形成していった。
虎の姿となった稲妻は、天空を駆けおりてきた。
「だったら、あれを操れるか?」
ソウマは、狗音を睨みながらにやりと笑った。
狗音は無表情の顔で、稲妻の虎を見やり、そしてソウマへと視線を移した。
唇に笑みを浮かべると、狗音は、
「狗神(いぬがみ)!」
そう言った。
と、狗音の横に、全身黄色い毛で被われた犬が姿を現した。
しかしそれは、犬と言うより、その容貌は狼と言ってよかった。
口から覗く牙が鋭い。
頭部から背にかけて、美しい鬣(たてがみ)がある。
笛の霊晶石に宿り式鬼、犬の霊獣、狗神であった。
「式鬼の狗神か」
ソウマがそう言うと、
「ソウマよ。向こうが狗神でくるなら、こっちはおれの出番だぜ」
ソウマの横に、虎の霊獣、雷皇が姿を現した。
「そうだな、雷皇」
ソウマがたま呪を唱えると、稲妻の虎がその場から消えた。
「狗神! 行くぜッ!」
雷皇が叫ぶ。
「おう! 望むところだ、雷皇ッ!」
狗神が叫ぶ。
式鬼2体が対峙した。
月密(つきみつ)とひょう――
「む、あれは――」
月密は黒雲に包まれた空を見上げ、天空から駆け下りてくる、虎に姿を変えた稲妻へと眼を馳せた。
闘いのために距離をとってはいるが、その姿はよく見える。
「狗音の相手……。そうか、あやつ、鎚の霊晶石継承者か」
そう呟いて、少女の姿の月密は、狗音へと眼を向けた。
「まあ、狗音のことじゃ。心配はなかろうて」
そう言いながらも気になるのか、狗音から眼を離さずにいる。
すると、
「あの……」
という声がした。
その声が聴こえないかのように、月密は狗音から眼を離さない。
「あの……」
また声がする。
しかし、月密はその声の主に顔を向けようともしない。
「あの、ちょっと……」
3度目でようやく、月密は声の主に顔を向けた。
「なんじゃ」
声の主に訊く。
少女の顔には似合わぬ口調である。
「いや、その……」
「声が小そうて、よう聴こえんぞえ」
「あ、すみません……」
「ところで、ぬしはだれぞ?」
月密は、声の主を訝しそうに見つめる。
「僕は、その、あの……」
「その、あの、ではわからぬではないか」
「は、はい。ぼ、僕は、ひょうです」
声の主――ひょうは、おずおずと言った。
「おう、そうじゃった、そうじゃった。いま名乗り合ったばかりじゃというのに、すっかり忘れておった。して、このわらわに何用じゃ」
「何用って言うか、その、僕たち、闘うんですよね」
「闘う? ぬしとわらわがか」
「他のみんなも闘っているわけですから、そうなると思うんですけれど……」
ひょうの口調は遠慮がちである。
「言われてみれば、確かにそうじゃが……」
月密は、値踏みするかのように、ひょうを下から上へと眺め、
「ぬし、ほんとうに継ぐべき者かえ」
そう訊いた。
「やっぱり、そうは見えませんか。ハハハ。そうですよね。自分でもそう思います。どうして僕なんかが、霊晶石に選ばれてしまったんでしょうか」
「わらわにわかるものか。それにしても、ぬしは暗いやつじゃのう」
「はい……。それだけに僕は、名前も憶えてもらえず、存在さえも気づいてもらえないんです……」
ひょうはしゃがみこむと、抱えた膝に顔を埋めてしまった。
「これ。そこまで塞ぎこむことはなかろうに。元気を出さんか。なんであれ、霊晶石に選ばれて継ぐべき者になったのじゃ。それはぬしが、優れているという証拠ではないか。もっとおのれに誇りを持たぬか」
思わず月密は、ひょうを励ましていた。
ひょうは顔を上げると、
「おじょうちゃんは、やさしいんだね。ありがとう」
涙を浮かべていた。
「わらわを、おじょうちゃんと呼ぶでない。この身体は借りものじゃ」
「借りもの?」
興味を持ったのか、ひょうはすっと立ち上がっていた。
「そうじゃ。わらわは、この娘に憑依しておるのじゃよ。我が肉体を失ってから、1000年が経っておる」
「憑依って……。では、あなたは亡霊というわけですか」
「亡霊とはなんじゃ。霊体と言わぬか、霊体と」
「あ、すみません」
「まあ、よい。ともかく、ぬしとわらわは、闘うめぐり合わせとなったわけじゃが、ぬしを見ていると、どうも闘う気にはなれぬ。ぬしはどうなのじゃ。わらわと闘うつもりでおるのか」
「はあ……。僕としては、その、できれば、闘わない方向で……」
ひょうは、気のない返事を返す。
「そうか。ぬしも闘う気はないか。ならば、ここはすんなり、わらわを通してはくれぬかの」
「いや、それはいくらなんでも……、みんなが闘っているというのに、僕だけがそんなこと……。仲間を裏切るようなことはできません」
「うむ。そうよの。じゃが、となると、これは困った。どうしたものかの」
月密は顎に手をやり、考えこむと、
「やはり、闘うしかないかの」
そう言った。
「しかたないですね……」
ひょうは、腰の瓢箪を手に取った。
「おう」
月密も、懐に入れていた銅鏡を手に取る。
ふたりは、そこで初めて対峙した。
仙翁と無面――
「かかかッ!」
仙翁と太刀を交えながら、無面が嗤った。
「なにが可笑しいのだ。無面よ」
仙翁が訊く。
「可笑しいのではない。うれしいのよ。ぬしとこうして殺り合えることがなァ」
そう言うと、無面は渾身の一刀を撃ちこんだ。
ぎきいぃん!
仙翁が、その重い一撃を受け止める。
圧し合う形となった。
「こうでなければなァ。仙翁」
のっぺらな無面の貌の口の部分がぱっくりと割れ、両端がくっとつり上がった。
闘うことに歓喜し、嗤っているのだ。
「羅紀の妖刀を手にしているとはいえ、おぬし、やるのう」
仙翁が言う。
重なり合った刃と刃が、ぎりぎりと音を立てる。
「これは、うれしや。四天王のひとりから褒め言葉をもらえるとは、感激至極」
「だがのう、無面」
仙翁の口許を被う髭が動く。
仙翁もまた嗤っている。
と、
「この儂には及ばぬよ」
仙翁のその声が、無面の背後でした。
そこに仙翁の姿があった。
しかし、無面と太刀を合わせている仙翁の姿も、そこにある。
仙翁がふたり――
そう思った瞬間、その無面と太刀を合わせている仙翁の姿がすっと消え、一枚の紙片がひらひらと舞い落ちた。
「これは……」
無面が、舞い落ちた紙片に眼を落とす。
「それは、擬人式神というものよ。羅紀から聞いていなかったようだのう」
言うや否や、仙翁は、背後から無面へと一刀をふり下した。
無面は、頭のてっぺんから、股下まで両断されていた。
妖刀が手から滑り落ちて、地に突き刺さる。
だが、無面は倒れない。
身体が真っ二つになりながらも立っている。
すると、そのとき、無面の身体が光の粒子となっていき、真っ二つとなった黒衣だけが、はらりと地に落ちた。
光となった粒子は、再び無面の身体を形成していく。
それを、仙翁が真一文字に斬る。
するとまた、その身体は光の粒子となる。
「ククク、無駄よ。太刀で俺を斬ることはできぬ」
光の粒子のままの無面が言った。
「斬れぬ身体か……。さすがは妖(あやかし)よの。しかし、妖刀の力なくして、儂の相手が務まるかの」
「俺が身体を形成させたところを、また斬るつもりか? そうすれば、妖刀を手にできぬとでも思っているのか」
宙に漂う光の粒子が、下方へと細く伸びていく。
その細く伸びた粒子は、腕の形となって、地に刺さった妖刀を引き抜いた。
光の粒子から離れた腕が、妖刀を握ったまま宙に浮く。
「さあ、つづきをやろうか」
腕が、仙翁に向かって動いた。
その動きが疾(はや)い。
きん、
きん、
きん、
ぎぃん!
右に左にと打ちこんでくるその打撃を、仙翁が受け止める。
「驚いたか、仙翁。俺は肉体の一部だけを、形成させることもできるのだ」
光の粒子が言う。
「と言うより、本来の俺は肉体を持たぬ。ゆえに、このほうが力も疾さも上だ」
その言葉どおり、妖刀をふるう腕の動きは、身体を形成させていたときよりも疾(はや)かった。
「それでも、おぬしは儂に勝てぬ」
「そのわりには、繰り出される打撃を受けるのがやっとではないか」
それも、無面の言うとおりである。
確かに仙翁は、無面の腕が繰り出す打撃を、かろうじて受けている。
それどころか、その疾さと圧力に、じりじりと後方へ下がっていく。
「ククク。口ほどにもない。ぬしの身体、切り刻んでくれよう」
きん、
ぎん、
きん、
きん!
圧されながら、しかし、仙翁は嗤っていた。
「なに!――」
無面が、驚きの声をあげた。
その声をあげたのは、仙翁が嗤っていたからではない。
またも仙翁が、もうひとりいたからである。
その、もうひとりの仙翁は、宙に漂う無面の1メートルほど先に立っていた。
「くッ、あっちは、擬人式神だったか!」
と、妖刀をふるう腕の打撃を受けていた仙翁の姿がすっと消え、人形(ひとがた)の紙片がひらりと落ちた。
「チッ!」
腕は、すぐさま妖刀の刃先を仙翁の背へと向けて、飛んでいった。
仙翁は、背後に意識をやることもなく、胸の前で素早く印を結んだ。
「仙法陣異結界(せんぽうじんいけっかい)!」
仙翁のその声とともに、光の粒子の無面が、透明な正方形の空間に捕らえられていた。
そのとき、妖刀が仙翁の背を貫くところまで迫っていた。
それを、仙翁が瞬時に横へと躱した。
目標を失い、そのまま突き進んだ妖刀は、無面を捕らえた正方形の空間に取りこまれていた。
その空間の中で、腕が動く。
内側から空間を破ろうと、妖刀で斬りつける。
だが、どれほど斬りつけようと、空間は破れるどころか、疵(きず)をつけることさえもできなかった。
「どれだけあがこうと、おぬしではその結界を破ることはできぬよ」
空間――結界の中の無面を、仙翁が見つめる。
「くそう! ここから出せえ! 卑怯ではないか、仙翁! 潔く勝負をせぬか!」
無面が吠える。
「卑怯? なにを言うか。我らはいま、殺り合っていたのだろう? 命の取り合いに、卑怯もくそもあるものか」
仙翁は下唇に2本の指を立て、囁くように呪を唱えた。
すると、結界がひと回りほど小さくなった。
「な、なんだ。俺を結界で圧し潰すつもりか」
無面が言う。
「うむ。それもよいが、違うな。それは異結界よ。おぬしを捕らえたまま異界へと飛ばす」
仙翁がそう言うあいだにも、結界は小さくなる。
「異界へ飛ばずだと?」
「そうだ。そこでこの結界は解けよう。さすれば、おぬしは自由の身となる。が、ここへはもうもどれぬ」
「ぐぬぬ……」
結界がまた、小さくなる。
「さらばだ。無面よ」
「まま、待ってくれ! 俺は改心する。だから、頼む。異界になど飛ばさないでくれ」
無面は、必死に懇願する。
しかし、その懇願虚しく、結界はさらに小さくなると、ふっと宙から消えた。
「よし」
そう呟くと、仙翁はもろは丸と闘う羅紀へと眼を馳せた。
2体の巨獣が闘っている――
ごうッ!
もろは丸の青き霊波が膨れあがり、羅紀へと向かっていく。
はあッ!
