もろはとつるぎ

星 陽月

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チャプター【093】

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 つるぎは、深い闇からゆっくりと浮上するように眼を醒ました。

「う、うう、ん……」

 しかし、眼を醒ましたとはいえ、まだ意識は虚ろである。
 それでも、自分が布団の中に横になっているということはわかった。

(布団で寝ているってことは……、そうか、ボクはずっと、夢を見ていたのか……)

 半覚醒の中でそう思った。

「よかった。眼が醒めたようですね」

 やさしい声が耳に届く。

(この声は、翡翠(ひすい)ちゃん?……)

 そう思い、

「翡翠ちゃん……。もどってきてくれたんだね……」

 瞼を開けぬまま、つるぎは声の主に手を伸ばした。
 その手を、細い手が握る。

「違います。私は、翡翠という人ではありません」

 その返答に、つるぎは薄く眼を開いた。

「翡翠ちゃんの手は、暖かいな……」

 つるぎの意識はまだ混濁している。

「だから、違うと言っているじゃありませんか。私の名は、凛です」
「そうそう、凛ちゃん……。凛? えッ? え、え? り、凛ちゃんって、だれ?」

 つるぎはいっぺんに意識がもどって、眼を見開いた。

(君は?――)

 美しい微笑みを浮かべる、女性の顔がそこにあった。
 つるぎは驚いて、上半身を起こした。
 そのときなって、凛と名乗った彼女の手を、しっかりと握り返している自分に気づき、慌てて手を放した。

「えっと、あの、ボク、知らない人だとは思わなくて、つい、その……、ごめんなさい」

 恥ずかしさに、つるぎはうつむいてしまった。

「謝ることなんてありませんよ。ただ、手を握ったというだけじゃないですか」

 女性――凛のその言葉に、つるぎはそっと顔を上げた。
 そのとたんに、凛の顔に釘づけになった。
 鼻梁の通った鼻。
 赤く色づいた形のいい唇。
 くっきりとした二重の瞳。
 その瞳が、つるぎを見つめている。
 凛は、白い剣道着に袴を身に着け、両手を太腿の上に重ねていた。
 黒髪をうしろでひとつに束ね、剣道着の白さよりもさらに白い、透明感を持ったうなじが覗いている。
 背筋をすっと伸ばして正座しているその姿は、清楚そのものであった。
 そして、なによりも美しい。

(なんてきれいな女性なんだ……。惚れちゃったかもしれない)

 思わずつるぎは見惚れた。

「あの……」

 凛が言う。
 だが、その声が聴こえていないのか、つるぎは返事をしない。
 まるで、つるぎの時間だけが止まってしまったかのように、瞬きもせずに凛を見つめている。

「あの、つるぎさん?」

 ようやくそこで、凛の声につるぎは気がついた。

「あ、はい。なんでしょう」

 瞼をしばたたく。

「お口が、ぽかんと……」

 凛が自分の唇を開いてみせる。

「へ? ぽかん?」

 つるぎには、意味がわかってない様子である。

「お口が、ぽかーんとなっていますよ」
「え? あ、いや、あの、あのの……」

 つるぎはしどろもどろになり、顔が真っ赤になった。

「あら、大変。顔が赤くなって、熱がまた上がっちゃったんじゃないかしら」

 そう言うと凛は、膝を前に出してつるぎへと顔を近づけた。

「!――」

 つるぎは、どきりとした。
 凛は、何のためらいもなく、自分の額をつるぎの額にあてた。
 いい香りが漂ってきて、つるぎの鼻腔を刺激した。
 それは、香水のたぐいではなく、清潔感のある爽やかな香りだった。
 つるぎの胸は高鳴った。
 いまだかつて、これほどまでに女性の顔が接近したことはない。
 あとほんの少し唇を近づければ、凛の唇に触れることができるほどだ。
 つるぎは、ごくりと喉を鳴らした。
 鼓動が早鐘のように胸を叩く。
 つるぎの唇が、凛の唇へと触れていこうとするその刹那、凛の額がつるぎから離れた。

「熱はないみたいですね。それでもまだ、身体に障りますから横になっていてください」

 そう促すと、凛はもとの位置に下がって坐りなおした。
 つるぎは、自分がしようとした行為をごまかすかのように、

「ボクはもう、ぜんぜん平気」

 そう言うと、左腕をぐるぐると回した。

「ほら、このとおりピンピンして――」

 と、そのとき、つるぎは自分の身体の異変を感じた。
 あまりにも元気な自分を変に思ったのである。
 ほんとうならここで、

「あいたたた。やっぱり、まだ平気じゃないや」

 と、冗談を言い、笑いを取るつもりだったのだ。
 しかし、身体のどこにも、痛みを感じなかった。
 ふたつの頭を持った妖物、双頭狼との闘いで、つるぎは両腕の骨を折られた。
 それも、双頭狼に咬まれた左腕は、砕かれていた。
 そんな状態で、腕を回すことなどできるわけがない。
 つるぎは、いつの間にか着せられていた寝間着の、左腕の袖をめくった。
 腕には包帯が巻かれている。
 その包帯の上から腕を掴む。
 やはり痛みを感じない。
 どうやら、骨は折れていないらしい。
 右腕もそれは同じだった。
 両の太腿にも手をやってみた。
 太腿は、双頭狼の口から噴きだされた黒狼弾で貫かれている。
 しかし、その太腿も、まったく痛みがなかった。
 考えてみれば、全治数か月はかかるであろう負傷である。
 いくらなんでも、その傷が癒えてしまうほどの月日を眠りつづけていたとは思えない。

「ボクは、どのくらい眠っていたのかな」

 思わず、つるぎは訊いた。

「丸2日です」
「丸2日……」

 どういうことだろうか。
 たった2日で、傷が完治してしまったというのか。
 それだってありえないことだ。
 つるぎは、改めるかのように部屋の中を見回した。
 畳敷きの部屋だった。
 十畳ほどはあるだろうか。
 床の間があって、そこには水墨画の掛軸が下がっている。
 調度品などは、一切置かれていない。
 自分は病院に運ばれ、最新の治療を施されたのだろうかと思ったが、そこはどう見ても病院ではなさそうだった。

「ここは、どこなんですか?」

 つるぎは、いまさらになって訊いた。

「ここは、夏ノ洲の城です」

 凛が答えた。

「え? お城……」

 つるぎは驚いた。
 夏ノ洲の領土に入ったというのは知っていたが、まさか、城に運ばれているとは思わなかった。

「もうひとつ、訊いてもいいかな」
「ええ。なんなりと」
「ボクの傷、どうしてこんなに早く治ってしまったんですか? 両腕は骨折していたし太腿には穴があいていたはずなのに、たった二日で治ってしまうなんて……」

 自分の思いを、そのまま口にした。

「そうですよね。私も、びっくりしているんです。この城に運ばれてきたときのあなたは、半死の状態と言ってもいいほどの傷を負っていたんですから。すぐに、病院から数人の医師の方々が駆けつけてくれて、でも、そのときにはほとんど、あなたの傷は回復していたらしいんです。その治癒力の凄さに、医師の方々も愕いていました」

 凛はそう言うと、

「継ぐべき者の治癒は確かに早いですけど、あなたの場合は特別です。きっと、継ぐべき者を超える力を持っているんじゃないでしょうか」

 そうつけ加えた。

「継ぐべき者を超える力……。でも、どうして、ボクが継ぐべき者だってことが……」
「仙翁様に聞きましたから」
「仙翁に? あ、そうか。仙翁は実体化しているんだった。じゃあ、筋骨隆々の男にも会った?」
「もろは丸さんですね」
「そう、もろは丸。ということは、まだ人の姿のままでいるのか……。実はね、あのもろは丸は――」
「剣の霊晶石に宿りし式鬼、ですよね」

 つるぎが言うよりも先に、凛が言った。

「なんだ、知ってたのか」
「人の姿をしていても、もろは丸さんは霊波を発していましたから」
「え? 凛ちゃん、霊波が見えるの?」
「はい。実は、この私も継ぐべき者なんです」

 凛が言った。

「えーッ!」

 凛の言葉に、つるぎは驚いて眼を瞠った。
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