もろはとつるぎ

星 陽月

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チャプター【002】

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「なんだよ、つるぎー。ヤル気がねえなァ。まさかおまえ、このオレをザコキャラだとでも思って舐めてんのかァ。このゲームはおまえが始めたんだろうがよー。せめて、ファイティング・ポーズくらいとれよなァ。まあ、いいけどよー」

 そう言い放つと熊岡は、つるぎの腹部に蹴りを見舞った。

「くはッ!」

 熊岡の蹴りを鳩尾(みぞおち)に受けたつるぎはかばんを落とし、息を詰まらせて膝から崩れ落ちた。

「おいおい、つるぎくん。なんだよ、そのザマはさァ。情けねーなァ。いくらクソゲーでも、君は主人公キャラなんだから、もう少し楽しませてほしいなァ」

 言いながら鬼塚はせせら笑う。

「ほんとだよなァ。ほら立てよ、つるぎー」

 熊岡はうずくまっているつるぎの胸倉を掴んで立ち上がらせ、平手で顔を殴り出した。

「なァ、鬼塚ー。こんな弱キャラ相手にしてたってイラつくだけだからよー。もらうもんもらって、ゲーセンかカラオケ行こうぜー」

 亀田は興味が失せたとみえて、殴られているつるぎから顔をそらし、そばにいた鮫島とボクシングのスパーリングの真似をし始めた。

「それもそうだね。熊岡ー、虐めはよくないんだよー。それくらいにして、行こうよ」

 鬼塚の言葉に熊岡は殴る手を止めると、つるぎの学生服から財布を取り、

「チッ、なんだ、1000円しか持ってねえのかよ。つるぎよー、なにがあるかわからねえんだから、5000円は入れとけって言っただろうが。この次は、ちゃんとママにもらっておけよなァ」

 紙幣を抜き取ると、空になった財布を投げ返した。
 投げ返された財布はつるぎの胸にあたり、地面に落ちた。
 つるぎは落ちた財布を拾うことなく、うつむいたまま、鬼塚たちが早くそこから立ち去ってくれるのを待った。

「1000円じゃ、カラオケ楽しむには足らないなァ。しかたないから、ゲーセンで小学生からカツアゲでもするかァ」

 鬼塚は、そんなことを口にしながら、公園を出ていった。
 鬼塚たちの声が遠ざかっていき、つるぎはほっとしたのか、力つきたように膝からくずおれてしまった。
 財布を拾い、学生服の内ポケットに入れる。
 すぐには立ち上がれず、呆けたように地面に眼を落とした。

(ボクは、なぜ生まれてきたんだろう……)

 いつになく思う言葉が浮かんでくる。
 つるぎは、小学生のころからずっと虐めに遭ってきた。
 いや、幼稚園児のときにはすでに、虐めにあっていた。
 中学生になって、それまでつるぎを虐めのターゲットにしてきたクラスメイトは別の中学に入学し、だから、ようやく虐めから解放されると思った。
 けれど、入学した中学の同じクラスに鬼塚がいた。
 鬼塚はそれまで別の小学校に通っていたから、つるぎは顔も知らなかったが、入学して1ヶ月あまりでその鬼塚に眼をつけられてしまった。
 それからというもの、虐めの日々がまた始まったのだった。
 
 どうしてボクは虐められるのか――
 
 つるぎはそればかりを考えた。
 内向的で人見知りのつるぎは、クラスメイトと上手く会話もできないし遊んだりもできない。
 それだけに、友だちもできずにいつもひとりでいた。
 できるだけみんなとの接触を避けて、目立たないようにしながら。
 でも、それがかえって鬼塚の眼に留まり、虐めの対象になってしまったのだ。
 つるぎは一度、どうしてボクを虐めるのか、と鬼塚に訊いたことがあった。 
 虐めに遭っているときにだ。
 すると鬼塚は、

『別に僕はさァ、つるぎくん。君を虐めたいってわけじゃないんだ。君がさ、僕をそうさせるんだよ。君はさァ、虐められる素質を持ってるってわけさ。だから、そういう存在だってことを憶えておかなきゃいけないな。それに――許可もなしに、そんなことを僕に訊いてくるなんて、ちょっとイラッてきたよ』

