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【第23話】
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(渡したいものとはなんだろう……)
そう思っていると、本堂につづく住居の客間に通された。
「楽になさってください。いまお茶を淹れます」
幾分緊張し、良介は卓に出された座布団に腰を下ろした。
程なくして、茶を載せたおぼんを手に住職がもどってきた。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
出された茶を、良介は遠慮なく口にした。
深い渋みの中に淡い甘みをふくんだ、いい茶だった。
「良介さんは、お幾つになられましたか?」
「はい、今年で42になりました」
「そうですか、もうそんなになられますか。お母さんの幸江さんが亡くなられてから10年、お父さんの富広さんが亡くなられてから8年。時が過ぎるのは早いものです」
「はい」
「時は流れていくものなのでしょうか。それとも積み重なっていくものなのでしょうか……」
住職は感慨深くそう言うと、開いた襖の先の、昏れなずむ中庭に眼を馳せた。
生と死。
生まれては死に、そしてまた新たな命が……。
この世は、そのくり返しです。
生きていくということは楽なものではありません。
ときには麗(うら)らかだったりもしますが、そのほとんどが過酷で残酷なことばかりです。
それでも生きなければなりません。
生きとし生けるものすべてに、平等に与えられた試練なのですから。
どんなに辛くとも、どんなに苦しくとも、どんな不安をも乗り越えて、生きて生きて、生を成就しなければならないのです。
なぜならば、御仏は乗り越えられない試練など、与えたりはしないからです。
過酷であればあるほど、そこには御仏の愛があるのです。
良介は黙って住職の話を聴いていた。
とは言え、人とは弱いものです。
それゆえに強くなろうとし、力を求めます。
それは権力であったりお金であったり様々ですが、その源はすべて欲です。
欲が人を衝き動かしていると言っていいでしょう。
欲には限りというものがありません。
どこまでもおのれを満たそうとし、欲してやまないのです。
征服し、支配し、陥れ、奪い、傷つけ、そして命までも……。
人の歴史が、それを如実に語っています。
しかしそれも、人の人たる所以(ゆえん)であり生への執着なのかも知れません。
御仏の道には、欲、即ち煩悩を失くすという教えがありますが、御仏に仕える身の私であっても、なかなかどうして、その煩悩を棄てきることはできません。
この私も、弱い人間なのです。
惑い惑わされ、嘆き苦しみ、それだけに判断を誤り、人は罪を犯してしまうこともあるのではないかと思います。
善と悪とは表裏一体です。
人はその両面を持ち合わせています。
欲に溺れ、おのれを見失うのも、欲に打ち勝ち自己を保つのも、選択し決断するのはおのれ自身です。
すべては自己の責任であるわけです。
人の弱さとは、心の弱さ。
だからこそ、おのれを見つめ、欲に囚われることのない強い心を持つことが、必要なのではないでしょうか。
住職の言葉は、清らかに癒してくれる風のように、良介の胸を浸した。
そして、それはまさに、良介のいまの現状を物語っていた。
この住職はやはり仏の眼を持っている。
心の中まで見通す眼を。
「なにやらつまらぬことを申しました。これも坊主の説教のひとつと思い、聞き流してください」
「いえ、有り難い言葉です」
それに住職は微笑で応えると、法衣の胸元から一通の白い封筒を取り出し、
「これは、幸江さんから預かっていたものです」
と良介の前に差し出した。
「母が私に?――」
その封筒を良介は手に取った。
宛名も何も書かれていない封筒は、幾分厚みがあった。
「あえて申し上げるなら、幸江さんが私に託したと言ったほうが正しいでしょうか」
「――――」
良介は住職を見つめた。
「幸江さんが他界される1ヶ月ほど前、ふいに訪ねてこられて、これを燃やして欲しい、とおっしゃったのです。自分で燃やすことがどうしてもできないからと。詳しいことはなにもおっしゃらず、ただ、ここには私の犯した罪が記してありますとだけ……。よほどの訳があるのだろうと、私はなにも尋ねず承知いたしました」
