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【第58話】
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ラフな格好をしたニ十代後半と思えるその男の顔は、夏の陽射しをその肌に閉じこめたようにきれいに灼けている。
笑うときに、右側の唇の端をキュッと上げるその顔に、里子は見覚えがあった。
誰だったかな……。
記憶をたどってみる。
確か――そう、俳優だった気がする。
いや、確かにそうだ。
名前は、水口真也だ。
二年くらい前は、日曜日九時の日曜ドラマにも出ていて人気もあり、里子もちょっとだけ、いいな、と思った時期もあった。
けれど、いつの間にか彼はTVから姿を消してしまったのだ。
その彼にこんなところで逢えるとは思わなかった。
今でもやっぱりカッコいいな、横顔を見つめながらそう思い、次の瞬間、里子はハッとした。
ってことは、彼ってそっち側の男ってこと……。
信じられない思いで里子は水割りを口にした。
日曜ドラマに出てた頃、共演者の女優と噂になり、ワイドショーや週刊誌などで、〈日曜ドラマのふたり、結婚か〉とまで騒がれたことがあった。
それを眼にした里子は、似合いのカップルじゃない、と思ったものだった。
だが、ふたりは結婚などせず、そして、絶えることのない芸能人のスキャンダルの影に追いやられていった。
あれってカムフラージュだったの……?
今、眼の前の光景を見るとそう思えてならない。
だけど、そのケがない男もこういう店によく来るわけだから、ただの考え過ぎとも言える。
そんなことを考えて、里子はそこで苦笑した。
水口信也がそっち側の男だろうとなかろうと、今の里子にはどうだっていいことだ。
今は自分のことで、いっぱいいっぱいなのだ。
だが、現実にもどってみれば、ため息が零れるばかりだった。
「ため息なんて、お酒と一緒に呑み干しちゃいなさい」
気づくとモモコが水割りを作り足してくれていた。
「さァ、呑むわよォ」
そう言ってモモコが一気に呑み干すのを見て、里子も負けじとグラスを空けた。
「いい呑みっぷり!」
「モモちゃん、もっと濃くして」
「ヨシ、じゃあ、スリーフィンガーでいっちゃうわよ」
「いいわよ、どんどん頂戴」
里子は立てつづけに三杯呑んだ。
さすがに里子も効いてきて、胸の中にあるものを吐き出さずにいられなくなってきた。
「男っていうのは、どうしてひとりの女だけじゃダメなのかな」
「それは、チンチンがあるからよ」
「それってオスとしての本能ってこと? 子孫繁栄ってたくさんのメスとヤリまくるばかりがオスじゃないわ。鶴は生涯一匹のメスと生きていくじゃないの」
「だったら、人間のメスはどうなの? 今じゃ、オンナの浮気もあたり前のようになってるじゃない」
そう言われてしまうと返す言葉もなく、
「私はしないわ」
里子はそう答えるしかなかった。
「どうかしらね」
「絶対しないわよ、浮気なんて」
「今はそう思ってるだけよ」
「そんなことないわ。私はひとりの男を愛しつづける自信があるもの」
「自信ほど、あてにならないのものはないわよ。だったら訊くけど、アンタがさ、好きになったオトコに、自分以外のオンナがいても愛しつづけることができる?」
その問いは里子の胸の傷を抉(えぐ)った。今
まさにその問題に直面しているのだ。
だがそれも、今のところ里子がそう思いこんでいるだけということでもあるのだが。
「それは……」
里子は眼を伏せた。
できない、というのが今の正直な気持ちだ。
「ほらみなさい。所詮その程度のものなのよ」
「その程度のものって、そう言うモモちゃんはどうなのよ。この前すごく荒れてたじゃない」
「そりゃあ、裏切られたんだから悔しいわよ」
「それなら、モモちゃんだって、所詮その程度じゃない」
「そうね。だけど私は、諦めないもの」
「え、じゃあ、何? 奪い返そうとか思ってるわけ?」
「そうよ。どんな手を使ってもね。でも、それができるのは、私がアイツのことを愛してないからよ」
「どういうこと?」
奪い返そうとしているのに、愛してないとはどういうことなのか。
里子は得心がいかず、訊いた。
「人を愛することって、相手の愛を求めないってことでしょ? だから、奪い返してやろうって気持ちはエゴなのよ。私がこんなに愛してるのにとか、私以外の人をどうして好きになるのよとか、それって自分を中心に考えてることよね。私、アイツにそんな感情しかないの」
「好きだけど愛してはいないってことね」
「そう。アンタ、わかってるじゃない。私はね、恋をしてるのよ。恋と愛は似てるけど全然違うの。恋は戦いだけど、愛することは自分を棄てることなのよ。私は自己犠牲なんてまっぴらごめんだわ。だから恋をしつづけるの。この命尽きるまで――あら、ちょっと、どうして私の話になっちゃってるのよ、アンタの話をしてたのに」
「もう、いいわ」
里子は笑って言った。
笑うときに、右側の唇の端をキュッと上げるその顔に、里子は見覚えがあった。
誰だったかな……。
記憶をたどってみる。
確か――そう、俳優だった気がする。
いや、確かにそうだ。
名前は、水口真也だ。
二年くらい前は、日曜日九時の日曜ドラマにも出ていて人気もあり、里子もちょっとだけ、いいな、と思った時期もあった。
けれど、いつの間にか彼はTVから姿を消してしまったのだ。
その彼にこんなところで逢えるとは思わなかった。
今でもやっぱりカッコいいな、横顔を見つめながらそう思い、次の瞬間、里子はハッとした。
ってことは、彼ってそっち側の男ってこと……。
信じられない思いで里子は水割りを口にした。
日曜ドラマに出てた頃、共演者の女優と噂になり、ワイドショーや週刊誌などで、〈日曜ドラマのふたり、結婚か〉とまで騒がれたことがあった。
それを眼にした里子は、似合いのカップルじゃない、と思ったものだった。
だが、ふたりは結婚などせず、そして、絶えることのない芸能人のスキャンダルの影に追いやられていった。
あれってカムフラージュだったの……?
