四季子らの呪い唄

三石成

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第四章 浮かぶ

三 真相 -2-

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 そうして作業を進めていたとき、背後から小さな足音が聞こえた。すぐさま荷物をしまい込むと、バックパックを背負い直して振り向く。左手に懐中電灯を構えて坑道の中を照らしながら右手を腰に添え、そこに装着しているオートマチック銃の硬さをたしかめる。

 真後ろは大穴に通じた絶壁である。逃げ道はない。

 息を潜め、照らす光の先を注視する。と、闇の中から現れたのは、白い着物を身に纏った冬夜だった。

「どうして君がここに、……っ」

 やってきたのが冬夜だと気づいて、緊張感が僅かに緩みかけた。だが次の瞬間、奈落へ向かって後退りそうになって必死に堪える。冬夜の背後から、白い異形がぬうっと姿を表したのだ。

 顔から無数の枝を生やした根っこ様からは、相変わらず感情を読み取ることができない。背を伸ばせば三メートルほどにはなりそうな大きさで、狭い坑道の中にみちみちと詰められ、不自然な位置と角度へ体を折り曲げている。それがいっそう、異形の不気味さを増幅させている。

「俺を追いかけてきたのかな」

 必死に平静を装い、俺は冬夜へと声をかける。内心で、これは幻覚だと己に言い聞かせる。

 しかし、根っこ様の存在を抜きにしても、冬夜の様子がおかしい。

 彼は無言のままやや離れたところに立ち止まると、合口を握り締めて体の前に突き出した。冴え冴えとした刃は、すでに鞘から抜き放たれている。その背後で、根っこ様が不気味に長い指をカサカサと蠢かせる。

「冬夜、くん?」

「ごめんなさい、浅野さん。でも、こうするより他ないんです」

 深く俯いた冬夜は、聞いたこともないような低い声で告げ、一歩前へと進み出る。そこから伝わってくるのは、人を殺める覚悟だ。

 その姿を見た瞬間、俺の脳内で目まぐるしく思考が走りはじめた。いまだに理解できていなかったさまざまなことが、弾けるようにつながっていく。

 俺は、錠を開く鍵を手に入れたのだ。謎を解く鍵は『四季子たちが殺意を抱いていた可能性』だ。

「いま、はっきりとわかった。家茂さんが持っていたナイフは、春樹くんが持ち込んだものだね?」

 問いかけるが、冬夜は反応しない。

「春樹くんの手で、家茂さんを殺すためだ。しかし、春樹くんは失敗してしまった。最後までやり遂げる気持ちを持ち続けることができなかったのか、はたまた、家茂さんから予想外の抵抗を受けたのか……これは想像だが、家茂さんは自分を刺そうとしてきた春樹くんと揉み合ううちに、弾みで春樹くんを刺して殺してしまった。しかし、彼と肉体関係を結んでいたことが明るみに出ることを恐れ、言い出すことができなかった。

 そして健くんを殺したのは、あのとき大穴の調査に来ていなかった夏久くんだ。その流れで言うなら、おそらく後藤さんを殺したのが、千秋くんなのだろう。俺は、冬夜くんが合同葬儀の前日に、何かを躊躇って泣いていたのを見ているよ。理由ははっきりとはわからないが、冬夜くんたち四季子は、仕方がなく俺たち調査隊を殺してきた。その最後が俺なのだね。でも、冬夜くんがしなければならないと思っていることは、本当はしなくても良いことなのだよ」

 思いついたことをすべて口に出して話し続けるが、冬夜は無言のまま、また一歩こちらへと距離を詰める。俺は眉を寄せると、苦渋の決断の後、腰のホルスターから銃を抜いた。銃口をまっすぐに冬夜へと向ける。

 冬夜には、俺の行動がまったくの予想外だったのだろう。彼はようやく、唖然とした様子で足を止めた。

「言っておくが、この銃は偽物ではない。君がその合口で俺を斬るより前に、俺はこの銃で君の足を撃ち抜いて、行動不能にさせることができる。でも、俺は冬夜くんを傷つけたくはない。どうか動かないで、俺と話をして欲しい」

