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彼を守ってあげて

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 また一人、死亡確認の診断を終えて、シモーヌはスタッフ棟に帰ってきた。エアロックの気密ランプを確認し、防護服を洗浄ブースに収め、洗浄シャワーを浴びた。

 こういった事で、いちいち感傷にひたるつもりはなかった。それでは、いずれ仕事をこなす事が出来なくなる。レヴィーンのこともそうだった。自分の娘が死んでしまったような痛みを感じたけれど、それにかまけていては、この地での感染拡大を防ぐことは出来ない。

 微量のオゾンが混じった、突風のカーテンをくぐり抜けると、もう、髪も肌も乾いていた。
 不織布の服を身に着け、殺菌済みの白衣を羽織り、シモーヌはもう一つのエアロックをくぐった。
 室内に入ると同時に、もう一度だけ、手を消毒する規定になっている。シモーヌはアルコールのゲルを手に取り、よく手になじませた。

 と、シモーヌは背後の通路に、人の気配を感じた。まるで死神のような、冷ややかな気配だった。シモーヌは背後を振り返った。

「……イツキ。おどかさないで。どうしたの、他のみんなは?」

 イツキは防弾仕様のベストを身に着けていた。ベストのポケットには半透明の弾倉がぎっしり詰まっている。肩にはスリングで全長の短い銃を下げていた。
 それはシモーヌも知っているベルギー製の銃で、PDWという変わったカテゴリーに属していた。小さな弾頭で初速が高く、貫通力に優れている。携行できる弾数が多いのも特徴だ。
 いつもの黒縁メガネではなく、破片を防ぐ薄い色のシューティンググラスをかけていた。
 銃を持っているイツキは、それが本来の姿でもあるかのように、違和感がなかった。

「シモーヌ。消毒の指令が発動されたよ。まもなく米軍の戦闘車両がやってくる。空軍基地も発進の準備に入った。ここは、もうすぐ戦場だ」
「まさか……あなたがどうしてそれを知ることができるの?」

 イツキは、いまさらそんな事を、といった感じに肩をすくめた。

「シモーヌ……ぼくは『オリゾン』から派遣された工作員だ。もちろん知ることが出来るよ。軍関係者のパソコンにはサーバプログラムをばらまいているし、協力者もいる。ミラー中尉のパソコンだって覗き放題だ。薄々、感づいてはいただろう?」
「でも、そんな……世論が許さないわ……たいへんなスキャンダルよ? いったい誰がその責任を負えるというの――」

 イツキは子供に言い聞かせるように、ゆっくりと丁寧に言った。

「誰も言い訳はしないと思うよ、シモーヌ。言い逃れが出来るほど、人の命は軽くない。合衆国大統領が不慮の死を遂げ、トルコでは政権が交代し、軍の上層部ではいくつもの首がすげ変わるけど、たぶん、誰も言い訳はしない」

 優しい笑みのまま、イツキはゆっくりと首を振った。

「我々は、生涯ゆるされない罪を犯した人でなしではあるが、だが、必要なことをやった、と、そうコメントするさ」
「なんてことなの、イツキ。わたしは患者たちをどうすれば――」
「シモーヌ、あなたはスタッフと一緒にここを離れるんだ」
「でも……」
「ここにいても患者を救えるわけじゃない。あなた達が死んだら、もう誰も助けることは出来ない」
「でも、イツキ……あなたはどうするの?」

 イツキは傍らで控えているコディに腕を伸ばした。優し気に金属の肌に触れると、ヴヴッっと人間には聞き聞き辛い波長の音で、コディは応えた。

「ぼくには『コディ』がいる。ぼくは戦えるよシモーヌ。レヴィーンが気にかけていた人たちだからね。せいぜい時間を稼ぐさ」
「あなた、一人で?」
「いつでも、一人だった。レヴィーンと出会うまではね。だから、なんてことない。これは、ぼくがもともと住んでいた世界の仕事だ。だからシモーヌ。早く逃げて、『ハルシオン』に襲撃を伝えて欲しいんだ」

 シモーヌは、遠い、美化されてしまった記憶の中にある、シモーヌの為に死んでしまった若い医師を思い出した。最後を迎える直前、その若者も穏やかで落ち着いていた。
 長く話し合う時間はなかった。キャンプ責任者のシモーヌは、エアロックの洗浄サイクルを強制終了させる権限を持っている。認証の為にカードと網膜照合を使用し、シモーヌは今、通ったばかりのエアロックに戻った。
 イツキが、なにか重大な覚悟をしていた。死を覚悟していたようだし、もしかしたらそれ以上の何かを覚悟をしているようにさえ見えた。

 お願いよ、レヴィーン。彼を守ってあげて。

 スタッフに知らせるため走りながら、シモーヌはイツキの為に祈った。
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