羅紀の黒き霊波が膨れあがり、もろは丸へと向かっていく。
霊波と霊波が、ぶつかり合う。
青き霊波が押せば、それを黒き霊波が押し返す。
黒き霊波が押せば、それをまた青き霊波が押し返す。
大気がびりびりと軋む。
互いに、その力が互角と見るや、2体の巨獣は睨み合いに転じた。
2体ともに動かない。
「青竜ィ!」
「羅紀ィ!」
巨獣がともに叫ぶ。
「どうした。来ぬのかァ!」
羅紀は嗤(わら)っている。
「おまえこそ、来いよ!」
もろは丸もまた、嗤っている。
「グクク、ハッ、ハッ、ハッ、ハッ、ハッ!」
羅紀が右腕を上げ、正面に向けて手のひらを広げた。
その手のひらの中心に、黒い球体が発現する。
霊動破、黒魔莉(くろまり)である。
黒魔莉は、高速に回転しながら収縮と膨張をくり返し、手のひらを隠すほどの大きさとなった。
それを、もろは丸へと放つ。
黒魔莉は大気を巻きこみながら、もろは丸へと向かっていく。
もろは丸の双眸が、かっと見開かれる。
すると、蒼い閃光が宙を走り、黒魔莉(くろまり)が真っ2つとなって爆発を起こした。黒煙が視界を塞ぐ。
と、その黒煙の中から、黒魔莉が飛び出してきた。
すぐさま、もろは丸は閃光によって黒魔莉を斬り、またも爆発が起こった。
それが、数度くり返された。
立ちこめる黒煙と、もろは丸との距離が1メートルほどに狭まったそのとき、今度は、立てつづけに4つ黒魔莉が黒煙の中から飛び出してきた。
「くッ!」
もろは丸が閃光を走らせる。
だが――
爆発した黒魔莉との距離が近すぎたために、もろは丸は爆発に巻きこまれてしまった。
そこへ、さらに黒魔莉が飛んできて、もろは丸はそれを避けることができずにまともに食らった。
「ぐわッ!」
もろは丸の巨体が、後方へと吹き飛ばされていた。
黒煙が風に流されていく。
もろは丸は倒れたままだ。
「青竜! いつまで寝ているつもりだァ!」
羅紀が言う。
「ぐぬう……」
もろは丸がゆらりと立ち上がった。
右肩のつけ根に、黒々とした火傷を負ったような傷がある。
「その程度の傷、なんのこともあるまい」
「ああ。こんなもの、蟲に刺された程度よ」
「グクク。ならば、これはどうかなァ」
羅紀が動く。それは、眼にも止まらぬ疾さだ。
再び羅紀の姿を確認したときには、すでにもろは丸の眼前にいた。
次の瞬間、もろは丸がまたも後方へと吹き飛んでいた。
羅紀は腰を落し、左手で右の手首を掴み、手のひらを正面に突き出している。
霊気を瞬時に手のひらへと流し、気功波をもろは丸の胸に打ちこんだのだ。
もろは丸は、10メートルほども吹き飛ばされていた。
「がはッ!」
血を吐いた。
それでも、もろは丸は立ち上がる。
「いまのは、さすがに効いたぞ……」
口許を拭い、だが、もろは丸は嗤っていた。
「少し、一方的すぎたようだなァ」
羅紀もやはり、嗤(わら)っている。
「なんの。今度は、おれのほうからいかせてもらうだけよ」
もろは丸は、かっと眼を見開いた。
三日月形をした蒼い閃光が、空を切って羅紀へと向かっていく。
羅紀はその場を動かずに、その閃光を見ている。
閃光が迫る。
羅紀は動かない。
「そんなもの、躱すまでもないわ!」
しかし――
閃光は、羅紀の眼前に迫ったところで消えた。
「!――」
と、そこに、もろは丸の姿があった。
羅紀の顔面に、もろは丸が拳を放つ。
「くッ!」
閃光に意識をやっていた羅紀は、もろは丸の放った拳を躱す間もなかった。
もろは丸の拳をまともに食らい、今度は羅紀が後方へと吹き飛んでいた。
吹き飛んでいくその羅紀に、もろは丸は両の手のひらを向けた。
手のひらの中心に、蒼い球体が発現した。
「閃光破(せんこうは)!」
その蒼い球体ふたつを、羅紀に向かって放った。
それは、羅紀と同質の、霊気を凝固させた霊動破であった。
空を貫いていく閃光破は、まだ宙にある羅紀に命中し、爆発を起こした。
土煙が上がる。
そこへ、もろは丸は、間髪入れずに閃光破を放つ。
1発、2発、3発、4発――
もろは丸は閃光破を放ちつづけた。
さらに土煙が、もくもくと広がっていく。
「終わったか……」
もろは丸は肩で息をついていた。
閃光破に霊気を使いすぎたらしい。
土煙が、しだいに風に流されていく。
その中に人影が見える。
風に土煙が払われると、そこに羅紀が立っていた。
「なんだ、そのザマは。もう、息があがっているではないか。我は、1000年、この日が来るのを待ち望んでいたのだ。楽しませてくれねば困るぞ、青竜よ」
羅紀の身体は、傷ひとつ負っていなかった。
「くそ……」
もろは丸は、ぎりぎりと歯ぎしりした。
「きさまの霊力は、その程度か」
「ふざけるな。まだまだ、これからだ……」
そう言った、もろは丸の膝はがくがくと震えていた。
「強がりはよせ。そんなきさまと闘っても面白くもない。回復するのを待ってやる。少し休め」
「われァ、舐めるなよ。このおれは、十二支の式鬼をまとめる、青竜もろは丸や。ブチ殺したるぞ、こらァ! かかってこんかいッ!」
もろは丸の言葉が、関西弁に変わった。
とたんに、全身から霊波が、勢いよく噴きだした。
「おう。いいぞ。まだまだこれからというのは、口先だけではなかったようだな。グクク、そうでなくては困る」
羅紀が地を蹴る。
「上等だ、こらァ!」
もろは丸も同じく、地を蹴っていた。
2体はまたも激突した。
つるぎと紫門が対峙している――
じりじりと間合いを計りつつ、互いに相手の出方を見ている。
ふたりともに、肩で息をついていた。
それまでふたりは、烈(はげ)しい攻防をつづけていた。
「おまえ、つるぎと言ったな」
ふと、紫門が訊いた。
正眼に構えている。
その自然な姿には、まったく隙がない。
「だったら、なんなのさ」
つるぎも、正眼に構えている。
紫門を見つめる眼が険しい。
その顔には、逞しさがある。
春ノ洲の神谷の森を出たときとは、別人のようにさえ見えた。
「いい腕をしているな。異界の者とはいえ、その腕なら、霊晶石に選ばれたのも納得がいく」
「それって、褒めてるつもり?」
「そんなつもりはない。おれは、真実を言っただけだ」
「へー。だったら、素直に歓んでおくよ。ところで、紫門くん。君は、ボクのことをいいやつだって言ったけど、君だって悪いやつじゃないよね。闘っているときだって、卑怯なことはしなかった。でも、そんな君が、どうして世界を壊そうとしているのさ」
「新しき世界を創るためだ」
紫門は答えた。
「それって、真の和ってやつ?」
「なぜ、それを知っている」
「あの無面って妖人から聞いた」
つるぎは、仙翁と闘っている無面にちらりと眼をやり、すぐに紫門へと視線をもどした。
「そうか」
紫門はつるぎを見つめたままだ。
「でもさ、それっておかしいよ。州(くに)を襲って、人を殺して、それのどこが真の和なのさ」
「異界から来た、よそ者のおまえになにがわかる」
「わかるよ。どんな世界だって、人を殺すことがいいわけない。そんなことでできた平和なんて、ほんとうの平和じゃないよ」
つるぎの言葉に、紫門はわずかに黙り、
「確かにな」
そう言った。
「おまえの言うことは正論だ。だが、その正論が通らないのが、世の中というものだ。異界から来たとはいえ、おまえも、ここまでの道中で垣間見ただろう。この世界の、持つ側と持たざる側の格差を。持つ側はさらに富を得、持たざる側はさらに搾取されている。格差は広がるばかりだ。おまえの言う正論が通っていれば、世界はこんなことにはなっていない」
紫門のその言葉に、今度はつるぎが黙した。
つるぎは思い出していた。
春ノ洲の町の宿から見た光景を。
川向こうに住む人々の集落。
町とは雲泥の差のある世界が、そこには広がっていた。
「世界をいまのようにしてしまったのは、それぞれの州の州主(こくしゅ)をただの飾り物とし、行政府を牛耳っている者たちだ。その者たちを斃さないかぎり、世界に和は訪れない」
紫門は、なおもそう言った。
「じゃあ、君たちは、世界を良くしようとしているってわけだ」
つるぎが言った。
「そのとおりだ」
「だったら、もう闘う意味はないよね」
つるぎの眼から、ふっ、と険しさが消えていた。
そればかりか、正眼の構えを解き、剣を下した。
「どういうことだ」
「ボクたちはさ、君たちが羅紀と一緒になって、世界の征服を狙っているんだとばかり思っていたから、それを止めようとしてたんだ。でも、君の話を聞いて、それが違うってことがわかった。要するに、力が必要だったんだよね。世界を変革させうるだけの大きな力が。それが羅紀の持つ力だった。だから君たちは、羅紀の仲間になった。違うかい?」
「そこまでわかっているなら、おれたちの往く手を妨げるな」
「それはできないよ」
「なぜだ!」
「人の血が流れるからさ」
「なにを言っている。おまえは、おれが言ったことを理解したんじゃないのか」
「したよ。だけど、どんなに悪いやつだって、殺しちゃだめだよ」
「まだそんなことを。根付いてしまった悪は、根底から絶たなければ、またおなじことが起きる」
「違うよ。力によって血が流れれば、それは因果となってくり返すだけだ。君が言っていた、真の和を望むなら、それじゃだめなんだ。――ボクの世界には、暗く長い血塗られた歴史がある……。人と人が争い、州と州とが争う。そして争いは争いを呼んで大きくなり、戦争へと発展していく。どんなに正義や大義を掲げたって、戦争は人殺しでしかない。その犠牲になるのは弱き人々さ。その弱き人々のためにも、殺しちゃだめなんだ」
「因果はいずれ災いとなって、弱き人々に降りかかる――因果応報というわけか……」
「そうさ。だから、ここでやめようよ。君たちは、いまのこの世界を憂いて、弱き人々を救うために立ち上がったんじゃないか。そんな君たちが、これ以上その手を血で汚しちゃいけないよ」
「――――」
紫門は眼を伏せて押し黙り、すっと構えを解くと、太刀を下した。
「もういいじゃない。継ぐべき者同士が闘って、傷つけ合う必要なんてないよ」
「やつらを、生かせというのか」
それに、つるぎはひとつうなずくと、
「うん。殺すよりも、罪を償わせるべきだよ」
言った。
紫門が伏せていた眼を上げた。
「罪を償わせる、か……」
そう呟くと、
「おまえの言ってることは、いちいちもっともだ。だがな――」
太刀を上段へと持っていき、構え直した。
「それは、きれいごとでしかない。そんなきれいごとで世界が変わるなら、とっくに変わっている。おまえは、やはりなにもわかっていないただのガキだ。長きに渡って君臨してきた悪しき体制は、叩き壊すしかないんだよ。それに、おまえは言ったな。一度決めたことは曲げられないと。それはおれたちだって同じなんだ。これは、おれたちの覚悟なんだよ」
「――そう。わかった。そこまでわからず屋なら、しかたないね」
つるぎもまた、剣を正眼に構えた。
ふたりは再び、対峙した。
コウザと力道(りきどう)の闘いがつづいている――
「このオレに、斧を持たせたことを後悔させてやるぞ、コウザよ」
力道の声色が変わった。
手に斧を握っている。
両頬に切り傷があり、その傷は火傷を負っていた。
それは顔ばかりではない。
身に着けている衣服のそこかしこが破れ、その破れ目は黒く焦げていた。
それは、コウザの炎に包まれた十文字槍を、すべて避けきれずにできた傷であった。
「間延びした口調じゃねえな」
コウザが言った。
「へへ、こいつは面白くなってきたぜ」
その語尾を言い切る前に、力道の斧が、コウザの頭上からふり下されてきた。
ぎきぃん!
それをコウザは槍で横へと払い、後方へと跳んだ。
だが、
「!――」
後方へと跳んだ、コウザと力道との距離が変わっていない。
コウザが後方へと跳ぶのに合わせて、力道は前方へと地を蹴ったのだった。
着地と同時に、力道の斧が、真横からコウザの脇腹をめがけて向かっていく。
ぎんッ!
