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【第33話】
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ストレッチャーに横たわる遺体となった父親と、ゆかりはどんな想いで再会するのだろうか。
その想いが、高木に重く圧し掛かった。
ゆかりは、ずっと会えずにいた父親の死顔を、どんな胸のうちで見つめるのだろう。
冷たくなった父親の身体にしがみつき、「パパ、パパッ」と泣きじゃくりながら呼びつづけるのだろうか。
それとも、こみ上げる悲しみを、こぶしを握って必死に耐えるのだろうか。
いや、そう思うのはおこがましいというものだ。
1度も会いに来ることのなかった父親なのだ。
そんな父親のことなどはとうに忘れているであろうし、死を知らされたとしても戸惑うばかりで、悲しみなど湧いてはこないだろう。
シーツをかけられた遺体を眼にしても、すぐに視線をそらし、死顔を見ようとはしないにちがいない。
それが現実というものであり、当然というものだ。
何ひとつ、父親らしいことをしたことなどなかったのだから。
だがそれでも、少しばかりでいいから父親への想いが残っていてほしいと思うのは、あまりにも勝手すぎるというものだろうか。
ゆかり……。
5年前のあの日を、忘れはしない。
そのときのことを、高木はいまでも鮮明に覚えている。
「ゆかり、今日はおじいちゃんとおばあちゃんの家に、遊びに行くんだ。よかったなァ」
その日の朝、高木は明るく努めてそう言った。
妻の葬儀を終えた翌日のことだ。
母親が死んだなどとは、どうしても口にすることはできなかった。
「パパは?」
ゆかりは無垢な眼差しを向け、そう訊いてきた。
高木はすぐに答えを返すことができず、それでも、
「パパはちょっと用事があるんだ。それをすませたらすぐに行くから、先に行って待っていてくれるかい?」
やっとの思いでそう答えた。
それは苦い嘘だった。
ゆかりはこくりとうなずいてみせたが、それが父親との別れだということを幼いながらに感じ取っていたのだろう、見つめくる眼差しがかすかに揺れた。
それきり口を閉ざしたゆかりは、洋服を着せているあいだも、ただ高木の顔を見つめつづけていた。
高木もやはり無言のままで、できることといえば笑顔を浮かべることだけだった。
身支度をすませ、義母に手を引かれながら玄関を出ると、ゆかりは見送る高木をなんどもなんどもふり返った。
その腕には、高木から誕生日に買ってもらったテディベアのぬいぐるみを、しっかりと抱いていた。
つぶらな瞳は、心細さと哀しみに翳り、いまにも泣き出しそうになるのを唇をぎゅっと結んでこらえていた。
頼りない足取りで歩を進めていくその背がとても切なくて、高木のほうが涙をこらえきれなかった。
泣くな……。
泣くんじゃない……。
ゆかりだって、泣かずにがんばっているんだ……。
笑え、笑え、笑え……。
高木は無理に笑った。
少しずつ、少しずつ距離が離れていく。
愛するものが去っていく狂おしさに、いまにも駆け寄って抱き上げたかった。
行くな、ゆかり!
そう叫びたかった。
パパと、ずっとずっと一緒に暮らそう。
そう言って強く抱きしめたかった。
だが高木は、その衝動をぎりぎりのところで抑えた。
そうするしかなかった。
そのときの高木には、ゆかりを幸せにする自信もなく、現実をみれば、不幸にしてしまうのは明らかだった。
死を迎えたいまになってみれば、無理をしてでもゆかりを手放すべきではなかったと思う。
そうしなかったことを、いまさらだとわかっていても悔やみきれやしない。
だがそのときは、涙を呑んで見送るしかなかった。
不甲斐ない自分に怒りを覚えながら。
10メートルほど先の公園横の路上には、義父の運転する車が停められていた。
義父がそんなところへ車を停めたのはきっと、孫を奪い去っていくようで、少なからず心苦しさを感じていたからなのかもしれない。
車まで行くと、義母は後部ドアを開け、ゆかりを乗せるために抱き上げようとした。
と、その手をすり抜けるように、ゆかりは高木に向かって真っ直ぐに走った。
「パパーッ!」
懸命に走りくるゆかりの姿に、高木はたまらず顔をゆがませた。
「ゆかりッ!」
高木は膝をついて両手を広げた。
その胸にゆかりが飛びこんでいく。
顔をうずめ、小さな手でシャツを掴み取り、力いっぱい握りしめる。
離れたくないという想いをこめて。
「ゆかり、ゆかり……」
高木はしっかりと包みこむように、ゆかりを抱きしめた。
そのときほど、自分の情けなさを呪ったことはない。
「パパ、だいすきだよ」
胸の中でゆかりが言った。
「うん。パパもゆかりが大好きだよ」
「パパ……」
「うん?」
胸の中のゆかりを高木は覗きこむ。
