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【第21話】
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高木は走っていた。
いや、肉体のない彼に足があるわけがないから、正しくは浮遊走行とでもいうべきであろうか。
だが、高木にすれば、魂となったいまでも意識的にはまだ肉体を有している状態となんら変わりがないから、やはり走っているのである。
なぜ走っているのかといえば、逃げている。
娘に会うためにはそうするしかなかった。
天使だという老人に、高木は土下座をしてまでもこの世に留まることを懇願(こんがん)した。
聞き入れてくれるまでは梃子(てこ)でも動かないつもりだった。
だがそんなとき、天からの光が射してきたのだ。
頭を下げたままでも、眩い光が広がるのを高木は感じた。
クソ、なんだよ……。
高木にとって、それは忌々しい光だった。
オレはまだ、天に召されるわけにはいかねえってのに……。
これで、娘には会えないのか、その思いに落胆したとき、老人が背を向けるのがわかった。
いましかない、そう思った。
思うや否や、高木は中腰立ちになって気配を殺しながら扉に向かった。
扉を押し開けようと手を伸ばすと、その手はなんの障害もなく扉をすり抜けた。
うわッ!
思わず高木は手を引いた。
なな、なんだよ……。
なんともいやな体感である。
それでも高木は、恐々と手を伸ばした。
なんとしても扉をすり抜けていかなければならない。
腕がゆっくりと室内の外に出ていく。
腕のつけ根まできたところで、高木は動きを止めた。
身体をすり抜けさせるのは、さすがに勇気が必要だった。
肉体がないことにまだ慣れていないのだ。
だが、そこで躊躇などしていられない。
老人に気づかれてはならない。
高木は意を決し、瞼をきつく閉じて前へ進んだ。
ぐわわわ……。
その感覚は、薄皮をゆっくりと剥がされていくような感じだった。
それでも、なんとかすり抜けることができた高木は、
じいさん、すまない……。
と、扉に向かって手を合わせると、すぐさま廊下を走り出したのであった。
やみくもに走りまくっていると、いいかげんに息があがって、高木は歩道の手すりに手をついた。
息を整えながら、ふと思う。
俺は死んでるのに、どうして息があがるんだ?……。
確かにそうである。
高木の肉体は、病院の集中治療室にあるのだ。
肉体がなければ呼吸をするわけがない。
呼吸とは生命維持のためのメカニズムであるから、死んでしまっては必要のないことである。
だから高木は、実際には呼吸などしていない。
やはりそれも、意識的に呼吸をしていると思いこんでいるだけなのであった。
そうか、意識的な問題か……。
そう意識したとたん、荒れていたと思いこんでいた息が嘘のように治まった。
それにしても、呼吸をしないというのも不思議なものである。
生を受けてからずっと、寝ても覚めても休むことなく肺に空気を送りつづけてきたのだ。
それを死んでしまったことによって、呼吸をやめてしまうというのは、なかなか不具合なものであった。
高木のいまの心境はわからなくもない。
死んだとはいえ意識は生前のままだから、何がどう変わったという感覚がないのだ。
実際には肉体はないのだが、高木にすれば生きていたときとなんら変わらぬ姿があるのだから尚更である。
それを考えると、突発的な不慮の事故で亡くなった魂が、自分の死を認められずにこの世を彷徨うというのもうなずけなくもない。
すべては己の死を自覚できるかどうか。
意識の問題なのだ。
とはいえ高木は、自分の死を自覚しながら、この世に留まることを選択した。
それは娘に会うがためにとった決断だった。
だが、いまこうしてひとりぽつんとたたずんでいると、心細さがどどっと押し寄せてくる。
老人の前から逃げ出したことは、あまりにも衝動的行動だったという思いが、高木を揺さぶってやまなかった。
馬鹿な真似をしたんだよな、やっぱり……。
これからどうなるのかと考えてみれば、あるはずのない尻の穴がすぼまる思いがした。
それは、生きているときには感じたことのないほどの孤独感だった。
いや、肉体のない彼に足があるわけがないから、正しくは浮遊走行とでもいうべきであろうか。
だが、高木にすれば、魂となったいまでも意識的にはまだ肉体を有している状態となんら変わりがないから、やはり走っているのである。
なぜ走っているのかといえば、逃げている。
娘に会うためにはそうするしかなかった。
天使だという老人に、高木は土下座をしてまでもこの世に留まることを懇願(こんがん)した。
聞き入れてくれるまでは梃子(てこ)でも動かないつもりだった。
だがそんなとき、天からの光が射してきたのだ。
頭を下げたままでも、眩い光が広がるのを高木は感じた。
クソ、なんだよ……。
高木にとって、それは忌々しい光だった。
オレはまだ、天に召されるわけにはいかねえってのに……。
これで、娘には会えないのか、その思いに落胆したとき、老人が背を向けるのがわかった。
いましかない、そう思った。
思うや否や、高木は中腰立ちになって気配を殺しながら扉に向かった。
扉を押し開けようと手を伸ばすと、その手はなんの障害もなく扉をすり抜けた。
うわッ!
