喪失~失われた現実~

星 陽月

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チャプター【6】

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 目覚まし時計が鳴り出す時間よりも15分ほど早く眼を醒ました池内さとみは、ベッドを降りると勢いよくカーテンを開けた。
 とたんに朝の光りが部屋中を満たした。
 窓を開け、大きく伸びをする。
 空は蒼くとてもいい日和だ。
 空気をいっぱい吸いこんでベランダへと出る。

「おはよう」

 さとみは屈みこむとベランダに咲く花たちに声をかける。
 鉢に植えられた花々を眺めるのが、さとみの朝の日課だ。

「今日も元気に咲いてね」

 そう話しかけながら水を与える。
 花が大好きなさとみは、だから、いつでも花に携わっていることのできるフラワーショップで働いている。
『街角の小さなお花屋さん』で働くことが夢だったさとみは、勤めていた会社を辞めてまでして、自分の部屋から15分ほどの商店街にある小さなフラワー・ショップで働き始めたのだった。
 収入は会社に勤めていたころよりは少なくなってしまったけれど、色とりどりの花たちに囲まれていると、さとみはそれだけで幸せだった。
 それに友人たちとの交流も少なく彼氏がいるわけではないから、浪費癖のない彼女には収入が少なくても暮らしていくには充分だった。
 さとみは5階建てマンション3階の角部屋に住んでいる。
 間取りは1DKだが、陽あたりが良く花たちを育てる環境には最適で、虫がつかないように手入れを怠らなければ元気に咲きつづけてくれる。
 緑色の羽を広げて陽の光りを浴びるその小さな天使たちを眺めていると、にこにこと笑顔をうかべているように思えて、さとみは心から癒されてうれしくなるのだ。
 それだけに、茎を断った花より、小さな鉢のなかでもしっかりと土に根を張って咲く花が彼女は好きだった。
 霧吹きの水が花びらや葉の表面に小さな水玉を作り、陽の光りにきらきらと煌いている。
 飽きもせずにその光景を眺めていると、ふと、その煌きがかすかに揺れ始めた。
 風に花たちが揺れているのだろうかと思ったが、そうではない。
 風が吹いているわけでもなく、花びらや葉も揺れてはいなかった。
 さとみは顔を近づけて眼を凝らしてみた。
 すると、揺れているのは小さな水玉自体だった。
 いや、揺れているというよりは、水玉のひとつひとつが無規律に跳ねていて、それが遠めからだと揺れているように見えるのだった。
 しかも、その水玉は陽光にきらきらと煌いていたわけではなく、自ら光りを発しているようだった。
 なぜなら、陽が雲に隠れてしまってからもその水玉は煌きを失わず、むしろ陽が翳ってしまったときのほうが耀く密度を増しているのだった。
 美しいその耀きにさとみは眼を瞠った。
 自ら光りを発する水玉は踊っているかのようだ。
 するとふいに、光りが明滅をくり返し始めた。
 と思うと、こんどは無数にある水玉がひとつに重なり出した。
 水玉は明滅をくり返しながら少しずつ大きくなっていく。
 そうして、しだいにひとつの球体を形成しながら宙に浮き上がってきた。
 どうやら、光りは球体の内側から発しているらしく、一定の間隔で明滅しながら停止した。
 それはまるで、呼吸をしているようにも意思があるようにも思えた。
 大きさはビリヤードの玉ほどだろうか。
 その球体から眼を離すことができずに、さとみは知らぬ間に指先を伸ばしていた。
 指先が球体の表面に触れた。
 そのとたん、指先が触れた箇所から光りの波紋が球体の全体に広がった。
 一瞬、さとみは指先を引いたが、また球体にそろそろと指先を伸ばした。
 するとどうだろう。
 球体にはやはり意思があるのか、指先が触れようとするとわずかに後退した。
 さとみが指先を引くと球体はそのぶんだけ前進し、伸ばすとまたそのぶんだけ後退した。
 それをなんどとなくくり返すと、球体は明滅するのをやめ、ひときわ強く眩い光りを発した。
 そう思った刹那だった。
 球体は音もなく爆ぜるようにして消え失せてしまった。
 さとみは放心したように動けず、しばらくしてからはっとして我に返った。
 思わず眼をきょろきょろさせてみたが、球体はどこにも見あたらなかった。

(いまのは、なんだったの?……)

 夢でも観ていたのだろうかと思えるほど、いま眼の前で起きた現象は明らかに現実ばなれしていた。
 いや、それとも、まだ夢のなかにいるのだろうか。
 そうでなければ説明がつかない。
 現実には、あんな現象が起こりえるはずがないのだ。
 確めるまでもないが、さとみはとりあえず自分の頬を抓(つね)ってみた。

「イタッ!」

 予想を裏切らず、頬には痛みがあった。
 やはり夢ではない。
 では、あの球体の正体はいったいなんだったのだろう。
 さとみは真剣に考えこんだ。
 だがすぐに、考えるのをやめた。
 どんなに考えてみたところで、納得のいく答えが出てくるわけもない。
 ならばいっそ、これは良いことが起こる前兆なのだと思ったほうがいい。
 花たちに眼やれば、それまでとなんら変わらず元気に咲き誇っている。

(それにしても、きれいな球体だったな……)

 ふと、そんなことを思いながら、さとみは部屋の中へともどった。
 目覚まし時計に眼をやると、15分も早く起きたというのに出勤に出かけるまでの時間が少なくなっていた。
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