君の記憶が消えゆく前に

じじ

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「やだ、あなたまで泣かないで。でも、あなたには悪いけれど、忘れる相手があなたで良かったとも思うの」
「…」
「華や詩なら私はきっと今より耐えられなかった…」

分かってる。彼女は、幼い娘達が訳もわからないまま母親に拒否されなくて良かったと思っているのだろう。僕なら悲しくても耐えられる。
それでも僕はやはり寂しかった。

「そうだね」

必死で平静を保ちながら答える。

「あなたには辛い思いをさせてごめんね。でも、私があなたで良かったって思うのはあなたがこの現実を受け入れて耐えられる人だからよ」
「ああ」
「私がね、あなたのことを覚えていられなくなっても、あなたにはどうか覚えておいて欲しいの」
「何をだろう」
「私があなたのことをとても愛していると言うこと。本当はずっとあなたの側であなたを支えて、そして支えられながら子ども達を育てたかったと言うことを。私にとってあなたはとても大切な人よ。」

思わず涙がこぼれる。こんな病気にでも美弥がかからなければ、きっとこんな風に改めて彼女から聞くことはできなかったであろう言葉たち。

「ありがとう。君こそ僕にとってかけがえのない…本当にかけがえのない存在なんだ。」
「ええ、もちろん知ってるわよ」

笑いながら答える彼女に思わず苦笑する。そう、こう言うところが彼女の魅力なんだ。

僕たちは二人でお互いに微笑みあった。僕はちらりと時計を見る。彼女が僕を忘れる時間が近づいてきた。

「そろそろ、私があなたを忘れる時間かしら」

僕の視線に敏感に気づいた彼女が問いかけてくる。

「うん」
「そう、ごめんね」
「いや、大丈夫だよ。」
「あなたはだれ?どうしてこの家にいるの!?出てって。警察呼ぶわよ」

ほんの一瞬で僕のことを知らない美弥へと変わる。毎度のこととはいえ、傷付かずにはいられない。
僕はそっと美弥から離れて、静かに語りかける。

「君は愛盗病なんだ。僕は君の夫だよ。そして華と詩の父だ。」
「うそよ!」
「さっきまで一緒にコーヒーを飲んでた。ほらカップが二つ。」

彼女の病気の症状が出ている時に、僕のことを思い出すことはない。でも彼女に僕と言う存在がいても不思議ではない、と納得してもらうために僕は心を尽くして今日も説明するしかないのだ。
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