本を歩け!

悠行

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2章 本を出る

2章 本を出るー7

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「でも渉さん、野宿しているにしては臭くないですね」
 戸成さんがくんくんと嗅ぎながら言う。確かに、会ってから今まで、彼の臭いが気になったことは無い。
「そうですか? 特に風呂などには入れていないのですが」
 ますます奇妙な人だった。存在はあるのに、なんだか霊みたいだ。しかし、写真も撮れず特徴も無いが、話すうちに不気味さは薄れた。やはり人間、知らないというのが一番恐ろしいものである。
「さっき別所さんとはどういう話をしたんですか?」
「さっきは、僕の今までの話をした。さっき彼が言ったけど、僕は彼の小説の主人公だと、自分で思うんだ」
 本人がそういうとは思わなかったので私たちは驚いた。
「なんだか最後には怒ってしまったけど、彼もそう思っているようだった。僕は彼をしている。別所航司、そういう名前だろ。彼は名乗らなかったけど、僕は知っている、彼は僕で、僕は彼なんだ」
 自分が小説の中に入るという怪奇現象を日々起こしている身であるので、私はそれを信じられるような気がした。私を選んで話しかけてきたのも、そういうことがあるのかもしれない。
「あ、いや、でも僕は彼ではないともいえる。僕は彼と似ているけど、全然違う人物として作られた」
「さっき別所さんは教えてくれませんでしたけど、その小説はどういう内容なんですか」
 渉さんはしばらく考えた。
「もしかしたら内容をはっきり言うと航司は怒るかもしれない。内容で言えば青春、恋愛小説なんだ。航司は自分の恋愛と言うか、そういうのを知られるのが嫌なんだ」
 なるほど、それならば見せたがらなかったのが分かるような気がした。
「信じてくれるんですか、僕のこと」
「信じますよ」
 私がそう答えると、隣に座る戸成さんが顔を向けていいんですか、と言った。
「だって、こんな嘘を私たちに言っても常識的に考えれば意味がないもの。もしいたずらをするとしたら、写真を撮られた時点で逃げるなりなんなりするはずよ」
「まぁそうですね」
 戸成さんはしばらく考えて、
「本中さんみたいな例もあることですし、本から人が出てくることもあるのかもしれませんね」
 と言った。
「本中さんみたいな?」
 渉さんが怪訝な顔をする。
「あー、まぁそれはいいですよ」
 戸成さんは慌てて誤魔化した。口が滑ったのだろう。しかし、言ってもあまり問題は無いような気がした。相手も嘘のような話を語っているのだから。しかし、冗談だと思われて渉さんに私たちが渉さんを信用していないと思われる可能性はある。
「えっと、それで、なんで渉さんはこの世界に?」
「ああ、僕は自分のことを、小説の世界の人物だとは思っていなかったけど、ある日急に僕の『昔』が無くなってしまったんだ」
「昔?」
「説明しにくいんだけど、確かに前は昔があったんだ、僕の過去と言うか、記憶だよ。それが無くなってしまった。それで、どうにかしてもらいたいと思っていたら、こうなっていたんだ」
 それは記憶喪失とかではないのだろうか。
「いや、違うんだ、なんというか、記憶の存在そのものが消された感じなんだ。なんというか、普通じゃなかった。航司と話していて、自分は小説の世界の人物だと知らなかったけど、俺はこの人の小説の主人公だと、何故だか確信が出来たんだ。それで推測なんだけど」
 渉さんは一息置いた。
「彼が、僕の子供頃の部分を消したんじゃないかと思うんだ」
 私と戸成さんはその言葉の意味を反芻しなければならなかった。
 私は高校生の時、私が小説の世界に引きこもって、戸成さんが無理矢理出そうとしたことがある。戸成さんが小説に書き加えたら新たなものが私のいる小説世界に現れたことを思い出した。そうだ、書き加えれば増えるということは、消したらその部分は無くなってしまうのではないか。
「それで、渉さんはどうしたいんですか」
「僕は自分の過去を取り戻したい」
 渉さんははっきりと言った。今まで遠慮がちな話し方だったので少し気圧される。
「僕の世界も航司が作った世界だから、彼の知る常識は知っているが、普通、こういう風に物語の人間が出てくることなんて無いだろう。僕は僕の過去を取り戻したい。それが彼、航司のためにもなる。それを強く願ったからこそ、僕はこの世界に出ることが出来た気がするんだ」
「別所さんのためにもなる?」
 よく分からず戸成さんが聞き返した。私にもよく分からない。渉さんはそれに対し、弱弱しくこう答えた。
「うまく説明できないけれど、そういう気がするんだ」
「もしあなたの過去を取り戻させれたら、あなたは小説の世界に戻るということですか?」
「戻れるかは分からないけど、そうしたいと思っている」
 はきはきと答える渉さんを見て、私たちは顔を見合わせ、そして頷いた。協力する他無さそうだ。
「出来る限り、サポートさせてください」
 私は渉さんの目を見て答えた。彼が嬉しそうに笑う。なかなかの好青年であった。
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