本を歩け!

悠行

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2章 本を出る

2章 本を出るー9

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寮は大学構外だが、すぐ近くにあるので話している内に着いた。渉さんを自分の部屋で待たせようと思ったが、女子寮の棟には男子を入れてはいけないということだったので、共用スペースで待っているはずだった。
 しかし、どこを探しても渉さんはいない。まさかと思い寮の入り口で見張っている寮母さんに聞いてみると、「ああ、朝いた子? どこかに出かけて言ったけど」と言う。驚いてしばらく呆然とした。いつも友達ならはぐれても携帯で連絡できるが、渉さんはそうはいかない。
「どこに行ったんでしょう」
「小説の世界に入ったということはないかな」
「まずその小説が目の前にないから無理なんじゃないんですかね。本中さんも本が目の前に無いと入れないでしょう」
「いや、渉さんが私と同じシステムで動いているかは分かんないよ」
「でも出掛けたってことは、どこかに向かったんじゃないですかね」
「なるほどね」
 もしも遠隔操作のように本に戻れるとしたら、寮から戻るはずだ。
「じゃあこの世界で彼が知ってるのは別所さんのところくらいなんだし、別所さんの所へ行ってみるか」
「そうですね」
 また私たちは大学への道を引き返すこととなった。行きはすぐに感じたのに、帰りは長く感じた。地元と気候が違うから、なんだか不思議な気温だと思った。猛暑や極寒は別として、いつ頃どれくらい暑かったとかは意外と人間は覚えていないものだが、なんだかちがうなぁと感じてしまう。多分湿度や、植わっている植物のせいだ。私の地元は、というか校区はやたらとツツジを植えていて、小学生の帰り道よく吸って歩いた。この辺はああいう低木は少なく、高い木や花が植わっている。
「なんだまた来たのか」
 別所さんは研究室を訪ねた私達を見て不満げに言った。
「悪趣味ないたずらを続けるようだったら、単位をやらないぞ」
 別所さんはTAと言う立場を利用して戸成さんにすごむ。戸成さんは「それはちょっと困るんですけども」と困ったように言うが、なんだか全然困ったように見えない。
「昨日の、渉さん来ていませんか」
「なんだ、来てないぞ」
 今日は別所さんの研究室の教授もいたので、私たちの声量は抑えめだった。
「あの」
 これでは埒が明かない。渉さんがいたずらなのかもしれないという可能性は完全に消えたわけじゃない。私は確かめるためにも、別所さんの小説を読ませてもらう必要があると思った。
「昨日言っていた小説、読ませてもらうことは出来ませんか」
 そう言うと、明らかに不快そうな顔をする。教授のいる手前、怒ったり声を荒げたりすることは抑えているようだ。
「だから、お前たちは読んだことがあるんだろう。それでそんなことを言うんだろう」
「私たちは読んだことはありません。私達も渉さんの言い分に不思議なところがあります。だから見せて欲しんです」
「そんないたずらに付き合ってられるか」
 頑なに見せようとしない。しかし、恋愛小説なら、あの厳しく私の小説を批評し、より高いレベルを求めていた別所さんならば、見せてくれてもいいような気がする。もしいたずらだと思っているにしても、小説は誰かに読まれるためのものなんだから、あの別所さんなら「そんなに読みたいなら読めよ」とでも言ってよこしてきそうな気がした。
「あ?」
 ふと、別所さんが私の方を見てなにか気づいたようだった。まずいな、と思う。
「お前……あの時の、だれだっけな、あいつの、後輩じゃないか?」
 私の先輩の名前が思い出せないようだった。まぁ先輩の名前はぱっとしない、普通の名字である。仕方ないと腹をくくった。
「はい、あの時はありがとうございました」
 そう返事すると隣で戸成さんが全然訳が分からない、と言う顔で私の顔を見た。
「えっ知り合いだったんですか」
「高校の時に、会ったことがあるんだ、実は」
「そうか、そういえば別所さん、地元が同じでしたね。でもなんで黙ってたんですか」
「言うほどのことではないかと思って」
 戸成さんは、不服そうな顔をした。
「だったら言ってくださいよ……」
 少し怒っているようだった。言っておくべきだったのかもしれない。ちょっとひどかったかもしれないなと思う。でも、今は別所さんの方が先だ。戸成さんには後で説明しよう。
「あの時のなにかで恨みを持ったのか」
 私がトラウマに思っているとは思わなかったらしい。そうだ。別所さんはただ正直に誠実に批評してくれただけなのだ。それに、私の先輩は表情で私が傷ついていることに気が付いたのに、別所さんは察さなかった。別所さんはそういう人なのだ。
 もし察せられていたら、今回いたずらだと思われる可能性がより強くなる。別所さんが鈍感で助かった。
「あの時私の小説読みましたよね」
「ああ、読んだな」
「内容覚えてますか?」
 しばらく別所さんは思い出すように腕を組んで考えた。
「まぁ、なんとなくは」
「あれはほとんど私の私小説なんですよ」
「そうだろうな、そういう内容だった」
「じゃあ、私がなんというか、そういういたずらをするような人間だと思いますか」
 そんなことを言うとは思わなかったのだろう。少し別所さんは驚いたようだった。内容を思い出しているのか、私の顔をじっくりと見た。
「わからない」
 しばらくして、別所さんは首を振った。
「確かにあの小説に描かれている君……」
「本中です」
「本中さんは、真面目でそういう、悪質なことをしない人間に思えた。でも、人は変わるんだ」
 別所さんはため息をついた。
「それに、私小説だとしても、意図的に自分の性格を、よく書いていることはある。大体の私小説の主人公は、真面目で善で愚かだ。でも、実際の人間はすぐに悪に傾く。俺はどうしたって、君たちを信用することが出来ない」
「あの時人に見せられない小説が、なんで評価されるって思うのかって別所さんは言ったじゃないですか。なんでそんなに人に見せられないんですか」
「俺も変わったということだ」
 にべもなく言われた。戸成さんが私を引っ張った。
「本中さん、もう、仕方ないです」
「でも戸成さん」
「まずは渉さんを探しましょう。彼がいないと何もできません」
 私は渋々うなずく。別所さんは複雑な表情で、腕組をしたままだった。
 研究室を出て、外気に当たると気持ちが良かった。やはり、別所さんとあの時の話をしたことで少し疲れたようだった。
「別所さんと会ったことがあったんですね」
「高校時代に、地元の大学の文芸部にいたから、私の小説を添削してもらったことがあるんだ。あんまりいい思い出じゃないし、一回しか会ったことが無くて向こうも忘れているようだったから言わなかっいた」
「そうだったんですか……」
 とぼとぼと文学部の廊下を歩きながらそんな話をする。戸成さんは、まぁいいですよ、と気を取り直すように言った。
「ともかく、渉さんを探す必要がありますね」
「確かに。あ、そうだ」
 私はふと思い出した。別所さんは文芸部員だった。つまり、文芸部では小説を書いていたはずなのだ。
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