拝啓、お姉さまへ

一華

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第二章 5月‐序

オトウサンとのお出かけ ★9★ 志奈の時間

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柚鈴と父親が出かけてしまった後、志奈は食器を片づけ終わってから、夕食の準備のためにご飯を炊く準備をすることにした。

「お米の研ぎ方」もしっかりと習ってきた。
お米をしっかり軽量カップで量ってから、お米をとぐためのボールに入れる。
それから、買っておいた市販の水をペットボトルから、どぶどぶと注ぐ。
それから軽くまぜて、水をすぐに捨てる。
最初に米に触る水は、一番吸収されるらしい。だから、美味しい水を使うようにと教えられた。
それからようやく力は入れず、お米を研ぎ始める。
3回水を入れ替えてから、お米に水を吸わせるために浸水させた。

このまま一時間程待つことになる。
それを邪魔にならないところに置いてから、さて、と志奈は息をついた。

「柚鈴ちゃん、まだまだ帰ってこないだろうな」
当たり前のことを呟いてからがっくりと項垂れた。
あぁ、やっぱり行かせなきゃよかった。
後悔したって遅いのは分かっているけど、これが後悔せずにいられようか。

「お父様がいるから、2人のお出かけは諦めてたのに」
柚鈴が書いて持ってきた、姉妹っぽいことの一覧を眺めながら、ボソボソと呟いた。
姉妹でのお出かけ。どれも魅力的であった。
一つ一つに今後いつかは2人でやろうと思いながら、顔を綻ばせる。
妄想を広げながら、冷蔵庫からアイスティーを取り出してコップに注いだ。
ミルクとシロップを入れてストローを差し、機嫌よく二階のベランダまで運ぶ。
それからベランダに置かれたゆりかご椅子とも言われるハンギング椅子に腰掛けて、のんびり外を見た。
ゆらゆら揺れる椅子に体を預けて、改めて柚鈴ちゃんの一覧表を眺めながらアイスティを頂く。
なんて、贅沢な時間なんだろう。
幸せな気持ちで風を感じる。

5月のゴールデンウィーク。
この期間を高校生活の間、こんな風にのんびり過ごしたことなどなかった。
常葉学園の生徒会は、普通の生徒会ではない。この休みの期間もめちゃくちゃ忙しいのだ。
今年度の生徒会長である長谷川凛子を始めとした生徒会メンバーも今頃は学校にカンヅメ。
特進科の山のような宿題と同時進行で、先ずはゴールデンウィーク明けに配るための資料作りをしているはずだ。

志奈自身は普通科だったため、そこまでの苦労をしたことはなかった。
大変な作業は、進んで買ってでる友人がいたし、悩めば冷静にアドバイスしてくれた真美子がいた。
「志奈は苦労するようには、この世の中が出来ていないのよ」
冷たいとも思われがちな言い方で、良く真美子は志奈に言い聞かせたものだ。
「やりたいと思えば、勝手に材料が集まるし、人材が集まるでしょう。貴女はもうそういう人なのよ。足掻いて普通を理解しようというのがそもそもの間違いよ」

生徒会で様々なトラブルと真向かう度に、数日すれば物事が上手く治ってしまう。
注意深くさえあれば、他の人を助けない人が、志奈のことを助けているのだとすぐに気づいた。
それがとても不思議だった。
助けた人に感謝してお礼を言うが、なぜそもそも志奈が関わる前にそれをしないのか、最初は良くわからなかった。

真美子は誰に対しても冷たい表情を見せる同級生で、志奈の近くには中々寄ってこない珍しいタイプの人間だった。
だから、志奈から近づいた。
側にいると嫌そうな気配を隠さない真美子が興味深く、なんだかんだと付きまとった。

そして真美子は志奈の期待通り、志奈を特別扱いしなかったし、持っていた沢山の疑問を解消してくれた。
「生徒会長は、本当は真美子みたいな人間がやれば良かったのよね。一番優秀な人がやるのが正解だもの」
「ばかね。私がやったって、志奈が頼むようには皆動かないわよ」
「そんなことはないでしょう?」
「どうかしら?私は優秀な人間がやらなきゃいけないことを頭で考えて、更に人まで最適に動かさなきゃならないと思うとパンクする気がするわ」
冷めた目線で、真美子は苦笑する。
「人をまとめる立場の人間は、それこそ10人とか20人とか、それなりの数の人間を動かせれば上々なの。あとはその纏められた側の相手が、自分の主人のために何十倍もの人間を動かすものよ」
「そういうものなの?」
「故事ではね、そういう話よ」
珍しくふっと笑う真美子に、志奈が嬉しくなって微笑んだ。
「真美子は?生徒会長である私の為に動いてくれる1人なのかしら?」
タチの悪いものを見た、とでも言うように真美子は眉を顰めた。
重くため息を吐くと、実に嫌そうに。
「図らずもそのようね」
そう呟くのだった。

高校生活は、自分の立ち位置に不安を覚えたりもしたが楽しかった。

そして今は念願の妹がいる。
志奈が高校では助言者になれない存在でも、妹ならば関係ない。ずっと関係は続く。
ユラユラと揺れる椅子にうとうとと睡魔を感じて、床にアイスティを置いた。

「母の日かぁ、どうしようかしら」
柚鈴ちゃんが帰ってこないのは残念だったが、それは柚鈴ちゃん自身も、お母さんも残念に違いない。
姉として、少しでも妹の助けになれるようなものを考えたいと思った。

目を閉じると、風が柔らかな毛布のようで、気持ちよく呼吸を整えた。


夢の中で、柚鈴ちゃんが笑っていた。
『お姉さま』
そんな風に呼ばれていたのは、高校の助言者でも一部だったが、夢の中では志奈がそう呼ばれている。
この子に教えてあげれることはあるだろうか。助けてあげたり、導くことは出来るだろうか。

あればいいなと思った。
今はただ見守るだけしか出来ないけれど、少しでも役に立てれば、そうなれれば嬉しい。
優しい気持ちで、少しだけ、志奈は眠りについた。
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