59 / 63
4章 本を探す
4章 本を探す 12
しおりを挟む
「ほら、来たでしょう」
何気なく囁く明子さんを見ると、はっとして、一人さんは絶句して言葉を失った。
「おまえ……」
よくやく絞り出したのもその一言だった。私はその反応を見て、これは一人さんもどきではなく、本人なのだと確信した。
「え?」
明子さんは分かっていないようで、
「ね、いるでしょ」
とさも当然のように言う。
「違うんですよ、説明不足で申し訳なかったんですけど、実際の現実世界の話で、一人さんがいなくなったと」
一人さんの方は、かなり動揺していた。
「お、お前。明子」
「え?」
明子、と叫んで一人さんは明子さんに抱き付いた。明子、明子と何度も読んでいる。泣いているようだった。
「あなた、どうしたの」
「どうしたのじゃない。生きているなんて」
一人さんにとっては五年前に亡くなった妻との再会である。感涙している。明子さんは未だいまいち状況を飲み込めていない。ふと明子さんが、
「あなた……老けたわね」
と言った。私は思わずふっと笑ってしまった。
「明子さん、その、旦那さんは本当の、旦那さんですよ」
「えっ」
「私が昼間入ったみたいに、この世界に入ってしまっているんです」
「そうなの?」
明子さんは信じられない、と言った顔で見つめていた。しかし一人さんのように感動は内容だった。
「でも確かに、毎日会う顔より老けているわ……」
この世界の明子さんにとっては、毎日会う顔だから珍しいものではないのだ。感動している一人さんとの感情の差がすごかった。
「不思議ね。あなたが来たときはものすごくいつもの読者が来たときとちがうとピンと来たのに。夫が来たときは分からなかった。なにか、当たり前に、いつもいるみたいに感じるわ」
「明子。俺はお前に会えて嬉しいよ。いつもお前には苦労をかけた。亡くなってから、俺はお前を全然知らなかったと気付いた。今日この学生さんたちが来て、世の中にはたくさん明子の書いた文章を知っている人がいるのに、俺は全然分かってないと改めて思ったんだ」
「分かってないなんて、そんな」
明子さんは声を詰まらせた。
「もっと知って欲しいとは思いました。でも全然分かってくれていなかったなんて、思っていません」
「ああ、明子。お前はいつも優しいな。俺は死んでしまったんだろうか」
「あなた、あなたは死んだんじゃないわ。孫もいるし、まだまだ元気にやって頂戴」
確かに一人さんからすれば、死んだ妻に会えているなんて、天国か何かかと思うだろう。
「俺は死んでいないのか」
「ええ、ここは私の書いた文章の世界よ」
「文章の?」
「あなた、ここに来る前に私の文章を読んでいたんじゃない?」
「ああ、そうだ。最初はそうめんを作っているお前を見た。夢だと思った。それでまたどんどん歩いて来たら、またお前がいて、昼間来た学生さんもいるから、明子がこの世に生き返ったんだと思って……」
ふと、一人さんは声を止めた。
「生き返ったわけじゃ、ないのか」
悲しい沈黙が訪れた。一人さんの呻く声が続いた。
「ここは、どういうことなんだ」
「私の書いた文章の世界よ。あなたはここに、転がり込んできたの」
一人さんは最初全く理解できない様子だったが。しばらく明子さんと同じようなやり取りを続け、だんだんこの不思議な状況が呑み込めてきたようで、一人さんはああ、と呻いた。
「じゃあまた、明子がいない現実が待っているのか」
私と重垣は一連のやり取りを、ただ黙ってみているだけだった。私はなぜ一人さんがここに来れたのだろうかと考えていた。戸成さんはここにいない。戸成さんの読書は、私の読書ではないからだ。しかし一人さんはここにいる。
ふと、分かった。一人さんは読者であり、登場人物なのだ。
先ほど重垣の漫画の中で、私は重垣の作品のキャラクターだった。この文章の中で、明子さんは最後、夫のいる家に帰り、いつもの日常を始めるところで終わる。一人さんはどの人が読んでもこの文章にいる。だから私が入っても会えたのだ。
「重垣、分かったかもしれない」
「お、おう、なんだ」
重垣は茫然と一人夫妻のやりとりを見つめていたので、私が急に話して驚いていた。
