本を歩け!

悠行

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「ほら、来たでしょう」
 何気なく囁く明子さんを見ると、はっとして、一人さんは絶句して言葉を失った。
「おまえ……」
 よくやく絞り出したのもその一言だった。私はその反応を見て、これは一人さんもどきではなく、本人なのだと確信した。
「え?」
 明子さんは分かっていないようで、
「ね、いるでしょ」
 とさも当然のように言う。
「違うんですよ、説明不足で申し訳なかったんですけど、実際の現実世界の話で、一人さんがいなくなったと」
 一人さんの方は、かなり動揺していた。
「お、お前。明子」
「え?」
 明子、と叫んで一人さんは明子さんに抱き付いた。明子、明子と何度も読んでいる。泣いているようだった。
「あなた、どうしたの」
「どうしたのじゃない。生きているなんて」
 一人さんにとっては五年前に亡くなった妻との再会である。感涙している。明子さんは未だいまいち状況を飲み込めていない。ふと明子さんが、
「あなた……老けたわね」
 と言った。私は思わずふっと笑ってしまった。
「明子さん、その、旦那さんは本当の、旦那さんですよ」
「えっ」
「私が昼間入ったみたいに、この世界に入ってしまっているんです」
「そうなの?」
 明子さんは信じられない、と言った顔で見つめていた。しかし一人さんのように感動は内容だった。
「でも確かに、毎日会う顔より老けているわ……」
 この世界の明子さんにとっては、毎日会う顔だから珍しいものではないのだ。感動している一人さんとの感情の差がすごかった。
「不思議ね。あなたが来たときはものすごくいつもの読者が来たときとちがうとピンと来たのに。夫が来たときは分からなかった。なにか、当たり前に、いつもいるみたいに感じるわ」
「明子。俺はお前に会えて嬉しいよ。いつもお前には苦労をかけた。亡くなってから、俺はお前を全然知らなかったと気付いた。今日この学生さんたちが来て、世の中にはたくさん明子の書いた文章を知っている人がいるのに、俺は全然分かってないと改めて思ったんだ」
「分かってないなんて、そんな」
 明子さんは声を詰まらせた。
「もっと知って欲しいとは思いました。でも全然分かってくれていなかったなんて、思っていません」
「ああ、明子。お前はいつも優しいな。俺は死んでしまったんだろうか」
「あなた、あなたは死んだんじゃないわ。孫もいるし、まだまだ元気にやって頂戴」
 確かに一人さんからすれば、死んだ妻に会えているなんて、天国か何かかと思うだろう。
「俺は死んでいないのか」
「ええ、ここは私の書いた文章の世界よ」
「文章の?」
「あなた、ここに来る前に私の文章を読んでいたんじゃない?」
「ああ、そうだ。最初はそうめんを作っているお前を見た。夢だと思った。それでまたどんどん歩いて来たら、またお前がいて、昼間来た学生さんもいるから、明子がこの世に生き返ったんだと思って……」
 ふと、一人さんは声を止めた。
「生き返ったわけじゃ、ないのか」
 悲しい沈黙が訪れた。一人さんの呻く声が続いた。
「ここは、どういうことなんだ」
「私の書いた文章の世界よ。あなたはここに、転がり込んできたの」
 一人さんは最初全く理解できない様子だったが。しばらく明子さんと同じようなやり取りを続け、だんだんこの不思議な状況が呑み込めてきたようで、一人さんはああ、と呻いた。
「じゃあまた、明子がいない現実が待っているのか」
 私と重垣は一連のやり取りを、ただ黙ってみているだけだった。私はなぜ一人さんがここに来れたのだろうかと考えていた。戸成さんはここにいない。戸成さんの読書は、私の読書ではないからだ。しかし一人さんはここにいる。
 ふと、分かった。一人さんは読者であり、登場人物なのだ。
 先ほど重垣の漫画の中で、私は重垣の作品のキャラクターだった。この文章の中で、明子さんは最後、夫のいる家に帰り、いつもの日常を始めるところで終わる。一人さんはどの人が読んでもこの文章にいる。だから私が入っても会えたのだ。
「重垣、分かったかもしれない」
「お、おう、なんだ」
 重垣は茫然と一人夫妻のやりとりを見つめていたので、私が急に話して驚いていた。
「戸成さんと一人さんは、多分読者で、登場人物なんだ。私達は作者で、登場人物で、読者だけど」
「おう、だから?」
 いまいち重垣は分かっていないようだったが、私は続けた。
「戸成さんが戸成さんとして登場する作品に入れれば、戸成さんは出られる」
「戸成が戸成として登場する作品?」
「一人さんは今、一人さんという登場人物だからここにいるの。だから読む人が違っても、登場人物としてそこにいてくれればきっと会えるはず」
 もしかしたらさっきの重垣の漫画も、そこに戸成さんがいれば戸成さんがあの戸成もどきのキャラクターになったのかもしれない。しかし戸成さんは小説世界にいる。だからいなかった。そうなんじゃないか。分からない。でもそうだと思いたい。
「早く、とりあえずやってみなきゃ」
「分かったから。分かったから落ち着け」
 明子さんと一人さんは横で急に興奮して話し始めた私を不思議そうに見ていた。
「一人さん。すみません。私は友達を、戸成さんを現実に戻さないといけなくて。だから早く、帰らないと」
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