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第三章

見殺し(高雅視点)

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 己を落ち着かせるためにぎこちなく息を吐くと、意を決して文を開いた。

『高雅殿、突然文を寄越す無礼、お許しくだされ。実は雅次殿が当家に参って、山吹に変異してしまった。しばらく匿ってほしいと言うてきた』

 冒頭早々、家房はさらりと嘘を吐いた。
 雅次を連れて行った近習たちは、作左は始末したと家房に報告したらしい。

『勿論、雅次殿は貴殿が己が保身のためだけに弟を殺める兄とは思うておらん。されど、貴殿の家臣たちはどうかな。雅次殿は貴殿にとっては愛してやまぬ弟でも、家臣たちにとってはそうではない。主から世継ぎの座を奪う敵として憎む輩が必ずや出てきて、諍いとなる。ゆえに、わしに保護してほしいと言うてきた。貴殿がきちんと家臣たちを説き伏せるまでな』

 一見親切でもっともらしい言い分。しかし。

『ご安心めされ。雅次殿は大事な娘婿。

 本人同様どこまでもねちっこくて気持ち悪いその文を読んだ刹那、全身の血液が怒りで爆発した。

 雅次が、犯される。
 俺の可愛い、大事な大事な雅次が、あの気持ち悪い豚にっ。

 そんな、そんなことは……!

「殿っ! 高雅様っ」
 突如大声で叫ばれ、我に返る。

 周りを見回してみると、俺は作左を含む数人の家来たちの手により、体を地面に押さえつけられていた。
 どうやら、俺は知らず知らずのうちに雅次の許に駆け出そうとしたらしい。

「お気を確かに。今、力づくで雅次様を奪い返そうものなら、『やはり高雅は弟を殺す気だった』だの何だの理由をつけ、我らを悪者にする算段。それに、下手に動けば対峙している桃井がどう動くか」

「黙れっ」
 俺は声を限りに叫んだ。

 その場にいた全員が「ひっ」と小さく悲鳴を上げたが知ったことではない。

「貴様、弟をみすみす渡せと申すかっ。たった一人の、大事な大事な弟を、あの薄汚い豚にっ」

 俺の怒号に、作左も小さく悲鳴を上げ、顔面蒼白になった。
 だが、すぐに震える唇を噛みしめると、俺に体当たりする勢いでしがみついてきて、

「ど、どうしても気が治まらぬのでしたら、

 悲痛な声でそう叫んできた。
 瞬間、はっと息を呑む俺にさらにしがみついて、

「お願いでございます。どうぞ、どうぞご自重を」
 必死に懇願する。

 そんな作左や不安げにこちらを凝視してくる家臣たちの顔を見ると、怒りを鎮めるしかなかった。

 俺はこの軍の総大将。俺の肩にこの者たちの命がかかっている。

 自分勝手な私心で無駄死させていい命などない。

 ここは作左の言うとおり、桃井をどうにかするまで動かずにいる。
 それが主として責務。

 分かっている。だが、だが……っ!

 いかなる理由があろうと、

 その事実が重くのしかかり、息をするのも辛かった。

 雅次は今、どう思っている。
 こんな無能な俺をどう……っ。

 ――俺があの男に……されたら、兄上は……俺を、嫌いになりますか?

「……っ」
 不意に脳裏に蘇った言葉に息が止まる。

 それは、家房にまた襲われそうになったら俺に言えと言った時に、雅次が返してきた言葉。

 あの時、俺はそんなことを言ってくる雅次に、強い憤りを覚えた。
 俺を立派な武将に仕立て上げるためなら、舅にまで抱かれに行く気かと。

 けれど、今は……別の意味だったのではないかという気がしてくる。

 もしかして、雅次はこうなることが分かっていたのではないか。

 俺個人がどんなに雅次のことを守ろうとしても、軍の総大将、伊吹家世継ぎという立場にある俺は自由に動くことはできない上に、自分の周りには家房の息のかかった者が多い。

 今回のように、俺が戦などで身動きが取れないところを突かれたらどうしようもない。

 雅次の意思など関係ない。
 されるがまま、受け入れざるを得ない。

 だから、あんなことを訊いて来た。

 一人にしたら家房に抱かれに行きそうだから離したくないと俺が駄々を捏ねれば、「そんなことは決してしない」と嘘を吐き、「我が心には兄上だけ」と宥めることしかできなかった。

 もしそうだったとしたら、俺をお人好しの馬鹿だと雅次が思いたくなる気持ちも分かるし……俺が思っている以上に、雅次はずっと過酷で辛い状況下にいる。

 身を引き裂かれるような心地だった。
 とはいえ、家房の思惑を思うと、嘆いてばかりもいられない。

 婿
 そう考えているとしたら!

 ……駄目だ。
 それだけは、何としてでも阻止しなければならない。

 そのためには。

 ――お慕いしています。兄上だけ、兄上じゃなきゃ、俺は駄目なんです。ですから、どうか俺のことを信じてください。どうか。

 雅次の掌の感触が残る拳を握り締め、俺はその言葉を反芻させた。
 自分に言い聞かせるように、何度も何度も。
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