「ではなぜ、いまここにあるのでしょうか」
良介は疑問を口にした。
そう思っていると、本堂につづく住居の客間に通された。
「楽になさってください。いまお茶を淹れます」
幾分緊張し、良介は卓に出された座布団に腰を下ろした。
程なくして、茶を載せたおぼんを手に住職がもどってきた。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
出された茶を、良介は遠慮なく口にした。
深い渋みの中に淡い甘みをふくんだ、いい茶だった。
「良介さんは、お幾つになられましたか?」
「はい、今年で42になりました」
「そうですか、もうそんなになられますか。お母さんの幸江さんが亡くなられてから10年、お父さんの富広さんが亡くなられてから8年。時が過ぎるのは早いものです」
「はい」
「時は流れていくものなのでしょうか。それとも積み重なっていくものなのでしょうか……」
住職は感慨深くそう言うと、開いた襖の先の、昏れなずむ中庭に眼を馳せた。
生と死。
生まれては死に、そしてまた新たな命が……。
この世は、そのくり返しです。
生きていくということは楽なものではありません。
ときには麗(うら)らかだったりもしますが、そのほとんどが過酷で残酷なことばかりです。
それでも生きなければなりません。
生きとし生けるものすべてに、平等に与えられた試練なのですから。
どんなに辛くとも、どんなに苦しくとも、どんな不安をも乗り越えて、生きて生きて、生を成就しなければならないのです。
なぜならば、御仏は乗り越えられない試練など、与えたりはしないからです。
過酷であればあるほど、そこには御仏の愛があるのです。
良介は黙って住職の話を聴いていた。
とは言え、人とは弱いものです。
それゆえに強くなろうとし、力を求めます。
それは権力であったりお金であったり様々ですが、その源はすべて欲です。
欲が人を衝き動かしていると言っていいでしょう。
欲には限りというものがありません。
どこまでもおのれを満たそうとし、欲してやまないのです。
征服し、支配し、陥れ、奪い、傷つけ、そして命までも……。
人の歴史が、それを如実に語っています。
しかしそれも、人の人たる所以(ゆえん)であり生への執着なのかも知れません。
御仏の道には、欲、即ち煩悩を失くすという教えがありますが、御仏に仕える身の私であっても、なかなかどうして、その煩悩を棄てきることはできません。
この私も、弱い人間なのです。
惑い惑わされ、嘆き苦しみ、それだけに判断を誤り、人は罪を犯してしまうこともあるのではないかと思います。
善と悪とは表裏一体です。
人はその両面を持ち合わせています。
欲に溺れ、おのれを見失うのも、欲に打ち勝ち自己を保つのも、選択し決断するのはおのれ自身です。
すべては自己の責任であるわけです。
人の弱さとは、心の弱さ。
だからこそ、おのれを見つめ、欲に囚われることのない強い心を持つことが、必要なのではないでしょうか。
住職の言葉は、清らかに癒してくれる風のように、良介の胸を浸した。
そして、それはまさに、良介のいまの現状を物語っていた。
この住職はやはり仏の眼を持っている。
心の中まで見通す眼を。
「なにやらつまらぬことを申しました。これも坊主の説教のひとつと思い、聞き流してください」
「いえ、有り難い言葉です」
それに住職は微笑で応えると、法衣の胸元から一通の白い封筒を取り出し、
「これは、幸江さんから預かっていたものです」
と良介の前に差し出した。
「母が私に?――」
その封筒を良介は手に取った。
宛名も何も書かれていない封筒は、幾分厚みがあった。
「あえて申し上げるなら、幸江さんが私に託したと言ったほうが正しいでしょうか」
「――――」
良介は住職を見つめた。
「幸江さんが他界される1ヶ月ほど前、ふいに訪ねてこられて、これを燃やして欲しい、とおっしゃったのです。自分で燃やすことがどうしてもできないからと。詳しいことはなにもおっしゃらず、ただ、ここには私の犯した罪が記してありますとだけ……。よほどの訳があるのだろうと、私はなにも尋ねず承知いたしました」
「ではなぜ、いまここにあるのでしょうか」
良介は疑問を口にした。
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