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顔だけの王の子だった、いつかの私へ。 前編

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「――次のいきみに合わせて引きますよ! ……せーの!」
 男たちがロープを引っ張る。
 次の瞬間、粘り気のある大きな水音とともに――産まれた!
 それは馬の出産。逆子であることに気がついてから、皆で慌ててバタバタと何時間もの戦いだった。
「やった……!」
「生きてる!」
 仔馬は人間たちに見守られるなか、よろよろと起ち上がった。そして母親の乳を求めている。
「ああ、訓練よりしんどかった……」
「明日は、いやもう今日か。お前ら午前中は休んでいいぞ」
「あざっす、隊長!」
 そこは騎士団の馬房だった。持ち回りで馬の世話をするのがこの国の騎士団の伝統だった。自分たちを乗せて、いざ戦いの場に行ってくれる大事なお馬さんをお世話するのも、騎士として当たり前な勤め。
 馬の世話が一人前になってから、騎士も一人前と認められる。
 この騎士団では繁殖も少しばかり行っていた。
 優秀な軍馬から、また優秀な子供が産まれることを期待して。
 多少は慣れていた騎士団員たちではあったが、昨日の夜に出産が始まり――逆子だと気がついて。これは自分たちだけでは手が余り、危険だと、城に走り獣医殿に来ていただいたのだ。
「先生もお疲れさまでした」
「はい、皆さんも。またお昼頃に様子を見に来ますから」
 彼もちょっと寝て休みたい、と。
 時間はいつのまにか、朝日が昇る頃であった。
「お願いします!」
 獣医が荷物を片付け、お暇すると告げると、騎士がその後を慌てて追いかけた。
「俺、お送りしますよ! 良いですか、隊長?」
「もちろんだ。丁重にお送りしろ」
 それは獣医殿をお連れしてきた騎士だった。ここは馬を走らせられるよう運動場でもあり――広い。つまり、城からも遠い。
「ありがとうございます」
 彼は騒ぎで寝られなかったと少しばかり不満そうな馬を引いてくる。しかし賢い馬は、すぐに騎士のいうことを聞いて、騎士と獣医を乗せてゆっくりと走り出す。
「しっかりつかまっててくださいね!」
「はい! お願いします!」
 馬の背に揺られながら、うっかり落ちてきそうなまぶたを――睡魔と戦う。騎士のおかげで少しでも早くベッドに入れそうだと感謝して。
 騎士の背と、自分の腹の間に置いた医療鞄。
 落とさないようしっかりとつかんだ。
 これは彼の大事な宝物。
 かつて顔だけ王と呼ばれた男の息子だったアシュトンが、家族に認められたものだったから。




「すまなかったな」
 王太子となる兄に言われ、アシュトンは――しだいに溢れた涙を止められなかった。
 傍らにいた弟、ジェラールがハンカチを差し出してくれたことに、しばらく気がつかなかったほど、ぼろぼろと、まばたきもしないで。
 その様子に、兄は再び――弟を抱きしめて謝った。
「俺はお前の境遇を見ても、真実、何も見えていなかった。許せ……」
 長兄は、それは王となるものがしてはならなかったと。彼もまた、己が未熟であったと反省した。
 彼は長い間、弟のひとりが……哀れ不遇の身であることに気がついていなかった。
 てっきりこの弟は、父に贔屓され、甘やかされ、幸せ者であろうと……思い込んでいた。
 確かにアシュトンは 、贔屓され、甘やかされてはいた。

 だがそれは――酷い言い方ではあるが、愛玩動物を甘やかすが如くであった。

 気が向いたときだけ構い、あとは放置。
 父はしょせん、愛する寵姫だけしか興味がなかったのだ。

 これは他の子らを、その母親達が、それぞれの側用人などがしっかりと育てていたのもあった。
 アシュトンも誰かが育てているだろうと――思い込んでいた。

 他の子らは後ろ盾がある。
 正妃も側妃らも、それぞれの実家が。
 そしてこの国からも。

 だが、寵姫であり――国王の個人財産で賄われるだけの存在には、国からの予算はでない。当然、付き人も世話人も、国王が用意した。
 彼は知らなかったのだ。
 子の分も新たに、人材を用意する必要があると。
 平民上がりであった母親は、そういう王宮の仕組みをそもそも知らなかった。
 夫に愛されることが、そして愛することが、唯一の寵姫・・・・・のお役目だと思い込んでいた。哀しいほどに知らなかったのだ。

 アシュトンの幸いは、母親に付けられたものたちが、彼を哀れんだこと。
 放置された子を、自分たちの仕事外だが、面倒をみてくれたのだ。
 最も、本来の仕事の合間合間だったから、充分ではなかったろう。
 それでも、そのおかげで、アシュトンは生きて……多少なりとも、情を学んだ。

 そんなおり、ひとりぼっちになれた彼が暇つぶしに後宮の中を探索する遊びをしていて、弟と、その母親に出会ったことが、彼の運命を変えた。
 一匹の猫によって。

 木の上から降りられぬ真っ白なふわふわ。
 木に登るのも初めてだった。そこまで冒険する度胸は、まだなくて。
 でも。
 その場にいた女のひとたちは、現れたアシュトンにびっくりしたようだ。彼が木に登るのは、びっくりしていたその間にして、女のひとたちは止めることに遅れた。
 泣いていた自分より小さな子が、気がつけば「がんばえー!」と応援をしてくれる。意味がわからずとも不思議と手足が進む。
 アシュトンは初めてみる生き物にびっくりしながら――興奮したそれに爪で引っかかれ傷だらけになりながらも、自分より幼い子供のところにそのぐにゃぐにゃ動く白いもふもふを、無事に届けた。
 泣いてた子が笑顔になって、自分も笑顔になった。嬉しいと、それが初めての感情も……。
 何と弟だと、その時は知らなかった。

