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【チャプター 32】
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〈なるほどな。おまえは、ほんとうに妻を愛しているのだな。ならばどうだ。いっそ殺すのをやめて、この夢の中で暮らしていけばいいじゃないか〉
声が言う。
それに、
(僕もそうしたいと思ったよ。だがいつも、気づくと礼子を殺しているんだ。だから僕は……)
中沢は答えた。
それは苦渋な想いだった。
〈妻をばらばらにしようとして失敗し、警察に自首するつもりだったのだな〉
(――――)
中沢は眼を伏せた。
〈だが、警察に行ったことは褒められたことではない。どうせ妻は生き返るのだ〉
「事件の場合は、司法解剖される」
〈そうか。なるほど。おまえは自分にできないことを、警察の手に委ねるつもりでいたのか〉
「確かにそうも思ったよ。でも、ほんとうに罪を償おうとしていたんだ」
〈なのに、罪人になることが恐くなって逃げ出してきた〉
「――――」
中沢には、返す言葉もなかった。
〈しかし、司法解剖されるとしても、今日の今日というわけではあるまい。とすれば、妻はやはり生き返ってくる。生きていれば殺人罪は成立しない。殺人未遂にしても、妻が認めなければやはり成立はしないだろう。自首したとしても無駄骨に終わっていたということだ〉
「だったら、どうしろと言うんだ!」
〈おまえというやつは、どうしてそうもおなじことを問うのだ〉
「わかってるさ。礼子の身体を切断しろと言うんだろう?」
〈そうだ。ほんとうに目醒めたいのならばそれしかない。生き返る前にな。よく考えてみろ。なんどもおまえに殺される妻のことを。その記憶を、生き返るたびに失ってしまうのかどうかは知らんが、しかし、そんな日々は地獄だぞ。妻を解放してやれ。愛しているのならばこそやるのだ〉
「他に方法はないのか」
〈俺はその答えを持っていない〉
「どうしてもやらなきゃだめなのか」
〈やるのだ〉
「そうすれば、目醒めることができるんだな」
〈それはわからない。だがやるのだ〉
「もし、それでも目醒めることができなければどうする」
〈それはそれでしかたがない。だが、なにかが変わるはずだ。これまでとは違うなにかがな。そして思い出すのだ。おまえの中にあるものを。それこそが真実なのだ〉
「なに? 真実?」
〈そうだ。思い出せ〉
そう言う声が、そのとき、わずかばかり小さくなった。
「それを思い出せないから、訊いているんじゃないか」
〈答えは――おま――中に――る――〉
その声は切れ切れになり、しかもかすかに聴こえてくる程度になった。
「おい。なにを言っているのか聞き取れない」
それに声は答えない。
「どうした。なんとか言えよ」
やはりそれにも声は答えない。
「なんだよ、おい」
それからなんども呼びかけてみたが、脳裡にはもう声が響いてくることはなかった。
中沢は放心したように、その場に立ちつくしていた。
(あの声は、いったいなんだったんだ……)
しばらくして、中沢はようやく歩き出した。
まだ人通りも少ないが、それでもちらりほらりと出勤のために駅へと向かっていくサラリーマンの姿がうかがえた。
どの顔にも朝の清々しさはない。
かといってこれから会社という戦場へ向かう気概も凛々しさも見受けられない。
あるのは、前方へと馳せるどんよりとした眼差しと、老兵のように疲れきった足取りだけだった。
すれ違っていくサラリーマンの姿に、自分もあんな姿だったのだろうかと、中沢はそんな思いに浸った。
皆、人生を生きていくために自己を削っている。
それを思えば、納得のいかない解雇ではあったが、それもそれほど悪くはなかったのかもしれない。
ふと、そんな感慨めいたことまで考えている自分に、中沢は首をふった。
声が言う。
それに、
(僕もそうしたいと思ったよ。だがいつも、気づくと礼子を殺しているんだ。だから僕は……)
中沢は答えた。
それは苦渋な想いだった。
〈妻をばらばらにしようとして失敗し、警察に自首するつもりだったのだな〉
(――――)
中沢は眼を伏せた。
〈だが、警察に行ったことは褒められたことではない。どうせ妻は生き返るのだ〉
「事件の場合は、司法解剖される」
〈そうか。なるほど。おまえは自分にできないことを、警察の手に委ねるつもりでいたのか〉
「確かにそうも思ったよ。でも、ほんとうに罪を償おうとしていたんだ」
〈なのに、罪人になることが恐くなって逃げ出してきた〉
「――――」
中沢には、返す言葉もなかった。
〈しかし、司法解剖されるとしても、今日の今日というわけではあるまい。とすれば、妻はやはり生き返ってくる。生きていれば殺人罪は成立しない。殺人未遂にしても、妻が認めなければやはり成立はしないだろう。自首したとしても無駄骨に終わっていたということだ〉
「だったら、どうしろと言うんだ!」
〈おまえというやつは、どうしてそうもおなじことを問うのだ〉
「わかってるさ。礼子の身体を切断しろと言うんだろう?」
〈そうだ。ほんとうに目醒めたいのならばそれしかない。生き返る前にな。よく考えてみろ。なんどもおまえに殺される妻のことを。その記憶を、生き返るたびに失ってしまうのかどうかは知らんが、しかし、そんな日々は地獄だぞ。妻を解放してやれ。愛しているのならばこそやるのだ〉
「他に方法はないのか」
〈俺はその答えを持っていない〉
「どうしてもやらなきゃだめなのか」
〈やるのだ〉
「そうすれば、目醒めることができるんだな」
〈それはわからない。だがやるのだ〉
「もし、それでも目醒めることができなければどうする」
〈それはそれでしかたがない。だが、なにかが変わるはずだ。これまでとは違うなにかがな。そして思い出すのだ。おまえの中にあるものを。それこそが真実なのだ〉
「なに? 真実?」
〈そうだ。思い出せ〉
そう言う声が、そのとき、わずかばかり小さくなった。
「それを思い出せないから、訊いているんじゃないか」
〈答えは――おま――中に――る――〉
その声は切れ切れになり、しかもかすかに聴こえてくる程度になった。
「おい。なにを言っているのか聞き取れない」
それに声は答えない。
「どうした。なんとか言えよ」
やはりそれにも声は答えない。
「なんだよ、おい」
それからなんども呼びかけてみたが、脳裡にはもう声が響いてくることはなかった。
中沢は放心したように、その場に立ちつくしていた。
(あの声は、いったいなんだったんだ……)
しばらくして、中沢はようやく歩き出した。
まだ人通りも少ないが、それでもちらりほらりと出勤のために駅へと向かっていくサラリーマンの姿がうかがえた。
どの顔にも朝の清々しさはない。
かといってこれから会社という戦場へ向かう気概も凛々しさも見受けられない。
あるのは、前方へと馳せるどんよりとした眼差しと、老兵のように疲れきった足取りだけだった。
すれ違っていくサラリーマンの姿に、自分もあんな姿だったのだろうかと、中沢はそんな思いに浸った。
皆、人生を生きていくために自己を削っている。
それを思えば、納得のいかない解雇ではあったが、それもそれほど悪くはなかったのかもしれない。
ふと、そんな感慨めいたことまで考えている自分に、中沢は首をふった。
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