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2章 本を出る
2章 本を出るー14
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「それにしても、そうか。あれは別所君のものだったのか……」
教授は階段を上がりつつ考えるように呟いた。研究室に教授について入って行くと、一緒に来たからだろう。別所さんは目を丸くした。
「ど、どうして」
「ああ、この子、僕の授業を取ってたんだよ。君に用があるって。ああ、あと別所君、その前に」
教授は私達への問いかけに答えると、デスクをがさがさと探し、ああ、あったと言って紙の束を持って来た。
「これ、君のものじゃないか」
別所さんが慌てて受け取り、広げる。何故か顔が青くなった。
「そうですけど……先生、これをお読みになったんですか」
「うん、読んだよ」
先生は軽く応えた。
「全部ですか」
「うん。面白かったよ。別所君、才能あるんじゃない」
別所さんの肩から力が抜けたようだった。
「それは良かったです。ありがとうございます」
別所さんは私たちを振り返った。
「それで今度は何の用だ」
「渉さんの頼みを聞いてあげてください」
渉さんはしばし自分の原稿を眺め。教授をちらりと見た。
「ここは狭いから、別の部屋に行こう」
そう言って別所さんは私達を連れ出し、空き教室に入った。
窓の外は暮れなずんでいる。別所さんは部屋の電気を点けた。さて、ととりあえず席に適当に座った。
「さっきから気になっていたんだが、その子供は誰なんだ」
別所さんは戸成さんが連れてきた子供を見て言う。
「いや、喋らないからよく分からないんですよね」
別所さんはじっと子供を見つめた。
「気持ち悪いくらい俺の子供時代に似てるんだよな」
確かに、よく顔が似ているのである。兄弟にしか思えない。
「それで、渉の頼みは何なんだ」
「僕の子供時代を返してほしい」
渉さんは短く応えた。しばし沈黙が流れる。子供は手をいじくっている。
「前もそう聞いた。意味が分からん。どういうことだ」
「多分ですけど、今その小説では渉さんの小説とこの子供時代の話が別の小説となってるけど、元々は連続した一つの話で、切ったんじゃないですか」
「そうだが、なんで知ってるんだ」
作者自身以外はその内容こそ知れても、制作過程は知ることが出来ないはずなので、驚くのも無理はない。
「渉さんがそう言ったんです。渉さんは、その二つを元のように、一つにしてほしいと言っています」
「なんでだ」
「それが僕にとって大事なものだから」
別所さんは困ったように腕を組んだ考える。
「つまりやはり、君たちはこの渉が、俺の小説の中の人物だと主張しているのか」
「ええ、そうですね。あとこの子も」
戸成さんが子供を指さして答えた。
「待ってくれ、全然わからん」
そりゃあ混乱するのも無理はない。別所さんは自分の原稿を広げて考えている。
「お前らはこれをこの前読んでいた女たちじゃないのか? それでこんないたずらをしてるんじゃないのか」
「読んだことはありません。渉さんと出会ったのはたまたまです」
「でもそんな話を信じることが出来るか? 現実的じゃない」
渉さんは私にどうしたらいいんだ、と縋るような目で訴えかけてた。私は仕方がない、と思い、立ち上がってさっと別所さんの持っている原稿を奪った。
「おい、何するんだ」
私は制止を振り切り、別所さんの腕を掴んだ。戸成さんが、
「本中さん、それは」
と叫んだ。私は別所さんの腕を掴んだまま、「入りたい」と呟いた。
戸成さん以外の人間で試したことはなかったが、いつもと同じように私と別所さんは小説世界に入り込むことが出来た。それは私の見慣れた、ツツジの生えた地元の風景だった。別所さんと私は、本当に実家もごく近いらしい。校区ではないが通ったことのある場所だ。
「ここは」
別所さんは茫然としている。
「別所さんの原稿の中です」
別所さんは古典的に頬をつねった。
「はぁ? どういうことだ」
「私もなんでか分からないんですけど、私本の世界に入れるんですよね」
別所さんはしばらく、足踏みしたりいろんなところを触ったりして、これが映像や何かでないと理解したようだった。そして、ふと近くにある建物を見て、「この店、潰れたはずなのに」と呟く。なんてことは無い店だったが、確かに最近は無い。別所さんが勝手にその店に入って行くのでついて行く。中はお菓子も調味料も、洗剤も少しだが売っている、そんな店だった。近所にあったら便利だろうが、個人経営で潰れそうである。子供がココアシガレットを買おうとしている。
「ここはどこなんだ?」
