もろはとつるぎ

星 陽月

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チャプター【054】

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 仙翁とつるぎが、対峙(たいじ)したまま睨みあっている。
 互いの気を、ぶつけ合っているのだ。
 ふたりのあいだの空気が、ぴりぴりと張りつめている。
 と――

「よし、ここまでだ」

 ふっと、仙翁が張っていた気を解いた。
 と同時につるぎも気を解き、それまでの空気が自然なものにもどった。

「えー、もう終わり? ボクはもう少しやりたいんだよなー。仙翁から一本取ってないしさァ」

 つるぎは不服そうに言った。
 そうは言っているが、ふたりはすでに2時間ほど立ち合っていた。

「ホッ、ホッ、この儂から本気で一本取るつもりでおったか。しかし、すまぬ。この儂とて、齢には敵わぬのよ」

 痛めた腰が疼いてのう、と仙翁は腰をさすった。

「しかし、つるぎよ。荒削りではあるが、おぬしはまだまだ強くなる。だが、よいか。さらなる強さを求めるならば、憎しみをいだいてはいかんぞ。怒りや悔しさを持つのはいい。それらは力を生むからな。だが、憎しみは自分を殺す。なにも見えなくなる。さすれば、強さへの成長はそこで止まる。あとはただ、破壊することのみを欲するようになる。本来の強さとは、肉体の強さではない。心の強さだ。おぬしは若い。これからは幾多の試練が待ち受けていよう。その中で、憎しみをいだかせるようなことにも出くわそう。だが、そんなものは、いっそ呑みこんでしまうくらいの度量を持つことだ」
「うん、わかったよ。仙翁」

 つるぎは、いともあっさりと返事をした。
 それには、もろは丸も黙っていられず、

「こら! なんだ、その軽ーい返事は。そこは『はい、わかりました。仙翁さま』だろうが。おまえの世界には、敬意というものがないのか。まったく、仙翁の本来の力であったなら、おまえなど鼻糞のごとく消し飛んでいるところだぞ!」

 と声を張りあげた。

「まあ、よい、青竜よ。この性格が、この者の言うところのキャラというものなのであろう。しかし、この者のこの明るさと軽さと、これまでの継ぐべき者にはないものを持っておる――そのうえ、このふてぶてしさと生意気さ、この仙翁に向かって、タメ口を利くこの度胸は見上げたものだ……。いったい、この儂をだれだと思っているのだ。これでも儂は須弥界宮の四天王のひとり、多聞ぞ。それを、なんだ……」

 仙翁の口調が、途中から愚痴っぽくなっていた。
いったい、タメ口という言葉をどこで憶えたのであろうか。

「あ、あの、仙翁――」

 見かねて、もろは丸が声をかける。
 が、

「儂はおまえよりも、すごく、すごーく生きているんだぞ……。悪いやつとも、いっぱい、いっぱーい闘ってきたんだぞ……。それがなんだ。若造のくせにしてさ。クソ、クソ、思いきり踏んづけて、蹴飛ばしてやろうかしら、まったく……」
「仙翁!」

 さらに呼んだが、仙翁はぶつぶつと言っているばかりで、もろは丸の声が聴こえていない様子である。
 完全に自分の世界に入ってしまっているらしい。

「仙翁、しっかりしろ! 仙翁って!」

 しかたなくもろは丸は、仙翁の首を掴み、ぐいぐいと揺すった。

「はれ? 青竜? 儂の首を掴んでなにをしておる。まさかおまえ、ついにこの儂を殺すことにしたか」

 仙翁はやっと、我に返った。

「な、なにを。そんなこと言ってる場合じゃない。あんた、いま、本音が全部口から出ていたぞ」
「な、なな!」

 仙翁はゆっくりと、つるぎへと眼をやった。
 つるぎは、斜に構えて仙翁をジッと見ている。

「フーン、そうか。ボクのこと、そう思ってたんだ」

 その声には、皮肉がこもっている。

「いや、それは、その……、ほら、これは、あれだ。年寄りの戯言(ざれごと)というやつよ。だから、そう気にするな。継ぐべき者よ」
「うん、そうだね」

 ここもまた、あっさりと答えた。

「まあ、ボクも生意気なのは確かだから、今回は聞かなかったことにする。でも、これからは、悪口だったら口から出さないでよ。口にされたら、やっぱり傷つくからさ」
「おおう、そうかそうか、水に流してくれるか。やさしき男よの。取り乱してすまなかったな、つるぎ……」