頬を父の胸にあてているゆかりは、何かに耐えるように眉根を寄せている。
その眼がとても悲しかった。
その想いが、高木に重く圧し掛かった。
ゆかりは、ずっと会えずにいた父親の死顔を、どんな胸のうちで見つめるのだろう。
冷たくなった父親の身体にしがみつき、「パパ、パパッ」と泣きじゃくりながら呼びつづけるのだろうか。
それとも、こみ上げる悲しみを、こぶしを握って必死に耐えるのだろうか。
いや、そう思うのはおこがましいというものだ。
1度も会いに来ることのなかった父親なのだ。
そんな父親のことなどはとうに忘れているであろうし、死を知らされたとしても戸惑うばかりで、悲しみなど湧いてはこないだろう。
シーツをかけられた遺体を眼にしても、すぐに視線をそらし、死顔を見ようとはしないにちがいない。
それが現実というものであり、当然というものだ。
何ひとつ、父親らしいことをしたことなどなかったのだから。
だがそれでも、少しばかりでいいから父親への想いが残っていてほしいと思うのは、あまりにも勝手すぎるというものだろうか。
ゆかり……。
5年前のあの日を、忘れはしない。
そのときのことを、高木はいまでも鮮明に覚えている。
「ゆかり、今日はおじいちゃんとおばあちゃんの家に、遊びに行くんだ。よかったなァ」
その日の朝、高木は明るく努めてそう言った。
妻の葬儀を終えた翌日のことだ。
母親が死んだなどとは、どうしても口にすることはできなかった。
「パパは?」
ゆかりは無垢な眼差しを向け、そう訊いてきた。
高木はすぐに答えを返すことができず、それでも、
「パパはちょっと用事があるんだ。それをすませたらすぐに行くから、先に行って待っていてくれるかい?」
やっとの思いでそう答えた。
それは苦い嘘だった。
ゆかりはこくりとうなずいてみせたが、それが父親との別れだということを幼いながらに感じ取っていたのだろう、見つめくる眼差しがかすかに揺れた。
それきり口を閉ざしたゆかりは、洋服を着せているあいだも、ただ高木の顔を見つめつづけていた。
高木もやはり無言のままで、できることといえば笑顔を浮かべることだけだった。
身支度をすませ、義母に手を引かれながら玄関を出ると、ゆかりは見送る高木をなんどもなんどもふり返った。
その腕には、高木から誕生日に買ってもらったテディベアのぬいぐるみを、しっかりと抱いていた。
つぶらな瞳は、心細さと哀しみに翳り、いまにも泣き出しそうになるのを唇をぎゅっと結んでこらえていた。
頼りない足取りで歩を進めていくその背がとても切なくて、高木のほうが涙をこらえきれなかった。
泣くな……。
泣くんじゃない……。
ゆかりだって、泣かずにがんばっているんだ……。
笑え、笑え、笑え……。
高木は無理に笑った。
少しずつ、少しずつ距離が離れていく。
愛するものが去っていく狂おしさに、いまにも駆け寄って抱き上げたかった。
行くな、ゆかり!
そう叫びたかった。
パパと、ずっとずっと一緒に暮らそう。
そう言って強く抱きしめたかった。
だが高木は、その衝動をぎりぎりのところで抑えた。
そうするしかなかった。
そのときの高木には、ゆかりを幸せにする自信もなく、現実をみれば、不幸にしてしまうのは明らかだった。
死を迎えたいまになってみれば、無理をしてでもゆかりを手放すべきではなかったと思う。
そうしなかったことを、いまさらだとわかっていても悔やみきれやしない。
だがそのときは、涙を呑んで見送るしかなかった。
不甲斐ない自分に怒りを覚えながら。
10メートルほど先の公園横の路上には、義父の運転する車が停められていた。
義父がそんなところへ車を停めたのはきっと、孫を奪い去っていくようで、少なからず心苦しさを感じていたからなのかもしれない。
車まで行くと、義母は後部ドアを開け、ゆかりを乗せるために抱き上げようとした。
と、その手をすり抜けるように、ゆかりは高木に向かって真っ直ぐに走った。
「パパーッ!」
懸命に走りくるゆかりの姿に、高木はたまらず顔をゆがませた。
「ゆかりッ!」
高木は膝をついて両手を広げた。
その胸にゆかりが飛びこんでいく。
顔をうずめ、小さな手でシャツを掴み取り、力いっぱい握りしめる。
離れたくないという想いをこめて。
「ゆかり、ゆかり……」
高木はしっかりと包みこむように、ゆかりを抱きしめた。
そのときほど、自分の情けなさを呪ったことはない。
「パパ、だいすきだよ」
胸の中でゆかりが言った。
「うん。パパもゆかりが大好きだよ」
「パパ……」
「うん?」
胸の中のゆかりを高木は覗きこむ。
頬を父の胸にあてているゆかりは、何かに耐えるように眉根を寄せている。
その眼がとても悲しかった。
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