「戸成さんと一人さんは、多分読者で、登場人物なんだ。私達は作者で、登場人物で、読者だけど」
「おう、だから?」
いまいち重垣は分かっていないようだったが、私は続けた。
「戸成さんが戸成さんとして登場する作品に入れれば、戸成さんは出られる」
「戸成が戸成として登場する作品?」
「一人さんは今、一人さんという登場人物だからここにいるの。だから読む人が違っても、登場人物としてそこにいてくれればきっと会えるはず」
もしかしたらさっきの重垣の漫画も、そこに戸成さんがいれば戸成さんがあの戸成もどきのキャラクターになったのかもしれない。しかし戸成さんは小説世界にいる。だからいなかった。そうなんじゃないか。分からない。でもそうだと思いたい。
「早く、とりあえずやってみなきゃ」
「分かったから。分かったから落ち着け」
明子さんと一人さんは横で急に興奮して話し始めた私を不思議そうに見ていた。
「一人さん。すみません。私は友達を、戸成さんを現実に戻さないといけなくて。だから早く、帰らないと」
何気なく囁く明子さんを見ると、はっとして、一人さんは絶句して言葉を失った。
「おまえ……」
よくやく絞り出したのもその一言だった。私はその反応を見て、これは一人さんもどきではなく、本人なのだと確信した。
「え?」
明子さんは分かっていないようで、
「ね、いるでしょ」
とさも当然のように言う。
「違うんですよ、説明不足で申し訳なかったんですけど、実際の現実世界の話で、一人さんがいなくなったと」
一人さんの方は、かなり動揺していた。
「お、お前。明子」
「え?」
明子、と叫んで一人さんは明子さんに抱き付いた。明子、明子と何度も読んでいる。泣いているようだった。
「あなた、どうしたの」
「どうしたのじゃない。生きているなんて」
一人さんにとっては五年前に亡くなった妻との再会である。感涙している。明子さんは未だいまいち状況を飲み込めていない。ふと明子さんが、
「あなた……老けたわね」
と言った。私は思わずふっと笑ってしまった。
「明子さん、その、旦那さんは本当の、旦那さんですよ」
「えっ」
「私が昼間入ったみたいに、この世界に入ってしまっているんです」
「そうなの?」
明子さんは信じられない、と言った顔で見つめていた。しかし一人さんのように感動は内容だった。
「でも確かに、毎日会う顔より老けているわ……」
この世界の明子さんにとっては、毎日会う顔だから珍しいものではないのだ。感動している一人さんとの感情の差がすごかった。
「不思議ね。あなたが来たときはものすごくいつもの読者が来たときとちがうとピンと来たのに。夫が来たときは分からなかった。なにか、当たり前に、いつもいるみたいに感じるわ」
「明子。俺はお前に会えて嬉しいよ。いつもお前には苦労をかけた。亡くなってから、俺はお前を全然知らなかったと気付いた。今日この学生さんたちが来て、世の中にはたくさん明子の書いた文章を知っている人がいるのに、俺は全然分かってないと改めて思ったんだ」
「分かってないなんて、そんな」
明子さんは声を詰まらせた。
「もっと知って欲しいとは思いました。でも全然分かってくれていなかったなんて、思っていません」
「ああ、明子。お前はいつも優しいな。俺は死んでしまったんだろうか」
「あなた、あなたは死んだんじゃないわ。孫もいるし、まだまだ元気にやって頂戴」
確かに一人さんからすれば、死んだ妻に会えているなんて、天国か何かかと思うだろう。
「俺は死んでいないのか」
「ええ、ここは私の書いた文章の世界よ」
「文章の?」
「あなた、ここに来る前に私の文章を読んでいたんじゃない?」
「ああ、そうだ。最初はそうめんを作っているお前を見た。夢だと思った。それでまたどんどん歩いて来たら、またお前がいて、昼間来た学生さんもいるから、明子がこの世に生き返ったんだと思って……」
ふと、一人さんは声を止めた。
「生き返ったわけじゃ、ないのか」
悲しい沈黙が訪れた。一人さんの呻く声が続いた。
「ここは、どういうことなんだ」