 仙翁は、目尻に浮いた涙を、懐から出した布で拭った。

「ううん、仙翁こそ、もう気にしないでよ。それより、これから、まずはどうするの?」

 また仙翁に号泣されても困るので、つるぎは話を切り替えた。

「おう。まずはだな」

 そう言ったのは、もろは丸だった。

「春ノ洲の、残る継ぐべき者ふたりを捜す」
「え? 羅紀を斃しに行くんじゃないの?」
「そうだ。だが、継ぐべき者たちを捜すほうが先決だ。いま、おまえとおれが羅紀に戦いを挑んで、斃(たお)せると思うか?」
「思わない」

 即答でつるぎは答えた。

「うむ、そうだ。よくぞ言った。もしおまえが、いまの自分を過信し、斃せるなどと口にしていたら張り倒しているところだ」
「いくらボクが強くなったからって、羅紀を斃せるなんて思わないよ」
「そうか。おまえが、馬鹿でなくてよかったぞ」
「それ、褒めてるの?」
「そのつもりだ」
「でも、なんか褒められてる気がしないんだよね……」

 つるぎは納得していないようであったが、

「そういえばさ、春ノ洲の残りの継ぐべき者ふたりを捜しに行くって言ってたけど、継ぐべき者って3人じゃなかった?」

 そう訊いた。

「なにを言っている。もうひとりの継ぐべき者は、おまえではないか」
「あ、そっか、そうだった。ハハハ」

 つるぎは頭を掻いた。

「やはり、おまえは馬鹿のようだな」
「ちょと、もろは丸! それは聞き捨てならないよ!」
「そんなことより、さっそくゆくぞ」
「え? あ、そうなの――いざ、出発の刻!」

 などと格好つけて言うと、つるぎは身が引き締まる思いがした。
 と、同時に、自分の身体の異変が起きた。

「ん? あれ? なんだか、身体の奥から、震えがこみ上げてきたよ」

 そのつるぎに、もろは丸が眼を向ける。

「フフン。おまえも、一端の剣法師になったということだな。それが、武者震いというものよ」

 そう言うと、つるぎの背を強く叩いた。

「痛いなー、いきなりなにするんだよ!」

 とつぜんのことにつるぎは驚いて、もろは丸を睨んだ。

「どうだ。震えが止まっただろう」

 そう言われて、つるぎは自分の手のひらと身体に眼をやった。

「ほんとだ。震えが止まってる」
「武者震いというものはな、精神が昂ぶって起こるものだ。それを叩くことで抑えたのだ」
「そうなんだ」

 つるぎは、わずかに震えの残る太腿を、両手で自ら叩いた。
 すると、太腿の震えも止まった。

「では、この異空間から出るぞ」

 言うともろは丸は、口許で呪らしきものを唱えた。
 すると、空間がしだいに消えていった。
 空間が消え去ると、そこは漆黒の闇であった。

「え、ちょっと、真っ暗でなにも見えないよ……」

 つるぎが言うと、

「おう」

 と闇の中からもろは丸の声が聴こえてきて、とたんに青い光が闇を払った。
 もろは丸が身体から霊波を放ったのだ。
 とても明るい霊波の光であった。
 明るくなったところで、つるぎが辺りを見渡す。

「ここって……」

「100年岩の上だ。時の異空間はここにあったのだ」

 言われてみれば、もろは丸の放つ青い光に、周囲の樹々の葉が照らし出されている。

「へー、そうだったんだ。でもさ、もろは丸。ほんとに、あれから8時間しか経ってないの?」
「そうだ。嘘を言ってどうする」
「じゃあ、いまは真夜中ってことだね」

 夜空を見上げてみれば、丸く蒼い月が出ていた。

「そうだ。どうやら、おまえのいた世界と、日の流れや時の流れはほぼ同じのようだな」
「それにしても、君ってやっぱり凄いんだねー。あんな異空間を創っちゃうんだから」
「ああ、まあな。時の異空間を創るなど、このおれには容易(たやす)きことだ」

 もろは丸は、まんざらでもない表情で歓んだ。
 すごいすごい、他にはなにができるの、と感心しながらつるぎが訊いていると、

「つるぎよ」

 仙翁が声をかけた。

「おまえも、色々できるのだぞ」
「え? ボクが? だってボクは、剣の修行しかしてないよ」
「おまえの持つ、その錫杖だ」
「え? これ?」

 つるぎは、手にしている錫杖を胸の前で回した。

「そうそう、ぐるぐるー、ぐるぐるー、って、こら! 錫杖を回すでない」

 まさかの、仙翁のノリツッコミであった。

「あ、ごめん」

 錫杖を回す手を、つるぎは止めた。

「その錫杖を地に立て、瞼を閉じてみよ」

 言われるまま、つるぎは錫杖を地に立てて瞼を閉じた。
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