本を歩け!

悠行

文字の大きさ
上 下
47 / 63
3章 本を旅する

3章 本を旅するー18

しおりを挟む
「あなたの読むこの本の世界と、彼女が読む本の世界は違うからよ。きっと私のことだから、飛行機と橋の話をしたかしら? 橋が違えば、その飛行機には違う人が乗り込む、違う飛行機になるの」
「でも、あなたはさっき本中さんと来たときのあなたじゃないですか」
「そうだけど、そうじゃないの。何度も何度も読まれていても、全ての読者に等しく本は開かれるの。同じようで、違う世界が広がっているのよ。だからこそ、私には本中さんがあなたと一緒に私の小説世界に入った記憶はないわ。別の原稿に入ったとしても、私ならあなたのことを憶えてる。私があなたを分からなかったのは、これがあなたの小説世界だからよ」
ふと考えると、本の世界の描写は本中さんと見た時より細かい気がしました。本中さんと入る世界では、ぼやけた部分がたまにあるのです。逆に、なんでこんなものが、と言うようなものがとてもリアルに見えたりします。例えば今日のそうめんです。缶詰の印刷、そうめんの薬味、匂い。
今まで私が本中さんと見ていたのは、本中さんの視点から見た小説世界だったのでしょうか。
私は本の世界は誰が読んでも等しく作家が書いた同じ世界が見えるのだと思っていました。だから私のイメージでは、なにか本の世界が別にあって、それが本中さんによって開かれるのだと思っていたのです。しかし明子さんの説明、今私がいる世界が本中さんと来たときとは違うことを考えると、本の世界は読者が開くたびに無限に生成されるのです。
そうなってくると、私は何故急に本の世界に入れるようになったのでしょう。重垣さんも漫画の世界に入れると言っていました。この能力は一緒にいると開花するものなのでしょうか? しかしそれならば、私も出れていいはずではないでしょうか。
「じゃあ、どうすればいいんですか」
 私は困惑しました。下手をすれば、一生本の世界に閉じ込められることになる。
「だから、別の本の世界で試してみるしかないの」
 私は移動して、「出たい」と叫んでみました。何度も、言い方を、「出る」「出たいな」「出よう」と変えてみたり、強く願ったりして見ました。しかし、出れないのです。
「どうしましょう」
 私は一度戻ってこの世界で唯一の知り合いである明子さんに尋ねました。
「どこかに出口がないか、探すしか方法はないわ」
「出口、ですか」
 そのようなものを私は見たことがありませんでした。本中さんはいつもワープするかのように出て行くのです。
 本中さんと本の世界に入るのは、いつもとても楽しいことでした。できればずっとこんなことをしたい、と思っていました。しかしずっと本の中に入れるとなると、それはそれで困ったことです。私の身がどうなってしまうのか、分からないのです。
 やはりもっと本の世界に入る本中さんの能力について、調べておくべきだった。常々分からないことが多すぎて、もしいきなり使えなくなったら? いきなり危険な目に会ったら? と楽しみながらも心配していたのです。だからもっとちゃんと調べておきたいと思っていたのに、本中さんはいつもそんなことはしなくていいと言うのです。本中さんは自分一人で本の世界に入れます。だから別にどうだっていいのでしょうか。
 これは困ったことになった、と思っていると、傍らに立っていた小説の登場人物が、
「戸成さん、出て来て」
 と言うのです。
「えっ」
 口にした方も驚いているようでした。
 私はふと、高校時代、本中さんが本に閉じこもってしまった時のことを思い出しました。あの時私が本中さんの原稿に書き加えたら、書いた出来事が起こり、私が小説の中に現れて喋ったと言っていました。無理やり言わされているのです。
 本中さんも心配しているのです。早く出なければなりません。
しおりを挟む

処理中です...