「私の書いた文章の世界よ。あなたはここに、転がり込んできたの」
一人さんは最初全く理解できない様子だったが。しばらく明子さんと同じようなやり取りを続け、だんだんこの不思議な状況が呑み込めてきたようで、一人さんはああ、と呻いた。
「じゃあまた、明子がいない現実が待っているのか」
私と重垣は一連のやり取りを、ただ黙ってみているだけだった。私はなぜ一人さんがここに来れたのだろうかと考えていた。戸成さんはここにいない。戸成さんの読書は、私の読書ではないからだ。しかし一人さんはここにいる。
ふと、分かった。一人さんは読者であり、登場人物なのだ。
先ほど重垣の漫画の中で、私は重垣の作品のキャラクターだった。この文章の中で、明子さんは最後、夫のいる家に帰り、いつもの日常を始めるところで終わる。一人さんはどの人が読んでもこの文章にいる。だから私が入っても会えたのだ。
「重垣、分かったかもしれない」
「お、おう、なんだ」
重垣は茫然と一人夫妻のやりとりを見つめていたので、私が急に話して驚いていた。
「戸成さんと一人さんは、多分読者で、登場人物なんだ。私達は作者で、登場人物で、読者だけど」
「おう、だから?」
いまいち重垣は分かっていないようだったが、私は続けた。
「戸成さんが戸成さんとして登場する作品に入れれば、戸成さんは出られる」
「戸成が戸成として登場する作品?」
「一人さんは今、一人さんという登場人物だからここにいるの。だから読む人が違っても、登場人物としてそこにいてくれればきっと会えるはず」
もしかしたらさっきの重垣の漫画も、そこに戸成さんがいれば戸成さんがあの戸成もどきのキャラクターになったのかもしれない。しかし戸成さんは小説世界にいる。だからいなかった。そうなんじゃないか。分からない。でもそうだと思いたい。
「早く、とりあえずやってみなきゃ」
「分かったから。分かったから落ち着け」
明子さんと一人さんは横で急に興奮して話し始めた私を不思議そうに見ていた。
「一人さん。すみません。私は友達を、戸成さんを現実に戻さないといけなくて。だから早く、帰らないと」
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
妹を見捨てた私 ~魅了の力を持っていた可愛い妹は愛されていたのでしょうか?~
紗綺
ファンタジー
何故妹ばかり愛されるの?
その答えは私の10歳の誕生日に判明した。
誕生日パーティで私の婚約者候補の一人が妹に魅了されてしまったことでわかった妹の能力。
『魅了の力』
無自覚のその力で周囲の人間を魅了していた。
お父様お母様が妹を溺愛していたのも魅了の力に一因があったと。
魅了の力を制御できない妹は魔法省の管理下に置かれることが決まり、私は祖母の実家に引き取られることになった。
新しい家族はとても優しく、私は妹と比べられることのない穏やかな日々を得ていた。
―――妹のことを忘れて。
私が嫁いだ頃、妹の噂が流れてきた。
魅了の力を制御できるようになり、制限つきだが自由を得た。
しかし実家は没落し、頼る者もなく娼婦になったと。
なぜこれまであの子へ連絡ひとつしなかったのかと、後悔と罪悪感が私を襲う。
それでもこの安寧を捨てられない私はただ祈るしかできない。
どうかあの子が救われますようにと。
子育て失敗の尻拭いは婚約者の務めではございません。
章槻雅希
ファンタジー
学院の卒業パーティで王太子は婚約者を断罪し、婚約破棄した。
真実の愛に目覚めた王太子が愛しい平民の少女を守るために断行した愚行。
破棄された令嬢は何も反論せずに退場する。彼女は疲れ切っていた。
そして一週間後、令嬢は国王に呼び出される。
けれど、その時すでにこの王国には終焉が訪れていた。
タグに「ざまぁ」を入れてはいますが、これざまぁというには重いかな……。
小説家になろう様にも投稿。
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
【完結】間違えたなら謝ってよね! ~悔しいので羨ましがられるほど幸せになります~
綾雅(りょうが)電子書籍発売中!