コウザはそれを、今度は槍の柄の太刀打ちで受けた。
強く重い斧のその衝撃に、コウザは横へと吹っ飛んでいた。
「くッ!……」
飛ばされながら、コウザは槍の柄の底、石突きを地に突き立てた。
しかし、コウザの身体は止まらない。
柄の石突きは10メートルほど地を削って、ようやく止まった。
「おめえ、なんて力をしてやがる。この俺も力に自信はあるが、上には上ってもんがあるもんだぜ」
コウザは、にやりと嗤って見せた。
「驚くのはまだ早い」
言うと力道は、斧を両手に持ち、頭上高くにふり上げると、
「地殻津波!」
地に向かってふり下した。
斧の刃が、深々と地に入りこむ。
いや、そう見えたがそうではない。
力道は、刃ではなく斧頭で地を叩いたのだ。
とたんに地が揺れ、地鳴りが響いた。
それともに、地表が盛り上がり始めていく。
その盛り上がりが、コウザの方向へ動いた。
それは、まさに津波のごとく、コウザへ向かって突き進み、その高さを増していった。
「な――」
土の津波は、コウザの眼前にまで迫ると、土砂が崩れ落ちるように、コウザを呑みこんでいった。
コウザを呑みこんだ土砂は山となった。
と――
土砂の山の表面にひびが走った。
その内部が赤い光を帯びている。
と思うと、山全体が炎に包まれた。
次の瞬間、山は爆発を起こしたかのように四散した。
赤く燃えた幾つもの土塊が、力道に向かって飛んでいく。
それを、力道は斧で弾き落とす。
土煙の中に、コウザが立っている。
「枯葉の交じった土は、よく燃えやがる。って、感心してる場合じゃねえな。おい、力道! てめえ、この俺を生き埋めにするつもりだったのかよ!」
「うるさいものには蓋をしろと言うだろう。おまえは、べらべらとうるさいからな」
「それを言うなら、臭いものには蓋をしろ、だろうが!」
「フン。似たようなものだ。おとなしく生き埋めになっていれば、楽に死ねたものを。だが、もう楽には殺さん。じわりじわりと、いたぶり殺してやる」
力道は斧の腹を舐めると、にたりと嗤った。
「ケッ。おまえ、どうやらほんとうに人格が変わっちまったようだな。上等だ、このやろう。てめえのほうこそ、切り刻んでやるよ!」
コウザは地を蹴った。
それと同時に、力道も地を蹴っていた。
白薙と翡翠――
「要するに、あんたは、闘いたくないけど、先に進ませるわけにもいかないって言うんだな」
確認するように、白薙(しらなぎ)が訊いた。
「だって、また人を殺しちゃうんでしょ? 継ぐべき者が、そんなことしたらだめですよォ。私たちが殺していいのは、妖物だけです。妖物は悪いやつなんですから」
翡翠(ひすい)がそう返す。
「あのなァ」
白薙は、辟易としてため息をついた。
「いいか、なんども言うようだが、いま州(くに)を牛耳っているのは、妖物よりも悪い人間なんだ。だから、この世を良くするには、そいつらを斃さなきゃならないんだよ」
「えー、でも、兄さまや仙翁さまは、羅紀は悪いやつで、その羅紀の仲間になったあなたたちを、止めなきゃならないって言ってましたよォ」
「だからー、なんど同じことをくり返しゃいいんだ、まったく。あ、あんたまさか、また時を操ってるんじゃないだろうね」
「話し合いをするって言ったのにィ、そんなズルはしませんよォ」
「そ、そうか。だったらいいが。するとおまえは、天然なのか?」
「天然?」
翡翠は小首を傾げる。
「あー、やっぱり、そうだ」
「えー、なんですか? やっぱりって」
「おまえは、馬鹿だって言ったんだよ」
そう言ったのは、霧縄だった。
「そんな……」
翡翠はとたんに悲しい顔をした。
眉根をよせた眼が潤み、大粒の涙がぽろぽろとこぼれ落ちた。
「ひどい、ひどいです……」
翡翠は顔をくしゃくしゃにして泣きだした。
と、そのとき、翡翠の背後に時読(ときよみ)が姿を現した。
「あらま、泣かせちゃったみたいね」
時読は翡翠の背をなで、宥めた。
「わたしは、責任持てないわよ」
霧縄と白薙に眼をやった。
「なんだい、時読。責任持てないって、どういうことだよ」
霧縄(きりなわ)が訊く。
「この子はね、一度泣きだすと、歯止めが利かなくなるのよ」
時読がそう言ったとき、翡翠の胸の勾玉が光った。
「歯止めが利かなくなる? それはいったい――」
霧縄の声が、ふいに途切れた。
それもそのはず、霧縄はそこから消えていたのだ。
「な、なんだよ。霧縄はどこへ行っちまったんだい」
白薙は周囲を見渡すが、霧縄の姿はどこにもなかった。
「おい! 霧縄をどこへ――」
すると今度は、白薙の姿も消えてしまった。
「だから言ったじゃない。責任持てないって。この子は泣きだすと、無意識のうちに霊晶石の力を使っちゃうのよ。とは言っても、もう遅いわね。いったい、どこの次元に飛ばしちゃったのかしら。いや、そんなことより、もとにもどれるかどうかが問題だわ。とにかく、この子が泣きやむまで待つしかないわね」
時読は、翡翠を泣きやませようと宥めつづけた。
だが、翡翠が泣きやむ気配は一向になかった。
凛と楓香――
楓香と凛が睨み合っている。
と思うと、
「ぐッ、なんだ……身体が、動か、ない……」
楓香ががくりと片膝をついた。
手のひらを見つめる。
その手のひらが、小刻みに震えている。
「ようやく、毒が効いてきたようですね」
凛が言った。
「なに……」
楓香は、膝を落した脚の太腿に眼をやった。
その太腿に、わずかな破れ目がある。
そこから皮膚が覗き、血が滲んでいた。
それは、凛が放ってきた鞭を太刀で捌ききれなかったときに受けた傷であった。
「鞭に毒を……。そうか、あんたは、毒を……、扱うんだったね。迂闊だったよ」
顔をゆがめて、楓香は凛を見た。
そのとき、その楓香の横に現れたものがあった。
オレンジ色をした鶏の姿の霊獣。
風車の霊晶石に宿る式鬼、鳳明(ほうめい)であった。
「大丈夫か、楓香」
鳳明が言った。
「心配は無用だよ、鳳明……」
「だが、おまえ、その身体じゃ――」
「いいんだ……これは継ぐべき者同士の闘いだ。手を出すな」
鳳明が言うのを制して、楓香が言った。
「そうだよ、鳳明」
そう言ったのは、凛の隣りに姿を現した白夜だった。
「手を出そうというなら、このわたしが相手だよ」
鎌首をもたげて白夜が言った。
「白夜。いい度胸じゃないか。おまえなぞ、疾風乱撃(いっぷうらんげき)で切り刻んでくれる」
鳳明は威嚇するように、羽を大きく広げてみせた。
「その前に、猛毒を食らわしてやるよ」
白夜は、裂けた口を、かっと開いた。
「だめです。白夜さん」
凛が白夜を制す。
「ここは、わたしに任せてください」
「あんたがそう言うなら、わかったよ」
白夜は、凛の背後へと身を退いた。
「なんだ、怖気づいたか?」
鳳明が挑発する。
「やめな、鳳明。あんたも下がってな……」
楓香が言うと、鳳明は渋々とうしろへと下がった。
それを見て、凛が懐に左手を入れた。
「ここに、解毒剤があります」
懐から左手を出し、手のひらを上に向けて広げる。
その手のひらの上には、小さなカプセルが載っていた。
「ここであなたが、夏ノ洲に向かうのをやめるならば、この解毒剤を渡します」
「なんだ、と……」
「あなたたちが、いまのこの世界を憂い、格差のない世界を創ろうと立ち上がったことは素晴らしいことです。そんなあなたたちと、わたしも一緒に戦いたい。けれど、やりかたがよくありません。あなたたちは、羅紀とともに、力によってふたつの州を襲い、陥落させた。そして、残りふたつの州も、同じように力で捻じ伏せようとしている。それは間違ったやりかたです」
「やっぱり、お姫さまだね、あんた。考えが甘いよ……。州を牛耳っているやつらが、私利私欲のためにどれだけ悪の限りを尽くしているか、州主の娘のあんたなら、わかってるはずだ……。それを斃すことが間違いだって言うのかい……。しょせん、あんたはお姫さまだ。貧困に苦しんでる下々の人間のことなんて、どうだっていいんだろう……」
楓香は苦しみに耐えながら言い放った。
「そんなことはありません。貧困街に住む人々を、どうでもいいなどと思ったことは一度だってないわ。わたしだって、どうにかしなければいけないと、ずっと考えてきました。だけど、どうすることもできなかった……でも、つるぎさんと出会って、わたしには、州を救おうと努力する勇気がなかったことに気づかされました」
「つるぎって、異界からやって来た、あいつのことか……」
「そうです。だから、わたしは決意したのです。州を、もうあの者たちの好き勝手にはさせないと」
「どうするつもりだい……」
「あの者たちを捕らえ、これまでの罪を償わせます」
「それは、ご立派なことだね……。あいつになにを言われたかは知らないけどね、あいつは異界の者なんだよ。この世界のことなんて、わかるわけがないんだ。あんたは騙されてるだけさ……」
「あなたがどう言おうとも、わたしの心は揺るぎません。そんなことより、早くこの解毒剤を飲まないと、あなたは命を落とすことになるのですよ。どうするのです。答えなさい」
凛は語尾を強めた。
「フ……」
ふいに、楓香が嗤った。
「なにが可笑しいのです」
「お姫さま。どうせ、脅しだろ?」
「――――」
凛は無言のまま、眉根をかすかに寄せた。
その顔には、明らかに動揺の色が浮かんでいた。
「やっぱりね。あんたは、わかりやすいんだよ。この毒だって、どうせ痺れ薬かなにかじゃないのかい」
「鎌をかけたのですか」
「いや、確認をしただけさ。あんた、州を牛耳っているやつらを、捕えて罪を償わせると言っただろ? それで思ったのさ。あんたが、あたしを殺すわけがないってね」
楓香が、ゆらりと立ち上がった。膝が、がくがくと震えている。
「とは言え、大した毒だよ。身体の自由が利きやしない。けどね――」
言うと楓香は風車を唇にあて、息を吹きかけた。
「楓の舞!」
とたんに、一陣の強い風が地上の枯葉を巻き上がった。
巻き上がった枯葉が、凛に向かっていく。
「しまった――」
動揺の一瞬の隙をつかれ、凛は躱(かわ)すタイミングを逃していた。
枯葉が、生き物のように凛に襲いかかる。
しかし、その枯葉は身体に纏わりつくだけで、凛を傷つけることはなかった。
そして、ふいにその動きを止めると、枯葉ははらはらと地に落ちていった。
「毒の回ったその身体では、本来の力は発揮できませんよ」
凛が言った。
楓香の放った技が失敗したと見て、そう言ったのだ。
楓香はうなだれている。
「確かにね……」
その声に力はない。
うなだれている楓香の顔が、ゆっくりと上がった。
瞼を閉じている。
「でも、それでいいのさ」
瞼が、かっと見開かれ、凛に向けられた。
「これを、手に入れたからね」
右手を、凛に示すように上げた。
その右手の指先に、何か小さなものを摘まんでいる。
凛は、それに視線を向けた。
「それは!――」
凛は声をあげ、自分の左の手のひらを開いた。
そこにあるはずのものがなかった。
楓香が手の指先に摘まんでいるものは、凛が手にしていた解毒剤であった。
それを楓香は口に運び、ごくりと呑みこんだ。
「いまのは、あんたを攻撃したわけじゃない。この解毒剤が欲しかったのさ」
楓香は嗤っていた。
「ハハ。さすがは毒を扱うだけあって、解毒剤も即効性があるね。身体の自由がもどってきたよ」
「そういうことでしたか。ならば、もっと強い毒を味わわせてあげましょう」
凛は鞭をふり、地を叩いた。
その鞭の色が、紫色に変わっていく。
「今度の毒に、解毒剤などありません」
「必要ないさ。もう、あんたの鞭を食らったりはしない」
睨み合うふたりの唇には、冷ややかな笑みが浮かんでいた。
ソウマと狗音――
ソウマと狗音の息が上がっている。
ふたりともに、身に着けている着衣のほうぼうが破れ、幾多の傷を負っていた。
「このおれ様が、これほど手間取るとはな」
荒い息を吐きながら、ソウマが言った。
「――――」
狗音は無言である。
「このまま、ダラダラやってたって埒が明かないな。そろそろでカタをつけさせてもらうよ」
ソウマは鎚を頭上に掲げると、2本の指を下唇にあて呪を唱えた。
「閃光爆雷!」
叫んだ。
と、黒雲の雲間に、かっ、と光が瞬いた。
そう思うと、柱のごとく太い問い稲妻が、大気を貫き狗音へと落ちた。
ドーン、という烈(はげ)しい音が鳴り響いた。
焦げた匂いが周囲に漂う。
稲妻の落ちた場所は、ぽっかりと穴が穿たれていた。
「やったか!」
ソウマは穴に近づき、中を覗いた。
しかし、そこに狗音の姿はない。
「ハハ、跡形もないぜ」
ソウマはそう言い、だがすぐに、その顔がハッとなった。
空を見上げた。
「空へ逃げたって無駄だよ」
10メートルほど上空に、狗音が浮いていた。
「浮遊術なら、おまえには負けないぜ」
言うと、ソウマの足が地を離れた。
身体が宙に浮き、そのまま上昇していくと、狗音と同じ高さで止まった。
狗音の唇に冷笑ともいえる笑みが浮いた。
ソウマの唇にも、皮肉な笑みが浮かんでいる。
ふたりは、中空で対峙した。
狗音が横笛を唇にあてた。
「そうはさせるか! 閃光爆雷!」
稲妻が、狗音に向かって走る。
狗音がそれを躱(かわ)す。
その躱したところへ、稲妻がまた走る。
それがくり返される。
狗音の動きは疾い。
いや、その動きに、疾(はや)いという言葉はあてはまらない。
稲妻が走ってくるその瞬間に、狗音の身体はそこから消え、別の空間に瞬時に現れるのだ。
「おまえ、瞬動(しゅんどう)を使うのか。凄いじゃないか」
ソウマが言った。
「だが、疲弊(ひへい)した身体で、それをいつまでつづけられるかな?」
稲妻が、またも狗音に向かって走る。
狗音の姿がそこから消える。
そして今度は、狗音の姿が別の空間に現れるその刹那を狙って、稲妻が走った。
狗音の姿はそこにあるままだ。
あえて、そのままでいるのだ。
稲妻は、狗音の横を走り抜けていった。
「クソ、外したか!」
ソウマが悔しがる。
「目測でぼくを捉えることなんて、できやしないよ」
狗音は余裕の表情であった。
先程と比べれば、狗音の息は正常といえるほど落ち着いている。
それとは逆に、ソウマのほうは息づかいが荒い。
「それに、疲弊(ひへい)しているのは、君のほうじゃないか。君はもう年寄りなんだから、無理をしない方がいいよ。いま楽にしてあげる」
「な、なんだと! おれ様はまだ17だぞ! 年寄りとはなんだ。そんな冗談、笑えねえぞ、このやろう」
「ほら。ぼくよりも、4つも上じゃないか。じゅうぶん年寄りだよ」
「なに? ってことは、おまえ13か。ふざけやがって。だったら、年の功ってのを、その身体に教えてやるよ」
ソウマは、鎚を狗音へと向けた。
「フッ、それはどうかな」
狗音は、横笛を唇にあてた。
音色が奏でられた。
それは、ソウマにしか聴こえない音色だった。
「くッ……」
とたんにソウマは耳を塞ぎ、苦悶に顔をゆがめて、
「卑怯だぞ、狗音……」
苦しまぎれに言った。
「卑怯だって? ぼくたちは命の取り合いをしているんだろう? それを、卑怯とはどういうことかな」
狗音が訊いた。
だが、ソウマの苦悶の表情は変わらない。
どうやら、狗音の持つ霊晶石の横笛は、唇を離しても、その音色を奏でつづけることができるらしい。
「忌々しいが、おまえは、おれ様の術を躱した。それは、瞬動術を使えるおまえだからできたんだ……。それに引き替え、おまえのこの術はどうだ。音じゃ、どうやったって躱すことはできないだろうが……」
「君、面白いことを言うね。ぼくが君の術を躱せて、君がぼくの術を躱せないのは、君とぼくとの能力の差じゃないのかな。要するに、君は弱いってことだろう? それを、ぼくが卑怯な手を使ったような言いかたをするなんて、見下げたやつだね君は」
「ああ、そうさ。おまえの言うとおりだよ。返す言葉もない。だがな、そんなおれ様をおまえは……、こんな一方的な術で斃(たお)そうとしてるんだ。卑怯と言われて当然だろうが。それともなにか? おれ様よりも能力が上のはずのおまえが、こんな術で斃そうとしているのには、それなりの理由があるのか?」
「今度は開き直り? 口だけは達者なようだけど、年の功って、その口のことなんだ」
「どうとでも言えばいい。それよりも理由を言えよ……」
「――――」
狗音は答えない。
「どうした。なぜなにも言わない……。そうか、そういうことか……。おまえ、おれ様が恐いんだろ。おまえがこの術を解いて、おれ様がとんでもない秘術を出すんじゃないかと思って、ビビってるんだな……」
「つくづく見下げたやつ。ぼくが、そんな挑発に乗って、この術を解くとでも思っているのかい?」
「チッ。なんだ、バレちまったか……。じゃあ、しかたない。煮るなり焼くなり、好きにしな……」
「そんなことはしないよ。君は、狂い死ぬのさ」
狗音はまた、横笛に唇をあてた。
「ぐわッ!」
ソウマは、さらに苦しがった。
そのまま中空に留まっていることができずに、ゆっくりと降下していった。
地に足が着くと、ソウマは両膝をついてうずくまった。
「や、やめろ……。頭が、おかしくなりそうだ……」
ソウマがもがき苦しむ。
狗音は中空に浮いたまま、横笛を吹きつづける。
と――
「なーんてな」
ソウマがすくっと立ち上がった。
「どういうこと?……」
狗音は、さらに横笛を吹いた。
だが、ソウマは平然な顔で狗音を見上げ、笑みを浮かべている。
「これさ」
手のひらを開いて見せた。
そこには、小指の先よりも小さい幾つもの小石が載っていた。
「小石を耳に入れて、笛の音を遮断したんだよ。とはいえ、完全に遮断できたわけじゃないが、これなら狂い死ぬこともないな」
ソウマは、手のひらの小石を地に落すと、
「さて、命乞いをするなら、いまだぞ」
言った。
ひょうと月密――
「ぬし、なぜに幻術がかからぬのじゃ」
月密が言った。
少女のその顔は、驚きの表情が浮いている。
「なぜと言われても、僕にもわからないですよ」
ひょうは、困った顔で頭を掻いた。
「幻舞、どういうことじゃ」
月密が言う。
すると、その月密の横に、猿の姿をした霊獣が姿を現した。
銅鏡の霊晶石に宿る式鬼、幻舞であった。
「わからん」
幻舞は頸をふった。
「ぬしにもわからぬか。ならば、氷雨に訊いてみるほかないの」
月密はそう言うと、
「氷雨!」
呼んだ。
と、
「なんだよ、月密」
ひょうの横に、羊の霊獣、氷雨が姿を現した。
「どうして、あんたがぼくを呼び出すのかな」
「よいではないか。長いつき合いじゃ。こやつは、なぜに幻術にかからぬ」
月密が訊いた。
「長いつき合いと言っても、いまはあんた、敵だろう? その敵に、それを教えると思うのかい?」
「固いことを申すな。教えよ」
「そう言われてもなあ……」
氷雨は、ちらりとひょうの横顔を見る。
ひょうは、何やら口許でブツブツと言っている。
「これ、もったいぶるでない」
「うん……」
氷雨は口ごもる。
「早よう、言わぬか」
月密が業を煮やす。
「わ、わかったよ」
氷雨は観念したように言うと、
「実は――」
重い口を開いた。
「うむ」
月密がこくりとうなずく。
「ぼくも、よくわからないんだよね」
氷雨は、アハハと笑った。
そのとたん、月密と幻舞は、お約束のようにこけていた。
「なんじゃ! 気を持たせおって。わからぬなら、初めからそう言わぬか」
まったく、と月密はため息をついた。
「理由のひとつもわからぬとなると、この者、厄介だの」
そう言いながら、月密は胸の前で腕を組み、両腕をさすった。
「これは、どういうことじゃ」
「どうした。月密」
月密が腕をさすりながら震えているのを見て、幻舞が訊いた。
「寒いのじゃ」
月密が答える。
「寒い?」
「そうじゃ。ぬしは感じぬのか。この寒さを」
「おれはこのとおり、全身、毛で被われているから、寒さなど感じないな」
「そうか。わらわは、この着物一枚ゆえ、寒くて敵わぬ。これではまるで、冬ノ洲にいるようじゃぞ」
そう言う月密の唇から吐き出される息が、肉眼でもはっきりと見えるほどに白かった。
気づくと、月密と幻舞(げんぶ)は正方形の氷の壁に閉じこめられていた。
その氷の壁を、月密が手で触れた。
「ひょうとやら、これは、ぬしの仕業か」
月密はひょうに視線を向けた。
「はい。そうです」
ひょうは、素直に認めた。
「こら、小僧!」
幻舞が叫んだ。
「いますぐ、ここから出せ。さもないと、その首へし折るぞ!」
「それは無理だよ。おまえには、その氷は破れない」
言ったのは、氷雨だった。
「なんだと! こんなもの、ぶち破ってやる!」
幻舞は、渾身の力で氷の壁を拳で殴りつけた。
しかし、氷の壁はびくともしない。
「くそッ!」
なんどとなく殴りつけてみたが、結果は同じだった。
「だから言ったろう? その氷は破れないって」
「ぐぬう」
幻舞は、忌々(いまいま)しげに氷雨を睨みつけた。
「どうするつもりじゃ。我らを凍死させる気か」
月密は、がくがくと震えていた。
「そんなことしませんよ。防衛のためにそうしたまでです」
「ならば、わらわの幻術はぬしには効かぬゆえに無害じゃ。ここから出してくれぬかの。わらわが憑依したは、まだ幼き娘。ぬしにその気がなくとも、このままでは凍え死ぬぞえ……」
月密の唇の色が、青くなり始めていた。
「あ、そうですね。わかりました。じゃあ、あなただけ、そこから出すことにします」
「幻舞は、どうするのじゃ」
「そのおサルさんは恐いので、出したくないんですけど」
ひょうが言うと、
「そうだな。あいつは暴れん坊だから、なにをするかわからない。出さないほうが賢明だよ」
氷雨が言った。
「なにをォ! おまえら、ブチ殺してくれる!」
怒りを露わにした幻舞は、またも氷の壁を殴り始めた。
しかし、氷の壁にはひびひとつ入らない。
「無駄なことはよさぬか。幻舞」
月密が窘(たしな)める。
「だってよ……」
怒りの治まらぬ幻舞は、鼻息を荒くしている。
月密は、ひょうへと眼を向け直す。
「ひょうよ」
「はい」
「幻舞を出さぬというのなら、わらわもここから出ぬ」
月密のその言葉に、
「なにを言ってる、月密。おれなら、大丈夫だ」
幻舞は驚いて言った。
「いや、そうはいかぬ……」
そう言うと、月密の身体がゆらりと傾いだ。
その月密を、幻舞が受け止める。
身体を温めようと、胸の中に抱えこむ。
「幻舞よ。ぬしとは、一心同体じゃ……」
月密の瞼が、すうっと閉じた。
その顔からは、血の気が失せていた。
「おい、月密! しっかりしろ! おい!」
返答はない。
月密はぐったりとしていた。
幻舞は、月密を抱えこんだまま、ひょうへと顔を向けた。
「こらァ! 早くここから出せ! 月密にもしものことがあってみろ。てめえら、ブチ殺すだけじゃすまねえぞ!」
睨みつけた。
「あ、あの、術はすでに解いてあるんだけど……」
ひょうは、ビクつきながら言った。
「なに!」
幻舞は周囲に眼をやった。
ひょうの言葉どおり、氷の壁はもうすでになかった。
「おい、もう氷の壁はない。しっかりするんだ。月密!」
月密に声をかける。
月密は、まだぐったりとしたままだ。
「月密!」
幻舞がなおも声をかける。
と、
「大丈夫じゃ。ぬしが身体を温めてくれたからの……」
か細い声が聴こえた。
月密が、瞼を薄く開く。
「おう、月密。意識を取りもどしたか」
その顔には、血の気がもどりつつあった。
それでもまだ、月密の身体は震えていた。
「よかった。まったく、心配かけやがって。こんな幼い娘に憑依するから、こんなことになるんだぞ」
玄舞は、月密の小さな身体を抱き締め、その背をさすった。
「しかたなかろうよ。この娘が、霊晶石に選ばれた者なのじゃからの……」
月密は唇の端で、小さく微笑んだ。
幻舞も、それに微笑みで返し、
「だが、あいつは許せねえぞ」
ひょうを睨みつけた。
「よせ、幻舞」
月密が止める。
「なぜだ。なぜ、止める。あいつは、あんたをこんな目に遭わせたんだぞ」
「あやつは、防衛のためと言うていたではないか。もしあやつが本気ならば、ぬしとともに凍りついていたであろうよ」
「――――」
幻舞は黙って眉根を寄せた。
「もう、よいのだ。それより、わらわを立たせてくれぬか」
「まだ、だめだ。体力が消耗する」
「心配いらぬ。この身体、幼いが、それだけに回復力が早い」
「そう言うなら、わかったよ」
幻舞は、月密の身体を労わるように立たせた。
「ひょうよ」
月密がひょうを呼んだ。
「は、はい……」
おずおずと、ひょうは返事をした。
「ぬしのお陰で、眼が醒めたわ」
「?――」
「この戦いは、無益なだけよ」
「僕も、そう思います……」
「うむ。我らは、羅紀の圧倒的な力によって、この世界を変えようなどと本気で思っておったわけじゃが――」
