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11.『ヒルパート伯爵邸』

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 見上げれば、中々に立派な屋敷だ。
 私の住んでいる家よりは遥かに大きく、私の実家よりは大分小さい……いや、別に比較する必要なんてないんだけど。

 ともかく、これは人から羨まれるような――あるいは妬まれるような、そんな貴族の屋敷に間違いなかった。

 ヒルパート伯爵邸。
 二週間をかけてここまでやってきたものの、本来であれば書状のひとつでもなければ入ることなんて出来ない場所だ。無論、そんなものの用意もツテもない。
 そんな招かれざる客である私は、一体どうやって面会を求めればいいのか。

 普通ならそう頭を悩ませるところではあるが、今の私は違った。
 じゃあどんな策があるのかと問われれば、こう答えるしかない。そんなものはない、と。もうやぶれかぶれだ。

「すみません。少しよろしいでしょうか」

「うん? 君は……」

 とにかく、行動を起こさなければ始まらない。
 最悪、追い返されたらその時に別の手段を考えよう。
 そう思いながら、門を守る二人の兵のうち、背の高い中年の男性に声をかける。

「ヒルパート伯爵にお会いしたいのですが」

「紹介状は?」

「ありません」

「ありませんって、君……」

 やれやれ、と聞こえてきそうなくらいに、門兵の対応は私を子供扱いしたものだった。
 もう立派なレディだというのに、その扱いは少しばかり不服があるが、そんなことはいい。

 アンセルム・ラウル・ヒルパート伯爵。
 ヒルパート伯爵家の当主で、この地をまとめあげる領主。
 どんなに小さな民の声であっても聞き逃すことはなく、献身的に領民に尽くす人格者とのこと。

 だけど、別にそれもどうでもいい。
 私にとって大事なのは、その人がロルフの父であるということ。
 それから、ジュベール伯爵家に弱みを握られ、彼を婿に出すことになったという事実のみだ。

 本当のところは、ジュベール伯爵家に直接話をつけに行こうかとも考えたのだが、冷静になってみればさすがにそれは危険すぎる。
 まず攻略するならこっちから。
 ロルフの実家に協力を仰ぎ、外堀から埋めていこうという作戦だ。

 それすらも冷静に考えてみれば無理があるし、そもそもヒルパート伯爵からすればお前誰だよって話だし。
 机上の空論ここに極まれりって感じなのだが、ここまで来て今さら言っても仕方ない。

「お願いします」

「お願いって言われても無理が――」

「――?」

 と、当然のごとく門前払いをされかけた瞬間、突然思考が止まったように門兵の動きが止まった。
 一拍置いて、その視線が私をジロジロと捉え始める。

 舐めまわすように見られるのはいい気分ではない――と思いかけたが、どうやら門兵の視線の先にあるのは私の顔のあたり。
 もっと言うと、私の髪に気になるところがあるようだった。

「……君、名前は?」

「ディアナと申します」

「――っ、ちょっと待っていてくれ」

 そう言うと、門兵は小走りで屋敷の中へ消えていった。

 その劇的な反応を見た私は、もしかして正体でもバレたのではないかと思い至る。
 しかし、その不安はすぐに振り切ることができた。

 ディアナなんてよくある名前だし、赤髪も珍しいってほどじゃない。
 第一、矢面に立つことなど皆無だった私の容姿と名前が、こんな遠い領地のいち門兵に割れているとは思えない。
 もしそうだとしたら、今ごろ私はあの町でまともな生活を送れていないはずだ。

 だったらなぜ、彼は私の髪を見て対応を変えたのか。
 その疑問に納得のいく答えが出る前に、急ぎ足の門兵が戻ってきた。

「すみません、お待たせしました。ヒルパート伯爵がお会いになるとのことです。どうぞこちらへ」

「あ、ありがとうございます……?」

 口調すら変わった門兵を怪訝に思いながらも、私は案内されるがまま大広間に通された。



 スラッとした細身の体型に、顔に深く刻まれた皺。
 それから、たくましい口髭が特徴的な男性が、私を待っていた。
 その権威ある佇まいに、私の気も引き締まる。

「お初にお目にかかります。ディアナと申します。この度は……」

「あぁ、堅苦しいのはいいよ。いらっしゃい。適当に座って」

 その荘厳たる印象とは裏腹に、だいぶ気安い口調で私は歓迎された。
 もちろん無礼などあっては論外だが、正直なところ貴族の風義なんて忘れかけていたからありがたい。

「君がディアナ君だね。ロルフから聞いてるよ」

「ロルフ……卿から?」

「うん。つい先日こっちに帰ってきてね。婚姻を控えているというのに、君の話ばっかりしてて困ったよ」

 心底困ったような顔で頬をかくヒルパート伯爵。
 その原因が私なのは申し訳ないのだが、正直私も頬をかきたい気分だ。
 ロルフは一体、こんな無愛想でねじ曲がった女のどこを気に入ってくれたというのか。

 それはともかく、先ほどの門兵の反応に合点がいった。
 きっとロルフは、私が来たら通すように言伝してくれていたのだろう。

「君が来たら、この手紙を渡して欲しいと言われてね。わざわざこんなところまで来るわけないだろうと言い返したのだが、まさか本当に来るとは。君も、ロルフのことを憎からず思ってくれているということかな?」

 そう、一通の便箋を渡される。
 宛名も書いてなければ、封も閉じてない。
 きっと限られた時間の中で書いてくれたのだろう。
 そう思うと、なんだが胸の当たりが締め付けられた。

「だけど知っての通り……かどうかはわからないが、ロルフはジュベール伯爵のところのロミルダ嬢に婿入りするんだよ。申し訳ないが……」

「……今日ここに参ったのは、ひとつだけ許可を頂きたかったからです」

「……なんだろうか」

「全てをぶち壊す許可です」

 無礼などあっては論外――とは言ったが、黙って受け入れることもまた言語道断だ。
 天秤にかけたならば、論外さえ踏み抜く覚悟が今の私にはできている。

 ――まぁ、ここに辿り着くまでの評判を加味して、打首にはならないだろうという打算も混みで。

 私は、全てを賭けるくらいの信念を持つことができた。
 そうさせてくれたロルフを手に入れるために、どんな手でも使う。

 そんな私の目を見据えて、ヒルパート伯爵ははっと息を吐いた。

「全てをぶち壊されたら敵わんが、ぶち壊して欲しいものならあるかな。ディアナ君。君はなにができる?」

「多くはできませんが、命ならば賭けられます」

「――君は」

「私は、彼をお慕いしております」

 ヒルパート伯爵は何かを言いたげだったが、私の目に押し黙らされたかたちとなる。
 とんだ無礼だ。だけど、これだけは伝えなくてはいけないと、そう思ったから。

 ヒルパート伯爵は諦めたように片目を瞑り、やがて口を開いた。

「私もそろそろ退こうと思っていたところだ。ディアナ君、好きなようにやりなさい」
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