ファンタジー
「こんな役立たずは要らん! 捨ててこい!!」
何が起きたのか分からず、茫然とする。要らない? 捨てる? きょとんとしたまま捨てられた私は、なぜか幼くなっていた。ハイキングに行って少し道に迷っただけなのに?
後に聖女召喚で間違われたと知るが、だったら責任取って育てるなり、元に戻すなりしてよ! 謝罪のひとつもないのは、納得できない!!
負けん気の強いサラは、見返すために幸せになることを誓う。途端に幸せが舞い込み続けて? いつも笑顔のサラの周りには、聖獣達が集った。
やっぱり聖女だから戻ってくれ? 絶対にお断りします(*´艸`*)
【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2022/06/22……完結
2022/03/26……アルファポリス、HOT女性向け 11位
2022/03/19……小説家になろう、異世界転生/転移(ファンタジー)日間 26位
2022/03/18……エブリスタ、トレンド(ファンタジー)1位
晴れて国外追放にされたので魅了を解除してあげてから出て行きました [完]
ラララキヲ
ファンタジー
卒業式にて婚約者の王子に婚約破棄され義妹を殺そうとしたとして国外追放にされた公爵令嬢のリネットは一人残された国境にて微笑む。
「さようなら、私が産まれた国。
私を自由にしてくれたお礼に『魅了』が今後この国には効かないようにしてあげるね」
リネットが居なくなった国でリネットを追い出した者たちは国王の前に頭を垂れる──
◇婚約破棄の“後”の話です。
◇転生チート。
◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。
◇なろうにも上げてます。
◇人によっては最後「胸糞」らしいです。ごめんね;^^
◇なので感想欄閉じます(笑)
美しい姉と痩せこけた妹
サイコちゃん
ファンタジー
若き公爵は虐待を受けた姉妹を引き取ることにした。やがて訪れたのは美しい姉と痩せこけた妹だった。姉が夢中でケーキを食べる中、妹はそれがケーキだと分からない。姉がドレスのプレゼントに喜ぶ中、妹はそれがドレスだと分からない。公爵はあまりに差のある姉妹に疑念を抱いた――
【完結】義妹とやらが現れましたが認めません。〜断罪劇の次世代たち〜
福田 杜季
ファンタジー
侯爵令嬢のセシリアのもとに、ある日突然、義妹だという少女が現れた。
彼女はメリル。父親の友人であった彼女の父が不幸に見舞われ、親族に虐げられていたところを父が引き取ったらしい。
だがこの女、セシリアの父に欲しいものを買わせまくったり、人の婚約者に媚を打ったり、夜会で非常識な言動をくり返して顰蹙を買ったりと、どうしようもない。
「お義姉さま!」 . .
「姉などと呼ばないでください、メリルさん」
しかし、今はまだ辛抱のとき。
セシリアは来たるべき時へ向け、画策する。
──これは、20年前の断罪劇の続き。
喜劇がくり返されたとき、いま一度鉄槌は振り下ろされるのだ。
※ご指摘を受けて題名を変更しました。作者の見通しが甘くてご迷惑をおかけいたします。
旧題『義妹ができましたが大嫌いです。〜断罪劇の次世代たち〜』
※初投稿です。話に粗やご都合主義的な部分があるかもしれません。生あたたかい目で見守ってください。
※本編完結済みで、毎日1話ずつ投稿していきます。
《勘違い》で婚約破棄された令嬢は失意のうちに自殺しました。
友坂 悠
ファンタジー
「婚約を考え直そう」
貴族院の卒業パーティーの会場で、婚約者フリードよりそう告げられたエルザ。
「それは、婚約を破棄されるとそういうことなのでしょうか?」
耳を疑いそう聞き返すも、
「君も、その方が良いのだろう?」
苦虫を噛み潰すように、そう吐き出すフリードに。
全てに絶望し、失意のうちに自死を選ぶエルザ。
絶景と評判の観光地でありながら、自殺の名所としても知られる断崖絶壁から飛び降りた彼女。
だったのですが。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる