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3章 本を旅する
3章 本を旅するー15
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「あとは、あなたも私も『入りたい』と言って本に入って来るでしょう。本を前にして『入りたい』なんて口にする酔狂な人間にしか、これは起こらないのよ」
「確かに、私も本中さんに言われるまで入りたいと思っても声に出したことはありませんでした」
「じゃあ今まで、ここには誰も来なかったんですか」
「いや、旦那や、他の読者も訪ねに来たわ。いろんな本から」
「えっ旦那さんも入れるんじゃないですか」
私は勢いづいて言いました。そう言うと、違うのよ、と明子さんは言います。
「ただの読者として、来たの。なんというか、本が開かれるまでは、閉じていて、この世界には動きが無いの」
「動きが、無い?」
「そう。でも、誰かが読むときは、開くのよ、なにかしら、ドアが合うような感じで、世界が開いて、読者の世界とつながるの。一度だけ飛行機に乗ったことがあるのだけど、飛行機と、空港からの橋、みたいなのあるでしょう。あれがつながるみたいな感じ」
「飛行機と、橋、ですか」
「そう、そして、乗客が入って来ないんだけど、入り口から飛行機の中を見ている、それがいつもの読者の感じ」
分かるような、分からないような話です。
「じゃあ今は?」
「いつもは入って来ない乗客が、乗り込んできた感じよ」
「あのね、私本当は手紙もメモも隠してないのよ」
唐突に、明子さんが言いました。私はそうめんを口に運んだところでしたので、失礼と思いながらももぐもぐと口を動かしながら聞きます。
「じゃああなたへの気持ちって言うのは」
「あの人は本を読まないの。趣味もない。私と出掛けるときや、話すとき以外はぼーっとテレビを観てるの。でも私はそれでもね、あの人がいると落ち着いたのよ」
惚気話だ、と思いました。しかし、年季の入った惚気話は、なんだかよいものです。私たちは黙って聞きました。
「でもね、私は物を書くのが好きで、それが私のなんというか、人生の軸みたいなものだったけど、あの人にとってはそうじゃない。私の大事な人に、大事なものをわかってもらえないのは寂しいなと思ってたの、でもあの人はそういう人だから、それで良かったんだけど」
「明子さんの書いた本も読まないんですか」
「読まないわ。まぁそれはそれで良かったのかもしれない。好き勝手書けるから。でも、私、死ぬのが近くなって、もっと私を分かって欲しいと思ったのよ、隅から隅まで、それには読んでもらうしかないと思ったの」
「それで、あんな手紙を?」
「そう、それに私が死んだらあの人やることないんじゃないかと思って。読書でもしたら暇がつぶれるかと思ったけど、はっきりそう言っても読まないだろうしと思って、意地悪してみたの」
そう言って、まるで子供のように笑うのです。
「パソコン教室に通っているそうですよ」
「そう。それはいいわよね。あなたが来る前から、知っていたわ」
「そうなんですか」
「たまにあの人がここを訪れてくれるようになったからね」
そうめんを十分に食べましたが。まだ一山残っていました。私よりは食べられる本中さんもこれ以上は食べられない、といった顔です。
「これは夫の昼ご飯よ。あなた達が来たから多めにゆでたの。そろそろ仕事の休憩時間で帰ってくると思うわ」
「なるほど。……あの、手紙の件、どう伝えたらいいんですかね」
「何も伝えなくていいわ。元気なら、それでいいのよ」
玄関の戸が開けられた音がしました。向こうから、「帰ったぞー明子ー、今日の飯はなんだ」と聞こえてきます。
「夫だわ、まああなた達は外の世界で会っているわよね」
「はい、私達、そとそろ帰ります」
「そう。外の世界の夫によろしくね」
私たちは礼を言い、本の世界から出ました。
「なんだかよく分かったような気がしますね」
「よく分かったような分からないような。結局多分小説を書いてたから入れるようになったてことなのかな」
本中さんは不思議そうに言います。
「とりあえず、どうしよう。一人さんにはどう伝えよう」
「見つかりませんでした、で良いんじゃないですかね」
「そうね、そう言ってたしね」
「でも本中さん、書く小説に依るんじゃないかなんて考えていたとは知りませんでした。私は小説を書く人ならだれでも可能性があるんじゃないかと考えてたんですが。誰かに聞いたんですか? 本の中に入りたいって言ってみて、とか」
「いや、そういうわけじゃないけど……」
しばし黙って本中さんが口を開きました。
「もし、もしも私以外にこうやって本の中に入れる人がいるとしたら、戸成さんはどうする?」
「そういう人がいるんですか?」
「いや、仮定の話だよ」
「そうは聞こえません。誰か特定の人がいるんじゃないですか」
「いるって言ったらどうするの」
「なんで言ってくれないのかなって思います」
「いたらその人と本の世界に入るの?」
「えっうーん、本中さん以外と入るのは勇気が要りますね」