月密は、もろは丸と闘いをつづける羅紀に眼を馳せた。
「羅紀はあのとおり、青竜との闘いに没頭しておる。あやつにとって、世界のことなどどうでもよいことのようじゃ」
「――――」
ひょうは黙って、月密と同じように、羅紀ともろは丸との闘いに眼を向けた。
わずかな沈黙のあと、
「この無益な戦い、止めねばならぬな」
月密が言った。
「止めねばならぬって、だれがですか?」
「わらわとぬしに決まっておろうが」
「え、えーッ!」
とたんに、ひょうは眼を丸くした。
「なにを驚いておる。ぬしは、ただ黙って、ここで見ているつもりでおったのかえ」
「いや、その、止めると言っても、あのふたりをどうやって止めてばいいんですか」
ひょうは、羅紀ともろは丸に眼を向けながら言った。
「あのふたりは、闘わせておけばよい。止めなければならぬは、継ぐべき者たちよ。とは申せ、止めるには、冬と秋の継ぐべき者を説き伏せればすむことじゃ」
「なんだ。そうだったんですか」
ひょうは、ほっと息をついた。
「あのふたりを止めようとて、わらわとぬしで止められるものか」
「そうですよね。あんな巨獣と化したふたりを止めるなんて、命が幾つあっても足りませんよ」
「無駄口はよい。ゆくぞえ」
「は、はい。あ、でも、冬と秋に継ぐべき者を説き伏せると言っても、僕は知らない人たちだし、それに、その……」
「あー、わかった。説き伏せるのはこのわらわに任せよ。ぬしは、わらわについてくるだけでよい」
「わかりました。はい」
ふたりは、継ぐべき者の闘いを止めるために動いた。
つるぎと紫門――
つるぎと紫門は、間合いの外にいた。
互いの剣と太刀を正眼に構え、対峙している。
「紫門くん」
つるぎが、ふいに紫門を呼んだ。
「なんだ」
「ほんとに、やめる気はないの?」
「まだ、そんなことを言っているのか。くどいぞ」
「そう。じゃあ、しかたないね」
言うと、つるぎの身体から霊波が立ち昇った。
その眼に、赤い光が帯びる。
「なに! なんだ、その霊波は……」
紫門は、つるぎの発する霊波の凄さに驚愕した。
その瞬間、
「ごめんね。紫門くん」
紫門は、つるぎのその声を耳元で聴いた。
なぜ――
そんな疑問が脳裡をよぎった。
それは、間合いの外にいるはずのつるぎの声がなぜに耳元で聴こえるのか、という疑問であった。
「!――」
それから、コンマ数秒遅れて、紫門はつるぎの頭部が自分の顔のすぐ横にあることに気づいた。
その刹那、紫門は腹に鈍い痛みを覚えた。
「ぐ、う……」
身体の力がふいに抜け、紫門は膝から崩れ落ちた。
いったい何が起きたのか。
それを考えるいとまもなく、紫門は地に倒れ伏していた。
紫門との間合いの外にいたつるぎは、一瞬にして紫門と身体が触れるほどまでに接近し、剣の柄頭で紫門の鳩尾を 突いたのだった。
瞬動――狗音と同じ瞬間移動を、つるぎは使ったのだ。
「ごめんね。紫門くん」
同じ台詞をもう一度口にすると、つるぎは、闘いをつづけている2体の巨獣へと向けた。
つるぎ、もろは丸と羅紀のもとへ――
「なんだよ、もろは丸。圧されているじゃないか」
つるぎが言うように、もろは丸は劣勢であった。
それまで、圧しつ圧されつの攻防がつづいていたが、いまはほとんど一方的にもろは丸が圧されている状態になっていた。
「加勢するのは反則かもしれないけど――」
つるぎは、ぽつりと言った。
すると、つるぎの姿が、その場からすっと消えていた。
もろは丸の内と羅紀――
「グクク、どうしたァ、青竜ゥ!」
裂けた口をつり上げて、羅紀が嗤(わら)った。
その羅紀の前には、地に膝をつき、頸をうなだれたもろは丸の姿があった。
もろは丸は、全身のあらゆるところに傷を負い、そこから血が流れ出していた。
どの傷も、深い傷である。
「膝をつき、そうやって首をうなだれたきさまの姿を見ていると、我に許しを乞うているようではないか。なァ、仙翁。そう思わぬか」
もろは丸の後方に立つ仙翁に、羅紀は眼をやった。
仙翁はもろは丸から5メートルほど後方に立ち、口惜しげに羅紀を見据えている。
「なにも言わぬか。まあ、よい。そこでそうして、この青竜の最期を見届けるがよいわ!」
勝ち誇ったように、羅紀は笑みを浮かべると、一度胸の前で両の手のひらを合わせ、そして20センチほど離した。
すると、その両の手のひらのあいだにできたわずかな空間に、黒い球体が発現した。
「取って置きの黒魔莉を、お見舞いしてくれようぞ!」
黒い球体――黒魔莉(くろまり)が収縮をくり返しながらみるみる両手の中で大きくなっていった。
「青竜よ。塵と化してしまえ!」
1メートルほどに大きくなった黒魔莉を、羅紀が放とうとする。
そのときだった。
「塵になるのは君のほうさ」
その声が聴こえ、と思うと、羅紀が後方へと吹き飛んでいた。
放とうとした黒魔莉によって、自らが吹き飛ばされていたのだった。
次の瞬間、凄まじい爆発とともに爆音がこだました。
もろは丸がうなだれた頸を上げると、目の前につるぎの背があった。
「つるぎ……」
もろは丸のその声に、つるぎがふり返った。
「!――」
身体中に傷を負ったもろは丸の姿に、つるぎは眉をひそめた。
「傷だらけじゃないか」
つるぎは気づかうように、もろは丸の腕に触れた。
「触るな……」
その腕を、もろは丸はふり払った。
つるぎを睨みつける。
「なぜ、勝手な真似をした……」
「それは……」
つるぎは言葉に窮(きゅう)した。
「手助けをしてくれと、おれは頼んだか……」
「頼んでないよ。だけどさ……」
「だけどもくそもない。これは、おれと羅紀の闘いだ。邪魔をするな」
もろは丸は、ゆらりと立ち上がった。
「邪魔? なんだよ、それ」
「いいから、そこをどけ!」
もろは丸は乱暴に言い放った。
つるぎが、そのもろは丸を睨み返す。
「どかないよ」
「なに!」
「逆の立場になっていたら、君だって同じことをしたはずさ」
「おれがか? フン。買い被りすぎだ。おまえが双頭狼の妖物と闘っているとき、おれはおまえを助けなかった」
「それは違うよ。あのとき、ボクがほんとうに危なかったら、きっと君は助けたさ」
「なぜ、そう言い切れる」
「ボクたちは、友だちだからだよ」
「!――」
つるぎのその言葉に、もろは丸の眼が揺れた。
「君は、自分の命をかえりみずに、ボクを助けたはずだよ」
「なぜ、そう決めつける。それにな、おれを友と言うなら、その友の想いを察するものではないのか。それをおまえは、このおれの自尊心を傷つける真似をしたのだぞ。それのどこが友だと言うんだ」
「だったら、君がやられているのを、ただ見てればいいって言うのかい? あんなふうにさ」
つるぎの視線は、仙翁に向けられていた。
仙翁は、何も言わずに黙ってつるぎを見返している。
「そうだ。おまえと違ってな、仙翁はおれの意思を尊重しているのだ」
「――――」
つるぎはそこで眼を伏せ、わずかに沈黙すると、
「なんだよ。自尊心だの、意思を尊重しているだのって……」
言った。
「そんなのおかしいよ」
眼を上げると、つるぎはもろは丸を見、そして仙翁を見た。
その眼に、赤い光が宿っている。
「目の前で友だちが傷ついていくのをただ見ているだけだなんて、そんなことボクにはできないよ。ボクにはボクの、友だちを想うやり方がある。それが気に入らないって言うなら、ボクを殴ればいいさ。ただし、それは羅紀を斃してからだ」
言い放つと、つるぎは背を向けた。
「つるぎ!」
もろは丸のその声に応えず、つるぎは前方を見つめている。
爆発によって上がった土煙は、風に流され、つるぎの向ける視線の先には、羅紀の姿があった。
あれだけの爆発があったというのに、羅紀はかすり傷ひとつ負っていなかった。
つるぎは、そのことを気に止めているふうもなく、
「待たせたね。羅紀」
言った。
「聴こえていたぞ、来訪者よ。この我を斃(たお)すなどと、大口を叩いていたなァ」
羅紀は、もとの姿にもどっていた。
しかし、その口調はもどっていない。
「だって、しかたないよ。君を斃さなきゃ、この無益な戦いは終わらないんだからさ」
「世界を変える戦を、無益と申すか」
「世界を変えようというのは、悪くないよ。だけど、やりかたがよくない」
「ほう。そのやりかたとは、人間を殺すことを言っているのか」
「そうだよ。どんな悪いやつだって、殺しちゃいけない」
「これは面白いことを言う。ならば、闇の者、妖物はどうなのだ。妖物を殺すのはいいのか」
「妖物は人を容赦なく殺し、喰らうじゃないか」
「人間とて、獣を、鳥を、魚を、喰ろうているであろうが」
「それは、人が生きていくためには、しかたのないことだよ……」
「しかたない? おかしなことを言うな。人間が他の生き物を喰らうのはよくて、妖物が人間を喰らうのはいかんと申すか。ずいぶん、身勝手な言い草だな」
「――――」
つるぎは、口をつぐんだ。
「それは、人間の傲慢(ごうまん)と言うものだ。人間も妖物も、他の生き物を喰らわねば生きていけぬのだ。おなじではないか。それとも、なにか? 人間だけは特別な存在だとでも思っているのか。思い上がるなよ」
「特別だとは思わないよ。だけど、人間と妖物はおなじじゃない」
「どこが違うと言うのだ」
「人間は、無益な殺生はしない。でも妖物は、見境なく人間を襲う。そして、人間を残虐に殺し、それを楽しんでいる。それのどこが、同じだって言うんだ」
「無益な殺生はしない、か。クク、それはどうであろうかな。我は闇の冥王、闇を司る者。我に2度、封印されたが、闇は2000年ものあいだ人間と戦いつづけてきた。そして、我は知った。人間の中にも、闇があるということをな。人間の持つ闇と比べれば、妖物など可愛いものだ。いまや人間は、おのれの裡に潜んでおった闇に支配されている。いまの世界は、その人間どもが牛耳っているのだ。皮肉なものだな。その人間を、継ぐべき者は護ってきたのだからな。来訪者よ。きさまは、その手助けをしているだけなのだ」
「――――」
つるぎは、羅紀を見つめながら押し黙っていた。
「どうだ、来訪者よ。我とともに、この腐臭にまみれた世界を壊し、新しい世界を築かぬか」
つるぎは一度眼を伏せ、すぐにその眼を上げると、
「やだよ」
そう言った。
「なに? なぜだ」
羅紀は眉根をよせた。
「君がなんと言おうと、ボクは君を信じない。それに、人間が犯した罪は、人間が正さなければならないよ。仙翁が言っていたように、人の世は人の力で変えなければならないんだ。だから、きみの仲間になんか、絶対にならない!」
つるぎは言い放った。
「生意気な」
羅紀は右腕でマントが翻した。その右腕を真横に上げた。
黒い霊気が、右手に凝っていく。
その霊気は、凝りながら長く伸びていき、さらに凝って、何かを形成しているようだった。
それは、黒い闇の色をした妖刀であった。
羅紀は霊気によって、新たにその妖刀を形成し、具現化させたのだ。
その妖刀を握り、
「身のほどを知らぬ、小僧めが!」
羅紀は地を蹴(け)っていた。
「身のほどを知るほど、ボクはまだおとなじゃないよ」
つるぎもすでに、剣を手に地を蹴っていた。
ぎぃいん!
黒い霊波をまとった妖刀と、青い霊波をまとった剣がぶつかり合った。
烈(はげ)しく圧(お)し合う。
その圧力に、大気がびりびりと震える。
「ほう。我の力に耐えるか」
羅紀がさらに圧力を加える。
「耐える?」
その圧力を、つるぎは物ともせず、
「いまのボクには、この程度の力、耐えるまでもないよ」
唇に不敵な笑みを浮かべると、腕へと流した霊気を、爆発させるようにして圧し返した。
それだけで、羅紀は後方へと吹き飛んでいた。
だが、吹き飛んでいく羅紀の身体が、まるで急ブレーキを掛けたかのように止まった。
「クク、やるではないか」
羅紀の唇の両端が、くっとつり上がる。
と思うと、羅紀の身体が中空へと浮き上がっていった。
それに合わせるように、つるぎの身体も地を離れて浮上していく。
ふたりは、中空に同じ高さで対峙した。
「だが、きさまの環力、本物なのか?」
羅紀が問う。
「さあ、ボクにもわからないよ」
つるぎが答える。
「そうか。ならば、試してやろう」
羅紀の眼が、かっと見開いた。
すると、
バシッ!
「ぐッ!……」
つるぎの左頬に、何かが当たった。
宙を、何かが飛んできたのだ。
左頬が、殴られたように赤くなっている。
バシンッ!
