里子の恋愛

星 陽月

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【第2話】

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「おい、どうした?」

 宗太郎は、庭先に坐っている猫に声をかけた。
 するとその猫は、「ニャア」と愛くるしく鳴き、とことこと近寄ってきて縁側にジャンプするとそこに坐りこんで宗太郎を見上げた。

「腹が空いてるのか?」

 それにも、猫は「ニャア」と応えるので、宗太郎はキッチンに行って冷蔵庫を開けた。
 中を物色すると、シーチキンの缶詰があったので皿に入れかえ、窓際にもどると猫の姿はなかった。

 何だ、いないじゃないか……。

 ちょっとがっかりしながら宗太郎は縁側に皿を置き、窓を閉めてふり返ると、あの猫がソファの上で身体を丸めて寝ていた。
 それ以来、この家の居候となったその猫に、トラのような模様だから、という里子の安易な考えから「とらの助」と名づけたのだった。
 とらの助が、その名を気にいっているかどうかは、定かではない。
 宗太郎は改めてソファに坐り、湯呑みを手にした。
 静寂だけが宗太郎を包みこんでいる。
 里子が出勤していくまでの騒々しさが、まるで嘘のようだ。
 朝から慌しい里子にうんざりもし、かといって独りきりになるとどこか寂しい気もする。
 1ヵ月後にはこの家を出ていくのだ、そう思うと尚更のこと寂しさが募る。
 建て売りのわりには庭が広かったことから購入したこの家も、ひとりで棲むとなればやはり持て余してしまう。
 いっそのこと、売りに出してアパートでも借りようかと思ったりもするが、長年棲んできた家を手放したくはないという思いのほうがやはり強い。
 ここには、里子の成長を共に見つめてきた、生前の妻との想いが詰まっているのだ。手放すことなどできない。

 それなら、里子を嫁にやらなければいいんだ……。

 ふと、そんな思いが脳裡をよぎり、宗太郎は首をふった。
 情けなくもある自分に苦笑する。
 里子には幸せになってほしい、そう思っている。
 その幸せを、倉田となら掴むことができるだろうと、ふたりの結婚を認めたのだ。
 その気持ちに変わりはない。
 今では孫の顔を早く見たいと心待ちにしているぐらいだ。
 それが、こうして家の中にひとりでいると、まだ傍にいてほしい、という思いがこみ上げてくる。
 里子も今年で26歳になり、結婚するには適齢期といえる。
 だが、宗太郎にとっては、幾つになっても可愛いひとり娘だ。
 産まれてから今まで、持てる愛情のすべてを注いできた。
 それを、とつぜん現れた男に奪われていってしまうのだ。
 それがあたり前のことなのだと、それが娘の幸せなのだとわかっていながら、それを認めたくない思いが胸の淵に 煮えきらずに燻(くすぶ)っている。
 だからといって、決してそれを態度に出すようなことはないが、結婚式の日が近づいていくにつれて、胸を抉(えぐ)り取られていくようで息が詰まるときがある。
 今では、床に就く前に呑む焼酎の量も増えた。
 里子が、倉田を連れてくるまでは、娘が嫁にいくことなど、何も辛いことではないと思っていた。
 それだけに、一年ほど前、同僚と呑んでいる席で、

「来月、娘が結婚するんだ」

 と初めのうちこそ嬉しそうに話す同僚が、酒の量が増えていくにつれて、

「あの男が、俺の娘を奪っていくんだ」

 に始まり、

「あんな男のどこがいいんだ!」

 と悪態をつき、最後には、

「娘は、俺を棄てていくんだ……」

 などと、眼に涙さえ浮かべているその姿が、宗太郎には理解できなかった。
 娘が結婚したからといって、永遠に別れてしまうわけでもないし、たとえ姓が変わったとしても、娘と父の縁が切れるわけでもないのだ。
 それなのに同僚がなぜ、嘆き哀しみ、肩を落とし、ため息をつくのかもわからなかった。

 娘が結婚するぐらいでなんだ……。

 そのときは、沈みこんだ同僚を横目にそんなことを思っていた。
 それが、いざ自分の娘が結婚をするとなると、そのときの同僚と何ら変わらず、嘆きながらため息をこぼしている。

 こんな時、早苗がいてくれたら……。

 そんな思いが胸に湧く。
 妻が生きていてくれたら、こんな寂しい思いはせずにすんだだろうと。
 その思いに、妻の遺影に眼をやる。
とたんに目頭が熱くなる。

 俺も歳かな……。

 そんな自分を、宗太郎は嘲笑(ちょうしょう)した。
 庭先に眼を向けると、とらの助が植えこみの茂みに何かを見つけたらしく、身を屈めてゆっくりと前進していた。
 ある程度進んでいくと動きを止め、茂みの中に眼を凝らし、尻をふったその瞬間、突進していった。
 だがしばらくすると、標的を逃したと見えて、茂みからとぼとぼと出てきた。
 そして陽あたりのいい場所までやってくるとごろんと横になり、毛繕いを始めた。
 その姿に癒される。

 とらの助がいるじゃないか……。

 決して独りではないんだと自分を納得させ、宗太郎は立ち上がると、書斎へと入っていった。
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