今、眼の前の光景を見るとそう思えてならない。
だけど、そのケがない男もこういう店によく来るわけだから、ただの考え過ぎとも言える。
そんなことを考えて、里子はそこで苦笑した。
水口信也がそっち側の男だろうとなかろうと、今の里子にはどうだっていいことだ。
今は自分のことで、いっぱいいっぱいなのだ。
だが、現実にもどってみれば、ため息が零れるばかりだった。
「ため息なんて、お酒と一緒に呑み干しちゃいなさい」
気づくとモモコが水割りを作り足してくれていた。
「さァ、呑むわよォ」
そう言ってモモコが一気に呑み干すのを見て、里子も負けじとグラスを空けた。
「いい呑みっぷり!」
「モモちゃん、もっと濃くして」
「ヨシ、じゃあ、スリーフィンガーでいっちゃうわよ」
「いいわよ、どんどん頂戴」
里子は立てつづけに三杯呑んだ。
さすがに里子も効いてきて、胸の中にあるものを吐き出さずにいられなくなってきた。
「男っていうのは、どうしてひとりの女だけじゃダメなのかな」
「それは、チンチンがあるからよ」
「それってオスとしての本能ってこと? 子孫繁栄ってたくさんのメスとヤリまくるばかりがオスじゃないわ。鶴は生涯一匹のメスと生きていくじゃないの」
「だったら、人間のメスはどうなの? 今じゃ、オンナの浮気もあたり前のようになってるじゃない」
そう言われてしまうと返す言葉もなく、
「私はしないわ」
里子はそう答えるしかなかった。
「どうかしらね」
「絶対しないわよ、浮気なんて」
「今はそう思ってるだけよ」
「そんなことないわ。私はひとりの男を愛しつづける自信があるもの」
「自信ほど、あてにならないのものはないわよ。だったら訊くけど、アンタがさ、好きになったオトコに、自分以外のオンナがいても愛しつづけることができる?」
その問いは里子の胸の傷を抉(えぐ)った。今
まさにその問題に直面しているのだ。
だがそれも、今のところ里子がそう思いこんでいるだけということでもあるのだが。
「それは……」
里子は眼を伏せた。
できない、というのが今の正直な気持ちだ。
「ほらみなさい。所詮その程度のものなのよ」
「その程度のものって、そう言うモモちゃんはどうなのよ。この前すごく荒れてたじゃない」
「そりゃあ、裏切られたんだから悔しいわよ」
「それなら、モモちゃんだって、所詮その程度じゃない」
「そうね。だけど私は、諦めないもの」
「え、じゃあ、何? 奪い返そうとか思ってるわけ?」
「そうよ。どんな手を使ってもね。でも、それができるのは、私がアイツのことを愛してないからよ」
「どういうこと?」
奪い返そうとしているのに、愛してないとはどういうことなのか。
里子は得心がいかず、訊いた。
「人を愛することって、相手の愛を求めないってことでしょ? だから、奪い返してやろうって気持ちはエゴなのよ。私がこんなに愛してるのにとか、私以外の人をどうして好きになるのよとか、それって自分を中心に考えてることよね。私、アイツにそんな感情しかないの」
「好きだけど愛してはいないってことね」
「そう。アンタ、わかってるじゃない。私はね、恋をしてるのよ。恋と愛は似てるけど全然違うの。恋は戦いだけど、愛することは自分を棄てることなのよ。私は自己犠牲なんてまっぴらごめんだわ。だから恋をしつづけるの。この命尽きるまで――あら、ちょっと、どうして私の話になっちゃってるのよ、アンタの話をしてたのに」
「もう、いいわ」
里子は笑って言った。
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