「ぐはッ!」
今度は、つるぎの右頬だった。
右頬も、左頬と同様に赤くなり、唇から血が流れ出した。
「なんだ……」
何かが飛んできたというのはわかる。
そしてそれが、羅紀が放った技であるということもわかる。
だが、その飛んできたものが何であるのか、それがわからない。
眼に見えない何か――
つるぎは、眉根を寄せた。
「フン。なにが起きたのかわからぬといった顔だな。いまのは空功弾(くうこうだん)と言うものよ」
「――――」
羅紀を見つめ、つるぎは唇の血を拭った。
「大気を凝固させ、きさまに放ったのだ。大気だけに眼には見えぬ。ゆえに、どこから飛んでくるかもわからぬ」
羅紀が、また空功弾を放った。
空功弾は、つるぎの腹を抉るように命中した。
つるぎの身体が、くの字に折れた。
「がはッ!」
つるぎは、胃液の混じった血を吐いた。
「どうだ。凝固した大気とはいえ、鉄の塊を食らったようであろう」
羅紀の唇が、さらにつり上がる。
またも、空功弾を放つ。
顔、肩、背、胸、腹、太腿。
前後左右のあらゆる角度から、空功弾がつるぎを襲う。
どうやら羅紀は、複数の空功弾を放っているらしかった。
その眼に見えぬ空功弾を避けることもできずに浴びつづけ、つるぎは全身に傷を負ていった。
学生服のそこかしこが破れ、ぼろきれのようになっていった。
「どうした、来訪者よ」
羅紀のその言葉とともに、空功弾(くうこうだん)の攻撃が止まった。
つるぎは首をうなだれ、中空に浮いている。
「環力(わりょく)も、使う間もなければ、宝の持ち腐れと言うものよ」
ク、
ク、
ク、
羅紀は、右の手のひらを胸の前で上に向けた。
そこに、黒い球体、黒魔莉(くろまり)が発現した。
黒魔莉は、手のひらを被うほどの大きさになると、すうっと手のひらから離れて、上空へ上がっていった。
ある程度まで上がると、今度は前方へと進んでいき、うなだれたつるぎの頭上高くに止まった。
その黒魔莉に、羅紀は一差し指を向けると、指先をくいっと下へさげた。
すると、黒魔莉は真下のつるぎに向かって直角に落ちていった。
「ぐわッ!」
黒魔莉をまともに食らったつるぎは、地上へと落下した。
「つるぎ!」
「つるぎ!」
仙翁ともろは丸が同時に声をあげ、つるぎに駆け寄ろうとした。
と、
「待て!」
羅紀の声が降り落ちてきた。
その声に、ふたりの足が止まった。
自分の意思で止めたのではない。
とつぜん、身体が動かなくなったのだ。
「くッ、儂としたことが……」
仙翁は印を結ぼうとしたが、指先さえも動かすことができなかった。
動くのは、口と眼だけだ。
「ぐく……、羅紀の術にハマったか……」
もろは丸も同様だった。
「そのようだの……」
仙翁は、中空に浮かぶ羅紀へと眼を向けた。
「邪魔はさせぬぞ」
羅紀が、ゆっくりと降りてきた。
「おまえの相手は、このおれだろうが」
もろは丸が言う。
「きさまとは、この来訪者を始末したあとだ」
「そいつはもう、闘える状態にない。そんなやつを相手にするより、このおれと闘え」
もろは丸が言えば、
「いや、羅紀よ。闘うのはこの儂とよ。儂はまだ、おぬしとやり合うておらぬでな」
仙翁がそう言った。
「ククク。よほど、この来訪者を助けたいようだな。ならば、なおさらのこと、こやつを先に始末してくれようぞ。きさまらとは、それからよ。それまで、そこでおとなしくしてろ」
羅紀は、狂気染みた笑みを浮かべると、倒れたまま動かないつるぎへと近づいていった。
「もう、虫の息ではないか」
つるぎの傍(かたわ)らに立ち、見下ろす。
狂気じみた笑みとは一変し、それは凍りつくような眼だった。
「つまらぬ」
羅紀は、つるぎの頭を踏みつけた。
つるぎは動かない。
「つるぎ! 立たぬか!」
仙翁が叫ぶ。
「ほら、どうした、来訪者よ。仲間が、悲痛の叫びをあげておるぞ」
羅紀は、足を上げると、またもつるぎを踏みつけた。
それでも、つるぎは動かない。
「この、あほんだらァ!」
そう叫んだのは、もろは丸だった。
「いつまでそこで寝とるつもりやッ! ええかげん、眼ェ醒まさんかい、こらァ! 羅紀を斃(たお)す言うたんは、口先だけやったんか! 情けないのう。おまえは、ただの情けない小僧やッ!」
関西弁で罵倒した。
「なにを言うか、もろは丸。そんな言いかたはなかろうよ」
思わず、仙翁が言った。
「いや、いまのあいつには、これくらいがいちばんなんや。それを証拠に、見てみィ」
もろは丸の言葉に、仙翁はつるぎへと眼を凝らした。
「む!」
眼を瞠った。
つるぎの指先が、ぴくりと動いたのだ。
「おう! 動いたぞ!」
「やっぱりや。つるぎは、情けないと言われると過剰に反応するんや」
「なるほどの。そうか。では、もっと罵倒しようぞ」
そう言うと仙翁は、思いつくかぎりの罵詈雑言を吐いた。
「あのな、仙翁。いくらなんでも、そこまで言うことはないだろうが」
もろは丸はため息をついた。
口調がもとにもどっている。
「なに? 罵倒すればよいのではないのか」
「違う。反応するのは、情けないという言葉だ」
「ぐぬ、そうであったのか……」
仙翁は、ふだん言ったこともない罵詈雑言を口にしたことを後悔した。
そこへ、
「なにを、ごちゃごちゃと言っている」
羅紀が言った。
「たかが指先が動いたくらいではないか。だが、面白い。もう少し反応させてみるか」
羅紀は、つるぎを見下ろし、
「来訪者よ。きさまは、そんな情けない醜態をみせるために、この世界にやって来たのか? 環力を得ながら、その力を存分に発揮することもできずに、死にゆくとは皮肉なものよ。情けないという言葉は、きさまのような者のためにあるのだなァ。ククク」
罵倒した。
するとまた、つるぎの指先が、ピクピクと動いた。
「ほう。どうやら、ほんとうらしいな。しかし、反応したといって、たったそれだけのことか? フン、つまらぬ。時間潰しにもならぬな。虫けらのごとく情けないやつよ」
羅紀は、つるぎの頭を踏みつけにしたまま、両の手のひらを一度胸の前で重ねた。
その手のひらを20センチほど離した。
手のひらのあいだの空間に、黒魔莉が発現した。
それは、もろは丸に放とうとしたものと同質の黒魔莉だった。
「さっきは、きさまに邪魔をされ、放つことができなかった黒魔莉だ。粉微塵になるがいい」
黒魔莉が、徐々にその大きさを増していく。
と、30センチほどの大きさになった黒魔莉の膨張が、ふいに止まった。
羅紀が自ら止めたのである。
その羅紀が、訝しげにつるぎを見下ろした。
「きさま、なにか言ったか」
つるぎの顔を、覗きこむ。
「この……、ろ」
確かに、つるぎは何か言った。
しかし、声が小さすぎて、その内容までは聴き取れない。
「そんな、蚊の鳴くような声では、なにも聴こえぬぞ」
羅紀が訊き返す。
「この足を……、どけろと言ったんだ……」
つるぎは、ようやく聴き取れるほどの声で言った。
おもむろに手が動く。
「な――」
羅紀の足首を、むんずと摑んだ。
「この死にぞこないめが、放さぬか!」
羅紀は、つるぎの手を蹴るようにして強引にふり払った。
つるぎは両手を地につき、上体を起こすと、ゆらりと立ち上がった。
オアァァァァア!
咆哮のような声をあげた。
上目使いに羅紀を見る。眼がつり上がっている。
その眼は、燃えるような赤い光を帯び、髪が逆立ち、揺れていた。
つるぎの身体の表面に、霊波が立ち昇り、それが次の瞬間には、爆発を起こしたかのように一気に放出した。
「!――」
羅紀は眉根をよせた。
つるぎの身体から放出したのは霊波ではなく。
霊気そのものだった。
凄まじいまでの圧力を有した霊気のエネルギー量は膨大であった。
それを眼にした羅紀に、臆するところはない。
それどころか、
「ククク。環力を解放したか。来訪者よ」
その顔には、またも狂気の笑みが浮かんだ。
「おれを……」
つるぎが、口を開いた。
口調が変わり、声色が太くなっている。
「情けないって言ったな」
赤い眼が、羅紀を睨んでいた。
「それがどうした。来訪――」
来訪者よ、そう言おうとし、だが、羅紀はそれを最後まで言うことができなかった。
「ごふッ……」
唇から血が流れた。
「きさま……」
羅紀の胸元に頭を押しつけるような形で、つるぎの姿があった。
その背から、剣が突き出でいる。
羅紀の腹を、つるぎが剣で貫いたのだ。
「おまえも、これで終わりだ」
つるぎは、羅紀を貫いた剣を、さらに深く突き刺した。
そのぶん、羅紀の背からは、剣が突き出ていく。
「ぐはッ!」
羅紀が血を吐いた。
その血が、つるぎの肩や背に飛び散る。
だが、
「これで終わりだと?」
血の付着した、羅紀の唇がつり上がった。
そう思うと、羅紀の身体が、身に着けている衣服ごと崩れた。
いや、崩れたというのは正確ではない。
羅紀の身体は、とつぜんのごとく黒い粒子となって散ったのである。
黒い粒子は流されるように、つるぎの前方5メートルのところで留まると、凝り固まっていき、羅紀の姿へと形成していった。
その変化は、仙翁と闘っていたときの無面と同じであった。
ひとつ違うのは、無面の場合は光の粒子であったが、羅紀の場合は暗黒の闇の粒子であるということだった。
羅紀の身体が、もとにもどっていく。
そのとき、ふいにつるぎが眼前に現れ、もとにもどった羅紀を頭から股下まで絶ち割った。
しかし、ふたつに立ち割られた羅紀は、またも黒い霧となって中空へと昇っていった。
「無駄だ。我を、剣で斬ることはできぬ」
羅紀の身体が、またしても、もとにもどっていく。
その羅紀の眼前に、これまたつるぎの姿が現れ、今度は真横から剣を一閃させた。
羅紀の身体が上下に寸断された。だがやはり、羅紀の身体は黒い霧となり、すぐにもとへともどっていく。
中空、そして地上で、同じことが数度くり返された。
「どうやら、きさまは馬鹿らしいな。我の身体は、剣では斬れぬと言っておろうが」
羅紀の身体は、もとにもどっていた。
つるぎは肩で息をついていた。
その肩がぐらりと揺れる。
つるぎは、くずおれるように膝をついた。
「クク。霊力の消耗が烈(はげ)しいようだな。たとえ環力を得ようとも、その脆弱な身体では無理もあるまい。きさまごときが、環力を得たことが間違いよ」
「――――」
つるぎは、荒い息を吐きながら、羅紀を見据えている。
「もう、さすがに飽いたぞ。お遊びはここまでだ」
羅紀は、右手をつるぎに向けて突きだすと、空を鷲づかみにした。
と、
「ぐくッ……」
つるぎが、首に手をやり苦しがった。
「その首、へし折ってくれる」
羅紀が、ゆっくりと腕を上へ上げていく。
すると、つるぎの身体が、それに合わせるように宙へと浮き上がった。
「ぐ……、あの黒魔莉を……、使わないところをみると、おまえも霊力を消耗しているようだな……」
苦しげに、つるぎが言った。
「なにを言うか。きさまなど、首をへし折るくらいが妥当だと思っただけのことだ。それに、きさまは疲弊(ひへい)しきっている。それだけ消耗していれば、我の手を粉砕した技も使えまいからな」
「――――」
つるぎは、口許でふっと笑った。
「なにを笑う。我を愚弄(ぐろう)するか」
羅紀は、指を内側へと狭めた。
「ぐ、う……。ま、待て……」
「なんだ。この期に及んで命乞いか?」
羅紀は、狭めた指をわずかにもどした。
「違う。そうじゃない……」
「では、なんだ」
「おまえは……、この世界を、ほんとうに変えようと思っているのか……」
「フン。そんなことか。これから死にゆくきさまが、それを知ってどうすると言うのだ。冥土(めいど)の土産にでもするつもりか?」
「――――」
つるぎは、それに答えない。
「まあ、いい。異界から迷いこみ、哀れに死なねばならぬきさまには教えてやろうではないか。我には、この世界がどうなろうがどうでもいいことよ。この胸に傷をつけた青竜を八つ裂きにすること、我にはただそれだけだったのだ。だが、その青竜もいまはあのざまだ。あれでは、我の心は満たされぬ。仙翁というあの者でさえ、いまでは2000年前の力はない。見ろ、我の掛けた呪縛を解くこともできぬ。そのうえ、環力を得たきさまでさえ、この我の 心を満たすにはほど遠い」
羅紀は、空を摑んでいた右手をふいに下した。
それによってつるぎは、首の呪縛が解け、地に膝をついた。
「他の継ぐべき者とて、きさまがその体たらくでは結果は見えている」
そう言った羅紀の右手に、闇の霊気が凝っていく。
そこに妖刀が発現した。
妖刀の切っ先を正面に向けた。
すると、刀身を包む大気が異様なゆがみを見せ、先端のわずかに先の空間へと集まっていった。
「となれば、あとはきさまらを、この地界宮もろとも消滅させるだけよ」
羅紀の顔に、狂気にゆがんだ笑みが浮かんだ。
妖刀の先に集まっていく大気が、しだいに螺旋を描き始める。
と、そのとき――
「やはり、そんなことであったか、羅紀よ」
羅紀の背後から、少女の声が聴こえた。
「クク、月密か」
羅紀は、ふり向かずに言った。
「初めから、ぬしを信用などしていなかったが、そうも露骨に胸の内を曝け出すとはの」
少女の姿の月密が言った。
「だからなんだと言うのだ。いまさらなにを言おうと、きさまらはこの世界とともに藻屑と消えるのだ。この闇荼羅によってな」
螺旋――闇荼羅(やみだら)は、直径1メートルほどの虚空の穴となり、大気が吸いこまれていた。
「それはどうかな」
その声は、紫門だった。
「そんなことを、させるわけねえだろう」
その声はコウザ。
「消えるのは、おまえのほうさ」
その声は白薙。
「まったくだよ」
その声は楓香。
そして、その隣には狗音がいた。
冬、秋の継ぐべき者たちが、月密のところに集まっていた。
一方、春、夏の継ぐべき者たちも、つるぎのもとへと駆けつけていた。
「つるぎー、大丈夫かー」
膝をつき、うなだれているつるぎを、力道が抱き上げた。
「おいー、しっかりしろー」
「力道、くん……」
つるぎが薄く眼を開けた。
「あー、オレだー」
「無事だったんだね……」
「おう。オレだけじゃねえぞ。みんなも無事だー。多少の怪我は負っているがなー」
「よかった……。でも、そうか……、ということは、冬と秋の継ぐべき者たちを、斃したってことなんだよね……」
つるぎは、ふと眼を伏せた。その顔に翳りが生じた。
そのつるぎの想いを、力道は察してか、
「そんな顔するなー、つるぎー。冬と夏の継ぐべき者たちも、無事だぞー」
言った。
「ほんと?……」
「ああ。秋の継ぐべき者の月密とひょうがなー、闘うオレたちを止めに入ったんだー。そしてなー、月密がなにか言ってたんだよ。んー、なんて言ってたんだっけなー」
力道が、首を傾げて考えこんだ。
すると、
「『我らは、羅紀にまんまと踊らされたのじゃ』だとか、『この戦いは無益でしかないぞえ』とか言って、仲間の狗音を説き伏せていたよ」
代わりに言ったのは、ソウマだった。
「そうなんだ、よかった……。ひょうくん。みんなを止めてくれたんだね……」
つるぎは、ひょうに眼を向けた。
「え、僕は、その、あの……」
ひょうは、とつぜん言葉を向けられて、しどろもどろになった。
「こいつは、ただ月密にひっついていただけだよ」
ソウマが言う。
「なにもしなくたって、みんなを止めようと行動したことは事実だよ……。そのお陰で、みんな死なずにすんだ……。ほんとに、よかった……」
つるぎはそこで、眼を閉じた。
「おい、つるぎー!」
力道がつるぎを覗きこむ。
「つるぎ!」
「つるぎさん!」
「つるぎさま!」