思わず高木は手を引いた。
なな、なんだよ……。
なんともいやな体感である。
それでも高木は、恐々と手を伸ばした。
なんとしても扉をすり抜けていかなければならない。
腕がゆっくりと室内の外に出ていく。
腕のつけ根まできたところで、高木は動きを止めた。
身体をすり抜けさせるのは、さすがに勇気が必要だった。
肉体がないことにまだ慣れていないのだ。
だが、そこで躊躇などしていられない。
老人に気づかれてはならない。
高木は意を決し、瞼をきつく閉じて前へ進んだ。
ぐわわわ……。
その感覚は、薄皮をゆっくりと剥がされていくような感じだった。
それでも、なんとかすり抜けることができた高木は、
じいさん、すまない……。
と、扉に向かって手を合わせると、すぐさま廊下を走り出したのであった。
やみくもに走りまくっていると、いいかげんに息があがって、高木は歩道の手すりに手をついた。
息を整えながら、ふと思う。
俺は死んでるのに、どうして息があがるんだ?……。
確かにそうである。
高木の肉体は、病院の集中治療室にあるのだ。
肉体がなければ呼吸をするわけがない。
呼吸とは生命維持のためのメカニズムであるから、死んでしまっては必要のないことである。
だから高木は、実際には呼吸などしていない。
やはりそれも、意識的に呼吸をしていると思いこんでいるだけなのであった。
そうか、意識的な問題か……。
そう意識したとたん、荒れていたと思いこんでいた息が嘘のように治まった。
それにしても、呼吸をしないというのも不思議なものである。
生を受けてからずっと、寝ても覚めても休むことなく肺に空気を送りつづけてきたのだ。
それを死んでしまったことによって、呼吸をやめてしまうというのは、なかなか不具合なものであった。
高木のいまの心境はわからなくもない。
死んだとはいえ意識は生前のままだから、何がどう変わったという感覚がないのだ。
実際には肉体はないのだが、高木にすれば生きていたときとなんら変わらぬ姿があるのだから尚更である。
それを考えると、突発的な不慮の事故で亡くなった魂が、自分の死を認められずにこの世を彷徨うというのもうなずけなくもない。
すべては己の死を自覚できるかどうか。
意識の問題なのだ。
とはいえ高木は、自分の死を自覚しながら、この世に留まることを選択した。
それは娘に会うがためにとった決断だった。
だが、いまこうしてひとりぽつんとたたずんでいると、心細さがどどっと押し寄せてくる。
老人の前から逃げ出したことは、あまりにも衝動的行動だったという思いが、高木を揺さぶってやまなかった。
馬鹿な真似をしたんだよな、やっぱり……。
これからどうなるのかと考えてみれば、あるはずのない尻の穴がすぼまる思いがした。
それは、生きているときには感じたことのないほどの孤独感だった。
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