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第二章
雲に隠れた月(後編)(高雅視点)
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「この先、雅次は色んな人間に出会い、誰かを好きになるだろう。だが、誰を好きになっても、この思考が変わらぬ限り、あやつは閉じた世界で独りぼっちのまま。俺は、それがどうしても嫌だ。どうにかしたい。だが」
「あなただけでは、駄目なのですね」
その言葉に、思わず唇を噛みしめる。
できることなら、誰の力も借りず一人で何とかしたい。
雅次は俺のことを嫌いになってしまったが、俺は雅次が好きだ。たまらなく好きだ。
そばにいてくれるだけで嬉しいし、たまに見せてくれる甘えた仕草が可愛くてしかたない。
昔のようにもっと甘えてほしい。屈託なく笑って、心を開いてほしい。
幸せになってほしい。
そう、願ってやまない。
しかし、俺だけを見ていては、雅次はいつまで経っても変わることはできない。
まずは、俺たち兄弟にも優しくて温かい人間もこの世にいることを知らねばどうにもならならない。
この十年、城の外の世界で生き、たくさんの人間に出会って、学んだのだ。
人は一人きり、二人きりでは生きていけない。大なり小なり、大勢の人間と関わりを持って初めて生きていけるし、幸せにもなれるのだと。
ただ、俺以外に目を向けるきっかけを雅次に与える相手を、誰にすればいいかが分からない。
何の打算もなく、ただただ純粋に雅次のことを好いてくれて、優しくて温かい……いるか? この時点でそんな人間。と、首を捻った時だ。
『兄上』
突然部屋の外から雅次の声が聞こえてきたものだから、俺は乃絵と顔を見合わせた。
「……雅次? どうかしたのか」
平静を装いながら声をかけると、障子が開き、雅次が顔を覗かせた。
その顔は、絵に描いたような困り顔だ。
「兄上、助けてください」
「! どうしたっ。何があった……っ」
普段、死んでも弱音を吐こうとしない雅次が助けを求めてくるなんてよほどのことだと駆け寄り、俺は目を丸くした。
雅次の腕に娘の琴がくっついている。
「まーぐ。まーぐ」
「突然職場に入ってきたかと思ったら、こんなふうにくっついてきて離れないのです。上役の方は、もう仕事はいいから琴殿と遊んでやれだなんてありえないことを言うし。どうにかして……」
「まーぐ、おそら、とんだ」
「! 俺は空など飛んでおりません」
「まーぐ、とんだの、くも」
「くも? くもとはどちらのくもです。虫ですか? それとも、空に漂ってる」
「まーぐ、たべた、まんまーん」
「いきなり何の話ですっ?」
赤ん坊特有の会話を馬鹿正直に受け取って戸惑いまくる雅次に、俺は「ははあ」と声を上げた。
そう言えば、初めて雅次と引き合わせた時、琴は雅次に興味津々で、しきりに雅次のことを見ていたし、名を教えると「まーぐ、まーぐ」とやたらと連呼していた。
俺はそれを、「初めて見る人間が物珍しいのだな」とか、「こんなにすぐ名前を覚えるなんてうちの娘は天才だ!」とか。実に暢気に考えていた。
まさか、こんなに雅次のことを気に入っていたなんて……と、呆気に取られていると、
「まあ。よかったわね、琴。雅次様と遊んでもらえるなんて」
乃絵がぽんっと手を打ち、そう言った。とっさに顔を向けると、「ねえ?」と俺に同意を求めてくる。
まさか、先ほど俺が話していた、雅次にきっかけを与える相手を琴にさせるつもりか?
「いいのか?」と、目で問うと乃絵が笑って頷くので、俺は小さく頷き返し、勢いよく雅次に振り返った。
「雅次! 俺はこんなに人に懐く琴を見たことがない。お前、子どもの扱いが上手いのだな。初めて知った」
「え、え? いえ、俺は何もしておりません。琴殿が勝手に」
「まーぐ、くさ、たべたい」
「草っ? さようなもの、食べてはいけません。というか、少し静かにしてください。今、琴殿の父上とお話を……」
「そうと分かったら、お前を今日から『琴係』に任ずる」
「……は?」
ぽかんと口を開く雅次の肩を、俺は力強く叩いた。
「琴の子守をしてくれ。琴が喜ぶ」
笑顔いっぱいに言ってやると、雅次は目を剥いた。
「そんな……駄目ですっ。俺はまだここへ来たばかりの新参者。覚えなきゃならないことがたくさんあります。子守なんてしてる暇ない」
「勿論、四六時中しろだなんて言わない。仕事終わりに半刻ほど。それならいいだろ?」
「お断りします!」
冗談じゃないとばかりに大声で突っぱねてくる。すると。
「まーぐ、ぷんぷんなの?」
琴がひどく悲しげな声を漏らした。どうやら、自分が雅次に怒られたと思ったらしく、
「まーぐ、ぷんぷんしたああ」
声を上げて泣き出した。これには雅次もぎょっとして、
「ち、ちが……琴殿を怒ったのではないのです。俺は兄上を……っ」
「まーぐ、ぷんぷんいやあああ」
雅次にしがみついて、いよいよ泣き声を上げる。
これは、今の雅次にはうってつけの逸材だ。
父親としては少々複雑だが、それでも――。
琴。ととの大事な弟を好きになってくれてありがとう。