「つるぎ……」
他の4人も、つるぎの顔を覗きこんでいた。
わずかに沈黙が流れる。
「おい、なんだよ」
ソウマが、沈黙を破った。
「眠っちまっただけじゃねえか」
その声には、ほっとした響きがあった。
「つるぎは霊力の消耗が激しい。このまま眠らせておこう。力道、つるぎを頼む」
改まった声で、ソウマが言った。
「あー、任せろー」
力道が答える。
「よし。じゃあ、やるか!」
ソウマは、自分の頬を両手で叩き、気合を入れた。
そうして、羅紀へと眼を向けた。
凛、翡翠、ひょうも、同じように羅紀へと眼を向ける。
春、夏、秋、冬の継ぐべき者が、それぞれに動き、羅紀を囲った。
「いまさら、なにをしようとも無駄よ。闇荼羅は、すでに完成しているのだからなァ」
羅紀は、闇荼羅から妖刀を外した。
闇荼羅は消えることなく、螺旋を描いている。
その大きさは直径3メートルほどになっていた。
ぽっかりと空いた虚空が覗いている。
それは暗黒の闇であった。
「なんだー、あれはー。見るからにやばそうだぞー」
それを眼にした力道は、後方へじりじりと退いた。
「一度完成した闇荼羅(やみだら)は、すべてのものを吸いこみながら大きくなっていく。この地界宮を呑み尽くすのも、時間の問題というわけだ」
羅紀は、そこで声高らかに嗤った。
「だから、そうはさせねえって言ってるだろうが!」
コウザの声が響く。コウザは、両手で握った十文字槍を頭上に上げた。
と、十文字の刃が、炎に包まれた。
回転する槍の速度が増していく。
それによって、炎が円を描く。
コウザは、槍の柄を両手に握り直すと、
「華炎無常(かえんむじょう)!」
その槍で空を切るように薙いだ。
すると、燃えていた槍の炎だけが、鋭い回転力を維持したまま羅紀の背へと飛んでいった。
羅紀はふり向こうともしない。
「もらった!」
回転する炎が羅紀にあたった。
羅紀が燃え上がる。
「コウザよ。きさまには、復習能力というものがないなしいな。我が冬ノ洲の五大老のひとりである邪黄と闘っていたとき、きさまはなにを見ていたのだ。我に、この程度の炎が効かぬということがわからぬとはな」
羅紀を包みこんでいた炎が消えていく。
「だったら、今度はあたしだよ」
白薙が大鎌を構えた。
「無駄だ」
羅紀がそう言ったとたん、白薙は後方へと吹き飛んでいた。
「白薙!」
コウザが叫ぶ。
「あたいは、大丈夫さ……」
白薙が、ゆらりと立ち上がる。
「てめえ、このやろう!」
コウザが憤怒の形相で、羅紀に向かっていこうとする。
「やめんか!」
それを止めたのは、月密だった。
「羅紀の言うとおり、我ら継ぐべき者が技や術を繰り出したとて、あやつにはきかぬ」
「なら、どうすりゃいいんだよ」
月密を睨むようにして、コウザが訊いた。
「封印の呪、十二柱仙法陣封印じゃ」
「な――。それって、12人の継ぐべき者を柱とする封印じゃねえかよ」
「じゃが、あやつを斃すには、それ以外の方法はない」
「だけどよ、それは……」
コウザは眉根をよせた。
「そうじゃ。12人の継ぐべき者が地中に入り、死ぬそのときまで、呪を唱えつづけなければならぬ。それが、この呪式の制約じゃからな」
「――――」
コウザは、眼を伏せて押し黙った。
「考えている暇なんてないぞ、コウザ。こうしているあいだにも、あの闇荼羅というものは大きくなっているんだ」
言ったのは紫門だった。
「それは、わかってるけどよ。ほんとに、あいつを斃す方法はないのかよ。継ぐべき者と式鬼が総がかりでやれば、どうにかなるんじゃねえのか?」
コウザが返す。
それに対し、
「それができていれば、1000年前も、十二柱仙法陣封印を掛けずにすんでおったわ」
月密が答えた。
「ぐむ……」
コウザはまた、押し黙った。
「じゃが、ひとつ問題がある」
「問題とは、なんだ」
紫門が問う。
「異界から来た、あの者じゃよ。あの状態で、果たして印を結び、呪を唱えつづけることができるかどうか。いや、それ以前に、あの者は異界の者。この世界のために、命を棄てる覚悟があるかの……」
皆の視線が、力道に抱きかかえられたつるぎに向けられた。
「ならやっぱりよ、継ぐべき者と式鬼が総がかりでいくしかねえよ」
コウザが言う。
「だから、それは無駄なのじゃ」
「1000年前がどうであろうと、そんなことは関係ねえよ。いまはいまじゃねえか。やりもしねえで、無駄だなんて決めつけんな!」
コウザは引き下がらなかった。
すると、
「そうだ。やってやろうじゃねえか!」
そう言う声がした。
コウザの背後に、牛の霊獣、紅蓮(ぐれん)の姿があった。
「コウザ。継ぐべき者であるおまえは、おれ主だ。その主がやると言ったら、式鬼のおれは従うまでだ。皆もそうだろう!」
紅蓮(ぐれん)は、他の式鬼たちに向かってそう言った。
他の式鬼たちは、皆、雄たけびをあげるように咆哮した。
その咆哮に、継ぐべき者たちまでが奮い立った。
と、
「待ってよ……」
今度は、か細い声がした。
「僕なら、大丈夫だ……」
それは、つるぎの声だった。
皆の視線がまた、つるぎへと向けられた。
「力道くん……、降ろしてくれないかな……」
「その身体じゃ、無理だぞ」
「力道くん。頼むよ……」
その真剣な眼差しに、
「あ、ああ。わかったー」
力道はつるぎを降ろした。
地に足をつけたつるぎは、ふらりとよろめいた。
そのつるぎを、力道が支える。
「ほら見ろー。やっぱり、無理だ―。ここは、オレたちに任せて、つるぎは休んでいろー」
「そうはいかないよ……」
つるぎは、支える力道から離れて、地に立った。
その足が、ぶるぶると震えている。
「友だちの世界が崩壊していこうとしているのに、これくらいの傷を負ったくらで休んではいられないよ……」
「だけど、つるぎよー。十二柱仙法陣封印は、おまえ自身を柱にするんだぞ。そうしたらおまえ、自分の世界に帰れなくなるどころか、この世界で死ぬことになるんだぞー」
「わかってるさ……。どっちにしたって、この世界が崩壊したらボクは帰ることができずに死ぬんだ……。だったら、ボクは覚悟を決めるよ。友だちのために、そしてこの世界のために……」
「つるぎー。おまえ、死ぬことが恐くないのか」
「恐いよ。とってもね……。だけど、なにもせずに死ぬより、友だちとともに闘い、それで死ぬとしても、ボクの人生に悔いはないよ……」
「つるぎ……」
力道は、先の言葉を失った。つるぎの背を見つめる。
「よく言ったぜ、おまえ!」
コウザが叫んだ。
「つるぎって言ったよな。おまえのことはよ、環力を得た異界の者だってことくらいしか知らねえけどよ、おまえのその心意気、気に入ったぜ。いまおれは、死ぬことを恐れてた自分が恥ずかしくてたまらねえ。ちくしょう。おれも覚悟を決めたぜ。羅紀を葬(ほおむ)るのに、封印がいちばんだって言うなら、この命くれてやろうじゃねえか!」
コウザは、言い放った。
「うむ。コウザよ、見事な決意じゃ」
月密はそう言うと、つるぎに眼を向けた。
「つるぎとやら、ぬしにはなんと言うたらいいか、言葉が見つからぬ」
「言葉なんていらないよ。これは僕の意思で決めたことなんだから……」
「――――」
月密は黙って、深くうなずいた。
「ふざけるなよ」
羅紀の声が響いた。
「封印だと?」
眼が、赤く光る。
「我を、またしても封印するというのか。そんなことはさせぬぞ!」
右腕を上げ、妖刀を闇荼羅へと向けた。
「ひとりでも欠ければ、封印はできまい」
妖刀に闇の霊波が揺らめいた。
妖刀の切っ先から、闇荼羅に霊気が送られていくのがわかる。
闇荼羅は、見る間にひと回りほど大きくなった。
地が、引き剥がされていくかのように、闇荼羅に吸いこまれていく。
つるぎの身体も、例外ではなかった。
一歩、さらに一歩と、つるぎの身体が闇荼羅に向かって動く。
闇荼羅に吸い寄せられているのだ。
「くッ……」
つるぎは、吸い寄せられまいと耐えるが、闇荼羅の引力には敵わず、なおも引き寄せられていく。
そのつるぎを、背後から太い腕が抱きかかえた。
「ぐうッ!」
力道が、つるぎを身体を後方へ引いた。
しかし、つるぎの身体は、わずかに後方へともどっただけで、すぐにまた、闇荼羅に引き寄せられ始めた。
「力道くん、手を放すんだ! 君までが巻きこまれる!」
「オレたちはー、友だちだー。この手は放さないぞー」
「君の気持はうれしいけど、君を巻き添えにしたくない」
「いいから、黙ってオレに任せとけー」
力道は歯を喰いしばり、顔を真っ赤にして闇荼羅の引力に耐えた。
それでも、じりじりとふたりの身体は、闇荼羅に引かれていく。
と、そのときだった。
闇荼羅に引きこまれようとするふたりの前に、人影が現れた。
「なに!」
驚きの声をあげたのは羅紀だった。
「きさま! 呪縛を解いたか!」
つるぎと力道の前に立ったのは、仙翁だった。
「遅れてすまぬ。ここは儂が時間を稼ぐ。その間に、羅紀を封印するのだ」
言うと仙翁は、右手の中指と人差し指の2本を立てると唇にあて、呪を唱えた。
すると、大きく口を開けていた闇荼羅が、ぐん、と半分ほどに小さくなった。
「ぐぬう。小癪な真似をォ!」
羅紀は、妖刀にさらに霊気をこめる。
それを、仙翁が必死で抑えこむ。
「さあ、早くせよ。いまの儂の力では、あとわずかしか、こやつの霊気を抑えられぬ!」
仙翁の言葉どおり、半分ほどになった闇荼羅が、徐々に大きくなりはじめていた。
「皆の者!」
月密が叫んだ。
「これより羅紀を封印する!」
おう!
羅紀を取り囲んだ12人の継ぐべき者が、一斉に胸前で印を結んだ。
封印の呪、十二柱仙法陣封印(じゅうにちゅうせんぽうじんふういん)!!!
とたんに、羅紀の身体が固まったように動かなくなった。
継ぐべき者たちは、皆、胸前で印を結んだまま呪を唱え始め、それとともに、羅紀の足が地の中へと入りこんでいった。
「うぐぐぐ……、3度までも、この我を封印するだとォ!」
羅紀は抗うが、それに反して、身体は地中へと入っていく。
「ふざけるな、ふざけるな、ふざけるなァ! こんなことが、あってたまるものかァ!」
羅紀の身体は、徐々に、腰、腹、胸、肩、と入りこんでいき、そしてついには、その貌も地中へと消えた。
「よいか。ここからが本番じゃ! 我ら12人の継ぐべき者が柱となりて、この封印を完全なものとする!」
月密が言うと、今度は継ぐべき者たちの身体が地中へと入りこんでいった。
だが――
グ
ク
ク
地の中から、不気味な嗤い声が響いてきた。
そのとたん、地が揺れ始めた。
と思うと、羅紀の埋まった地が盛り上がりだして、弾け飛んだ。
中空に、黒鬼と化した羅紀の姿があった。
「どうやら、失敗のようだな。いや、いまの我には、きさまらの封印など効かぬと言ったほうがいいか! グ、ハッ、ハッ、ハッ、ハッ!」
羅紀は高らかに嗤った。
「まさかよ……」
月密が、羅紀を見上げた。
「十二柱仙法陣封印が破れるとは……」
呆然と、中空に浮く羅紀を見つめていた。
「ボクのせいだ……」
ぽつりと言う、つるぎの声がした。
皆の視線が、つるぎへと向く。
「どういうことじゃ!」
月密が問うた。
「封印の呪。憶えたつもりだったんだけど、すべて憶えきれていなかったんだ……」
つるぎは、眼を伏せた。
「なんじゃと! なんとしたことか。この愚か者めが!」
月密は厳しい眼で、つるぎを睨みつけた。
「月密。そう責めるな。つるぎはよくやったよ。それに、2度も封印を解いた羅紀のことだ。またいつの日か、封印を解くに決まっている」
そう言ったのは、紫門だった。
紫門は、月密からつるぎへと視線を向け、そして羅紀を見上げると、
「あいつは、斃さなければだめなんだ」
言った。
「確かにそうじゃの……。うむ。こうなれば、やれるところまでやるまでじゃ」
月密は得心し、またも羅紀を見上げた。
「だから、初めからこうしてりゃあ、よかったんだよ。紅蓮、行くぜ!」
コウザは言うと、紅蓮とともに羅紀へと向かって飛んだ。
そのあとを、白薙、楓香、狗音、そして霧縄、鳳明、狗神がつづいた。
「おれも行く。柳水!」
「おう」
紫門と柳水も、羅紀へと向かって飛んだ。
「月密!」
幻舞が言った。
「わかっておる」
月密と幻舞もまた、中空へ飛んだ。
一方つるぎは、申し訳ないという思いからか、がっくりと肩を落し、うなだれている。
「気を落さないで、つるぎさん」
凛が、つるぎの肩に手をやった。
「だめだったものを、悔やんでいてもしかたないですよ」
「うん……」
落胆が大きいのか、つるぎは顔を上げない。
「とにかく。いまは羅紀を斃すことに集中すべきです」
凛は中空を見上げると、地を蹴って飛んでいった。
つづいて、ソウマ、翡翠がいく。
「つるぎ。なんのことはいぞー。あいつを斃しちまえばー、それでいいんだからー」
力道がつるぎの肩を、ポンと叩く。その力道も、中空へと飛んでいく。
そのあとを、白夜、雷皇、時読、駿山がつづく。
すると、
「これは、僕も行かないといけないよね。やっぱり……」
中空を見上げながら、ひょうがぼそりと言い、だが、
「なに言ってるのさ。当然だろう。さあ、行くよ」
氷雨に窘められて、ひょうも地を蹴って飛んでいった。
しかし、それでもつるぎは、顔を上げない。
「こらァ。いつまで、おどれは落ちこんどるんじゃい!」
背後で、もろは丸の声がした。
もろは丸は、まだ呪縛に掛かったまま動けずにいる。
「――――」
つるぎはふり向こうともしない。
「おどれは、それでも男か! 他のやつらを見てみい! 必死に戦っとるんやぞ!」
中空では、11人の継ぐべき者と十一支の式鬼が、羅紀と戦っている。
次々に技や術が繰り出していくのだが、それらを羅紀は、雑作もないように撥ね返していく。
継ぐべき者たちの、疲弊(ひへい)している姿が見てとれる。
羅紀へと掛けた封印の呪は、それほど霊力を必要としたのだろう。
それとは逆に、黒い鬼と化した羅紀の貌には余裕の笑みさえ浮かんでいる。
「うるさい蠅どもがッ!」
羅紀は両腕を上げ、手のひらに黒魔莉を発現させると、継ぐべき者たちへと放った。
次々に放たれる黒魔莉を、継ぐべき者たちは避けることもできずにその身に受けて、力なく地上へと落ちていった。
「このままじゃ、全滅やぞ! なんとかせんかい! 友だちとともに闘い、それで死ぬとしても、ボクの人生に悔いはない言うたんは、口先だけやったんかい!」
「――――」
「おう、こらァ。なんとか言わんかい! それとも怖気づいたんかい。情けないやっちゃのう」
そのとき、つるぎがやっと顔を上げた。
「ボクを、情けないって言うな!」
つるぎはうしろをふり返った。
羅紀を睨みつける。
「ボクはいま、考えていたんだよ」
「考えていただと? まさか、逃げる算段をしていたのとちゃうやろな」
「違う! そんなこと考えるもんか。あの羅紀に、とどめをさせるほどのフルスロットルな超々必殺技を考えていたんだ」
「フルスロ?――相変わらず、わけがわからん。まあ、そんなことはどうでもいい。それで、そのフルスロロな超々必殺技は思いついたんか」
「ああ。思いついたよ。それよりも、君こそそんなところで、いつまで休んでいるつもりなのさ」
「なにィ! 休んどるやとッ!」
「青竜もろは丸たる者が、そんな呪縛が解けないわけがないだろうよ」
「ほう。言ってくれるやないか、つるぎよォ!」
もろは丸は、にやりと嗤った。
双眸(そうぼう)が、ぎらりと光る。
「おれを、舐めるなよ!」
全身から、凄まじいばかりの青い霊波が迸った。
ゴォオォォォォウ!