「別所さんの思い描いている、小説世界ですね」
もう現実にはないはずの店を見て、なにか納得したようだった。店を出て街を歩きながら、私も過去を思い出していた。ツツジの花の蜜は吸うとおいしいのだ。
教授は階段を上がりつつ考えるように呟いた。研究室に教授について入って行くと、一緒に来たからだろう。別所さんは目を丸くした。
「ど、どうして」
「ああ、この子、僕の授業を取ってたんだよ。君に用があるって。ああ、あと別所君、その前に」
教授は私達への問いかけに答えると、デスクをがさがさと探し、ああ、あったと言って紙の束を持って来た。
「これ、君のものじゃないか」
別所さんが慌てて受け取り、広げる。何故か顔が青くなった。
「そうですけど……先生、これをお読みになったんですか」
「うん、読んだよ」
先生は軽く応えた。
「全部ですか」
「うん。面白かったよ。別所君、才能あるんじゃない」
別所さんの肩から力が抜けたようだった。
「それは良かったです。ありがとうございます」
別所さんは私たちを振り返った。
「それで今度は何の用だ」
「渉さんの頼みを聞いてあげてください」
渉さんはしばし自分の原稿を眺め。教授をちらりと見た。
「ここは狭いから、別の部屋に行こう」
そう言って別所さんは私達を連れ出し、空き教室に入った。
窓の外は暮れなずんでいる。別所さんは部屋の電気を点けた。さて、ととりあえず席に適当に座った。
「さっきから気になっていたんだが、その子供は誰なんだ」
別所さんは戸成さんが連れてきた子供を見て言う。
「いや、喋らないからよく分からないんですよね」
別所さんはじっと子供を見つめた。
「気持ち悪いくらい俺の子供時代に似てるんだよな」
確かに、よく顔が似ているのである。兄弟にしか思えない。
「それで、渉の頼みは何なんだ」
「僕の子供時代を返してほしい」
渉さんは短く応えた。しばし沈黙が流れる。子供は手をいじくっている。
「前もそう聞いた。意味が分からん。どういうことだ」
「多分ですけど、今その小説では渉さんの小説とこの子供時代の話が別の小説となってるけど、元々は連続した一つの話で、切ったんじゃないですか」
「そうだが、なんで知ってるんだ」
作者自身以外はその内容こそ知れても、制作過程は知ることが出来ないはずなので、驚くのも無理はない。
「渉さんがそう言ったんです。渉さんは、その二つを元のように、一つにしてほしいと言っています」
「なんでだ」
「それが僕にとって大事なものだから」
別所さんは困ったように腕を組んだ考える。
「つまりやはり、君たちはこの渉が、俺の小説の中の人物だと主張しているのか」
「ええ、そうですね。あとこの子も」
戸成さんが子供を指さして答えた。
「待ってくれ、全然わからん」
そりゃあ混乱するのも無理はない。別所さんは自分の原稿を広げて考えている。
「お前らはこれをこの前読んでいた女たちじゃないのか? それでこんないたずらをしてるんじゃないのか」
「読んだことはありません。渉さんと出会ったのはたまたまです」
「でもそんな話を信じることが出来るか? 現実的じゃない」
渉さんは私にどうしたらいいんだ、と縋るような目で訴えかけてた。私は仕方がない、と思い、立ち上がってさっと別所さんの持っている原稿を奪った。
「おい、何するんだ」
私は制止を振り切り、別所さんの腕を掴んだ。戸成さんが、
「本中さん、それは」
と叫んだ。私は別所さんの腕を掴んだまま、「入りたい」と呟いた。
戸成さん以外の人間で試したことはなかったが、いつもと同じように私と別所さんは小説世界に入り込むことが出来た。それは私の見慣れた、ツツジの生えた地元の風景だった。別所さんと私は、本当に実家もごく近いらしい。校区ではないが通ったことのある場所だ。
「ここは」
別所さんは茫然としている。
「別所さんの原稿の中です」
別所さんは古典的に頬をつねった。
「はぁ? どういうことだ」
「私もなんでか分からないんですけど、私本の世界に入れるんですよね」
別所さんはしばらく、足踏みしたりいろんなところを触ったりして、これが映像や何かでないと理解したようだった。そして、ふと近くにある建物を見て、「この店、潰れたはずなのに」と呟く。なんてことは無い店だったが、確かに最近は無い。別所さんが勝手にその店に入って行くのでついて行く。中はお菓子も調味料も、洗剤も少しだが売っている、そんな店だった。近所にあったら便利だろうが、個人経営で潰れそうである。子供がココアシガレットを買おうとしている。
「ここはどこなんだ?」
「別所さんの思い描いている、小説世界ですね」
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