 俺の言葉が届いたのか、冬夜は動きを止めたまま俺の顔を見つめている。と言っても、冬夜は灯りを何も持っていない。彼から俺の表情が見えているのかどうかは不明だ。

「冬夜くんは、本当は俺のことを殺したくなどない。しかし、殺さなければならないと思い込んでいる。そうだね?」

 問いかけても返事はないが、構わずに話しつづけることにした。

「そう思い込んでいる理由は、ありきたりなところでいえば、祭りで根っこ様に捧げる、生贄とでもいうところか。宮松さんが調査隊を島に招き入れるにあたり、調査隊は男四人で構成すべしと指定されたと聞いている。つまりはじめから、島民全員が、俺たちを陥れようとしていた仲間であり、外部より呼び寄せる生贄は、男四人と決まっていたということだ。冬夜くんや島民たちが恐れているのは、もしかして大豊災、かな?」

 気がつけば、冬夜の合口を構える手が小刻みに震えていた。その様子から、彼の中にはまだ葛藤があることが読み取れる。冬夜は静かに、震える唇を開いた。

「ただ思い込んでいるわけじゃないんです。一〇〇年ごとに繰り返されてきた事実なんです。一〇〇年前のように大豊災が起こったら、島のみんなが死んでしまう。それだけは、止めなければならないんです」

「島の人間を救うためなら、本来はまったく関係のない人間を騙し、連れ込んで、殺しても良いと?」

 冬夜が、まるで負傷していた場所を抉られたかのように、ぐうっと息を呑んだ音がした。彼がゆっくりと唇を噛んでしばしの沈黙が落ちると、穏やかな雨音が聞こえる。

 それから、冬夜はひどく落ち着いた声で俺の名前を呼んだ。

「浅野さん。だったら僕のことを、殺してくれますか」

 予想外の言葉に、次に息を呑むのは俺の番だった。

「どうして」

「本当は、生贄として死ななければならなかったのは、僕たち四季子の方だったんです」

 冬夜はそう話し始めながら、合口を握る腕を下ろす。彼の動きに合わせ、俺も銃を構えた腕を下げた。

「四人の少年の生贄を捧げて、根っこ様をお呼びした年から一〇〇年に一度、根っこ様は大豊災を起こす。根っこ様はそのときを、四季子の誕生によってお示しになられる。四季子の誕生は、一五年後に大豊災が来るという徴です」

「四季子は島の吉兆だというのも嘘だったのか」

「半分は本当です。なにしろ、四季子を生贄として捧げれば、大豊災を免れることができるのですから。これ以上の吉兆はないでしょう」

 俺は眉を顰めていた。生まれた瞬間から、生贄として差し出されることが決まっている存在。そんなものが、この現代日本にあって良いわけがない。

「しかし、実際に殺されたのは島の外からきた調査隊だ。おそらく、偶発的に死んでしまった春樹くんを除いて」

 冬夜は沈痛な面持ちで頷く。

「綱様は、根っこ様の言葉を僕たちに伝えてくださる存在なのですが、僕の母さんは、綱様でした。昔父さんが、綱様である母さんに、四季子を生贄に捧げずに大豊災を免れる方法はないかと伺いを立てたんです」

 説明をそこまで聞いて、俺の顔には、唇の片方だけをあげる歪んだ笑みが浮ぶ。子どもを生贄にしなければならない夫婦に授けられた、別の道を示す託宣。それに、どれほどの信憑性があるものか。

「それで、身代わりを差し出せということになったのか」

「はい。託宣では、四季子自身が手を罪に染めて、己の身代わりとなる男の命をそれぞれ一人ずつ順に捧げれば、それを代わりとして受け取るとありました」

「島外の人間である必要さえ、なかったのか」

 俺は声を出して笑いそうになった。

 ただただ神の言葉に従いたければ、例えば、瀬戸が冬夜の代わりに死んでもよかった。しかし彼らは、彼ら自身の中から犠牲を支払おうとはせず、大穴の調査という都合の良い名目で、何も知らない人間を島外から調達してきたわけだ。『探検家などという職業の者が調査先で死んでも、たいした問題にはならないだろう』という打算もあったに違いない。