 後々、何年かして学園などに行くようになって、自分に兄弟姉妹がいると知ったり、自分が唯一愛される寵姫の息子だと……知ってしまったり。やや、間違った認識で。

 側妃は借りが出来た子を調べ――哀れんだ。

 側妃のところの側用人に、傷の理由のために寵姫の宮まで送り届けるようしたところ、誰も彼がいなくなっていることに気がついていなかったのだ。
 側妃はそれからアシュトンの傷の治療のため、何日か医者と手のものを派遣したが、寵姫はそのものらにおっとりと感謝を述べただけ。アシュトンが何かして、お礼をもらっているなら、良かったわね……と。

 王宮での暮らしのうちに、寵姫はそうあれかしと変わってしまっていた。平民時代の感情は王の望むまま、無垢で可愛らしく。王の癒しであるよう、穏やかに朗らかに。
 そのまま。何の成長もなし。
 それが寵姫・・であれ、と。

 彼女も母に育てられた記憶があろうに、平民時代には夢見るしかなかった誰かになにもかもかも世話される暮らしに――緩やかに麻痺していた。

 王の子なら、誰かに世話されているだろう、と。夫も思い込んでいることを、彼女もまた信じ込んでいた。
 現に、息子が傷をおっても、こうして誰かして治してくれている……。


 側妃は哀れんだ。しかし、手をどこまで差し伸べて良いのかが難しく。
 正妃ともう一人の側妃に相談したが、彼女らも同じく難しいと悩んだ。
 自分たちの婚姻は国と国が関わっている。
 子らについても。
 予算は、己と己の子について出されているのだ。他に使うのは、実家の民達に申し訳ない。それは税という名の金なのだから。
 寵姫の予算は、国王の資産より。
 彼女らは夫に対しての感情も多少はあった。寵姫の息子のことは彼に責任がある。自分たちとて、己の子らには責任を持っている。

 そうして悩んでいるうちに――各自、それとなく気にはしていたが――あっという間に時間は過ぎた。
 何とか学園に通えたのは、妃たちが気を回したからだ。

 しかし夫がやらかした。

 今まで、国への忠義で仕えてくれていた宰相の、堪忍袋の緒が切れた。
 彼の息子と幼なじみの、長い恋を見守っていたそれぞれの親。口約束はしていたが、意外と奥手な息子を慮り、彼が告白するのを待っていたのが仇になった。
 息子がとうとう思いを伝えて「婚約を結びたい」と言ってきた。

 待ち構えていた宰相は、忙しい最中いそいそと自ら許可を取りに行った。

 それが……――。

 伯爵令嬢の嘆きは例えられるものがない。
 無理矢理表すとしたら、最上の幸せから、地獄に落ちたといったところか。

 長年の恋が形になろうとしたのに。

 己は、跡取りだ。
 養子を取る逃げ道は、王子の婿入りで塞がれた。
 いつか子を孕まなくてはならぬ。そのためには、貴方以外に足を開かねばならぬ。それくらいなら死んだ方がましだ。
 生きることを拒み始めた想い人に――共に死ねぬ、君が生きる世界を望む勇気ない自分を許してくれと。それでも君が生きることが自分の救い、願いだと。生きてくれと泣いて縋り頼む息子をみて、宰相も血の涙を流した。
 令嬢は己が貴族だと、己の後ろに家族が、領民がいることを思い、決意した。王命には逆らえぬ。背負うものを見捨てては、今まで跡取りと育ててくれたそれらに申し訳がない。
 叶うなら、死した後に結ばれようと悲愴な決意で。

 長年の忠義の報いが、これか。

 もともと国王は「顔だけ王」と言われていた。
 長年、美姫を娶ってきた王族の集大成。
 その麗しい顔で、笑って王は言ったのだ。

「こんな近くに、ちょうど良い婿入り先があるとはな」

 近くとは、己か。
 己は、そんなにも都合よい存在なのか。

 寵姫をこれからも幸せに暮らさせてやりたい。自分に何かあれば、息子がいるだろう。息子の婿入り先が裕福なら、なんら心配はなくなった。
 息子にも良いことをしてやれた。息子も喜ぶことだろう。

 王はそう言ったのだ。
 床に這いつくばり、考えを改めてくれと頼んだ宰相に、笑って。何か悪いことをしているのかわからないと――麗しい笑みで。


 美しいことは悪いことではない。
 国内外への看板だ。
 そう使ってきた自分たちにも罪はある。

 宰相は息子に、いつか義娘なるはずだったものたちに詫びた。


 だが。
 思わぬところから。

 当の王の息子から、婿入り出来ぬと――多くの者たちの前で、お言葉があった。

 王と寵姫の息子は、彼らの良いところ取りで、またずいぶんと美しい少年だった。
 彼は顔だけでなく、美しいお心で、想い人達を引き裂けぬと身を引いてくださったと噂になった。

 側妃が手を回したのに気がついたが、その機に乗れないようで、何が宰相か。

 宰相は、妃たちは手を組んだ。

 もう長年、政務はほとんど宰相と妃たちが行っていた。よりによって、最後にした仕事が己の息子の婿入り先――宰相の息子から婿入り先を取り上げることだった。
 いるのは、祝典や国民への顔出し程度。
 もはや、乗っ取りにもなりはすまい。

 王太子もあと数年で成年だ。


 王と寵姫には、離宮に移り住んでいただいた。
 何、少しばかり、生活の質が落ちるだけで、彼らにはこれからも変わりない日々であろう。

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