本を歩け!

悠行

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3章 本を旅する

3章 本を旅するー14

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「じゃああの小説は」
「あの小説?」
「あなたが小説の世界に入って行くっていう……」
「あああれね。あれも実際の話だもの」
「なるほど……」
「明子さんは、いつから、本に入れるようになったんですか」
「うーん、いつだったかしら。物書きの仕事が来るようになって、自分の話をたくさん書いていたら、自分が今、ここにいるのか、実際に生きているのか分からなくなって、気づいたら本の世界にどこへでも行けるようになってたわ。あなた達は?」
「私は急に、入れるようになって」
「私は自分の力では入れません。本中さんに連れて来てもらっているだけです」
「前もそう言っていたわね。なんだか不思議」
 明子さんは手際よく錦糸卵を作りました。
「冷蔵庫からめんつゆを出して、缶のよ」
 というので、私が立ち上げって冷蔵庫の中から探し、明子さんに渡しました。
「あの、この前の
いろいろ書いてると思うんですけど、あなたはこの本の文章を書いている瞬間の明子さんなんですか」
 それならば、もしかすると「手紙を隠した」明子さんは未来の存在ということになる。
「うーん、少なくとも瞬間ではないわ。あなた達、学生?」
「大学生です」
「そう、なら分かるかしら、今大学生のあなただけど、あなたの中には小学生のあなたも、中学生のあなたも、高校生のあなたもいるでしょ、そんな感じかしら、私の存在は。でもはっきりいつの私というわけではないわ」
「じゃあ、旦那さんへの手紙、覚えてますか」
「覚えてるわ、それを書いたのは実は最近なの」
「この作品は六年前のものです。その頃に書いたということですか?」
「ええ、じつは私この前すい臓がんであることを宣告されたの。それで死ぬ前に自分の書いたものを見ながら、ふと、思って書いたのがその手紙なのよ。旦那はどうしてる?」
 食べて、といつの間にか出来上がったそうめんを目の前に置きながら聞きました。私たちは箸をもらい、いただきます、と言って少し食べてから、食べるのが速い本中さんの方が説明しました。
「明子さんが本の中に入れる、と死ぬ間際に言ったから、その手紙の内容が本の中に行けってことなんじゃないかと言っていました」
「ああ、末期だから私言っちゃったのね。だれにもあの力のことは言ってなかったけど、誰かに共有したかったの、ずっと」
「死んだ現実の明子さんとあなたは、違うんですか」
「元々は同じだったけど、今は違うわ。今の私は、私の小説世界の登場人物だから」
 本中さんの小説のことを思い出しました。
「だから私はもう外に出れないの」
「私達、小説の人物が外に出たのと会ったことがありますよ」
「ええっ、そんなことがあるの」
 明子さんは上品に驚きます。
「この、能力の理論はどうなっているんでしょう」
「さぁ、私も考えてみたけれど、よく分からないの。あなたは、なにか書かないの?」
「いえ、書きます」
「そう、一つ思ってたのは、私が書き物に自分のことを書き過ぎたから、あんな力が宿ったのかな、と思ってたの。あなたは?」
「確かに、私も自分をモデルにしたような主人公の小説ばかり書いてました」
「この間、本当に信頼できる友達に、この能力のことを話したことがあって、その子も試したけど、本に入れることは無かったって話したでしょう。いつの間にか音信不通になってしまってもう何年も会わないままだけど、本気で信じてくれて、試したのだけど。その子も小説を書くんだけど、本人とは関係ない、男の人が戦ったりするハードボイルドな話が好きだったから、何度試しても出来なかったから、でも例が少なすぎて分からないまま、死んでしまったわ」
「私も書く小説に拠っているんじゃないかと思っているところはあります」
 私は本中さんがそんな風に思っているとは知らなかったので、びっくりしました。
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