 なんて身勝手な話だ。

 四季子たちが自主的に一連のことを画策したわけもないだろうから、仕組んだのは瀬戸をはじめとする周囲の大人たちか。

 俺の考えに呼応するように、冬夜が言葉を続ける。

「僕以外の四季子……春樹、千秋、夏久の三人は、本来は自分が生贄であったということは知りません。ただ、自分の手で人の命を捧げなければ大豊災が起こってしまうという、託宣の方だけを教えられているんです。僕は……神社を継ぐために、本来の言い伝えも教えられています」

 冬夜の背後に佇んでいた根っこ様が不意に動いた。不気味に長い胴体から伸びた六本の腕が、冬夜のことを守ろうとするかのように、彼の体を背後から包み込む。

「僕もはじめは、僕たちのためになんの関係もない方々の命を奪うなどということには反対でした。しかし実際に春樹を失ってみて、僕は……その辛さを知ってしまった。こんなにも辛い思いを、夏久と千秋に再び味合わせたくなかった。そして、父さんに琴乃さんのようになって欲しくはなかった。でも……本当に、身勝手な願いでした。僕は、浅野さんのことも失いたくない」

 話しながら、冬夜の瞳から零れた涙の粒が頬を伝い、煌めきながら地面へと落ちていく。冬夜は再びゆっくりと歩き出した。俺を脅すように、その手には合口が握られたままだ。

「どうか……どうか、ここで僕を殺してください、浅野さん。春樹のときにそうだったように、皆は僕が死んでも、浅野さんの命を狙ったり恨んだりはしません」

「止まってくれ、冬夜くん」

 俺は再度、銃を構える。

「このまま戻れば、僕は皆のことを説得できません。浅野さんは捕らえられて、皆は無理やりにでも、僕にあなたを殺させようとするでしょう。だから、どうかこの場で……」

 冬夜と共に、根っこ様もこちらへとやってくる。その手の中の一本が人差し指を伸ばし、冬夜の心臓があるであろう左胸をトントンと指し示す。まるで、そこを撃てば彼を殺すことができるぞと言わんばかりに。

「止まれ!」

 根っこ様の行動を目にして頭に血が上り、一際大きな怒声が出た。冬夜は射すくめられたかのように動きを止める。

 俺は深呼吸をして、根っこ様を無視するように努める。あれはただの幻覚に過ぎないものなのだ。惑わされてはならない。ただ真っ直ぐ、冬夜の黒曜石のような瞳を見つめる。

「いいかい? 言い伝えは言い伝えであり、真実ではないのだよ。根っこ様は存在しないし、生贄など捧げなくとも大豊災は起こらない。俺は冬夜くんを殺さなくていいし、冬夜くんが俺を殺す必要などもない」

「そんなことはありません。浅野さんだって、いまもずっと根っこ様を見ているはずです」

「たしかに見えている。ただこれは、体内に入った幻覚成分が脳神経系に作用して俺たちに見せている幻覚だ。脳がバグを起こしているだけなのだよ。根っこ様も、大豊災の再現のような幻影も、その他に見えているおかしなものも、すべてがドラッグのせいだ」

「そんなもの、僕は使ったことありません。それに、春樹・眞栄田さん・後藤さんが死んだとき、根っこ様はたしかに彼らを生贄として受け取った証をくださいました。あれもただの幻覚だって言うんですか?」

「受け取った?」

 俺が疑問を口にすると、あの忌まわしい唄を震える声で冬夜は歌った。冬夜の澄みきった声を聞きながら、俺はまた一つ、真実に思い至る。

 島民たちはなぜ、死んだ者たちをああも惨たらしい姿にしなければならなかったのか、ということだ。あれはあくまで、四季子たちを殺人へと向かわせる意気を高めるための細工であり、子どもたちの所業ではなかったのだ。
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