もっとたくさん、好きになってやってくれ。雅次が……案外、この世界は温かいものだと気づけるように。
おろおろするばかりの雅次にしがみついて泣きじゃくる琴の頭を撫でつつ、俺は胸の内で独り言ちた。
「あなただけでは、駄目なのですね」
その言葉に、思わず唇を噛みしめる。
できることなら、誰の力も借りず一人で何とかしたい。
雅次は俺のことを嫌いになってしまったが、俺は雅次が好きだ。たまらなく好きだ。
そばにいてくれるだけで嬉しいし、たまに見せてくれる甘えた仕草が可愛くてしかたない。
昔のようにもっと甘えてほしい。屈託なく笑って、心を開いてほしい。
幸せになってほしい。
そう、願ってやまない。
しかし、俺だけを見ていては、雅次はいつまで経っても変わることはできない。
まずは、俺たち兄弟にも優しくて温かい人間もこの世にいることを知らねばどうにもならならない。
この十年、城の外の世界で生き、たくさんの人間に出会って、学んだのだ。
人は一人きり、二人きりでは生きていけない。大なり小なり、大勢の人間と関わりを持って初めて生きていけるし、幸せにもなれるのだと。
ただ、俺以外に目を向けるきっかけを雅次に与える相手を、誰にすればいいかが分からない。
何の打算もなく、ただただ純粋に雅次のことを好いてくれて、優しくて温かい……いるか? この時点でそんな人間。と、首を捻った時だ。
『兄上』
突然部屋の外から雅次の声が聞こえてきたものだから、俺は乃絵と顔を見合わせた。
「……雅次? どうかしたのか」
平静を装いながら声をかけると、障子が開き、雅次が顔を覗かせた。
その顔は、絵に描いたような困り顔だ。
「兄上、助けてください」
「! どうしたっ。何があった……っ」
普段、死んでも弱音を吐こうとしない雅次が助けを求めてくるなんてよほどのことだと駆け寄り、俺は目を丸くした。
雅次の腕に娘の琴がくっついている。
「まーぐ。まーぐ」
「突然職場に入ってきたかと思ったら、こんなふうにくっついてきて離れないのです。上役の方は、もう仕事はいいから琴殿と遊んでやれだなんてありえないことを言うし。どうにかして……」
「まーぐ、おそら、とんだ」
「! 俺は空など飛んでおりません」
「まーぐ、とんだの、くも」
「くも? くもとはどちらのくもです。虫ですか? それとも、空に漂ってる」
「まーぐ、たべた、まんまーん」
「いきなり何の話ですっ?」
赤ん坊特有の会話を馬鹿正直に受け取って戸惑いまくる雅次に、俺は「ははあ」と声を上げた。
そう言えば、初めて雅次と引き合わせた時、琴は雅次に興味津々で、しきりに雅次のことを見ていたし、名を教えると「まーぐ、まーぐ」とやたらと連呼していた。
俺はそれを、「初めて見る人間が物珍しいのだな」とか、「こんなにすぐ名前を覚えるなんてうちの娘は天才だ!」とか。実に暢気に考えていた。
まさか、こんなに雅次のことを気に入っていたなんて……と、呆気に取られていると、
「まあ。よかったわね、琴。雅次様と遊んでもらえるなんて」
乃絵がぽんっと手を打ち、そう言った。とっさに顔を向けると、「ねえ?」と俺に同意を求めてくる。
まさか、先ほど俺が話していた、雅次にきっかけを与える相手を琴にさせるつもりか?
「いいのか?」と、目で問うと乃絵が笑って頷くので、俺は小さく頷き返し、勢いよく雅次に振り返った。
「雅次! 俺はこんなに人に懐く琴を見たことがない。お前、子どもの扱いが上手いのだな。初めて知った」
「え、え? いえ、俺は何もしておりません。琴殿が勝手に」
「まーぐ、くさ、たべたい」
「草っ? さようなもの、食べてはいけません。というか、少し静かにしてください。今、琴殿の父上とお話を……」
「そうと分かったら、お前を今日から『琴係』に任ずる」
「……は?」
ぽかんと口を開く雅次の肩を、俺は力強く叩いた。
「琴の子守をしてくれ。琴が喜ぶ」
笑顔いっぱいに言ってやると、雅次は目を剥いた。
「そんな……駄目ですっ。俺はまだここへ来たばかりの新参者。覚えなきゃならないことがたくさんあります。子守なんてしてる暇ない」
「勿論、四六時中しろだなんて言わない。仕事終わりに半刻ほど。それならいいだろ?」
「お断りします!」
冗談じゃないとばかりに大声で突っぱねてくる。すると。
「まーぐ、ぷんぷんなの?」
琴がひどく悲しげな声を漏らした。どうやら、自分が雅次に怒られたと思ったらしく、
「まーぐ、ぷんぷんしたああ」
声を上げて泣き出した。これには雅次もぎょっとして、
「ち、ちが……琴殿を怒ったのではないのです。俺は兄上を……っ」
「まーぐ、ぷんぷんいやあああ」
雅次にしがみついて、いよいよ泣き声を上げる。
これは、今の雅次にはうってつけの逸材だ。
父親としては少々複雑だが、それでも――。
琴。ととの大事な弟を好きになってくれてありがとう。
もっとたくさん、好きになってやってくれ。雅次が……案外、この世界は温かいものだと気づけるように。
おろおろするばかりの雅次にしがみついて泣きじゃくる琴の頭を撫でつつ、俺は胸の内で独り言ちた。
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