咆哮するとともに、もろは丸は呪縛を吹き飛ばしていた。
「ふう」
もろは丸は、頸を左右に、ごきりごきりと鳴らして、つるぎのもとへと歩いた。
「どうだ。羅紀の呪縛を解くなど、このおれには容易いものだ。それで、おまえの言う超々必殺技とはどんな技だ」
もろは丸の口調は、ふだんのものにもどっていた。
「君の青竜斬月翔と天地消滅破を融合させた技さ。それを羅紀に放つ」
「なんだとォ! おまえ、自分がなにを言ってるのかわかってるのか? 天地消滅破だけでも、この地界宮を消滅させてしまうほど力があるというのに、このおれの青竜斬月翔と融合させるというのか!」
「そうだよ」
「そうだよって、あっさり言うが、おまえ――」
「ボクを信じてよ」
つるぎは、もろは丸が言うのを制した。
「この超々必殺技なら、羅紀を斃せる」
「自信があると言うのか」
「ある!」
つるぎは、自信満々に言い切った。
「ぐむう……」
もろは丸は、どうしたものかと唸った。
そのとき、
「もろは丸よ」
仙翁が呼ぶ声がした。
仙翁はまだ、闇荼羅(やみだら)を抑えこんでいる状態だった。
「つるぎが自信を持って言っておるのだ。ここは、つるぎに託そうではないか。儂は、この闇荼羅をなんとかする。だからおまえも、つるぎに力を貸してやればよい」
そこで、わずかにもろは丸は思案したが、
「よし、わかった。仙翁がそう言うならしかたない。だが、つるぎ。封印の呪もまともにできなかったおまえが、天地消滅破が使えるのか?」
訊いた。
「うるさいな。封印の呪は失敗したけど、この技は失敗しないよ。ボクをだれだと思ってるのさ。剣の霊晶石継承者、神谷つるぎだよ」
つるぎは剣を、胸の前に翳(かざ)した。
そのつるぎの身体から、青い霊気が爆発するように立ち昇った。
その霊気の量は、もろは丸の霊波を凌ぐほどだった。
「おう! ならばよし。おれの青竜斬月翔とおまえの天地消滅破を融合した超々必殺技とやらを、羅紀にお見舞いしてやろうではないか」
もろは丸の言葉に、つるぎがうなずく。
もろは丸は霊身となり、つるぎの持つ霊晶石の剣に入っていった。
剣が青く耀く。
つるぎはふり返り、中空を見上げた。
「みんなッ! 羅紀から離れてッ!」
つるぎの声に、中空に残った継ぐべき者と式鬼たちが何事かと視線を向ける。
「ぐぬう。来訪者め、なにをするつもりだァ」
羅紀までが、つるぎへと眼を向けた。
つるぎは、剣を正眼に構えた。
眼が赤い光を帯びる。
髪が逆立ち、ゆらゆらと揺れる。
ウォオォォォォォオッ!
雄叫びをあげると、つるぎは、すっと瞼を閉じた。
霊気が両腕へと流れ、そして剣へと集まっていく。
剣の耀きが、眩いほどになっていた。
つるぎは腰を落し、剣を脇構えの形に持っていくと、瞼を、かっ、と見開いた。
羅紀を見据えた。
「天地転生斬月破ッ(てんちてんしょうざんげつは)!」
空を斬るようにして、つるぎは剣に集まった霊気を羅紀に向かって放った。
放たれた霊気は、膨大なエネルギーを有した塊であった。
その塊が、青い竜へと変化し、羅紀へと突き進んでいく。
「フン。そんなもの、ただの霊動破にすぎぬであろう。我の妖刀で弾き返してくれるわ!」
羅紀は妖刀を正眼に構えた。
そこへ、青い竜となった天地転生斬月破がぶちあたる。
「ぐうッ!」
その天地転生斬月破を、羅紀は妖刀で受け止めた。
押し返そうとするが、しかし、天地転生斬月破の威力に受け止めるだけでやっとだった。
「ぐぬぬう……」
羅紀の貌に、明らかに焦りの表情が浮かぶ。
徐々に、羅紀が圧されていく。
「ぐ、くくッ……」
かろうじて抑えていた妖刀が、まるで蒸発するかのように消えていった。
羅紀は両手で、天地転生斬月破を抑えようとする。
しかし、その両手までもが蒸発していく。
「くそう! なぜだ! なぜだァ! この我れが、来訪者ごときにィ!……」
天地転生斬月破は、徐々に羅紀を呑みこんでいく。
そのまま青い光となって天空へと突き進んでいった。
その青い光が小さくなっていき、やがて見えなくなったそのとき、遥か天空の先で凄まじい大爆発が起こった。
爆音が、天空に響き渡った。
上空に残った者たちも、地上に落ちた者たちも、天空に広がる大爆発を見ていた。
「やったのか……」
皆の口から、そんな言葉が洩れていた。
天空を見上げるそれぞれの顔には、祈るような表情が浮かんでいる。
大爆発の光は、少しずつ小さくなり、やがて消えた。
ひとりひとりの眼が、自然につるぎへと向けられる。
つるぎは、まだ天空を見上げたままでいる。
沈黙の中、つるぎの顔がゆっくりと下される。
皆の視線を受け、
「やったよ。みんな……」
つるぎはかすかな笑みを浮かべた。
そのとたん、仰向けに倒れこんでいた。
「つるぎ!」
皆が同時に声をあげ、一斉につるぎへと駆け寄っていった。
「おい、つるぎ!」
つるぎを抱き上げたのは、紫門だった。
皆が、つるぎを取り囲む。
つるぎが、薄く眼を開けた。
「紫門くん……」
「つるぎ。よくやったな」
紫門が言う。
「おまえはスゲーやつだぜ」
と、コウザ。
「男だな、おまえ」
と、白薙。
「かっこよかったぞ」
と、楓香。
「――――」
狗音は無言。
「よくやったの、つるぎとやら」
と、月密。
「おまえを、友だちと認めてやるよ」
と、ソウマ。
「おー、つるぎー。やったなー」
と、力道。
「つるぎさま。わたしー、好きになっちゃたみたいですゥ」
と、翡翠。
「つるぎさん。思ったとおり、あなたは救世主でしたね」
と、凛。
「あの、その、す、凄かったよ」
と、ひょう。
皆、それぞれの想いで、つるぎを見つめている。
その背後には式鬼たちが、やはりつるぎを見下ろしていた。
とそこに、
「なんとも、大したやつよ」
「まったくだ」
と、ふたつの声が聴こえてきた。
その声に、皆がふり返る。
そこには、仙翁と人の姿のもろは丸の姿があった。
「仙翁! 闇荼羅はどうなった!」
ソウマが訊いた。
「もう、心配はいらぬ。少し苦労したがのう」
そう言う仙翁の後方へ眼をやれば、さきほどまで宙にぽっかりと穴を開けていた闇荼羅は、跡形もなく消滅していた。
継ぐべき者たちが、自然に囲みを解き、仙翁ともろは丸はつるぎに近づいていった。
「それにしても、まさか、あの天地消滅破と青竜斬月翔を、融合させて放つとはのう」
仙翁は、紫門に抱きかかえられているつるぎの横に膝をついた。
「お陰でおれは、霊力のほとんどを使い果たし、こうして立っているのがやっとだぞ」
もろは丸も、仙翁と同じく膝をつく。
「つるぎよ」
仙翁がつるぎの手を取り、両手で包みこんだ。
「仙翁……」
つるぎは、笑みを浮かべる。
「実にようやった。おぬしには、どれほど感謝しても感謝しきれぬ」
「感謝なんていらないよ……。ボクは、ボクのできることをやっただけさ……」
「うむ。しかし、環力を得たおぬしだからこそ、できたことよ」
「環力か……。ボクには、やっぱりよくわからないや……」
「それでよい」
仙翁は、口髭を上げて微笑んだ。
「ところで、ひとつ訊いてもよいか」
「うん……」
「さきほどのあの技、天地転生斬月破と言ったかの。斬月はもろは丸の技との融合ゆえにつけたのであろうが、なぜに、天地消滅ではなく天地転生だったのだ」
「それは、仙翁の言っていたことを思い出したからなんだ……。天地消滅破は滅と生を司っているってことと、この技は使う者の霊力によってどうにでもなるってことを。だからボクは、天地消滅を天地転生に変えて、もしこの世界が崩壊してももとにもどるようにと思って……」
「なるほどの。滅ではなく、生の力を使ったというわけだな」
仙翁は、ふと考えこんだ。
「どうした、仙翁。なにかあるのか」
もろは丸が訊く。
「うむ。つるぎの放った天地転生斬月破は、天地消滅破と表裏一体の技よ」
「そんなことはわかってるよ。それがどうしたというんだ」
「つまり、つるぎはの、生の力である転生の霊動破を、羅紀に放ったのだ」
「転生の霊動破? というと、まさか、羅紀が甦るってことか!」
もろは丸のその言葉に、皆の顔に険しさが走った。
「いやいや、もろは丸よ。早合点するでない。甦るといっても意味が違う。転生とは輪廻転生のこと。羅紀は生まれ変わってくるということよ」
「生まれ変わるなら、同じことではないか!」
もろは丸は、思わず声を荒げた。
「同じではない。輪廻転生となれば、前世の記憶は失われる。魂は同じでも、もはや羅紀ではないということだ」
「そうなのか」
「うむ」
そのふたりの会話を聴き、
「仙翁。ボクは、また失敗しちゃったのかな……」
つるぎが、心配するように言った。
「いいや。おぬしは、なにも失敗などしておらぬ。むしろ、羅紀を救ったのだ」
「救った?……」
「そうだ。あやつは、これからなんどとなく生まれ変わり、魂を浄化してゆくのだからのう」
「そう、なんだ……。だったら……、よかった……」
そう言うとつるぎは、力尽きたように眼を閉じた。
すると、すぐに寝息が聴こえてきた。
「どうやら、眠ったようだの」
仙翁は、眠りに落ちたつるぎの頬に、指先で触れた。
「ようやった。異界からの訪れし者、つるぎよ」
その眼には、やさしい光が満ちていた。
その後、継ぐべき者たちによって、春、秋ノ洲を牛耳っていた者たちは失脚した。
一滴の血も流れることはなかった。
なぜなら、12人の継ぐべき者と十二支の式鬼、そして仙翁を前にしては、さすがに戦いを挑むものはなかったからだ。
そうして、すべての州(くに)は、改めて州主(こくしゅ)の手に委ねられることとなったのだった。
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