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第三章

雅次の家族(後編)(雅次視点)

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 あの「可愛い」の塊でしかない龍王丸を、貧相と言ったのか……。

「虎千代に卑しさが移っては大変だから関わらないよう言っているのに、向こうからまとわりついてくるようで。きっと、虎千代の玩具を狙っているんだわ。まるで物乞い」

「っ……それ、虎千代にも言っているのか?」

「ええ? 当然でしょう? 

「……」
 これは、即刻何とかしなければならない。

 放っておけば、虎千代はこの女のような、救いようのない屑に成長する。伊吹よりも高垣第一の思考になる。

 そして必ずや、兄上や龍王丸に仇なす存在となる。
 そうなっては困る。ならば。 

「とにかく! あの子を喜ばせたいなら、職人が作らせた立派な玩具を買って。母親の私がいつも綺麗でいられるよう、美しい着物や紅を買って! もっと大事に……私たちのことを第一に考えて! 私たちは、。それなのに」


 俺は畏まった声音で、女をそう呼んだ。

 形ばかりの妻だ。
 これくらい他人行儀で十分。

「虎千代のことですが、今日よりしかるべき乳母に育てさせます」
 さらりと言った。女が「え?」と間の抜けた声を漏らし、目を丸くした。

「い、今、なんて言ったの?」

「虎千代はもう六つ。母の許を離れ、立派な武将になるための厳しい修練を積むべき」

「嫌よ!」
 女は悲鳴を上げた。

「虎千代は私の子よっ。どうして他人に引き渡して、そんな可哀想な目に遭わせなきゃならないの。絶対嫌。虎千代が可哀想」

「武家の習いです。由緒正しき名門高垣家においてもそうでしょう?」

「そ、それは」

「それに、これはあの子のためです。、今のような豪奢な暮らしは忘れてもらわねば困る」

「っ……なんてこと言うのよ! あの子がそんなひもじい思いをせぬよう励んでって、今言ったばかり……」

「仮に、それがしが獅子奮迅の働きをしてみせたとしても、それがしが出世することはございません」

「! どうして」


 そう言ってやった瞬間、女の顔色が変わった。

「俺が出世すれば、我らを妬んで追い落とそうと目論む敵が必ず出てきます。そして、虎千代の出生について暴露されたらどうなると思います? 全員が困ります。嫁入り前の身でありながら乳兄弟と通じた挙げ句に孕み、その男を引き連れて嫁入りしたあなた。そんな妻を迎え入れた俺。そんな娘を当家に押しつけた父君。その要望を受け入れた我が父。そして、虎千代」

「……!」

「ゆえに我らは日の目を見ることなく、目立たぬよう息を殺して生きるより他ないのです」

「あ、ああ……」

「それがしはそのことを承知で、姫様を受け入れました」

 伊吹の血が一滴も通わぬ男児を嫡男として抱え込めば、俺が世継ぎに選ばれる可能性は完全に消え、兄上たちの将来が安泰になるから。

 こんなごみみたいな妻子なら、何の気兼ねもなく、いつでもごみのように捨てることができて……

 なんて、本当のことは言えないから、


 素知らぬ顔で、しれっとそう言ってやった。

「そのこと、今も後悔はしておりません。あなたはどうです。愛しい男との愛欲の日々。それさえ手に入れば、他に何もいらなかったのでは?」

 どうぞ、ご自重を。

 深々頭を下げると、俺は部屋を辞した。

 部屋を出るなり人を呼びつけ、虎千代を母親から引き離す手筈を整えていると、部屋の中から女の大きな泣き声が聞こえてきた。

 侍女たちは皆おろおろとしていたが、気にせず指示していると、血相を変えた虎千代と、その父親の近習が駆け寄ってきた。

「お前! 下っ端の分際で母上に何をした……ぎゃっ」
 不躾に俺を指差し、偉そうに怒鳴ってきた虎千代の頬を俺は軽く張った。

「『お前』、ではない。慎め」
 淡々と告げる。

 虎千代は何が起こったのか分からずぽかんと口を開いたまま固まっていたが、しばらくして頬の痛みに気づいたのか、「母上ぇ」と声を上げて泣き出した。

 散々偉ぶっていたくせに、軽く頬を張られた程度でこのありさま。なんと情けない。

 そして、虎千代がいくら母を呼んでも、あの女は部屋から出てこない。自分が泣くのに忙しいらしい。
 とんだ母親だ。

「若様っ。き……殿、なんということを……ひっ」

 貴様と言いかけ、慌てて「殿」と言い直して詰め寄ってきた近習は、俺が一睨みしただけで、小さな悲鳴を上げて黙った。

 いよいよ睨みつけてやると、鼠のようにおどおどと忙しなく目を泳がせた後、

「ひ、姫様、大丈夫でございまするかっ」

 突如そう叫んで、泣いている虎千代を置き去りにしたまま、いまだ泣き喚いている女の部屋に飛び込んでいった。

 女のところに逃げたか。しかも、泣いている我が子を置き去りにして。
 全く、母親が母親なら、父親も父親だ。 

 あんな連中に育てられたら、ろくな人間にならない。

 さっさと家来に命じ、いまだに泣きじゃくる虎千代を連れて行かせる。

 いまだに「母上、母上」と叫ぶ声は哀切極まりなく、侍女たちは目に涙を浮かべていたが、俺は眉一つ動かさなかった。

 これが、

 この機会をものにし、龍王丸の忠臣として生きていくのならそれでよし。
 もし、このまま母離れできず、母親と同じ高垣第一の屑になるというなら、その時は……

 
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