 そう言うと唇の端をゆがめて笑い、つるぎの顔を思い切り殴った。
 なんどもなんども。
 そして、立ち去りぎわに言った言葉は、

「君って、情けないんだよね。そういうのって、僕をすごくイラつかせるんだ。覚えておきなよ」

 だった。
 そのときの冷めた鬼塚の眼を、つるぎは忘れない。
 それ以来、虐められる理由を考えるのをやめた。
 ただ、自分の存在自体が虐めの対象になっていることにショックを受け、深く傷ついた。
 そして思うようになったのだ。
 どうしてボクは、生まれてきたのだろう、と。

「ボクはもう、生きていたくないよ……」

 そう呟くと、つるぎの眼から自然に涙が溢れてだした。

 ボクなんて、死んでしまったほうがいいんだ……。
 そうすれば、もう虐められることもない……。
 死んだらどうなるのかはわからない……。
 でも、生きているよりはずっといいに決まってる……。

 そう思いながらも、自分が死ぬことなんてできっこないことはわかっていた。
 そんな勇気は、これっぽっちもないということを。
 悲しくてしかたがない。涙は、あとからあとから溢れてきた。
 すると、そのとき、涙にゆがむ視界の中に、入りこんできたものがあった。
 つるぎは手の甲で涙を拭い、それに焦点を絞った。
 それは、蝶だった。
 いや、確かにそれは蝶に違いないのだが、少しおかしいことに気づいた。
 その蝶には胴体がなかった。
 それも、大小の羽が2枚ずつあるはずなのに、その羽はたった1枚しかなかった。
 1枚の蝶の羽が動いている。
 そう見えた。
 しかし、よく見てみれば、小さな1匹の蟻が、蝶の羽を咥えてせっせと運んでいるのだった。
 一瞬、つるぎの脳裡に、その蟻を潰してやろうという衝動が走った。
 けれど、その小さな蟻の懸命さが眼に焼きついて、ほんの一瞬でも残虐的な感情を芽生えさせた自分が恥ずかしくなった。
 しばらくつるぎは、その蟻を見つめつづけた。
 蟻は自分の身体より数倍も大きい蝶の羽を運びつづけている。
 どんなに過酷な道のりであっても、長い冬を乗り越えるために、そして種の存続のために自分の巣へと運んでいく。
 それを思うと、つるぎの眼からまたも涙が溢れだした。
 胸が熱くなって、たまらなかった。
 
 こんな小さな蟻がこんなにがんばっているのに、ボクは死にたいなんて思ってる……。
 ボクはなんてダメなんだ……。
 こんなだからボクは、虐められるんだ……。

 とめどなく涙が湧いてくる。
 
(虐められるのは辛いことだけど、そんなことに負けちゃいけないんだ。ボクは男じゃないか。戦わなくちゃいけないんだ……)

 奥歯を噛みしめて、つるぎはむせび泣いた。
 それは悲しみではなかった。
 悔しくて、悔しくてならなかった。
 強くなりたい、強く。
 そう思った。
 鬼塚たちになんて負けないくらいに、強くなりたいと。
 つるぎはこぶしを握り締めて、地面をなんども殴った。

(強くなりたい――いや、そうじゃない。強くならなくちゃだめなんだ!)

 涙を拭うとカバンを拾い、力強く立ち上がった。
 熊岡に蹴られた腹部と膝の汚れを払い落とす。
 あんなに小さな蟻に、とっても大きな勇気をもらったと、そう思えた。
 強くなる。
 その思いを胸に、つるぎは歩みはじめた。
 だけどすぐに、はたと足は止まってしまった。

(でも、どうやって……)

 そんな思いが頭の中をかすめたのだ。
 どんなに強くなりたくたって、ボクにはそのすべがない。
 そんなボクが、あの鬼塚たちにどう立ち向かえばいいんだ。
 それが現実だった。
 とたんに、湧き上がった勇気が萎えしぼんでしまった。
 途方に暮れ、つるぎはとぼとぼと歩き出した。

(やっぱり、だめだな、ボクは……)

 肩をがっくりと落として歩いていく。
 歩きながら、ふと、なにげなく砂場に視線を向けた。
 そこでまた、つるぎは足を止めた。
 その砂場のほぼ中央に、子供が作ったと思える砂山が残っている。
 ただたんに砂山があるだけなら、そのまま通り過ぎてしまっただろう。
 それなのに足を止めたのは、その砂山に剣が直立に刺さっていたからだった。
 つるぎは砂場の中に入っていくと、砂山に刺さっている剣を見下ろした。
 しかしそれは、なんのことはなく、プラスティック製でできたただの玩具の剣だった。
 それでも、その剣は精巧にできていて、柄の部分に竜が彫りこまれたような作りになっていた。
 それはまるで、古代の剣を思わせた。
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