本を歩け!

悠行

文字の大きさ
上 下
10 / 63
1章 本に潜る

1章 本に潜るー10

しおりを挟む
 家に電話があったのは日曜日の朝のことでした。学校からで、「本中歩さんを知らないか」と聞かれました。母から聞かれ、遅い朝ご飯を食べながら、「金曜日から会っていない」と伝えました。
「何かあったのかしら」
 と母が聞きますが、もちろん分かるはずがありません。その後すぐ連絡があったのですが、田舎に住む祖母からで、私の好きなお菓子を昨日送ったという連絡と、長い世間話でした。てっきり本中さんの話だと思って慌てて電話に出た私は、拍子を抜かれ、久しぶりに祖母と会話したにも関わらず、生返事をしてしまいました。その日はその後連絡がなかったので、月曜日の朝、職員室を訪ね、本中さんのクラス担任と話そうと思いました。しかし、なにやら忙しく話せないとのことです。
「戸成、どうした?」
 私の担任が珍しく職員室を訪れた私に声をかけるので、「本中さんについて何かあったのかなと思って」と言うと、「ああ、聞いたか」と暗い面持ちです。
「本中さん、土曜日から家に帰って無いらしいんだよ。連絡もとれないし、携帯電話も電源が切れているのかつながらない。親御さんは大層心配してるって」
「そうなんですか……」
「戸成は本中さんと仲良かったのか」
 私のことは呼び捨てにするくせに、知らない生徒だからか本中さんはさん付けなのだなと思いました。急に本中さんが何か離れた存在に思えます。
「ええ、友達です」
「何か聞いてないか?」
「金曜日一緒に帰ったんですけど、特に何も」
「そうか……誘拐とかじゃなくて家出なんじゃないかと聞いたな。何か連絡があったら俺でいいから教えて欲しい。あと、あまり大事にしたくないそうだから人には言わないで」
「分かりました」
職員室を出て、廊下を歩きながら少し考えます。家出だと疑われているということは、何か親御さんと喧嘩でもしたのでしょうか。
もし、本中さんが家出するとしたら、どこか外に行くでしょうか? お金も無いですし、外は危険です。それこそ誘拐だってあります。しかし、本の中なら? 本の中ならば、安全に、しかも快適にいつまでも過ごすことが出来ます。
本中さんは、どこかの本に引きこもったのかもしれません。そうだとすると、いつまでも出てこなくてもおかしくないではありませんか。しかし、その場合、どうやって引っ張り出せばいいのでしょう。
本中さんの入っている本も分からず、それに分かったところで外から呼んでも本中さんは気づかないのです。どうすればいいというのでしょう。
授業中も考え続け、気づけば昼休みになっていました。私がぼんやりしていて話さないのはいつものことですが、あまりに反応が悪かったのか、今年も同じクラスだった富山さんが「どうしたの、聞いてよ」と怒っていました。私は一応謝りました。
「富山さん、もし富山さんが一冊本の世界に入れるとしたら、どの本に入りますか」
「えっ何それ。変わったこと言うね」
 富山さんも本や漫画を読むのが好きなので、楽しそうに考え始めました。
「そうだなぁ、わたしなら、あの漫画、あれ、大好きなんだけど名前が出てこないや。登場人物たちの名前は出てくるんだけど」
 聞けば、有名な漫画のようです。しかし私もなんとなくあれかな、とは見当がつくのですが、作品名は思い出せませんでした。
「あの世界観とか、描いてある建物が好きなの。登場人物もなんだかみんな素敵だし、あの漫画がいいかなぁ。あーでも、この前戸成さんが貸してくれたやつでもいいな」
「やっぱり世界観が一番ですか」
「うーん、物語も好きだけど、本の中に入るって言うなら面白い、自分の現実とは違う世界がよくない?」
「そうですね」
「戸成さんは?」
「私ですか」
 そう問われると、一冊には絞り切れない気がしました。もしどれか一つの世界を選ぶなら、どれがいいのでしょう。
「決められませんね」
 と言うと、自分で聞いたんだからちゃんと考えてよ、と富山さんに文句を言われました。
 本中さんもやはり理想の世界観の小説に行ってしまったのでしょうか?
 考えがまとまりません。どうすればいいのでしょう。もし誘拐されたとしても、本中さんは本の世界に逃げ込めます。そうすればすぐに、一日たたずとも戻ってくるような気がします。やはり家出目的で、本の中に逃げ込んだのではないでしょうか。ひょっこり帰って来るんじゃないか、そう思っていたのです。
 火曜日、普段休まない本中さんが二日続けて休んだので、風邪だろうかとか、なんだかやばいらしいとか話題になっていました。私は噂になっているのを耳に挟んで俄かに不安になりました。まだ少し話されている程度ですが、もし家出するなら、この状況も予測出来ているはずです。あまり目立つことを好まない本中さんが、こんな風に噂になることをするとは思えませんでした。もしそれでもいいと思えるならば、この現実世界に見切りをつけたのではないでしょうか。
 火曜日の朝も職員室に尋ねましたが、先生は恐らく家出だ、と教えてくれただけで、何も状況は変わっていないようでした。
 職員室を出て教室に向かって歩いていると、「あの、すみません」と声をかけられました。知らない、下級生だと思われました。
「あの、本中先輩って何組ですか」
「Bですよ。でも今日は休んでいると思います」
「あっそうなんですか……体調を崩されているんですか?」
「さぁ……本中さんの後輩なんですか?」
「あ、すみません。先輩とよく話しているところを見たのでお友達かと思って……。文芸部の後輩なんです。お礼しようと思って連絡したんですが、返信が無いので、クラスも分からなくて」
「お礼?」
「小説の添削を頼んでいて、この前やっと返してくれたんです」
 本中さんが読んでいたのは彼女の原稿だったのでしょうか。それにしても、本中さんが読んでいたのは三月ですから、大分遅い返却です。
「もしかして、青春小説ですか?」
「ええ、はい」
 まさか私が知っているとは思わなかったのでしょう。少し驚いているようでした。
「本中さんが読んでいたのは随分前だったと思うんですが、遅くないですか」
「いえ、まぁ、そうですね。でも送るのは九月なので、全然間に合います。遅かった分、とても丁寧に添削してくれて」
 その名も知らぬ後輩は、本中さんが小説の細部に至るまで、例えば場面設定が急展開しているとか、右、左がいちいち逆になっていて主人公たちが席替えしすぎているみたいだったとかを詳しく説明してくれました。
「あと、主人公が男だか女だか分からなくて気持ち悪いからどっちかにしろって」
「どういうことですか?」
「私、書いている時にどっちにしようか迷っていたから、言葉遣いも中性的で、分からないような感じになっていたんです。なのに顔がお前みたいで気持ち悪い、って言うんですよ」
 その後輩は、よく読んでるなぁと笑いました。私に似た主人公を描いてしまったんですけどね、と恥ずかし気に言います。
しおりを挟む

処理中です...