なんで本中さんがそんなことを言うのか分かりませんでした。ただなんとなく、こういうことを人が言うとき、仮定ではない、という気がしました。友達の話として本人の恋愛話がされるのはよくあることです。
「確かに、私も本中さんに言われるまで入りたいと思っても声に出したことはありませんでした」
「じゃあ今まで、ここには誰も来なかったんですか」
「いや、旦那や、他の読者も訪ねに来たわ。いろんな本から」
「えっ旦那さんも入れるんじゃないですか」
私は勢いづいて言いました。そう言うと、違うのよ、と明子さんは言います。
「ただの読者として、来たの。なんというか、本が開かれるまでは、閉じていて、この世界には動きが無いの」
「動きが、無い?」
「そう。でも、誰かが読むときは、開くのよ、なにかしら、ドアが合うような感じで、世界が開いて、読者の世界とつながるの。一度だけ飛行機に乗ったことがあるのだけど、飛行機と、空港からの橋、みたいなのあるでしょう。あれがつながるみたいな感じ」
「飛行機と、橋、ですか」
「そう、そして、乗客が入って来ないんだけど、入り口から飛行機の中を見ている、それがいつもの読者の感じ」
分かるような、分からないような話です。
「じゃあ今は?」
「いつもは入って来ない乗客が、乗り込んできた感じよ」
「あのね、私本当は手紙もメモも隠してないのよ」
唐突に、明子さんが言いました。私はそうめんを口に運んだところでしたので、失礼と思いながらももぐもぐと口を動かしながら聞きます。
「じゃああなたへの気持ちって言うのは」
「あの人は本を読まないの。趣味もない。私と出掛けるときや、話すとき以外はぼーっとテレビを観てるの。でも私はそれでもね、あの人がいると落ち着いたのよ」
惚気話だ、と思いました。しかし、年季の入った惚気話は、なんだかよいものです。私たちは黙って聞きました。
「でもね、私は物を書くのが好きで、それが私のなんというか、人生の軸みたいなものだったけど、あの人にとってはそうじゃない。私の大事な人に、大事なものをわかってもらえないのは寂しいなと思ってたの、でもあの人はそういう人だから、それで良かったんだけど」
「明子さんの書いた本も読まないんですか」
「読まないわ。まぁそれはそれで良かったのかもしれない。好き勝手書けるから。でも、私、死ぬのが近くなって、もっと私を分かって欲しいと思ったのよ、隅から隅まで、それには読んでもらうしかないと思ったの」
「それで、あんな手紙を?」
「そう、それに私が死んだらあの人やることないんじゃないかと思って。読書でもしたら暇がつぶれるかと思ったけど、はっきりそう言っても読まないだろうしと思って、意地悪してみたの」
そう言って、まるで子供のように笑うのです。
「パソコン教室に通っているそうですよ」
「そう。それはいいわよね。あなたが来る前から、知っていたわ」
「そうなんですか」
「たまにあの人がここを訪れてくれるようになったからね」
そうめんを十分に食べましたが。まだ一山残っていました。私よりは食べられる本中さんもこれ以上は食べられない、といった顔です。
「これは夫の昼ご飯よ。あなた達が来たから多めにゆでたの。そろそろ仕事の休憩時間で帰ってくると思うわ」
「なるほど。……あの、手紙の件、どう伝えたらいいんですかね」
「何も伝えなくていいわ。元気なら、それでいいのよ」
玄関の戸が開けられた音がしました。向こうから、「帰ったぞー明子ー、今日の飯はなんだ」と聞こえてきます。
「夫だわ、まああなた達は外の世界で会っているわよね」
「はい、私達、そとそろ帰ります」
「そう。外の世界の夫によろしくね」
私たちは礼を言い、本の世界から出ました。
「なんだかよく分かったような気がしますね」
「よく分かったような分からないような。結局多分小説を書いてたから入れるようになったてことなのかな」
本中さんは不思議そうに言います。
「とりあえず、どうしよう。一人さんにはどう伝えよう」
「見つかりませんでした、で良いんじゃないですかね」
「そうね、そう言ってたしね」
「でも本中さん、書く小説に依るんじゃないかなんて考えていたとは知りませんでした。私は小説を書く人ならだれでも可能性があるんじゃないかと考えてたんですが。誰かに聞いたんですか? 本の中に入りたいって言ってみて、とか」
「いや、そういうわけじゃないけど……」
しばし黙って本中さんが口を開きました。
「もし、もしも私以外にこうやって本の中に入れる人がいるとしたら、戸成さんはどうする?」
「そういう人がいるんですか?」
「いや、仮定の話だよ」
「そうは聞こえません。誰か特定の人がいるんじゃないですか」
「いるって言ったらどうするの」
「なんで言ってくれないのかなって思います」
「いたらその人と本の世界に入るの?」
「えっうーん、本中さん以外と入るのは勇気が要りますね」
なんで本中さんがそんなことを言うのか分かりませんでした。ただなんとなく、こういうことを人が言うとき、仮定ではない、という気がしました。友達の話として本人の恋愛話がされるのはよくあることです。
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